第7話:これでも賢い可愛い同級生さん(後編)
コロナミツバチ。
春のフォースタウンに出現する巨大な蜜蜂。
体長30.0cm。濃い黄色の体を、二枚の羽で飛ばす。
発達した顎と臀部の針が特徴。
個体の戦闘力は低く、学生でも容易に狩れる。
問題は、仲間を呼んだ時、群体を成したコロナミツバチは、一流の冒険者でも手こずる強敵となる。
故に理想の攻略法は『必見即殺』。
仲間を呼ばれる前に倒す。それだけだ。
(…………だが、私は仲間が集まるのを待った)
天上院学園1年。
Bクラス泉野知恵。
彼女は、銃剣を汗で濡らして、コロナミツバチの動きを待った。
知恵は賢い学生だった。
成績は学年トップ、入試では全受験生中一位、入学式に代表の挨拶を務めるという絵に描いたような優等生だった。
勉強家でもあり読書家、だが無口で自己主張の少ない訳ではなく、多弁で挑戦的・挑発的、ひとたび議論となれば教師と言えでも太刀打ち出来無かった。
一教えれば十を学ぶタイプ。何も教えずとも理解する人間。彼女の所属する第二図書委員会では、《参謀》に近い立場だった。
だが、こと戦闘面に関しては、彼女のセンスは壊滅的であった。
(コロナミツバチは数に比例して、戦闘力が1.5倍上昇する。だが、アイテムのドロップ率も増える。つまり、私の借金が返済できるという訳だ)
加えて、金銭感覚も絶望的だった。
絶対に、絶対に勝てると確信して、
異常に倍率の高い馬に単勝狙いで全額投資するタイプであった。
非常に危険な女子高生だった。
もちろん、コロナミツバチ――彼らのドロップする『煌き蜜蜂』は、
夏を目前とした現在、高値で売却可能なアイテムだ。
知恵は、これを借金返済に当てるつもりだった。
知恵には借金があった。借金持ちの高校1年生だった。
借り手は第二図書委員会の『先輩』だ。
実家が金持ちなのだ。
幸せは金で買える、と本気で言った事がある。
裕福だが、取り立ては容赦なかった。
金に愛された者は、正しく金を愛していた。
知恵はお金を返さねばならなかった。
知恵の家は別段貧乏ではない中流家庭の生まれだが、どうしても欲しいアイテムがゲーム内にあり、その為にはゲーム内でチケットを購入して、イベントで100位以内に入る算段をつける必要があったのだ。
一番駄目なやつであった。
ちなみに言っておくが彼女が学業においては主席であった。
戦闘センスが絶望的なのと、金銭とゲームに関して我を忘れてしまう悪癖を除け
完璧であった。
(来い……蜂蜜を十も売ればお釣りがくる。その為にはもっと君たちには数を増やしてもらわねば困る)
現在、知恵の前には三匹のコロナミツバチがいる。
一匹のみの状況から増やしたのだ。
ミツバチは二匹が羽を震わせる。
人間の聴覚ではキャッチ不可能な高音が、仲間を呼ぶ合図となるのだ。
四…五…六、コロナミツバチの数が増える。
残りの一匹は
「……っとぉ!」
鋭い針の攻撃を行う。
知恵は回避する。
手にした銃剣でミツバチを潰す。
「BYUUッ!!」
甲高い声。
コロナミツバチが消滅する。
消滅後に『煌めきの蜂蜜』が現れる。
「……はぁっ、はぁっ、……な、何だ、簡単ではないか……」
黄金に輝く蜂蜜をカバンに入れて、
満足気につぶやく知恵。
しかしその息は全力で乱れていた。
別に彼女がコロナミツバチから何かしらのアクションを受けた訳ではない。
敵には毒や呪いといった類いの状態異常を引き起こすモンスターもいるが今回の場合は違った。
ただの体力切れだった。
「は、はぁ……さぁ次も来い」
一応言っておくが、知恵はアクションゲームの腕はピカイチだった。
ソフトによってはリアルTASと言って良い実力を持つ。
ただ彼女は現実世界でも、ゲームと同じ動きをバトルに求める傾向があった。
武器を持てば重量感がある、振り回せば遠心力が加わる、振り切った後には腕が疲れるし走ったり避けたりすれば息は乱れる。
