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徒花の少女  作者: 野良丸
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真 ーウソー 3

 それから四日後、奈緒から手紙が届いた。内容はいつもと同じ。私が書いたことへの返事、向こうの学校のこと。文の締め括りは『早く冬休みにならないかな』。夏休みに奈緒の家へ泊まりに行った際、次の長期休暇の約束もしたのだった。

 私は、奈緒への手紙で初めて弱音を書いた。今まで『なんとかやってる』としか書いてこなかった家族との微妙な距離感、そして今日知った川那子沙良さんのこと。ごちゃごちゃした考えを、全部書いた。

 ポストの前で十秒くらい悩んでから投函した二日後、私のスマホに奈緒から電話がかかってきた。

「えっとね、手紙読んだんだけど、その川那子さんのことは千奈美が悩んでもどうしようもないと思う」

 軽い挨拶の後、奈緒はそう言った。

「その人への仕打ちがしょうがないっていうわけじゃないよ? だけど、一般の人は徒花に対してすごく厳しいし、下手に肩を持ったら千奈美まで酷い目にあいそうでしょ? 学校でいじめられたりとか私も心配だし……。それに、私達子供が言っても、多分、誰も相手にしてくれないよ。大人が言わなくちゃ。もっと強いーー権力のある大人がさ」

「うん……」

「将来、そういう大人になるために頑張るっていうことも出来るけど、千奈美が今すぐできることは他にあるでしょ! まず千奈美は千奈美の家族をなんとかしなくちゃ!」

「なんとかって?」

「話して話して話しまくる! 言いたいことは言う! 手紙の内容見る感じ、嫌われてはないんだから! 多分、お互いに臆病になってるだけだって!」

「臆病」

「そうだよ。もっと笑顔で接して、あなたのことが好きですよー、怖くないですよーってアピールしなきゃ」

「それでうまくいくかな? 仲良くなれる?」

「なれるよ」

 断言された。こういうことをはっきり言えるのが奈緒のすごいところだ。

 私がお礼を言うと、奈緒は照れたように笑いながらこう言った。

「あんまり悩んでると腐っちゃうよ」


 それから、ご飯の時とかはなるべく頑張って話をするようにした。学校のこととか、友達のこととか。徒花の人達のことはやっぱりちょっと話しづらいし、佐貫さんが亡くなったこともあって、私としても話題にする気にはなれなかった。

 最初は何を話しても一言しか返ってこなかったけど、そのうち二言になって、少し表情がつくようになって、そして、冬休みに入る頃には、瀬李奈は質問を返してくれるまでになった。お母さんの方は停滞中だけど『大人は頑固だから』という奈緒の言葉を信じて気長に接し続けようと思う。


 年が明けて三日目。私は二人分の『いってらっしゃい』の声を背に家を出た。

 すっかり慣れた電車の旅。雪も降っていないから電車が止まる心配もない。お母さんに持たされた紙袋を膝の上に置いたまま、向こうに着いた後のことを想像する。

 今日は夜遅くまで布団のなかで色々話して、明日は神社にお参り。それから他の友達と会ったりもするんだろうな。

 そんな空想をしているだけで時間はあっという間に過ぎていって、気付けば電車の窓から夕陽が差し、そして、最終目的の駅に到着した。

 ホームに降り、駅員さんに切符を渡してから改札をくぐる。奈緒が迎えに来てくれている筈なんだけど、待ち合い室にはいなかった。駅舎から出て周囲を見ても姿はない。

 昨夜電話したから、まさか忘れているということはない筈。何かあって遅れてるのかな。電話してみようかと思ったけど、先に話してしまうと会ったときの喜びが薄れる気がしたから止めた。

