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SPY=GIRL  作者: 機乃 遙
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 結果は目に見えていた。どのみち私が勝つことは確実だった。ただ、私はその勝ち方が非常に不服だった。

 私は、このヘリオスフィアの中でもトップのエージェントであるという誇りがある。ゆえに、〈136〉なぞに負けるつもりは毛頭無く、むしろ彼女に力の差を見せつけることが私の目的だった。クライアントにもだ。こんな女、私と比べるに値しないアバズレなのだ、と。

 メスゴリラが野生の雄叫びをあげるや、私は久高に飛びかかった。拳を大きく振りかぶって、奴の顎を砕いてやろうと思った。やるなら一撃で、無惨な姿に変えてやろう、と。

 だが、私の拳がぶつかるそのときだ。久高はゆらりと体を揺らしたかと思えば、のらりくらりと足を動かし、私の鉄拳をかわしたのだ。

 私は目を疑った。久高の動き。まるで酔拳のようなその構えに私は驚きを隠せなかった。

 空振りした拳の勢いをそのまま、遠心力に変えて体をひねる。反転。私は再び久高を狙おうとした。

 奴はまだ体を揺らしていた。まるでめくらのようだった。のらり、くらり。焦点の合わない瞳で私を見る。それが久高なりの私への挑発だと、そのとき私は感じ取った。売女などと罵られるより、もっとずっと、頭にきた。まるで私をあざ笑っているようだったから。必死に決闘に取り組む私を、上から嗤って、どうしたどうした? とあげつらうよう。だから私は怒りを抑えきれなかった。

 ネズミの死骸を踏みつぶし、私は再度拳を握りしめた。久高は、今度もゆらりとした動きで避けようとしたが、私は逃がさなかった。彼女の頬に一撃、拳を食らわせた。

 一度決まればこっちのもの。私は、倒れた久高に馬乗りになると、何度も奴の顔を殴った。何度も、何度も。

 しかし、そのうちヘリオスフィアの医療班がやってきて、メスゴリラが私を止めた。

 そしてそのとき、私は初めて知らされた。奴が――〈136〉、久高が病であること。薬の副作用で失神するクセがあるということ。

 私は、生まれて初めて、自分の行為を憎んだ。

 それが私にとって、罪の意識を覚えた初めてのとき(ヴァージン)だった


 しかし、私の自己嫌悪は、まもなく久高へと向けられることになった。理由は簡単だ。仕事を奪われたからだ。

 試合のあと、私はすぐにメスゴリラに呼び出された。彼女は私を演習場裏の木陰に呼ぶと、小声でボソボソと話し始めた。

「〈452〉、クライアントの意向が固まった」

 メスゴリラは、いつにもまして低い声だった。訓練の時の怒声は、その時の彼女にはなかった。枯れ果てた井戸の奥底から絞りだしたようなハスキーボイスだった。

「クライアントは、私を?」と、半ば確信を持った声で私は言った。

 しかし、メスゴリラは首を振ったのだ。それも、横に。

「残念だが、クライアントは〈136〉を選んだ。この仕事はアイツにやってもらう。〈452〉、お前には別の仕事を用意する。それまでは待機だ」

 彼女はそう言って、倒れた久高のほうへ戻っていった。

 私への宣告は、そんな簡単に済まされた。私は理由を教えて欲しかったが、上官にわざわざ質問するほどバカではなかった。久高なら、そうしたかもしれないけれど。「仕事? なんでわたしが?」なんて、気軽に。

 私は喉の奥まで出掛かった久高への疑念を押し殺し、待機任務に入った。しかし、それからの私が彼女を憎み始めたことは、言うまでもない。


 それからは、〈ヘリオスフィア〉に久高のいない日々が続いた。彼女は日本に飛んだらしく、当分のあいだ帰ってこないとの事だった。そのあいだ私の胸には、恨みと自責の念とが渦巻いていた。

 かと言って、私もずっと彼女への恨みを抱いていたわけではない。もちろん、私の顔に泥を塗った久高が、私は憎い。だが、彼女を憎んでいてもどうしようもないとは、私もわかっていた。

 久高がいないあいだ、私はたくさんの任務をこなした。その度に、私は自分の父親ぐらいの年の男と寝て、子を造り、そして殺した。それが何度も続いた。

 〈ヘリオスフィア〉に帰る度、アバズレどもは私を見て「あの売女、また堕ろしたんだってさ」と耳打ちをしあっていた。気にするほどの話でもなかったのだが、否応なく耳に入ってくるので、私も多少はストレスに感じていたのだと思う。

 そしてその度に、私はこう思った。もしこの場に久高がいたら、彼女は私になんと声をかけたのだろう、と。仕事のために子を産み、殺し続けた私。それは紛れも無く私の意志によって行われている行為であるから、私のポリシーには反しない。だが、心の何処か奥で、何故か罪に感じている私がいたのだ。

 久高は、そんな私をなんと言うだろう。

 きっと、彼女のことだ。適当に声をかける。「おい」とか「お前」とか。そしてなぜだか奴は間を保たせようとして、大人ぶって「おつかれさん」などと言うのだ。あの小さい体躯で。あの子供じみた口調で。

 そうして彼女は私に問うのだ。

「今回も抱かれたの?」

「ええ、そうだけど。それがどうかしたの?」と私は応える。

「どうしてアンタは、そう簡単に抱かれるの? 何十人、何百人に抱かれて、いじられて、なぶられて。アンタそれで幸せなの?」

 久高は私に、的外れなことを聞いてくる。彼女は、私の本質を理解していない。

「ええ。何十人、何百人に抱かれて私は幸せなの」

 ――何故なら私は、抱かれてやって(﹅﹅﹅)いるのだから。私の自由意志によって、仕事のために、バカな男たちに嬲られてやっているのだから。私は彼らに抱かれるたびに痛感するのだ。私だけが、この世界ですべてを支配できているのだ、と。そういう、全能感を。

 そうして私は、久高と私の会話を想像した。だけれど、それが空虚なものであるとは理解していた。


 ある日、任務が終わった後。私は自室に戻ってベッドに横になっていた。自分のベッド。自分のにおい。アバズレたちのヒソヒソ話を忘れたかった。

 そんなときだ。突然、幻聴のように言葉が響いた。言葉は久高の声になって、私の脳に響いた。

 久高は言った。

「……アンタだけは、周りのやつらとは違うと思ってたのに……」

 その声が聞こえた時、全身の肌が粟立った。脳の奥に巣食う、あのときの少女が、私を憐れんだのだ。この、私を。

 その時の私といえば、恐怖というよりは、やはり怒りが先行していたように思う。

「お前に私の何が分かる……」

 天井に映る、虚像の久高に私はつばを吐きかけた。まもなく、つばは私の顔に帰って来た。


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