当然といえば当然の事なのだが、
彼女はその「当たり前」をおざなりにして戦う傾向にあった。
悪く言えば、現実とゲームの違いが分かってないのだ。
「……だぁッ!」
知恵は銃剣をスイングして二匹目のコロナミツバチを撃破した。が、今度はアイテムを落とすことはなかった。ドロップ率は必ずしも100%ではない。
「くっ、……は、はぁ、アイテムは落とさなかったか……」
と、嘆息するのもつかの間、
残りのコロナミツバチが仲間を呼び始めた。
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
十匹。
コロナミツバチが知恵を囲む。
「これだけあれば返済には十分……てのは考えるのはマズいかな?」
マズかった。
だが過去の知恵であれば、何がマズイのかも気づかなかった。
初心者のゲーマーが、なぜ負けたのか、ではなく、そもそもどうして負けたの
理解できないように。
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「……ッ!?」
数が増える。
後ずさりする。
気づけば――コロナミツバチは三十匹に増えていた。
一匹が仲間を呼ぶ数よりも、二匹が仲間を呼ぶ数、二匹が呼ぶ数よりも五匹が呼ぶ数、五匹が呼ぶ数よりも十匹……。
増加速度は際限ない。
これこそがコロナミツバチの脅威の姿であった。
群体を成すと手に負えない。
倒しても倒しても増える不死のモンスター。
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
三匹が知恵を攻める。
「くっ!」
一匹は回避し、二匹目は倒したが、三匹目にはあたってしまった。
「ぐっ……ぐぅ……っ!?」
知恵が電撃を浴びた様な声をあげる。
膝を地面につく。
……正直、コロナミツバチの個々の攻撃力はさほど強くない。
子供でも耐えようと思えば耐えられる。
これは単純に彼女の生命力――能力が低い故の反応といえた。
「ぐ、ぐぅ……」
呻く最中にもコロナミツバチは増える。
四十、五十。
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
羽音が響き、知恵を取り巻く。
七十。
九十。
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」「BYUUッ」
百十四匹。
コロナミツバチに包囲されていた。
彼女の視界は黄色く塗られている。
その一匹一匹がコロナミツバチなのだ。
静かな羽音が今では大音量で響く。
顎が、尻が、羽が、うねうねと動く、蠢く。
その最中にもミツバチは仲間を呼ぶ。
――――彼らが仲間を呼ぶ数には上限がない。
気づけば数万匹のコロナミツバチに襲われていたという逸話も残っている。
その生態系の奇特さ、あり得なさこそ、コロナミツバチが通常の生命体ではなく『モンスター』と称される所以だろう。
「ここまでか……っ!」
ここまでだった。
逃走は不可能。
後ろどころか、上空すらもミツバチに覆われている。
彼女を中心とした黄金色のドームが形成されていた。
「…………真っ暗だ」
空は見えない。黄金色のドームの内部には闇が生まれている。
知恵は目をつむる。
唯一のドロップアイテムである『煌き蜜蜂』1個を大事そうに抱えながら。
なお、モンスターに倒された場合、手にしたアイテムは消滅する。
悲しい現実だった。
知恵は考える。
ああ、何で欲張ってしまったのだろう、慎重に戦えばよかった。
ああ、何で課金なんてしたのだろう、早起きしてイベントを進めればよかった。
ああ、何で返済期限を来月頭にしたんだろう。もう少し伸ばせばよかった。
最後はクズ野郎だった。
