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徒花の少女  作者: 野良丸
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カフカ ーアイー 3



 洞窟の入り口に束になって置かれている花は獣避けになるらしい。茅野さんの言葉で、あそこがカフカの住み処である確率はぐんと上がった。

「よし、踏み込もう。中にいるかは不明だけど、二人ともそのつもりでーー」

 梅長さんの言葉が止まる。私や茅野さんは呼吸すら飲み込んだ。

 洞窟の闇に人影が浮かんだかと思うと、一人の女性が姿を現した。

 白いシャツに膝丈のスカート。薄汚れた白衣といった、どこかの研究員か保健室の先生のような格好。歳は、二十代だろうか。不健康そうな青白い肌と目の下の隈、ぼさぼさの髪が実年齢を分かりづらいものにしている。

 一瞬、私達が隠れている茂みに視線が向けられた。しかし足を止めることなく、そのまま洞窟から離れていく。足を忍ばせて後をつけながら、その背中や歩く動作を観察する。白衣のポケットに入った両手、身体の軸が左右する歩き方はどこか気だるげに見えた。でも、カフカには見えない。赤い瞳を確認していなければ、とてもではないけど。

 五分ほど歩いて、女性は足を止めた。山中にぽっかりとあいたような開けた原っぱ。その中心に立った女性は踵を返すと、茂みの影に身を屈めている私達へ迷うことなく視線を向けた。

「とっくにバレてるわよ。出てきなさい」

 やっぱり。梅長さんは小さく舌打ちをしてから私と茅野さんに向けて左手を動かした。私は梅長さんと一緒に茂みから出る。茅野さんはここに残る、ということらしい。頷くと梅長さんはその場で立ち上がった。

「一人?」

 正確な人数までは掴めていなかったが複数であることは察していたのだろう。その言葉には怪訝そうな響きがあり、私が立ち上がると納得したように目を細めた。そしてそのまま梅長さんに視線を戻して小さく首を傾げた。

「あなた、見たことがあるような気がする。有名な人? いや、まぁどうでもいいわ。私に何かご用?」

「あんたは人か?」梅長さんが低い声で問う。「それとも、カフカか?」

 その言葉に女性はキョトンと目を丸くした。そんなことも分からないのかと驚いているようだった。そしてふっと脱力したように笑うと、ゆっくりと首を横に振った。

「どちらでもないわ」

「なんだって?」

「徒花よ、私は。あなた達と同じね」

 一瞬、梅長さんが動揺したことが分かった。それなら戦う必要はない。そう思ったのだろう。それは私も同じだ。だが、まだ信用はできない。

「なんでこんな山の中に?」

「分からない?」と女性は苦笑する。「戦わない徒花が人間社会では生きていくことは難しい。本人だけじゃなく親族もね」

「それで、ここで暮らしている」

「えぇ」平然と答える。

「今から四日前、この山に生後九ヶ月の赤ん坊が捨てられたという話は知っているかい?」

「いいえ。でも、最近、人が多かったのはそのせいなのね」

「赤ん坊の声を聞いたことは?」

「ないわ」

「私の部下は、先程あの洞窟付近で泣き声を聞いたらしいんだけどね」

「そうなの? 私、ついさっきまで町に降りていたから分からなかったわ。でもそんな小さな赤ん坊が四日間もこの山で生き延びるなんてあり得ないと思うけれど」

「それは私も同感。生き延びるとすれば、誰かの保護下にあるとしか思えないんだよね。ーーーー念のためにもう一度訊くけど、あんたは、本当に赤ん坊のことを知らないんだね」

