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徒花の少女  作者: 野良丸
22/34

真 ーウソー 1

 走っていた。

 私だけじゃない。周囲の人達も同じ。他人のことを気にかける余裕などなく、前を走る人を押してでも、倒れた人を蹴り飛ばしても、ただ走っていた。

 妹も同じように逃げてきているはずだと何度も周囲を見回す。いや、見回している振りをしていただけなのだと思う。

 本当は分かっていた。妹は多分、まだあの場所にいる。

 逃げてきているはずというのは、私の願望でしかない。

 願望? いや、それも違う。

 私は死んでほしいと思っていたんだ。

 可愛い妹に。

 私なんかよりずっと可愛くて両親に好かれている妹に。

 そんな心に気付いた瞬間、私は踵を返した。

 人にぶつかって、倒れて、蹴られて。

 人の波が過ぎ去ってから立ち上がって駆け出す。身体中が痛くて、とても全力では走れなかった。

 妹のことが心配なわけじゃない。

 ただ、そんな酷い理由で妹を見捨てた人間になりたくなかったから。

 私は、どこまでも自分が可愛かった。

 だって、私以外の誰も、私を可愛がってくれなかったから。

 駅前に戻ってまず目にしたのは、獣のように動き回る巨大なヘドロの塊。でもさっき見たときと様子が違う。その場で暴れまわってる? いや、何かと戦ってるんだ。女の人。ううん。女の子? ここからではよく見えない。

 更に近付くと、駅前周辺には携帯電話を構えた人達が点在していた。全員、ヘドロの獣とーーやっぱり女の子だ。その女の子に向けている。

 不意にフラッシュが焚かれた。

 それに敏感に反応したのはヘドロの獣だった。びくりと身体を震わせ、首を曲げて光の方を見る。

 その隙に、女の子は地面を蹴っていた。懐に飛び込み、左手ーー歪な刃の形をした左手を胸へと突き刺す。

 ヘドロの獣の身体がびくんと跳ねて、ゆっくりと溶けて崩れ始めた。

 救急車とパトカーのサイレンが遠くから聞こえてきた。


 病院に到着した後、妹はすぐに手術室へ運び込まれた。院内は騒がしく、あちらこちらで怒声が飛び交っていた。

 ソファに座って身を縮めていると、私の名前を呼ぶ声が聞こえて顔を上げた。

 お母さんとお父さん。

 安堵から涙が溢れそうになる。

 溢れた。自然にではなく、お母さんに両肩を掴まれた衝撃で。

瀬李奈せりなは? 瀬李奈は無事なの!? 泣いてないで答えなさい!!」

「わ、分かんない。今、しゅじゅーーーー」

「分からないじゃないでしょう!」

 左頬に衝撃。涙が飛んでいくのが、何故かよく見えた。頬がジンジンと痛む。耳も痛い。

「おい、やめろよ、こんなところで……」

「もう! なんでこの子じゃなくて、瀬李奈が、こんな……」

 お母さんはその場にしゃがみこんでしまったけど、すぐにお父さんに引き起こされて私の隣に座った。私は居心地が悪くて、立ち上がり、窓の前に移動して景色を見ていた。

 自然と思い出すのは、あの後気付けばいなくなっていた女の子のことだった。私と同い年くらいに見えた。でも、何者なんだろう。人間なのかな。

 妹は一命をとりとめた。でも、当然だけど右腕はどうしようもなくて、その日から、妹は私と口ひとつ利かなくなった。仕方のないことだけど。


 しばらく、一人きりの生活が続いた。一人暮らしを始めたわけじゃないけど、一人きりだった。

 そんな間に世界は大きく動いていて、アダバナとか、フカとか、今まで聴いたこともなかった単語を日常的に聴くようになっていた。学校はずっと休校中だったから、相手はテレビだけど。

 お祖母ちゃんの家に移ることになったのは、あれから二ヶ月が経った頃だった。唐突に「お祖母ちゃんの家に行きなさい」と言われたかと思うと荷物と電車の切符を渡され、家を放り出された。

