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徒花の少女  作者: 野良丸
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カフカ ーアイー 6



 公休は一日しかない。必然的に日帰りである。正確には明日の朝九時までに支部へ戻ればいいのだが、どちらにせよ観光をする余裕などなかった。

 支部に帰るつもりだった。でも、何となく歩きたくて、適当な駅で降りて、気の向くままに歩いて。

 そうしたら、自分の家の前に来ていた。

 もちろん寮のことじゃない。川那子家。一ヶ月ぶり。

 時刻は夜の九時前。リビングの灯りが点いていた。耳をすませばテレビの音が聞こえた。

 それを掻き消す電話の音。電子音で奏でられるクラシックの名曲。安っぽいけど、親しみは持ちやすい。

 微かに聞こえる話し声が止まったと思うと、大きな足音が玄関へと向かってきた。私に気付いた? 近所の誰かが教えたんだ。

 理解すると同時に身体が跳ね上がる。

 思い出す。私が対カフカ部隊へ行く際、お父さんが浮かべていた安堵の表情。

 踵を返そうと右足を一歩下げようとした途端、その場に崩れ落ちてしまった。見れば、足が震えていた。それなのに無理に動かそうとして、支えきれなくなって倒れたんだ。

 玄関のドアが開いた。

 白いTシャツ。灰色の半ズボン。うっすらとは言いがたい無精髭。休日だからってどこにも出掛けずにいたのだろうか。不健康的。でも、記憶に残っている顔より、ずっと元気そうに見えた。

「沙良」

 驚いた顔。

「どうしたんだ、こんな時間に。何かあったのか?」

「ううん」と首を振ってからゆっくり立ち上がった。「今日は休み。近くに用事があって、ちょっと寄ってみただけ」

「そうか」とお父さんは安心したように笑った。徒花部隊が嫌になって逃げてきたのでは、とでも思ったのだろうか。

「類家さんから話は聞いていたから大丈夫だろうとは思っていたんだけど。いきなりだったから、少し驚いたよ」

「隊長から?」

「うん。梅長仁美さんの下で任務をこなしていることとかーーそうだ。行方不明になった男の子のことも聞いてるよ。発見したのは沙良達なんだろう?」

 お父さんは嬉しげに目を細めている。

 戦わなければ人間扱いされない。徒花が戦えば、全て解決する。そういう世界。人間が作った世界。人間のための正義。

「夕飯は? もう食べたのかい?」

 首を横に振る。

「じゃあどこか食べに行こうか。こんな時間からだと、ファミレスとかになるけど」

 頷く。お父さんは笑みを浮かべると、着替えてくるから玄関で待っててと言って家の中へ戻っていった。開けっぱなしの玄関ドアから中に入る。懐かしい匂いがした。鼻を動かしながら玄関に腰掛ける。ふと視界に入った靴棚に手を伸ばして開いてみる。女性ものの靴。小さなサイズの靴には『みき』と平仮名で名前が書いてある。

 お父さんが戻ってくる気配を察して靴棚を閉めた。振り返ると、ちょうどリビングから出てきたところだった。

「行こうか」

「うん」

 立ち上がって、一緒に玄関から出た。車の後部座席に乗り込む。無意識の行動だった。きっと、昔の癖だ。お父さんが運転席、お母さんは助手席、私はお母さんの後ろ。ミキはお父さんの後ろ。それが定位置だった頃の。

 お父さんは色んなことを訊いてきた。茅野さんのこととか、梅長さんのこととか、こういう休みはどれくらいの頻度であるのかとか、ご飯はちゃんと食べているかとか。

「お父さん」

「うん?」

「私、もう徒花部隊辞めたい」

 車内は薄暗かったけど、ハンドルを握る手に僅かな力がこめられたことはよく分かった。もっと動揺するかと思った。

「そうか」とお父さんは言った。少し困ったように笑っていた。「沙良がそう決めたのなら、お父さんは構わないよ」

「いいの?」

「うん」

「また嫌がらせされるかも。会社、クビになるかもしれないよ」

「なんとかするよ」

「ごめん」

「大丈夫だよ」

「ううん。嘘。辞めたいって」

「え?」

「別に辞めたいって思うこともないし、辞める気もない」

「本当に辞めたいなら辞めてもいいんだよ?」

「大丈夫。嘘ついてごめん」

「いやーー」お父さんは何か考え込むように言葉を区切った後、バックミラー越しにこちらを見ながら笑った。

「何か、不安にさせたかな」

「ううん。私が勝手に不安になってただけ」

「なにか悩みでもあるのか?」

 赤信号。停止線の上で車が停まる。

「お父さん、カフカの中に人型の個体がいることは知ってる?」

「うん」

「この前、その人型に会ったの。山奥で」

「うん」

「『自分は人を襲うつもりなんてないからこのまま放っておいてほしい』って。それで、もしも、なんだけど・・・・・・」

「うん」

「信号、青」

「え? あ、あぁ」

 車が少し乱暴に発進した。

「ミキが同じ事を言ってきたらどうしたらいい?」

 マンホールの段差で車体が軽く跳ねた。

 お父さんは答えない。聞こえなかったはずはない。

「私は、きっと、倒すと思う。他のカフカと同じように。徒花になる時にそう決めたから。もしかしたら今まで倒したカフカの中にーー」

「それはあまり考えたくないなぁ」

「カフカになったミキでもミキのままなら生きていてほしいってお父さんが言うなら、私の考えも変わる、かも」

「かも、か。そこまで覚悟してるんだね。でも、本当に倒せるか? 半分とはいえ血の繋がった妹だよ。あんなに仲が良かったミキと戦えるか?」

「戦うよ。多分、どっちかが死ぬまで」

 お父さんは何も知らない。五年前に起こったことは、何も。ただ結果を知っているだけ。

 ミキはカフカになった。

 イズルは死んだ。

 私は徒花になった。

 たったそれしか話していないのに、こんな質問をするのはズルいのかもしれない。それでも、

「なら、お父さんは沙良を応援するよ。ミキが誰かをこれ以上傷付けないように止めてあげてほしい」

 この言葉が欲しかった。

 認めて欲しかった。

 背中を押して欲しかった。

 このままだと、人間のことが大嫌いになりそうだったから。

 ミキを殺す決意が鈍ってしまいそうだったから。

 ごめん、お父さん。



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