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第7章 赤の女王Ⅰ

 久しぶりかついきなり入ってきてあいさつもなしにこの物言いはあんまりだと思わないでもなかったが、これが女王といえば女王だ。無論聞きたいことは山ほどあった。それを鑑みてくれた上での言葉だったのだろうけども。

 すぐには言葉が出なかった。面食らってしまって頭がついてこないというのが正直なところだった。

 なにから聞こう、そこまで考えて、すぐに小太郎は考えるまでもないことに気づく。

 聞きたいことは、最初からひとつだった。

「俺は、なんで今まで騙されてたんですか」

 今もまだ、脳裏には彼女の面影がこびりついている。決して自分には笑ってくれることはなかったけれど、そばにいるだけで暖かい気分になれた彼女の姿が、今や楔となって胸の奥を苛む。

 こんなことなら、最初から出会わなければよかった。

 すべてはあの世界に自分がいたからだ。どうして自分はあの世界に放り込まなければならなかったのか。どうして自分が、こんな目に合わなければいけなかったのか。

 女王は即答する。

「謀っていたわけではない」

 初めから用意していた言葉をなぞるように、女王は言う。

「そもそも今回の件の発案者はウィザード、其方だ」

「……!」

「いや、その物言いは卑怯だな。議会が承認した。皆がそう望んだ。正直、妾もまた確かめたくなかったといえば嘘になる」

「確かめたかった……?」

「そう、確かめたかったのだ。人は、争いなしに生きていくことができるのかどうか」

 どきりとした。

 どきりとしながら、一瞬自分がなぜその言葉にそこまで動揺するのかがわからなかった。

「其方も見たろう、あの戦を」

 見た。

「身をもって感じたであろう」

 きっともう、一生忘れられない。

「この国は、あんなくだらないことを毎日毎日、何十年も飽きずに続けている。わかるか、何十年もだ。だから造った。争いのない世界を。果たしてひとは、争いのない世界で、争わないままでいられるのか。そんな世界でも、ひとは生きていけるのか」

 それを、確かめたかったのだ。繰り返して、女王がこちらを見下ろす。

「結果は、この有様であったがな」

 女王の視線には落胆も侮蔑もなかった。初めて出会ったあの時と同じく──やはり舞い戻ってきたか、痴れ者め──そこにあるのは、深い諦観と、自嘲。

「元凶はアリスだ」

 女王は断じる。

「この検証に立ち会ったのは其方に限った話ではない。其方を含め約数十名が〝あちら側〟へとダイブしたが、そのすべてが同じ結果に終わった。其方と同じ結果にな」

 ダイブし、こちらへと舞い戻ってきた者すべてに共通するもの。それが、アリスとの邂逅なのだと女王は言う。

「アレは、被験者と検証地とのリンクを断ち切る一種のウィルスデバイスだ。一度アレに断ち切られたリンクはマルウェアに侵され、二度とつなぎ合わせることができなくなる」

「……いったい誰が、なんのためにこんなことを」

「不明だ。が、おおよその見当はついている」

「だったら、」

 言いかけて、すんでのところで呑み込む。アリス。まさに小太郎がこちらへと舞い戻る直前、この塔の前で出会った少女。ふわふわと揺れていた髪の金色。目の覚めるようなエプロンドレスの白。ノイズと共にことあるごとに視界をかすめた。手を伸ばせばすり抜ける幻影のような小さな背中を追いかけるうち、確かに自分はここへと来ていた。

 だけど、

「元凶はアリスだ」

 女王は、再び断じる。

「アリスと出会ったからこそ、其方は今、ここにいる。それが事実だ。それは間違いない。が、ウィザード、」

 今までにないやさしい言葉で、女王が問う。

「それを望んだのは、いったい誰であろうな」

「…………」

「其方がアリスと出会ったのはなぜだ。非現実と認識しながらこの世界に赴いたのはなぜだ」

 女王の声音は決して小太郎を責め立てるものでなく。むしろ言葉を重ねるごとにどこまでも穏やかに染み込んでくるように思えた。

 なぜ自分はこの世界を目指したのか。ルールを侵してまで、先へ──次の場所を目指そうとしたのはなぜなのか。

 女王が続ける。

「アリスは、被験者の心を視る。其方が望まなければ、アリスと出会うこともなかった。なにも知ることなく、今もまだ──これからもずっと、其方にとっての現実はあちらの世界だったはずだ。違うか」

 なにも違わなかった。女王の言葉にここまで動揺しているのが、なによりの証だった。

 ただがむしゃらにゲーム世界にのめりこんでいったのは、決してでぼちんそっくりの女王に会いたかったからでも、暇つぶしや義理を果たすためでもなかった。

 欲しかったのは、敵だ。


 ──ひとは、なにかを犠牲にしなければなにも得ることができない。


 届かないものがあるのに、なにが邪魔をしているのかがわからなかった。どこかの誰かなのか、自分の中のなにかなのか、誰も教えてはくれなかった。だからといって実際に戦場に身を投じたとしても、それがいったいなんになるのか。それだって最初からわかっていたことだった。それでも先を目指すしかなかった。少なくともここには、敵がいなかったから。ここではないどこかへ行くしかないと思った。苦し紛れだった。やけくその八つ当たりのようなものかもしれなかった。それでも──そうするしかなかったんだ。

「他に、どうすることもできなかったんだよ」

 が、女王は静かに断じる。

「それだ」

「え」

「其方にとっての世界を、そのように振舞わせているのは、いったいなんであろうな」

 不意打ちのようなその問いは、やはりすぐには処理できずに、小太郎の頭のど真ん中でぽっかりと浮かんで漂う。それはとても単純で、だからこそ答えの出せない難題のような気がして、小太郎はやっぱり呆然とでぼちんと同じ女王の顔を見上げることしかできなかった。

「無駄話が過ぎた。くだらん感傷だ。忘れろ」

 しばらくして、無責任に質問を投げつけたまま、女王は自らそれを断ち切る。

「今は記憶を失くしているであろうが、すぐにそれも戻るだろう。今のその喪失感にも、いずれ慣れる。ひととは、そういうふうにできている」

 嫌なこというなあと思う。でぼちんと同じ顔でそんなことを言われるとは、いったいなんの罰ゲームかと思う。が、同時にでぼちんと同じ顔で言われるからこそ、特に腹は立たなかったのかな、とも思う。免疫ができていたのかもしれない。

 いつだってでぼちんが言うことは嫌なことばかりだったから。

「いずれ其方には頼みたいことがある。それまでゆっくり休むといい」

 言うが早いか踵を返す。むしろ聞きたいことが増えてしまったような気がして、引きとめようとするのだけれど、言葉が見つからない。なにを問えばいいのかさえわからない。

 とにかく声をかけようとして、だけどやっぱりできなくて、そのまま見送りかけたその時、遠ざかる金色の後ろ髪が、ぴたりと止まった。

 女王の歩みを止めたのは、苛立たしげにノックされる、ドアの音だった。

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