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物語の並ぶ棚

作者: 憂木冷
掲載日:2015/10/31



 清白すずしろ(しゅう)が好きなのだ。

 チンと焼けたトーストに、焦げ目を付けたベーコンと、レタス、スライスチーズを乗っけてサンド。牛乳をカップに注ぎながら灰田はいだ末花(まつか)はカウンターキッチン越しに、ワンルームの自室の最大家具である本棚を見つめた。

 残念な事にスランプ中で、もう二年近く新作の出版はないけれど、清白作品では特にデビュー作の季節シリーズ第一作目、『春、校舎の三四五』は、読みながら鼻息が荒くなっていくのを自覚した――まだ二十代の女子としては、本を読みながら鼻息を荒くしているのはどうかと思うが――内容がいかがわしいとかそんな事情ではなく、全身の血流が倍速になって、体温がどんどん上がり、謎が明かされて行くにつれ、普段は断線している脳のしわしわ回路に一気に電流が流れて視界まで明快になるような。それでいて鼻をすすりたくなるような、情熱的で爽快で感動の一冊。こんな楽しいものに出会えるのだから、本は面白い。そして、大好きになった本で一冊、また一冊と、本棚の空間を埋めていくことは、何にも代えられない幸せだと思う。

 バシャリとサンドイッチを噛み切る――と、これはこれで違った幸せ。牛乳を飲めばまた幸せ。なんだかとても単純。

 幸せはこんなにも単純で、それぞれが何にも代えられない。

 時に、世の中は残酷で辛くて汚くて悪いかも知れない。いろんなヒトがいろんな嫌な思いを人生の中でするかも知れない。だけど、私が作ったその箱には、私の好きな物語だけが並んでる。誰かが不幸になる結末はなくてもいい。それで現実の何が変わるわけでもないけれど、朝起きて、本棚を見て、「私の世界には幸せな物語がこんなにもある」って思えたら、なんだかそれだけで十分だと思う。十分幸せだ。意識の高い、いい年した誰かがやってるみたいに、本から教訓を得ようなんて馬鹿げてる。そんな時こそ言ってやるべきなんだ。「現実とフィクションの区別も付かないのですか」って。ただの娯楽なのに。

 カップを流しでさっと洗う。はい、満腹、快弁、ブレスケア。常用の仕事用トートバッグを確認する。

「忘れ物はありませんね」

 面白い物語を読んだなら、「気分がいいなー楽しいなー」。それだけあればグリーン。異常は何もありません。じゃあ今日も仕事の時間だ行ってきましょう。






 OPENが表向きのサインプレートが扉に当たる音で店の入り口の扉が開いたことを知る。オーナーとしてはあまり楽観している場合ではないが、ここ――キブチカフェは、だいたいいつも空いている。だから、扉に鈴をつけたりしなくても、開けばすぐに気が付く。何より、自分がどこかの店に入店するとき、鈴が鳴ったり、音楽がなったりするのが不快なので、もし店が繁盛しようとも特別何かを変えることはしないつもりではあるが……特にカフェのような比較的静かな空間に入るときに、扉を開けて自分が大きな音を鳴らしてしまうというのは、過激に自己主張しているようで、とても心地が悪い。

「やあ、いらっしゃい」

 入店してきた常連の青年に声を掛け、奥のテーブル席を示す。

「もう来ているよ」

「あ、こんにちは木縁きぶちさん」

 黒いアディダスのジャージのズボンに、黒いTシャツ、おそらくワンサイズ大きい黒のフリースジャケットを羽織った黒ずくめの青年は、待ち合わせ相手の方に軽く視線を向けると、「ブレンドお願いします」と言って席に向かった。

「はい、ミルクと砂糖はなしね」

 珈琲もブラック。

 もう「いつもの」と言われても問題なく対応できるくらい彼はこの店をよく使っている。本名は知らないが、いつも変わったあだ名で呼び合っているからすっかり覚えてしまった。

 青年がスクリブル。そして待ち合わせ相手の女性が、

「すみませんグレイダさん、遅くなりました」

 グレイダという。シンプルな白ブラウス、セミフレアのパンツとテーラードジャケットはグレイで、ゆったり――というよりも、だらっとしたスクリブルとは対照的に、身嗜みだしなみが整っている。ヒールの低いストラップパンプスも、見た目のスタイリッシュさと歩き易さに重点が置かれていて、仕事人な女性だと伺える。それに比べて、スクリブルの方は、百円均一ショップで売ってそうなビーチサンダルだ。毛羽立った長めの髪もあいまって、起き抜けに急いで来た感が否めない。

