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徒花の少女  作者: 野良丸
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正義 ーヒトー 1

 茅野さんと隊長さんとの初対面から三日が経った。早朝から家を訪ねてきた茅野さんとともにお父さんに見送られ、ワゴン車に乗って徒花部隊扇野支部へ向かう。

 この先、家に帰られるのは多くても一ヶ月に一回程度とのことだった。カフカ出現に備えて支部の寮に泊まるのが基本らしい。そのことを言った時、お父さんは『寂しくなるな』と言いながらもどこか嬉しそうだった。

 車の中には三人。私と茅野さんと運転手さん。運転手さんは初老の男の人だった。乗り込むときに挨拶を交わしただけ。でも優しそうな声だった。

 運転手さんは間違いなく普通の人間だ。カフカは男女関係なくなるけど、徒花になれるのは女性だけらしいから。

「支部についたら何をするの?」と茅野さんに聞いてみた。そんなこと別に気にならなかったけど、隣で気まずそうに視線を向けてくる彼女のことはすごく気になったから。

「え。えっと、ごめんなさい。私も知りません……」

「そう」

 余計に気まずくなってしまった。

「茅野さんはいつから徒花になったの?」

「さ、三ヶ月前からです。でもせっかく双花なのに訓練でも動きが悪すぎて皆さんの期待を裏切りっぱなしだし……」

 この三日間で徒花やカフカについて調べた結果分かったのは、引きこもっていた五年間のうちに世界は大きく変わっていたということ。

 五年前のあの日を境に、全世界で人間がヘドロ状の化物、カフカに変貌するという事件が発生。それと同時に徒花としての力に目覚める人間も現れたことで大混乱が発生したらしい。当時のニュース番組をネットで見ると、まるで下手なパニックホラー映画のような現実がそこには広がっていた。

 三日前の会話、そして今、茅野さんが口にした双花についても知ることができた。

「あ、双花っていうのは……」

「分かってる。少し調べてみたから。開花して、カフカと戦えるほどの身体能力を得たのが戦闘タイプの『戦花』。戦闘能力はないけど人が腐る原因になる負の感情を吸収して人に戻す能力を得たのが『吸花』。その二つの能力を併せ持つのが『双花』。合ってる?」

「はい。大正解です!」

 ぱちぱちと拍手する茅野さん。その仕草は少しミキっぽかった。

「でもそっか。双花の全員が全員戦花みたいに戦えて吸花のような働きができるわけじゃないんだね」

「うぐ。は、はい。特に吸花と一口に言っても、負の感情への耐性は人それぞれ全く違いますし……」

 それも一応は調べたけどよく分からないことだった。吸花は耐性の低い負の感情を吸いすぎるとカフカになってしまうらしいのだが。

 ネットに載っていた例えによると、吸花Aは『恨み』の感情に完璧な耐性を持っていて、いくら吸収したところで『腐る』ことはない。ただし『妬み』への耐性は低く、それが原因で腐ったカフカの負の感情を吸うとあっという間にキャパシティーオーバーとなり自身がカフカになってしまうらしい。

 まぁ隊長さん曰く私は『戦花』らしいので、そこらへんのことはざっと目を通しただけだった。

「茅野さんの得意な負の感情って何なの?」

「割りと何でも。ほとんど全部、平均的みたいです」

「なにそれすごい」

「い、いえ。すごくないです。大体、吸花や双花の人は、一種類くらい完璧に近い耐性を持つ感情があるはずなんです。私はそれがないから、他の吸花や双花の人より早く限界を迎えるでしょうし……」

「へぇ」

 吸花って面倒くさい。

「でも、扇野支部には戸舞とまいさんと紋水寺ぶんすいじさんがいてくれるので他の支部と比べたら大分恵まれてるんです」

「あぁ『全能』さんと『万能』さん」

「はい。えっと、私はまだお会いしたことないんですが……。あ、あと梅長さんとか! 『正義』の!」

 見るからにテンションが上がっている茅野さん。梅長うめなが仁美ひとみのファンらしい。

 全能とか万能とか正義とかは、一般人が有名な徒花に付けた異名のようなもので、ニュースなどで紹介される際も名前の前にその異名がつけられていることが多い。全能の戸舞流華るかとか、万能の紋水寺梨乃りのとか。

