祈りの歌
その少女の歌声は、まるで天女のようだと言われました。
少女の住む村は、くっきりとした四季のある里山のふもとにあり。実りの季節ともなると、さわやかな風がたっぷりとした稲を揺らすようすの美しい、豊かな村でありました。
少女は、村の祝い事や祭り事で、必ず歌を望まれました。彼女が歌えば、めでたさもいや増すようで。ため息がこぼれるほど豪華な服を着た少女は、その姿も天女のようだと、人々はみな、ほめたたえたものでした。
少女は歌うことが好きでした。けれど、天女のような声がどのようなものか、彼女は知りませんでした。
天女の声とはどのようなものかしらと、少女はよくたずねましたが、そんなとき、村の人々はにっこりと笑うと、自分の声を聞いてごらんと、言いました。
少女の歌を聞く人は、みなうっとりと彼女の声に聞きほれました。けれどたったひとりだけ。人の輪の遠くから、けわしい目でにらみつける少年がおりました。
少女は少年のことが気になっていました。なぜそんなふうに自分をにらむのか聞いてみたいと思っていましたが、彼女が彼に近づくことを、皆は禁じました。
少年は、村から離れた場所に住んでいて、村の祝い事に彼が加わることはありません。父親がちっとも働かずに怠けてばかりいるもので、村人から嫌われていたのです。
そんな時です。少女は大きな舞台で歌うことになりました。
えらいお殿さまが、はるばる遠くから、天女の歌声を聞きにやってくるというのです。
その年は、雨の降らない日が続いていました。野菜も米も育ちが悪く、魚もあまりとれません。少女の村の里山も、実りが悪く、稲のかがやきもくすんでいました。
雨を降らしてもらうために、天女の声で恵みを願う祈りの歌を、神さまにお聞かせしよう。殿さまはそう考えたのです。
村では神さまに歌声が届くように、大きな舞台と山ほどのお供えものが用意されました。
その日は村のみなだけでなく、遠くからもうわさを聞いた人々が押し寄せて、舞台の前はたくさんのひとでぎゅうぎゅうでした。
少女もいつもより豪華な服を着て、舞台の上に立ちました。そしていつものように、歌ったのです。
殿さまも集まった人々もその歌に聞きほれました。きっと神さまも満足され、願いを聞いてくださるだろう。皆がそう言いました。
けれど。一日経っても十日経っても。天気がよくなることはありませんでした。
きっとお供えが足りなかったのだと、人々はがっかりしました。だから天女の声も届かなかったのだろうと言うのです。
少女は、困りました。少女は天女の声知りません。だから自分の歌声が神さまに届いたとしても、満足してくださるものなのかはわかりませんでしたし、祈るということがどういうことなのかも、よくわかりませんでした。
ある夜、少女は決心をして、こっそりと村はずれの少年の家へ行きました。ただひとり、誰とも違う目で自分を見つめる彼ならば、何か教えてくれるような気がしたのです。
少年は、やって来た少女を、いらっしゃいも帰れとも言わずに迎えました。
「どうか教えて。わたしの声は天女の声に聞こえる?」
たずねた少女に、少年は答えました。
「天女の声は知らない。でもあんたの声が天女の声ではないことは知っている」
「でもみんな、天女のようだと言うわ。天女の声で祈りを歌えば、きっと通じるって」
「ならば、持っているものを全部捨ててみるといい。そうしたらきっとわかるだろう」
少女は、豪華な服や髪飾りや履物を捨てました。すると少年は、それでは足りないと言いました。
少女は大事にしていた人形や、きれいな小箱や、その箱に詰まった宝ものも捨てました。
けれど少年はそれだけではわからないと言いました。
少女は少年に言われるまま。身の回りのものをすべて手放していきました。最後には、住む家さえも、少女は持たなくなりました。
雨のない日は続いていました。神さまに願いを届ける舞台が、いっそう大きく、たっぷりのお供え物といっしょに用意されました。
何も持たない少女は、祈りを歌うために舞台にむかいました。
けれどそこでは誰ひとり、少女の歌を聞くものはいませんでした。
豪華な服を着た、別の少女がそこにはいて。みな、その歌声に聞きほれていたのです。
少女はひとり、村の外れに行きました。そこに少年が立っていて、歩いてくる少女をじっと見つめていました。
「ほら、ただのあんたの歌なんて誰もきかない。天女でなんかないからだ」
そして、触れるには少し遠い場所から、少女を見つめたまま、にくらしげに笑って言ったのです。
「これで、かわいそうなあんたには、おれなんかしか残ってない。あんたの歌を聞くのも、おれだけなんだ」
呼吸を忘れてしまいそうな、その時の気持ちを。どう表現したらいいのか、少女にはわかりませんでした。
ただ、近くて遠い一歩を踏み出し。少女は少年をそっと抱きしめ、知らず忘れていた呼吸をまたゆっくりと始めました。
「わたし。今なら歌えるような気がする」
そして少女は、少年に歌を歌いました。
すべてがうまくいきますように。どうしようもないすべてを踏みこえて、いつか。あなたが。いろいろなものをゆるせますように。そんな、祈りをこめて。
少年は黙って、うつむいていました。
やがて少女が歌い終えたとき。涙のように、雨のように、ひとしずく、地面を水がぬらしました。