「いえ、君の遅刻は予定通りなので気にしないで。私いつも、君が来るまでの間に原稿を読むことにしているから」

「前もって読んでいないのに毎回僕を呼び出していたんですか」

「効率的でしょう」

「まあ。そうですね……で」

 とスクリブルは、注文したブレンド珈琲もまだ入っていないのに本題へ入る。

「どうでしたか。読みたての生の感想。折角なら聴かせてください」

「スクリブル。清白舟のデビュー作は覚えているかしら」

「いや。当たり前じゃないですか」

「あれはどんな話だった」

 青年は、椅子の上にあぐらをかいて、考え込む。週に何度もキブチカフェを訪れている彼だが、正しい用法で椅子に座っている姿をあまり見たことがない。静かな雰囲気なのに、落ち着きがないところがある。

「タイトルの通り春の学校で起こる物語です。数学と校舎を使った大規模なトリックのあるミステリーで……」

 グレイダは少し不満そうに首を傾げ「質問の仕方を間違えました」と青年の言葉を遮った。

「あの小説は、物語という流れそのものが、大切ないくつかの言葉を定義しながら進んでいく話でした。そしてその定義が興味深く心地良いものだったからこそデビューに至ったのです」

「へぇ。そうなんですか」

「そうなんです。読めば分かるでしょう」

「まあ。今はスランプ中の忘れかけられた作家ですけどね」

 そういう深い読み方は、なかなかできるものではないのではないか、と立ち聞きしながら思うところではあるが、青年も物書きの様だし、それならそういう見方も必要な時はあるのかも知れないのだろうか。

 二人の関係は傍目からだと、作家と編集者にも見えるが、プロっぽさはあまり感じられない二人だった。どちらかというと、物書きを目指す青年と、学のある親戚のお姉さんという感じだ。

「分かるでしょうと言われても……つまりどういうことなんですか」

「そうですね、ここを見て」

 グレイダは、文章の印刷されたA4用紙の束をめくり、赤のボールペンで一部分を丸で囲った。

「ここは、話の山場ですね」

「そう山場。クライマックスとも言うわね」

「短編小説にクライマックスという言葉は、あまり似合わないですね」

「意味としてはそんなに不自然でもないと思うけど。君だって短編小説に興奮する事はあるでしょう」

「でもクライがマックスですよ。短編小説で叫びがマックスって……」

 スクリブルは口を引き裂くような笑い方で小さく笑った。

 短編にしても長編にしても、小説を読んで叫んだ経験はないが、確かにクライマックスをそんな風に直訳されたら、短編というよりは壮大で長大なストーリーの終盤にこそあるべきだと思えてくる。

 それを聞いていたグレイダは「まぁ、どちらでもいいです」と、あまり興味もなさそうにあしらった。青年はよく話を脱線させる。その話は、たいてい興味深いものではあるが、同時にまったく重要ではない。彼女は扱いに慣れているようだ。

「スクリブル。私は清白舟のデビュー作に惚れました」

「何度も聞きましたよグレイダさん」

 この店でも、彼女がそう言うのは、確かに何度か耳にしたことがある。

「だから君には、大事な場面の大事な言葉をちゃんと作ってほしい」

 言葉を作る、というのは、あまり聞き慣れない表現だ。さっき話していた、物語が言葉を定義する、という話だろうか。

「あまりひとつの書き方に拘るのもどうなんですかね。僕は、どの文章も大事に作っていたつもりなんですけど。方向性を間違えていたんでしょうか」

 その質問には「いいえ」と首を横に振る。

 グレイダは、丸で囲まれた中の一文字を指さしながら鼻で息を吐いた。

「神の定義が曖昧です」






 真っ黒な姿の青年は、椅子の上にしゃがみ込み、私の指摘した文章をのぞき込む。灰田末花は、グレイダーというあだ名の由来に則り「このままならB(マイナス)ですね」と評価を付けた。

「でもグレイダさん。神を定義するのは難しいんですよ。あまりにも意味が多様だし、ヒトによって認識が違いすぎる」

「いいんですよ、そんなのは気にしなくて。あなたが全部勝手に決めてしまえば」

「それで読者が納得しますか」

「説得力を持って、勝手なことを言うのが小説家でしょう」

 スクリブルは、「ぇえ」と身を引くようなリアクションを取るが、私の言いたいことにはしぶしぶ納得してくれたらしい。我ながらとんでもなく勝手なことを言っている自覚はあるけれど、ひとつの真実だとも思う。勝手ついでに、もうひとつ指摘したい部分があるけれど、それはストーリーそのものを変えてしまう必要がある。流石にそれは勝手が過ぎよう、とひとまず心に留めておくことにした。