 戦わない徒花は迫害を受けるけど、戦いに出て活躍すればアイドル的扱いを受けることもあるのだ。それがこの国。世界。

 その中でも正義の梅長仁美は、徒花をある程度は受け入れている今の世間を作るのに一役買った人物らしく、綺麗な容姿に似合わない男らしい性格で老若男女問わず大きな人気を得ているらしい。ニュースのインタビューでヒーロー面した顔を見て、私は嫌いだなと思った。

 そうしているうちにワゴン車が止まった。窓の外を見ると、いつの間にかフェンスに囲まれた施設の敷地に入っていた。施設の入り口には眼鏡を掛けた白衣姿の女の人。首から社員証のようなものを下げている。車から降りて挨拶を交わす。その時の様子を見るに、茅野さんとその人は顔見知りらしい。

「じゃあご案内しますね」

 運転手さんも車から降りたので一緒に行くのかと思ったけど、ただ見送ってくれただけだった。

 歩きながら振り返り、入り口に立っている運転手さんを見ていると、茅野さんが「男の人は徒花の支部に入っちゃいけないんです。一般の方はさっきの検問所で止められて、敷地に入ることも出来ません」と教えてくれた。いつの間にか検問所なんか通過していたらしい。

「特にこの支部は有名な子が多いからね」

 先導する女の人が半分だけ振り返りながら言う。

「私はここで受付と事務をやってる江利山えりやまちはる。よろしくね、川那子さん」

 挨拶を返しながら目を合わせる。この人は徒花じゃないようだった。

 隊長室の前に着くと、江利山さんは二回ほどドアをノックした。すぐに「はい」と、三日前に聞いた凛々しい声が返ってくる。

「川那子さんと茅野さんをお連れしました」

「ご苦労。君は仕事に戻っていいぞ」

「はい。失礼します」

 江利山さんは踵を返すと、「じゃ、頑張ってね」といって来た道を戻っていった。その背中を見ていると、ドアの向こうから「入ってきなさい」という声が聞こえた。茅野さんと顔を見合わせてから、私がドアノブを握って回した。

「失礼します」

 隊長室内は壁際のほとんどが本棚で埋められており、部屋の中央には来客用のソファとテーブル。そして事務仕事用の机。申し訳程度の観葉植物が置かれていた。三日ぶりに会う隊長さんは一人掛けのソファに座って煙草を吸っていた。

「まぁ座ってくれ」

 煙草で三人掛けのソファを指す。先端の灰がテーブルの上に置かれた書類の上に落ちた。眉を潜めてから手で払う。

 私と茅野さんが並んで座ると、隊長さんは顔をあげて壁にかかっている時計を見た。時刻は七時半前。

「八時頃に君達の面倒を見る隊員が来る。それまでにその書類に目を通しておいてくれ。まぁ、部隊内や寮生活の規則とかが書かれている。分からないことがあったら聞いてくれ。あぁ、それと、隊員には連絡用にスマートフォンを配布するんだが、これが特注品でな。すまないがしばらく待ってくれ」

 それだけ言うと、煙草を灰皿に押し付けてから机に戻っていった。煙草休憩中だったのだろうか。

 書類に目を落とす。さっき茅野さんに聞いた敷地内への男性の立ち入り禁止や、無断外出、外泊の禁止、公休に関することなどが延々と書かれている。目を引いたのは、その場の最高責任者の許可なくカフカを駆除することを禁止するというものだった。そんなことを気にしていられるほど余裕のある戦いなのだろうか。少なくとも五年前、あのカフカと戦ったときは、余裕なんて微塵もなかった。

 規則の他には、この支部についても少しだが書かれていた。戦闘員ーーおそらくこれは戦花と双花のことだろうーーが二十名。戦闘補助員ーー吸花は十五名。その他事務員などを含め、この支部には五十人ほどが勤めているらしい。