「えぇ。知らないわ」

「昨日、この山の中ーーここから遠くない場所で、男性の遺体が発見されたことは?」

「知らないわ。それがカフカの仕業ってこと? でもカフカに襲われて、性別が分かるくらいに綺麗な死体が残ってるっていうのも妙じゃないかしら」

「首を折られていた。捕食された痕はない」

「それって本当にカフカなの?」

「その調査のために私達が来てる」

「なるほど」

「もし本当にあんたが徒花なら、私達は何もしないよ。上に報告も、ね」

「証拠を見せろっていうこと?」

「あぁ」梅長さんは頷いてから、思案顔で顎に手を当てる。「そうだな……。右手を腐化させて刀を作ってみせてくれないかい。対カフカ部隊の体力テストですることだ」

 女性は頷き、右腕をすっと前に伸ばした。そして、瞬きをするような速度で右腕全体が腐り、目を見張っている間に刀が形成されていた。

「これでいいのかしら」

「あぁ」梅長さんが頷いたのを見て、女性は右腕を元の形に戻した。

「これではっきりした。あんたはカフカだ」

「あら」女性は右腕を見ながら小首を傾げる。「なにかミスしちゃったみたいね」

 梅長さんはその言葉に答える気はないようだった。でも、その答えは言われなくても分かった。

 腐化速度だ。カフカに片足突っ込んでるような女王様すら比較にならないほどの腐化速度。

「それで、どうするの? 戦うの?」

 女性は呑気にそんなことを聞いてきた。徒花とカフカが対峙しているこの状況でそれ以外の選択があるはずないのに。

「もう一度訊くよ」私の意に反して、梅長さんは再度口を動かした。「捜索隊の男性を殺したのはあんたかい」

「えぇ、そうよ。ただし、死体を見れば分かってもらえると思うけど、食べるために殺した訳じゃないし、遊びで殺したわけじゃないわ」

「じゃあ、なんで?」

「正当防衛よ。襲われたから反撃した。私だってーーていうか殆どのカフカに言えることだと思うけど、殺しが好きなわけじゃないのよ。人を見掛けたら殺すよう本能にインプットされてるだけ。見掛けなきゃ殺さないし、わざわざ自分から探しにいったりもしない。買い物をしたいときだって人に出くわさないよう夜中に行ってるくらいよ」

「好んで狩りを行うカフカもいる」

「そりゃあ少数はいるわよ。人間にだって狩りーー殺しが好きな人は少なからずいるでしょう? それに比べれば全然少数だと思うけれど。中途半端に知能のある子がハマっちゃってるだけみたいだから。まぁ知能のない子が町中に行っちゃってーーっていうのは若干気の毒に思うけどね」

 その感情は人間に向けられているものなのか。それとも、カフカか。わざわざ訊く必要のある疑問ではないし、梅長さんを差し置いて口を開くのも憚れる。

「要するに、あんたに人間を殺す気はない。そう考えていいのかい?」

「えぇ。私の目の前に現れない限りはね」

「それなら、あんたを見逃すことも出来るかもしれない」

 予想外の言葉に、思わず隣に顔を向けた。梅長さんは前を見るように顎で示してから口を開く。

「知能の高いカフカとの戦闘は、通常の数倍は激しいものになる。一体の討伐にあたり徒花は最低二人ーーいや、今はいいか」梅長さんは説明を区切ると横目で私を見る。「こういう例は初めてのことじゃあない。国内だけでも、現時点で二体のカフカが人里離れた場所で暮らしている」

「人型?」

 梅長さんは短く否定した。

「猿と梟。どちらも、話すまではいかないが人語を理解している」

「世間には?」

「サラが思っている通りさ。公表せず、その土地一帯を買い取って立入禁止エリアに指定している」

 梅長さんは視線を前に戻す。

「どうするんだい。条件をのむっていうならあんたは死なずに済むし、ここで平和に暮らせる。立入禁止を無視した人間を殺してもおとがめはない」

「もちろん、のむわ」女性は即答した。「人間の腐った顔を見なくていいなんて、願ってもないことだもの」

「たまに徒花がーーおそらく私達が見回りに来ることになるだろう」

「構わないわ。あなた達はお仲間だから」

 その返事を聞いた梅長さんは、その場でスマートフォンを取り出すと誰かに電話をかけ始めた。ことの成り行きを説明している。相手は、十中八九隊長だろう。

「徒花のお嬢さん」

 その呼び掛けは私に向けられたものだった。

「何?」

「新人さん?」

「答える必要ない」

「あなたはカフカをどう思う?」

 無視する。

「じゃあ人間をどう思う?」

 無視。

「徒花という存在については?」

「何が訊きたいの?」

「別に特定の答えを期待しているわけじゃあないわ。問い掛けた通り、あなたの答えが知りたいだけ。特に最後の問いの答えには興味があるわ。人でもカフカでもない存在。生物が生きる意味として大きな割合を占める子孫の反映に不可欠な生殖能力の一切を失った存在。現時点では養子を引き取ることさえ不可能。ただ戦うだけの存在。戦いに意味を見出ださなければ、生きていけない存在。興味深い題材だと思わない?」

「思わない」

「即答ね」

「ていうか、生殖能力がないのはカフカも一緒でしょ」

「あら」と女性は目を丸くした。「徒花部隊も知らないのね。カフカって一応子供が作れるのよ」

「そんな例は確認されていないって」

「それはそうよ。他の生き物がそばにいるときに子供を生む親がどこにいるの」

「そういう個体も確認されてない」

「あぁ、ごめんなさい。子供を作るっていっても、人間や多くの動物のように有性生殖じゃあないのよ。カフカは無性生殖」

「分裂するってこと?」

「正確には出芽だけど、きっとあなたの想像している通りよ。ある程度栄養を蓄えたカフカは身体の一部を切り離して子供を作ることができるの」

「かたちは?」

「人型なら人型かっていうこと? 最初はもちろんベトベトの姿よ。そこから少しずつ身体が形成されていってーーーーそうね。私の子供は、人型になったわ」



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