カフカ ーアイー 5
「御苦労」
梅長さんからの報告を受けた隊長は椅子に腰掛けたままそう言った。
「一人の負傷者もなく知能の高いカフカを討伐、更に行方不明となっていた幼児も発見するとはお手柄だ。これで世間からの批判もある程度治まるだろう」柔らかな表情のまま「さて」と話を続ける。「だが、事実の通りに発表するわけにもいくまい。カフカが人間の子供を保護して育てるなど、世間一般が抱いているイメージからかけ離れている」
梅長さんは予想していたように頷く。
「神眼教の動きが活発化する可能性もあるね」
「嘘の発表をするっていうことですか?」
頷いた隊長を見て声をあげたのは茅野さんだった。
「言いたいことも分かるが、これをそのまま公表すれば世間は混乱する。この国に限らずな。君も知っているだろう。海外での神眼教の活動はこの国の何倍も激しい。カフカ討伐の妨害程度で済んでいる国や地域もあれば、徒花が人の手によって殺されることもある。今回発覚したことは、そんな過激派にとって大義名分となる事実だ」
「なにより」と梅長さんが厳しい表情で、だけど心なしか優しげな口調で言う。「事実を公表した場合、今回保護した男の子も普通の生活が送れるか危うくなる。たった四日間とはいえ、カフカに育てられた子が一般人からどんな風に思われるかは想像できるだろう?」
「君が納得できない気持ちは分かる。無理にしろとも言わない。だが、どうか事実を口にしないでくれ。これから警察で事情聴取を受けることになるが、そこでもな」
茅野さんは何か言いたそうにしながらも頷いた。言葉を飲み込んだように見えたのは気のせいじゃないと思う。
「では、今行ったように、君達は扇野警察署に向かってくれ。これ以上待たせるとまた電話が掛かってきそうだ」
「隊長」と軽く手をあげる。
「なんだ?」
「今回みたいに人型を相手にした場合って、生前ーーていうか腐る前のことは調べるの?」
「積極的には調べない。せいぜい警察に特徴を教えて、それらしき失踪届けが出ていないか確かめる程度だ。以前現れた人型は結局身元不明のままだな」
「もし判明したら?」
「家族には『亡くなった』とだけ話すことになっている」
「へぇ」
「もし身元が分かったら教えよう」
「いいの?」
隊長はそっぽを向いて答えなかった。
世間に公表シリーズに私まで加わってしまうかも。
そしてその三日後、見事にそれは現実のものになった。
隊長室でカフカ討伐の報告を行った後、私だけ残るように言われたのだ。そうして机越しに一枚の写真を手渡された。
集合写真だった。白衣を羽織った人達が、三十人くらい。医者というよりは研究員といった雰囲気。その中に、あの姿を見つけるまで時間は掛からなかった。三人しかいない女性は中央にかたまっていたから。当然、ここに写っている彼女は人間で、その瞳は黒かった。
「細羽愛。歳は二十八。その写真は、一年前、彼女が勤めていた研究所で撮ったものだ」
隊長は手元の資料に視線を落としながら続ける。
「隣の県にある研究所で、半年前、彼女を含む五名の職員が行方不明になっている。現場には大量の血痕が残されておりーー、そしてこれは公表されていないが、細羽愛の血液のみ検出されなかったことから、彼女が腐化したものだと考えられていた」
「その通りだったってこと」
「そうだな」隊長は顔をあげる。「そういう事情もあるため、遺族には何も伝えないことに決まった」
「じゃあ私が会いに行くのはあり?」
「なんだと? 何故君が細羽愛の遺族に会う必要がある」
「必要はないけど」
「ならば却下だ」
「どうしても駄目?」
机の上に両手をついて隊長に顔を近付ける。
「だ、駄目に決まっているだろう」
私がそんな行動をするとは思わなかったようで、隊長は椅子にもたれるように距離を取り、資料に乗っていた手がどいた。チャンス。
「突然徒花が訪問すれば大抵の一般人は不審がる。遺族だけならまだいいが、近所の人間にでも見られてみろ。ありもしない噂がたつことだってあり得ーーーーおい!」
私の視線が下方に向いていることにようやく気付いたらしく乱暴に資料を取る。でも残念。とっくに住所は暗記した。ていうかそうでなくとも勤め先と本名さえ分かっていれば実家の特定なんて容易い。
「私、明日は公休だから。外出届出しとく」
「許可はできないぞ」
「そんな。徒花人権の会に報告しなきゃ」
「お前な……」
隊長は右手で頭を抱えた後、私を見上げて溜め息をついた。
「軽い気持ちでいくわけじゃあないな」
「多分」
「そこはイエスと答えてくれ」
「イエッサー」
再度ため息。机に置いていた煙草を取り出して火を点けた。
「徒花だということは隠すな。梅長と組んでいる以上、カメラに映る可能性は低くない。後々厄介なことになる」
「うん」
「だが訪問の理由に『徒花』は使うな」
「分かってる」
大きく煙を吐く。
「それで、どういう名目で訪ねる?」
新幹線に乗り、バスに揺られ、停留所から歩くこと十分。住宅地にその家はあった。比較的新しい洋風な造りの家が多い中、細羽家だけは瓦屋根の和風家屋だった。
玄関まで入ってチャイムを押した。すぐに屋内から足音が聞こえてくる。
事前に連絡は済ませてある。訪問の理由も、私が一ヶ月前から対カフカ部隊に所属していることも。