 支部とは別に、訓練校と呼ばれる、徒花を育成する施設もある。戦闘員が欠けると優秀な者から実戦に投入されることとなるそうだ。

 へぇ、と読み流そうとしてから、そういえば、と首を傾げた。

「隊長」

「なんだ?」

「私、訓練なんて受けてない」

「カフカを倒したことがあるのだろう?」

「はあ」

「それで十分と判断した」

「そうなの?」

「訓練生で最も優秀だった者が初戦闘で命を落とすことも決して珍しくはないからな。戦闘経験者ーーそれも勝利の経験がある新人というのは希少だ。あぁ、あとな」と隊長さんは思い出したように言う。「茅野君。君は基本的に戦闘には参加せず、吸花として働いてもらうことになる。あぁいや、君が戦闘訓練で上手くいっていないことが理由ではなく、しばらく組んでもらう隊員が戦花でね。万が一君が戦闘不能になると困るからだ」

「はい。分かりました」

「先輩さんが戦花なら私は見学?」

「君も一緒に戦うんだよ」

「あ、やっぱり」

 書類を読み終えて顔をあげると、時刻は七時五十分になっていた。更に五分、何をするでもなく待って、隣で茅野さんが顔を上げたとき、ちょうどよくノックの音が響いた。

「入れ」

「失礼します」

 ドアが開く。そこに立っていたのは、つい昨日、ニュースのインタビューで見た顔だった。首の後ろ辺りで一つに縛った黒髪。化粧っ気の薄い、整った顔。力強い瞳。長身。私より高い。自分が何センチなのか知らないけど。

 梅長仁美。正義。歳は二十三だっけか。

 隣で茅野さんが姿勢を正したのが分かった。

「茅野君は知っているだろう。梅長仁美。この支部の古参の一人だ」

「は、はい。もちろんです」

「私も知ってますよ」

「そうか。それなら話は早い。紹介はいらないな。するなら君達で勝手にやってくれ」

「また適当な……」

 梅長仁美は呆れたように言ってから、座りっぱなしの私達に笑顔を向ける。

「まぁ軽く自己紹介はしておこうか。梅長仁美だ。よろしく」

「かっ、茅野奈緒です。よろしくお願いします」

 慌てて腰を上げた茅野さんに続いて立ち上がる。

「川那子沙良。よろしく」

「あぁ。それじゃあ隊長、さっそく二人を連れていっていい?」

「もう準備ができているかは分からんぞ」

「確認してきた。いつでもどうぞ、だそうだよ」

「ならいいだろう」

「あの、今からどこへ? まさかいきなり実戦ですか?」

「まさか。実戦ならこんなにのんびりしてないよ」

 快活に笑ってから梅長仁美は言う。

「身体測定、体力テストだよ。支部の案内を兼ねてね」



 対カフカ部隊に所属している徒花には半年に一度の身体測定、一年に一度の体力測定が定められているらしい。それは三日前に行われたらしく、その時梅長仁美は任務で欠席。偶然同タイミングで入隊が決まった私達と一緒に済ませてしまうことになったという。会議室、医務室での身体測定を済ませて、事務室を経由して、裏口から外廊下を通って訓練所へ。入り口から三手に分かれていた。

「いくつか戦闘を想定したフィールドがあって、真ん中は町中。地面がアスファルト。右は草原ーーだったんだけど、今は草一本生えてない荒れ地。左は砂地。流石に建物や木なんかは用意できてないけど、一瞬の動きで生存確率は変わってくるから、足場による動きの違いくらいはよく確認しておいた方がいいよ。特に砂浜での戦闘はまるで勝手が違うからね。ま、そういうのも含めて出来るのが体力テストだから。体力テストではそれぞれのフィールドでの動きを計る。一人一人で結構な時間を食うから、別々のフィールドに入ろうか。じゃ、私は砂地にいくよ」

