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2016年/短編まとめ

卵色の幸せ

作者: 文崎 美生

はぁ、疲れた。

出てくる言葉はそればかりで、ボキャブラリーが貧困化しているのが良く分かる。

それと同時に、それくらい疲れていることも分かるだろう、分かってくれ。


重い足取りで家に辿り着けば、目の前の扉を見ながら、がさごそ、鞄を漁る。

某密林サイトで購入したお手頃価格のキーケースを取り出し、その中の一本を鍵穴に入れてガチャガチャ。

ただいまぁ、と中に声を掛けながら玄関に入れば、鼻をくすぐる甘い香り。


「お帰り。早かったな」


ひょっこり、こちらを顔を出したのは、同居中の彼氏で、黒いエプロンをしていた。

それ新しいの?と聞きながら鍵を閉めれば、そうそう、と頷く彼。

似合ってるの言葉に小さくはにかむから、胸がきゅうっ、と音を立てる。


表情筋が固いのかポーカーフェイスなのか、あまり表情の変化が見られない彼の笑顔は貴重。

未だに胸がきゅうっ、となる。

口元がにやけるのを押さえながら、靴を揃えて、何作ってたの?と問い掛けた。

何だと思う?え、分かんないよ、二人で顔を見合わせて笑いながら、どちらともなく指を絡める。


柔軟剤やら石鹸やらの匂いに混ざって、卵の甘い匂いがした。

お腹空いたなぁ、と自覚すれば、くぅ、と小さな音を立てて自己主張してくるお腹の虫。

止めてくれ、恥ずかしい。


誤魔化すように彼の手を強く握れば、握り返されて逃げ場がなくなる。

何故だ、何故未だに私は初々しいカップルみたいな反応をしているのだ。

疑問に思いながらもキッチンに足を踏み入れれば、ふわり、ぶわり、襲い掛かるその香り。


「プリンだ!」


勢い良く彼の方に顔を向ければ、珍しく破顔して、くつくつと笑っていた。

スゲェ顔、って、それ褒めてる?貶してる?