引き戸が開くと、そこには初老の男性が立っていた。身長は私より少し高いくらい。髪は白くて、体型は痩せ気味。私を見て笑顔を作った。好い人なんだろう。でも不器用な人なんだろう。そんな風に思わせる笑みだった。
「川那子サラさん?」
「はい。細羽彰文さんですか?」
「あぁ。そうです。初めまして」
「初めまして」
「遠いところわざわざありがとう」
「いえ。これ、お花とお菓子です」
紙袋と花束(というには少し本数が少ないかもだけど)を差し出す。
「ありがとう。さ、どうぞ、中へ」
「お邪魔します。来ておいてなんですけど、近所の人とか、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫。もう、今以上に悪くなるようなことはないから」
彰文さんはなんてことないように笑いながら言う。
「今以上?」
脱いだ靴を揃えながら彰文さんを見上げる。
「この通り、男手一つの家庭でね。元妻とも色々あって、それを知ってるここら辺の人の間じゃあ娘がカフカになったことは確定事項のようになっているんだ」
「そうなんですか」
間違ってない。でも、間違っている。茅野さんがここにいたら、きっとそう言うだろう。
案内されたのは居間だった。テレビが置いてあって、脚の短いテーブルの上には新聞が置かれている。彰文さんが襖を開けるとその向こうにももう一部屋あって、仏壇はそこに置かれていた。仏前にお菓子と花を供えた彰文さんは「新しいお茶を持ってくるよ」と茶碗をもって部屋を出ていった。
改めて室内を眺める。
仏壇の隣の棚に細羽愛の二枚の写真が飾られていた。
一枚は幼い頃のもの。幼稚園か小学生か。見覚えのあるマンモスのぬいぐるみを持って、どこか不安げにカメラを見ていた。
もう一枚は若い。こっちに住んでいたのは高校生までだったらしいから、きっとその頃に撮った写真なのだろう。無愛想な顔のくせしてカメラにはピースサインを向けていた。
法的に細羽愛は死亡している。カフカとなった事実も公表されていないため、霊園内に墓を建てたそうだけど、そちらではなく家にある仏壇で線香をあげてほしいと電話で言われていた。
戻ってきた彰文さんはお茶碗を供えると「どうぞ」と仏前を手で示した。座布団に正座して、前を見据える。
「手順は分かる?」
「はい。多分」
「そこまで気にしなくてもいいからね」
「はい。でも、間違ってたら教えてください」
「ああ」
ここに来る前にネットを見て勉強したことは言わなかった。
マッチを擦って蝋燭に火を点ける。その火を線香に移して、なんか灰みたいなのが敷き詰められた容器に刺す。合掌。五秒くらいで目を開けて、蝋燭の火を手であおいで消した。
その後は隣の部屋に移動して、私が持ってきたお菓子と一緒にお茶をいただいた。
「愛は君とどんなことを話したんだい?」
「実験・・・・・・研究のこととかです」
「ちゃんと小学生にも理解できるように話してたかな。あの子は昔からそういうことが苦手でね。というか子供自体苦手だから、君みたいにわざわざこんなところまで来てくれる子がいることに驚いているんだ」
「会ったのは一回だけじゃありませんから。私が引きこもるまで、何度か、偶然」と、嘘をつく。
小学生の時、学校行事で隣町の研究所へ見学に行き、そこで細羽愛と出会った。彼女が住んでいた単身アパートと私の通学路がかぶっていたこともあって、カフカが出現し引きこもるまでの間、僅かだが交流があり、幼かった私は彼女によくなついていた。
そんな設定。
根も葉もない嘘話。
でも、真実よりずっと、救いがある。
「君は徒花だそうだね」
「はい。新米ですけど」
「カフカになった人を見たことがあるかい?」
思わず、言葉に詰まった。ミキのことが脳裏に蘇ったためだった。
「何度か、あります」
どっかのお偉いさんの息子、細羽愛、お母さん、ミキ、それから、もしかしたらもう一人ーーーー
「君から見て、どうだろう。愛はカフカになりそうに見えたかい?」
「いえ」と、自然と即答できた。今度は嘘じゃない。だって、細羽愛は、彼女はカフカでありながら、どこまでも人間のようだった。そしてその人間という存在さえなければ、私達が争うことはなかっただろう。なんであの人は腐ってしまったのだろう。なんの悪感情を溜め込んでいたのだろう。
「ありがとう」と彰文さんは言った。嬉しそうな笑みだった。そして、その表情のまま続けた。「もしあの子が君達の前にカフカとして現れたら、迷うことなく殺してほしい」
内心驚きながらも頷くべきだと理解していた。
「いいんですか?」
しかし、口からでたのは、そんな問い掛け。残酷な確認。
「あぁ」と頷いたまま彰文さんは顔をあげなかった。「きっと、あの子もそれを望んでいる」
声と肩が震えている。
「優しい子だったから。しょうもない親のせいで、その表し方が分からなくなってしまっただけで、とても優しい子だった。だから、それでいいんだ」
私は頷くしか出来なかった。
細羽愛は死ぬことを望んでいただろうか。否。彼女は生きようとしていた。命を懸けた嘘をついてでも、あの赤ん坊と一緒に。
死ぬことを望んでいるなんて、都合のいい考えでしかない。私にとっても、彰文さんにとっても。
でも、そう望んでしまう。
どんな姿になっても、人として生きていてほしいと。
自惚れたことを、どこまでも切実に。