 片手をあげてさっさと左の道へ進んでいく梅長仁美。残された私達は顔を見合わせてからじゃんけんをした。勝った茅野さんは真ん中の道を選んだ。

 右の道に進んでしばらく歩くと、突き当たりに扉があり、それを開くと外に出た。フェンスではなく高い塀で囲まれていて、空と壁と地面以外は何もない。

「いらっしゃい」と横から声が聞こえた。おばさんが三人。運動用のジャージを着ている。

「新人の子よね。えぇと、川那子沙良さんよね」

「はあ」

「入隊おめでとう。扇野支部へようこそ」

「ありがとう、ございます。それで、テストってなにするの?」

「あら。そんなに構えなくても大丈夫よ。やること自体は学校の体力テストと殆ど同じだから」

 別に構えているつもりはなかったけど、そう見えたのだろうか。

 それからすぐに始まった体力テストは、確かにおばさんが言うように昔学校でやったものとあまり変わらなかった。百メートル走に三キロの長距離走。広大なフィールドの壁から壁へ走るシャトルラン。垂直跳び、腕立て伏せに上体起こし。立ち幅跳び、反復横跳び。砲丸投げ(戦花の場合、ハンドボールを使うと高確率で測定不能となるためらしい)。

 いくつか変わった測定項目もあった。まず、腐化速度。自らの意思で身体の一部ーーテストでは四肢を計るーーを腐らせた際の速度だ。そして、その状態から定められた(武器などの)形を作る硬化速度。そして再び腐化させ、元の身体に戻す再生速度。それらを計った。五年前は攻撃を食らって腐化した部分を固めて戦ったため、自らの意思で腐化させたことはなかったが、意外と容易くできるものだった。そして意外だったのは、武器を作るより、元の身体に戻す方が難しかったことだった。

『みんなそうなのよ。形状が複雑だから』とおばさんは作り笑顔で言っていた。

 他のフィールドでも同じ事をやった。ただ、腐化や硬化は一度だけでよかったらしく、他の二ヶ所では本当にただの体力テストをやっただけだった。そして、梅長仁美が言っていたように、確かに砂地では記録がガクンと落ちた。

 最後のアスファルトフィールドでの測定を終えて分かれ道に戻ると、既に梅長仁美が立っていた。なんとなく負けた気分だった。

「お疲れ。どうだった?」

「砂浜では戦いたくない」

 梅長仁美は口を開けて笑う。

「そりゃ、みんなそうだよ。でもカフカは場所を考えてくれないからね」

 それはそうだ。

「腐化、硬化、再生は? 上手くできた?」

「基準が分からないけど、腐化は一秒五三。硬化は二秒○二。再生は三秒八九」

「最初でそれなら上出来だ」

「そんなに変わるものなの? 腐化速度とかはまだ分かるけど、体力なんて」

「変わるよ。私達は人としての形を意識で保っているだけなのに、ちゃんと成長するだろう? 人としての意識が私達を成長させて、成長しているという意識が外見や体力、その他諸々を変える。そのせいか、個人差はあるけどある程度の年齢を過ぎると体力が落ちていくけど」

「ある程度の歳って?」

「人によっては二十五。一番多いところでは三十。でも、四十を過ぎてもーー成長しているとは言わずとも、衰えることなく前線で戦っている人もいる。この国ではかなり珍しいけどね」

「この支部には?」

「いるよ。一人。『女王』がね」

「すごい異名」

「でも実際に会うとしっくりくるんだ、これが。類家隊長は私のことを古参なんて言ったけど、一番の古参は間違いなくあの人だろうね。霧崎きりさきれい。名前だけでも覚えておきなよ」

「霧崎麗?」

「うん? 流石のあんたも女王の名前くらいは知ってたか」

 私の引きこもり事情は知っているらしい。まぁそれはそうか。

「うん。知ってた」徒花とは無関係なところでだけど。

 そう答えたところで左の道から茅野さんが出てきた。

「あ、お疲れ様です……」という声と顔には深い疲労が表れている。戦闘訓練が苦手というのは謙遜ではなく本心からの言葉だったらしい。

「お疲れみたいだね」と梅長仁美は笑みを浮かべながら言う。

「お二人は平気そうですね」

「早く終わった分、ここで休憩してたからね。さ、次は寮に向かうよ。二人の荷物も昨日のうちに届いてる。寮を案内したあとはそれを運ばなくちゃね」

 そう言って早速歩き出す。私はその後ろについて、茅野さんは重たい足取りで更にその後ろについた。

「ゲームじゃないんだからさ、横並びで話でもしながら歩こうよ」

 振り向いた梅長仁美が苦笑混じりに言った。



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