様々な後悔が走馬灯のように蘇り、知恵は体の力を抜く。すると、コロナミツバチが激しい羽音を立てながら一斉に知恵に向かって突撃した。
……。
…………。
………………。
と、知恵が覚悟して身体を固くすると何時までも攻撃は訪れなかった。
代わりに恐ろしいくらい聞こえていた羽音がピタリと止んでいた。
泉野知恵はゆっくりと目を開いた。
「――――――――『風よ舞え』」
コロナミツバチは全て動きを止められていた。
小規模な竜巻。
数10センチ程度の空気の回転が視認できる形でコロナミツバチを捕らえていた。
その数約224。
仲間を呼び数を増やしたコロナミツバチと同じ数だった。
「大丈夫か? ちーちゃん」
と、声がした。
当たり前のように。
まるで教科書を忘れた人間を心配するような気軽さで、夢飼遊人はこう言った
「力を貸すよ。こいつらちゃんと倒せばいいんだろ?」
知恵は唐突すぎる状況にこくりと頷くと、
遊人はニコリと少年の笑みを浮かべた。
そしてコロナミツバチの方を向く。
次の瞬間、表情を変えた。
戦闘鬼。
好戦的な瞳は細くなり、口元は僅かに上がり、全身からは得も言わぬ気配が溢れ出す。
後ろ姿しか見えぬ知恵にもそのゾクリとした雰囲気を感じられ、
目を離さず動けずいると、みるみる体の疲れが消えていった。
「チエちゃん『治療』したからもう大丈夫だよ」
と、そこには見慣れた第二図書委員会のメンバーがいた。同い年の女の子。名前は東雲しのと言う。
「ユート君普段は弱いモンスターは触れただけで倒せるようにしてるんだけど、今日は特別だって。即死だとアイテムドロップできないからね」
平然と、そう語る彼女を見て、それから知恵は再び夢飼遊人の姿を視界に収める。
遊人は動けなくなった224匹のコロナミツバチを見る。
仲間は呼べない。
仲間を呼ぶ為の羽はすでに風に捕らわれている。
羽音を鳴らす事は不可能だ。
強靭な顎も、お尻の鋭い針も、1ミリ足りとも動かす事はできない。
遊人は誇るわけでもなく、自慢するわけでもなく、ごく平凡に、
ただ冷たく相手につぶやいた。
「――――――――『凍って潰れろ』」
次の瞬間、コロナミツバチの肉体が白く、透明に変化した。
割れた。
粉々に。
雪が空中で静止してるよう。
美しい光景に知恵はそう思った。
前にテレビで見た、液体窒素で凍らされたバラ、あれが砕かれた姿みたいに、コロナミツバチの群体は全て、余すこと無く、完璧に、徹底して、
――――――粉砕された。
「……ぉう」
知恵は思わず口からそんな言葉を吐いてしまった。
僅かに赤面し、フッと余裕ぶった表情で立ち上がろうとし、
バランスを崩しこけた。
「ああっ、まだ回復中ですからダメだよチエちゃん!」
顔面から強打。
痛い。
知恵はそう思った。
どうやらメガネは無事なようで一安心。
これ幸いとぐしぐしと汚れた顔をこすって、
「――――手ぇ貸すよ」
「……」
無言。
無粋な顔。
悔しい、このやろ。いろんな事がぐるぐるとめぐる。
知恵は汚れてない方の手で遊人の右手を取った。
「これは、貸し1だからな」
「はいはい」
「ユートのな」
「えっ、借りたの俺なのっ!?」
なんだよ。何がだよと、叫ぶ遊人を無視して知恵は大きく伸びをする。
上を見ると森の中に丸っこい空が見えた。
何だ、見えんじゃん。
青い。
全部は見えないけど確かに空は青かった。
え、えっ、と混乱する遊人を見て、知恵は前に見た異世界の映画を思い出す。
世紀の大泥棒と一国の王女様のお話だった。
軽やかに笑い知恵は人差し指を唇に当てて小さく。
「それは」
……。
知恵はくるりと、学校の方をむいて歩き出す。
今日はおごってやるか。
そう思った。
なおコロナミツバチを倒した報酬は『煌めき蜂蜜』合計34個であった。
全体攻撃で倒すとドロップ数は落ちるらしい。
まあ、ただその日の遊人としのは、知恵から学食をおごってもらった。