 駅まで歩き、そこからは駅員さんに聞きながら電車を乗り継いでいった。

 しかし、乗り換えに失敗するなどモタモタしていたせいで、行程の四分の三を進んだところで夜遅い時間になり、駅員さんに捕まってしまった。

 おまわりさんもきて、そこで事情を話すと、お祖母ちゃん家の電話番号を調べて連絡をいれてくれた。迎えに来てくれるまで、駅員さんやおまわりさんはすごく優しくしてくれた。

 深夜になった頃、お祖母ちゃんが迎えに来てくれたけど、その日はもう遅かったから、駅員さんが紹介してくれたホテルに泊まった。

 次の日、平日なせいかガラガラのバスの中で、お祖母ちゃんは色々話してくれた。昨日の朝、お母さんとの会話の中で私の現状を知って引き取るといったこと。だけどまさかその日のうちに、しかも小学生の子供を一人で外に放り出すようなことはしないと考えていたこと。そして最後に涙ぐみながら謝ってくれた。

 私は首を横に振った。全然怒ってなかったから。

 あの時、こんな風に謝れたら、お母さんとお父さんも許してくれたのかな。



 一ヶ月が経った。こっちの方は普通に学校も開いていて、私もそこへ通っていた。一学年二十五人しかいないという小さな小学校だ。

 登下校は車の送迎。保護者同士で当番を決めて行っていた。お祖母ちゃんは免許も車も持っていなくて参加できなかったけど、それでもみんな、私のことも乗せてくれた。

 その日は理香子りかこちゃん家の車に乗せてもらっていた。四人乗りの白い軽自動車に、いつものように五人乗る。後部座席はぎゅうぎゅうだ。

「フカになるのってアダバナだけらしいよ」

 どういう話の流れだったかは忘れたけど、クラスで一番頭のいい和花のどかちゃんがそう言った。

「えー! そうなの!?」と車内は一気に騒がしくなる。

「今朝、ニュースで言ってたもん。理香子ちゃんのママは知ってる?」

「うん、確かにニュースで言ってるね」

「ほらー」と得意気な和花ちゃんだったけど、理香子ちゃんのお母さんは「でもね」と少し強い口調で言った。

「まだ確定ーー絶対にそうだって決まったわけじゃないから、あんまり言い触らしたら駄目だよ」

「そうなの? だって、ニュースではアダバナの人達にセキニンを取らせるって。フカするのはアダバナだけだから、あのお化けの呼び方はカフカにすべきだって・・・・・・」

「よく覚えてるね。やっぱり和花ちゃんは記憶力がいいんだね。他にはどんなニュースがあったっけ?」

「え? えーとねぇ、そうだ! 動物園でパンダの赤ちゃんがーーーー」

 みんなはすぐに新しい話題に食いついたけど、私はアダバナのことが頭から離れなかった。

 アダバナ。あのヘドロの獣、フカと似たような力を使えるヒト達。

 フカは、人が腐ってなるものだから腐化ふか。カフカっていうのは、なんだろう。アダバナ。漢字はどんなんだっけ。アダ花。花が腐る。で、花腐化? なのかな?

 家に帰ってからお祖母ちゃんにそのことを聞いてみたら、すごい剣幕で怒られた。カフカなんて呼び方をするんじゃない、って。

 それでも、時間が流れるにつれてフカっていう言葉は消えて、みんなあのヘドロの獣のことをカフカと呼ぶようになった。テレビもそうだし、たまにテレビに出ているアダバナの人もそう呼んでいた。でもお祖母ちゃんだけはいつまでもフカと言っていた。

 小学五年生に進級した頃、それまで個人的にカフカを討伐していた徒花の人達が集結して対カフカ部隊を結成したというニュースが大々的に報じられた。それがきっかけとなったらしく、カフカの相手をするのは徒花というイメージが世間に定着し、出現時に陸軍などが出撃することはなくなった。