 冷たい風。余った袖で手を隠してから歩き出した。

 駅を出て路側帯を歩いていく。手を伸ばせば届く場所を通過する車。鼻の奥をツンとさせる冷気。垂れそうになる鼻水に慌ててティッシュを取り出してかんだ。

 二十分くらい歩いて、奈緒の家に着いた。和風な造りの一軒家。

 結局会わなかったな、どこかで入れ違いになってなければいいけど、と考えながらチャイムを押す。

 玄関扉の引き戸の前でしばらく待っていると、すりガラスに人の影が映った。

 奈緒だ。でも、どういうわけか向こう側から片手を付いたまま動きを止めている。

「千奈美?」

 小さな声が聞こえて、私はドアに顔を近付けた。

「うん」

「ごめん。今日は会えない」

「えっ?」一瞬、頭が真っ白になった。「えっと、どうして? 明日なら会える?」

「もう、ずっと会えない」

 その声は震えていた。外にいる私よりもずっと。

「何かあったの? 奈緒?」

 すりガラスの向こうで奈緒はゆっくりと崩れ落ちた。その場に座り込んで、すがり付くように両手だけがガラスについている。

 取っ手に指先を当てて、ゆっくりと引いた。何故か、鍵が閉まっていないことを確信していた。

 玄関でしゃがみこんでいる奈緒に一歩近づいて、目線を合わせるように膝を折る。

「奈緒、どうしたの?」

 そう言いながら手を伸ばし、奈緒の頬に触れる。

「千奈美ーーーー」

 ゆっくりと顔を上げた奈緒を見て、私は起こったことの全てを理解した。

 赤く染まった両の瞳。

「私、徒花になっちゃった」

 この奈緒の身体はヘドロで形成されている。

「戦わなきゃいけない」

 指先に感じる体温も、皮膚の感触も、人そのものなのに。

「でも、私、戦いたくない。戦うのが怖い。死ぬのが怖いの」

 こんなに、透明な涙を流しているのに。


 私のことを駅の待ち合い室で待っていた奈緒は、他の利用者から向けられる妙な視線を不思議に思い、何か顔に付いているのではないかとトイレへ行き、赤く染まった自らの瞳を目の当たりにした。

 トイレを、駅を飛び出して、家へ向かう。足に力を入れて地面を蹴るだけで車さえ追い越せた。自分は戦花だと気付いたのはその時だったらしい。


 奈緒が涙混じりに話してくれたことを要約するとこんなところだった。

 壁に掛けられた時計に顔を向ける。

 足腰がろくに立たない奈緒を支えながらなんとか居間まで移動し、ソファに並んで座った。先程のことを話してくれたのはそれからまたしばらく経った後。そして話し終えた現時点で、私がこの部屋に来てから一時間が経過していた。その間に薄暗かった外は真っ暗になって、あられが屋根を叩き始めた。

 奈緒はお母さんとお祖母さんとの三人暮らし。今日、奈緒以外の二人は親戚の家に行っていて、帰ってくるのは明日になると電話で言っていたことを思い出す。

「ねぇ、千奈美。私どうしたらいい?」

「奈緒は戦いたくないんだよね?」

 弱々しい首肯が返ってくる。

「隠すことってできないかな。目にカラーコンタクトをして、人前で運動するときは力を抑えてーー」

「無理だよ。もうたくさんの人に見られてるもん。こんな田舎じゃあ、もう噂が広まってるかもしれない」奈緒はそう言って、居間の隅にある固定電話を見る。「さっきから、電話が掛かってくるの」

「誰から?」

 奈緒は首を横に振る。「でも、きっと徒花部隊から。私のことを知ってる人が教えて、勧誘の電話をかけてきてるんだと思う」

「そんなことーー」あり得ないよ、と言う前に、電話が鳴った。どこかで聞いたことのある音楽が流れる。奈緒は耳を塞ぎ、顔を俯けた。

「私が出てもいい?」

 その問いは聞こえなかったのか、それとも答えたくなかったのか、しばらく待っても返事はなかった。耳と目を塞いで、世界との繋がりを出来る限り断っている。

 私は立ち上がって受話器を手にした。

 もしもし、と口にする前に「奈緒!?」という悲鳴のような声が耳の奥まで届いた。知っている声だ。

「おばさんですか?」

「千奈美ちゃん? 奈緒は? そこにいる?」

「はい。でも今はちょっと……」

「じゃあ本当なのね。あの子が徒花に……。あぁ、どうして奈緒が……」

 電話の向こうで泣きそうになりながら頭を抱えている姿が自然と浮かんだ。しかし気になることが一つ。

「おばさん、どうしてそのことを?」

「知り合いの人から連絡をいただいて……。それより奈緒の様子はどう? 話は出来そうにない?」

「今は無理だと思います」

「そう……。今、タクシーで帰ってるところなの。あと一時間くらいで着くから、どうかそれまで奈緒のことをお願いね」

「はい」

 受話器を置いて振り返る。奈緒はさっきと同じ姿勢のままだった。

 奈緒のことを知る第三者に目撃されていた。その事実だけでも、今の奈緒にとっては耐え難いことだろう。いつかは知ることになるのだろうけど、今だけは、精神的な落ち着きを取り戻すまでは何も言わないままでいたい。