良く分からない彼の発言を聞き流しながらも、食べていいの?と視線を送る。


「着替えて手洗ってからな」


「秒で戻る!」


「いや、ちゃんと洗って来いよ」


彼の手を離して寝室に駆け込む私に対して、子供でも相手にしているような言葉を掛ける彼。

恋人というよりは親子に近い。

それでも心地良い関係は築けているはずだ。


走り出した私は寝室に滑り込み、着ていたスーツを脱ぎ捨てる。

ワイシャツやストッキングは洗濯カゴに入れに行くが、スーツはハンガーに引っ掛けておく。

そろそろクリーニングに出したいなぁ。


スーツを掛けた後は下着姿のままで、タンスを漁ってロングTシャツとショートパンツに着替える。

堅苦しい格好は疲れるので、家ではだらだらな格好でいようと心掛けているのだが、スウェットは苦手。

寝返りが打ちにくくて、流行っていた頃に買って、すぐに着なくなってしまった。


流行りに乗るのは駄目だねぇ、と一人ボヤきながらワイシャツやらを脱衣所の洗濯カゴに入れる。

今日は一回くらい回した方がいいかな、明日でもいいかな、なんて考えながらも、洗面所の蛇口を捻った。


ジョロジョロ流れる水に、一度だけ手を通す。

その後にポンプを押せば、直ぐにあわあわになっている泡が出てくるハンドソープを使う。


有名どころは使いやすくて助かる。

CMでも良くある、肌に優しい!とか子供でも使いやすい!みたいなハンドソープなので、品質としても使いやすさとしても二重丸だ。

後、固形石鹸は上手く泡立てられない、という結構子供くさい理由からこの手のものを愛用している。


わしわしと簡単に泡立ったそれで、指の間も爪の隙間も綺麗に洗っていく。

この泡立ちのいいものが、もこもこになるのが楽しくて、いつも手洗いは時間が掛かる。

手洗いうがいは、帰宅してからの基本動作で、昔からの習慣だったが、手洗いの時間は大人になるにつれて長くなった気がしなくもない。


こんなもんかな、ジャバジャバと泡を流して、タオルで手を拭いて駆け出す。

「ぷーりーんー!」私の叫び声に、彼の「近所迷惑だから」と言うお叱りが重なった。

でも楽しみにしてたから、プリン。

後、凄くお腹空いた。


くぅくぅ、とそこそこ控えめだったお腹の虫は、いつの間にやらぐぅぐぅ、ぐるる、となかなか強気な主張をかますようになっている。

ぷーりーんぷーりーん、言葉を覚えたての子供みたいに繰り返して、ソファーに沈み込む。


「はい、どーぞ」


目の前に差し出された銀色のスプーンとプリンの容器。

うわーうわー、馬鹿みたいに歓声を上げて受け取ってから、彼が私の横に腰を下ろすのを待つ。

「そういうとこはちゃんとしてるよな」苦笑気味で言った彼に、笑顔を浮かべる。


美味しいものは誰かと食べたいのだ。

お腹も心も満たされる素敵な条件だと私は思っていて、それを好きな人とクリア出来るのだから、この上ない幸せだろう。


にっこり笑った私を見て、腰を下ろした彼はエプロンを着けたまま、いただきます、と言った。

慌てて私も、いただきます、と続け、彼に頭を下げる。


二十代も後半に差し掛かった女が、そんなに可愛こぶっても仕方ない気もするが、ほぼ反射で動いているなら仕方ない。

それに彼のプリンは世界一だ。

この世の中に、手作りプリンをご馳走してくれる彼氏がどれくらいいるだろうか。

――補足までに言っておくが、私はプリンと言うよりも、彼の作ったプリンが好きなのである。


卵色のツヤツヤした表面に、銀色のスプーンを差し込めば、ぷるん、と揺れながらそこに乗っかるプリン様。

うわあぁぁ、涎が溢れて止まらない。

そのツヤツヤぷるぷるな卵色を、口の中に滑らせれば、口いっぱいに広がった甘い香り。


咀嚼なんて必要ないってくらいに、するんぷるん、と口の中を滑って胃へと流れていく。

程よい甘味でいくらでも食べられちゃうそれが、私は大好きで大好きでたまらない。

ゆっくりと口角を上げていく私を、横目で見ていた彼が、私の髪を掻き回す。


「本当美味そうに食うよな……」


「美味い甘い美味い」


「二対一で美味いの勝ちだけど、満足してくれたなら良かったよ」


目を細めて笑った彼は、自分のプリンへと意識を元してしまう。

美味いし甘いし幸せだ。

彼も甘いものが好きで、それが高じてのプリン作りだったりするのだが、料理は基本的に得意なのだ。

私の胃袋を完全に掴んでいる。


今日の疲れが全部体から溶けだしていく。

空っぽだった胃も、お腹の虫も、その魅惑の甘味のおかげで落ち着きを取り戻す。

口元を緩めてプリンを食べる彼を見ながら、お嫁に来てくれて嬉しい、と言えば、逆じゃね?と突っ込まれる。

しかも私達まだ同棲しかしてないしね。


「ところで今日のご飯はなぁに?」


「プリン食べてるのにそういうこと聞くんだな。……オムライスだけど」


「卵祭りか!!明日の朝ご飯には出汁巻き玉子で、お弁当には甘い砂糖のを希望します!!」


「ワガママだな!」


カラメルが下から溢れ出して、卵色と絡みながら、ほんの少しの苦味をくれる。

突っ込まれても気にせずに、ヘラヘラ笑いながら「幸せだなぁ」と言えば、またしても私の髪を掻き混ぜながら、同意してくれる彼。

うん、幸せだ。

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