 でも、徒花への拭いきれない不信感から、対カフカ部隊には悪いイメージが定着しつつあった。そんな雰囲気を吹き飛ばす人が現れたのは、結成から一ヶ月が経った頃。

 梅長仁美さんの登場だ。小学生の女の子を颯爽と救出したという報道は連日報じられて、梅長さん自身も毎日のようにテレビに出ていた。学校でもその話題で持ちきりで、ちょっとやんちゃっぽい喋り方とか服装が流行ったりもした。

 私も憧れていた一人だったけど、梅長さんの真似をしようとは思わなかった。卑屈でもなんでもなく、私の容姿は優れているとは言いがたい。それは子供ながらによく分かっていた。目は小さい上に細いし、鼻もだんご鼻。歯並びだって悪い。あんな綺麗な人の真似をしたって、惨めになるだけだ。

 この頃から、対カフカ部隊の公式ホームページには所属している徒花のプロフィールが掲載されるようになった。妹を助けてくれた女の子のことを思い出して、地元付近の支部のページを回ってみたけど、それらしき人はいなかった。なんとなく目元とかが似てる人はいたけど見るからにおばさん(年齢欄『秘密』)だし、なんかちょっと怖い感じだし、あの人とは絶対に違う。

 更に一年が経つと、梅長さんが所属する支部に超新星が二人現れた。戸舞流華さんと紋水寺莉乃さん。なんと驚くことに私と同い年! 徒花の情報を毎週配信するテレビ番組、題して徒花TV内で紹介されたことをきっかけに、その幼いながら端整な容姿が話題となって一気に人気者に。その頃は同番組内で梅長さんのことを『正義の徒花』と称したことで、徒花に異名を付けることが流行り始めた時期だった。当然のように戸舞さんと紋水寺さんへの異名候補のメールが殺到したらしいけど、入隊から半年後、二人がカフカと戦い、人間に戻す映像が流れたことで、その高い戦闘能力が周知され、もともと有名だった吸収能力のことも考慮された結果、ほぼ満場一致で『全能』と『万能』の異名は決定した。

 そして、それから四ヶ月後。私の卒業を半月後に控えた二月下旬。

 お祖母ちゃんが急死した。

 普通に「おやすみ」と言って、眠って、翌朝には冷たくなっていた。

 死因は心不全ということだった。

 三年振りにお母さんと話をした。

「そう。分かったわ。お父さんに連絡をいれて、仕事の都合がつき次第そっちに向かうから」

 それだけ。久し振り、の言葉もなかった。

 その日の夜にお母さんとお父さんが来るまでは近所の人とか友達が付き添ってくれていた。お祖母ちゃんは自分が死んだ場合のことを信頼できる知り合いに話していたらしく、お葬式とか、お通夜とか、そういう準備はすべてその人達がやってくれた。

 お母さんとお父さんが来てからも、私はずっと友達と一緒にいた。その友達は特に仲が良くて、名前は奈緒といった。お祖母ちゃんが死んだ日も、その翌日の通夜も奈緒はずっと隣にいてくれた。

 通夜の翌日に、葬儀、告別式、火葬を終えて、一段落となった。その日は奈緒も帰ってしまった。親に少し怒られたと笑っていた。悪いことをした。後で私からも謝っておこう。日が暮れてくると近所の人達まで帰ってしまい、お祖母ちゃんの家には私と両親しかいなくなった。

「これからどうするつもり?」

 テレビの音だけが響いていた居間に、お母さんの声が加わった。

「由美子さんーーえっと、近所に住んでる入木田いりきだのお婆ちゃんが、うちにきてもいいって言ってくれてる」

「どうするの?」

「か……、考え中……」

 ふぅ、と溜め息。

「私達は明日の朝一番で帰る予定だから、それまでに決めておきなさい」

 その言葉を理解するまで、少しだけ時間が掛かった。

「それって、そっちに帰ってもいいっていうこと?」

「お祖母ちゃんが亡くなったんだから仕方ないでしょう」

 それが照れ隠しなのか本心なのかは分からなかったけど、不思議と私の気持ちは決まった。地元に帰ればあの人と会えるかもしれないし……、あぁ! そういえば戸舞さんや紋水寺さん、もしかするとあの梅長さんに会えるかも! なんて、思っていなかったと言えば嘘になる。



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