 黒い青年は、頬杖をついたり、突っ伏したりして唸りだす。途中で「おまちどうさま」と、木縁さんがブレンド珈琲を置きに来たのにも気付かなかったらしい。私はついでに、キャラメルハニーラテのお代わりを注文し、短編小説を読み返した。

 二人の少年と少女の話。

 少女はとても不幸で。この世の中で最も不幸なのではないかと噂されるほどに不幸で。苦しみの中でひとりの少年に出会い、一時は心を救われるが、また大きな不幸が重なり、自棄になっていってしまう。

 一方、少女と出会った少年は、少女を助けるヒーローで、努力を惜しまず、常に笑っているような少年だった。ヒトから見れば、二人は磁石のS極とN極が引き合うように、真逆だからこそ、共にいるのが自然な二人だった。だけど真実は違った。少年は少女以上の不幸だった。ただ、少女も、誰も、彼の不幸には気付かないし、むしろいつも楽しそうで、幸せな少年なのだと勘違いをした。そして真実は最後まで隠し通される。少年は、自分が不幸だという現実は自覚していた。しかし、それは重要なことではなかった。他人の気持ちは分からないから。

 相手が自分より幸せな保証なんて、どこにもない。

 そんな不幸で賢明で強くない少年が。

 同じく不幸で傷つきやすくて弱い少女と話をする。

 この少年は、おそらく少女のことが好きなのだ。私としては、どうしてこんな被害者意識の固まりみたいな少女を好きになるのかは理解できないけれど。それはヒトの気持ちだ。

 少年と読者だけが気付ける、噛み合わない会話が最後にある。

「神はいると思うか」と少年は喋り始める。

「そんなものいない」と少女は否定する。なぜなら、こんなにも自分は不幸で苦しんでいるから。たったそれだけの理由かと少年は思う。しかし、少女にとっては、理不尽な暴力と変わらない理由なき苦しみで、理解してくれない少年に声を荒げた。

 そして、少年は言う。きっとその言葉を言うために始めた会話だった。

「確かに、君の苦しみは、誰かに救われるには十分かも知れない。でも幸せになれないことが神はいない理由だとしたら、それはぜんぜん不十分だ」

「どうしてよ――」

「だって君を幸せにすることなら、俺にだってできる」

 少女にとって、それは自分より幸せな人間の言葉でしかない。哀れみや施しでしかない。

 でも少年にとってこの言葉は、何より重い。幸せとは縁のない少年が、簡単そうに言ってみせた。

 ふたりの会話は噛み合わない。

 少年の気持ちには、読者しか気が付かない。

 だけどどこか、綺麗な気持ちになれる話。ハッピーエンドでもないけど、バッドエンドでもない、あやふやな結末の物語。

 ただし。

「神という単語だけ空っぽの風船みたい。なんか気持ち悪いわ」

 小さく呟いただけのつもりだったが、スクリブルにもしっかり聞こえていたらしい。「勝手な読者ですねぇ」と、呟き返された。

「何を言うの。読者というのは、作家以上に勝手なものよ」

 彼の唯一の読者として言う。

「身を持って実感してます……で、僕はどうしたらいいんでしょう」

 特に焦った様子も、悩む素振りも見せず、彼はブレンド珈琲に口を付けた。

「考えればいいのよ。いつもやっているじゃないですか」

「いつもはそうなっているだけで、やっているわけではないです」

「なら私が手伝います」

「手伝うって、どうするんですか。あくまで作品を書くのは僕なんですよ」

「別に、直接ネタを考えたりはしません。道案内だけ。スマートフォンだって、自分で歩いて目的地までは行かないけれど、道案内はしてくれます」

「それは確かに」

 いやでも、それは時代の問題な気が……と、未来のスマートフォンは歩くかも知れないとか、彼がまたよけいな理屈をこね始めたので、強引に話題を振る。

「少年と少女の間には、共通言語としての『神』が必要ですよね」

 例えば、少年がキリストを思い浮かべて神と言っているのに、少女がデスノートの夜神月やがみらいとを思い浮かべながら神と口にしても、それは別の言語を喋っているのと変わらない。もし、神の意味が多彩で多様なのだとしたら、ストーリーの中で、ふたりの認識を同じにしておかなければ、この会話は美しくない。

「でも、それは話の流れで何となく分かるんじゃ」

「自分の持ち味をぶっ殺してどうすんのよ」

 なぜかいいわけがましいスクリブルに、つい睨みを利かせてしまう。

 咳払いで、乱れた言葉を仕切り直す。

「そ、そうですね」

 もういっそ、今回は物語抜きにして話してしまった方が良い気がしてきた。どうも、彼のモチベーションが上がってこない。

 何となく、店内の時計を確認する。彼との打ち合わせの日は(何時間遅刻してくるか分からないので)その後に予定は入れない様にしている。若いカップルみたいにデート気分で雑談をする時間なんてまだたくさんあるのだ。と軽い冗談で気分を切り替える。