 でもこの世界は、そんな私達の小さな願いすら聞いてはくれない。

 玄関チャイムの音。

 おばさん達? そんなわけがない。

 その場に立ち尽くす。奈緒の家にカメラ付きインターホンはない。

 もう一度チャイムの音。すぐにノックの音が聞こえてきた。そして「こんばんはー、國増くにますさーん」という男の人の声。耳を塞いでいても、それらの音は僅かに届いているのだろう。奈緒はびくりと身体を跳ねさせたかと思うと、小さく震え始めた。

 誰だろう。優しいのにどこか投げやりで威圧的。そんな感じの声だった。

 奈緒の隣にしゃがんで、耳に口を近付ける。

「私、ちょっとだけ様子見てくるね」

「駄目!」

 耳を塞いでいた両手が、私の肩に回された。至近距離で飛びつかれたとは思えないほどの衝撃に一瞬呼吸ができなくなって、抵抗する間もなく後ろに倒れる。

 痛っ、という言葉は咄嗟に飲み込んだ。

 奈緒は私の胸に顔を埋めて「行かないで」と繰り返している。その背中に両手を回して、出来る限りそっと抱き締めた。瀬李奈を初めて抱かせてもらった時のことを思い出しながら。

 ふと、視界の隅で何かが動いたような気がしてカーテンに目を向けて、思わず肩が跳ね上がった。その動きは当然奈緒にも伝わって、私の顔を見て、視線を追う。

 カーテンに映っている人影。庭に誰かが立っている。懐中電灯を持っているのだろう。丸い光が浮かび上がる。

 ノック。

 奈緒はそちらを見たまま私の腕をぎゅっと掴んだ。きっと、私も同じだったと思う。

「國増さん、ご安心ください。警察の者です。國増さん、國増奈緒さーん」

「警察……?」奈緒が小さく溢した。完全に想定外だったのだろう。顔から恐怖は消えて、ただ驚いている。

 私も恐怖はなくなった。でも、驚きよりも怒りが湧き上がってきた。

 もう誰も近付かないでほしかった。今だけは、今晩だけでいいから、放っておいて欲しい。

 どうしてこの世界は、その程度のことも許してはくれないのだろう。


 結局、おばさんとお婆さんが帰ってくるまで、私と奈緒は居間で身を寄せあっていた。警察の人とはおばさんが話して、その間、お婆さんは私と奈緒を抱き締めて「大丈夫」と背中を叩いてくれた。

 私は、翌朝の始発で帰ることになった。「これ以上私達と一緒にいたら千奈美ちゃんや家族の人にまで迷惑を掛けることになるから」とおばさんに言われたためだった。わざわざ家族のことを言って、私が頷けるように配慮してくれたのだとずっと後になって気付いた。

 帰っている間のことはよく覚えていない。でも、気付けば家の前に立っていた。お父さんの車はなくて、お母さんのはある。いつもの風景。

 鞄から鍵を取り出して鍵穴に差し込む。回す。カチッという小さな音。鍵を抜いてドアを開ける。閉める。鍵をかける。靴を脱いで、廊下を歩く。リビングへのドア。

 開けると、椅子に座っていた二人の顔が私に向けられた。

 お母さんと瀬李奈。

 テーブルの上にはきな粉餅やあんこ餅、納豆餅などが並んでいる。

「お姉」

「千奈美、もう帰ってきたの?」

 驚きを浮かべる二人に、私は笑顔を意識しながら頷いた。でも、うまくできなかったらしい。お母さんは怪訝そうに眉を寄せて、箸をお皿の上に置いた。

「なにかあったのね?」

 お母さんの問い。

 首を横に振ることなんて、できるわけがなかった。

 頷くと同時に涙が溢れた。

 私は何を悲しんでいるのだろう。

 なんで泣いているのだろう。

 その理由も分からないまま、私は、生まれたばかりの赤ん坊のように泣きじゃくった。

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