「スクリブル。君は神様を信じてるか、と質問されたときに、まずなんて思います」

「言葉が足りないと思います」

 即答とまでは行かないが、迷いなくそう答えた。

 一瞬意味をしかねる。が、それはまさにさっき私が付けた文句と同じことだ。神様って何、という問題。世界を作った存在、全知全能、不老不死、優れた人間、イエス、神話のキャラクター、自然現象、偶像化したアイドル、死んだヒト、大木、マイケル・ジョーダン、意志を持った石ころ……。なんでも可能性はある。そのうち、どれを指して神様と呼んだのかが分からない。

「っていうのが分かっているなら、最初から君も定義しなさいよ」

「あ、そう言うことか。今気付きました。確かにこれは読み飛ばせない問題だ」

 やっと私のもやもやが伝わった。

 頭はいいはずなのに、時々どうでもいいところにつまずいて転ぶ。

 正答率一パーセントの問題をあっさり解くのに、正答率九九パーセントの問題を間違えるみたいな、まったく理解できない不完全さを抱えている。

「じゃあ、君にとって、神は何かしら」

「いや、違います」

「何が」

「その質問は、ピンと来ない」

 ああ。なんて面倒な青年だろう。面倒でとても面白い。

 スクリブルは、片膝を立てて、珈琲の水面を眺めるような格好で、私の言葉を真剣に吟味する。

「神はだれ」

「いや」

「神は何をする為にいる」

「違う」

「神はヒトの上に立っているとして、それは何のため」

「それも違うな」

 たぶん十個以上質問した頃。

「君が神なら、どう世界を創る」

「……あ」

 初めて否定の返事が返ってこなかった。

「それは考えやすそうです」

 理想を言えば、考えやすそうなんて前向きな意見じゃなく、スパっと結論を出してほしいところだけど。しかし、前進は前進だ。私こそ前向きに取り組もう。

「まあ、神の視点で語る、っていうのは、小説家らしいと言えばらしいわよね」

「それは比喩ですけどね」

「それっぽいことを言ってみただけ。いちいち突っ込まなくていいです」

 珈琲に口を付け、スクリブルは、落書きを描くようにまとまりのない言葉でアイディアを探し始める。

 その集中力をもっと早く出してくれと、思わずにはいられない。

「もし僕が神なら……やっぱり世界を創ったりする奴、っていうのが一番考えやすい。でも、自分と同じ次元に何かを創る事はしない、かな」

「つまり、神が神を生み出すことはしないって事」

「それももちろんそうなんですけど……何というか、もっと根本的に、別次元の存在でなければ、神という概念に意味がなくなるというか」

 まだ、要領を得ない。

「圧倒的でなければ神とは呼べない」

「んん、それもなんか……半分くらい」

 半分。本人の中には言葉になっていない定義ができつつあるのだろうか。

 木縁さんが、思考のじゃまをしないように、静かにキャラメルハニーラテのお代わりを運んで来てくれた。

 けど黒装束の青年は、しっかりと話を逸らして「それって、打ち合わせで頼んでいいもののボーダーラインな気がしますよね」なんて言う。

「まったく意味が分からないのだけど」

「グレイダさんに似合って、スタイリッシュさと、かわいらしさを兼ね備えた飲み物だと評したのですよ」

「褒められたのか馬鹿にされたのかよくわからないけれど」

「イメージです。イメージ。カフェで企業のヒトとかが打ち合わせをするときに、カフェラテを飲むのはおかしくないけれど、もしキャラメルハニートーストを食べていたら、なんかアウトな気がするじゃないですか」

 それは確かにアウトだ。そして、この会話もかなりどうでもいい。

「つまり、キャラメルハニートーストとカフェラテの間に、キャラメルハニーラテが存在してはいけない。という話だね」

 木縁さんのこセリフ。

 いきなり、話が飛躍した。私が疑問を顔に出すと「神の話だよ」と答えてくれた――いや、何も答えになっていないけれど。しかし、不完全な青年は何かに気付いたらしいく。

「流石木縁さんです。そう、僕が言いたかったのは、そんな感じだ」

 と、欣喜雀躍きんきじゃくやくとまでは行かないが、感動のようなものを露わにした。私だけ取り残された形だ。

「君も最初から”次元が違う”と言っていたし、私はその意味を拾ってみただけだよ」

「どういう事なんですか」

「つまり、僕の中の神様像は、不可侵条約みたいなものが前提にあるべきだったんです。だから、次元が違う」

 次元が違う、というと、よくトップクラスのスポーツ選手のパフォーマンスは自分とは次元が違う、みたいな、つまり圧倒的な差を意味する言葉だけど……でもそれは、さっきピント来ないからと否定されたはずだ。

「いえいえ、そうではなくて、もっと物理的に、本来的に次元が違うという意味です」

 物理的。と聞いて、私は点と直線と平面と立体の関係性を思い出した。ついでに四次元ポケットの存在とかも。四次元……次元、次元が違う。「あ」と声に出ていた。そうか、彼の言いたいことはそう言うことか。

「グレイダさんも分かったみたいですね」

「すみません。お手数を掛けました」

 三次元の人間は二次元に干渉できない。例えば、絵に手を加える事はできる。でもそれは、紙や塗料が立体構造だからだ。本来二次元には質量がない。質量がなければ触れあう事は不可能だ。二次元は、三次元の人間にとって、概念でしかない。それは面積のない一次元の線分と二次元の間でも、長さのない零次元の点と一次元の線分の間でも同じ事だ。

「神が三次元より上の高次元、例えば四次元にいるとしたら、僕なら人間がロボットを作るみたいに、同じ次元には何も作らない。どちらかと言えば、それこそ神の視点でヒトが物語を書くみたいに、絶対にどんな事件も悲劇も自分には影響がない、下の次元に留めておきます」

「それで行くと、神は創造主というより、創作者に近いですね。三次元世界を作ることは、小説を書くのと同じ。誰の不幸も物語の一部」

 人間が書く小説にも、救われないヒロインや、見せ場なく死ぬモブキャラは多い。だからといって、すべて救ってしまったらエンターテイメントとして広がりがなさ過ぎる。

 四次元世界の神が小説を書くみたいにこの世界を作っているとして、なぜ不幸な人間がいるのか。娯楽文化にある程度触れてきた人間ならば、誰でも感じたことはある答えが存在する。

 ハッピーエンドと同じくらい、バッドエンドにもエンターテイメント性がある。

「だから神はヒトを救わない」

「なんだか纏まって来ましたね」

 四次元生物。通称”神”は、気晴らし娯楽のエンタメとして、三次元という概念の中に物語りを描写している。人間と大して変わらない。ただ、次元が違うだけ。

 悲劇を求めれば火山を噴火させるし落雷を落とす。喜劇を求めれば浮浪者に宝くじを当選させる。

 ただそれだけのこと。

 自分が作った世界観のいちキャラクターに、自分と同じだけの感情とかが宿っているなんて考えてはいない。

 それが今回スクリブルが勝手に定義した神の姿。

 ヒトをヒトとは思っていない。それが神。

「だからこそ」

 と、気付けばそこまで言葉を発していた。

 指摘しようか躊躇ためらっていたことが、この流れなら自然と言える気がした。

「だからこそ。君はハッピーエンドを書かなければいけない」






 二次元のキャラクターに愛を持てなければ、君は君の定義した神と同じだ。

 グレイダと呼ばれている女性は、青年の作った設定に入り込んだ言葉を使う。あたかもそれが元々彼女の信じていた事実であるような口振りだ。

 二次元の、文章の中の彼らに感情がない保証がなくて、自分たちにはそれが分からなくて、でも救われたいと望んでいるかも知れない。

 世の中には面白い事を考えるヒトがいる。カフェが空いているときは、読んだことのない作家の本でも手に取ってみようかと、商売繁盛とは縁遠い事を思う。

 どうもスクリブルの書いた短編はハッピーエンドと呼ばれる作品ではなかったらしい。それだと、ハッピーエンドに書き換えたら、この物語事態が別物になってしまう気もするが、ただ、神の定義を話し合いの通りにするならば、彼には誰かを幸せにする物語を書いてもらいたいと思うのも人情だ。

 二人はその後も数時間、雑談のような話し合いをした結果。

「でも、この神の定義だと、最後の会話に適してはいないですね」

「あ……グレイダさん、ここまでの話し合いは何だったんですか」

 と、本日の打ち合わせを締めくくった。

 さて。

 編集者にスクリブル――落書きくん――と呼ばれるスランプ中の作家、清白舟の新作は、あとどれだけの話し合いの後に読むことができるのだろうか。

 もし出版されたら、店内の本棚にも一冊入れて置こう。このカフェの一幕の物語を思い出にして。自信のブレンド珈琲を入れながら、ささやかにそんな楽しみができた。



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