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第28章 赤の女王Ⅳ

 地下のこの世界に、決して吹くことのない乱流が荒れ狂っていた。

 ハンプティ・ダンプティの暗号壁で守られているはずの屋敷がひとたまりもなく悲鳴を上げていた。

 整然と敷き詰められていた百を越える畳が一枚、また一枚と剥ぎ取られてはむちゃくちゃに吹っ飛んでゆく。

 その中央に在るのは、赤の女王。

 なにが起こったのかわからなかった。目の前を荒れ狂う光景にまったく頭がついていかなかった。

 どうして。白の女王は誰にともなく問う。届いたのではなかったのか。ようやく見つけた光。届きたくて、決して届かないだろうとあきらめて、あきらめきれなくてなけなしの勇気を振り絞って。

 なのに。なんなのだろう、これは。

 いったい、なにが起こっているというのだろう。

「まさか──」

 ひとつの、だけどおそらくは間違いない、決して許しがたい結論にたどり着く。

「まさか、もう、施術を、」

 それが答えだとばかりに、すさまじいまでの光の爆発が白の女王を吹っ飛ばしていた。

「あぐっ」

 背中をしこたま壁に打ちつけた。

 呼吸が止まった。周囲が歪んでみえるのは決して涙のせいばかりではない。

「ディーは、こんなものにずっと、耐えてきたのだな」

 かすかに聞こえるのは、確かに赤の女王の声。

「すごいな、ディーは──本当に、すごい……」

 いけない。抗力が暴走している。すべてのタガが外れて、制御できなくなっている。

 なにがキッカケだ? 施術は成功したのか? 失敗したのか? それさえもわからない。だけどまだ赤の女王はそこにいる。まだ間に合う。白の女王は起き上がる。脳が揺れて、視界が歪んで、もはや天地さえわからない有様だったけれど、関係ない。這ってでも進む。赤の女王を死なせるわけにはいかない。この身に替えても、止めなければならない。

「女王……!」

 だけど赤の女王は、光の中心。わずかにその手を揺り動かす。

「もうよい」

 こわいくらいに穏やかな声が、たとえようもなく悲しかった。

「ハンプティ・ダンプティは、貴殿が責任をもって破棄してくれ」

「女王……」

「すまない。後は、頼んだ」

「やだ……いやです……」

 伸ばした手が、光に弾かれる。

「いやです、女王……なんで、どうして……」

 これから──これからだったのに。これからすべてが始まろうとしていたのに、

「ぃやぁ……」

 届かない。

「ウィザード……」

 たすけて。

「ウィザード!」



 音の壁ごと、屋敷の外壁をぶち抜いて、ふたりの女王の間に転がり込む。

 左腕の鉤爪を闇雲に畳へと突き立てるが、絶望的なまでに勢いを殺せなくて、結局反対側の壁に激突してようやく止まった。

 途端、五感を貫くのは魂さえ削り取られそうな光の乱流。

 ウィザード、かすかに聞こえる声。視界の左隅に、涙でずたぼろの白の女王の顔が引っかかっていた。

 起き上がろうとして、身体がうまく動かせなかった。

 上空から最下層まで、魂まで砕けよとばかりに飛ばしてきた。とっくに限界のその向こうまで超えていた。呼吸さえうまくできない。腕に、足に、腹に、力を入れるたびにがくがくと全身が震えた。

 しっかりしろ。自分で自分を叱咤する。その力はなんのためにある。そのために来たんだろうが。この時のために、でぼちんの反対を押し切ってまで、この時のためだけにきたんだろうが。

 唇を噛みちぎる。這いつくばってでも進む。ここまでだ。ここまでにするんだ。死に物狂いで光の中心に手を伸ばす。もう誰も死なせない。もう誰も、死なせたくないんだよ。

 視線をジェスチャ。ウィンドウいっぱいにCFゲージを呼び出す。

 あっという間にひとつ残らず限界を超えるが、取り込んだ力でCFゲージ自体を増殖させる。

 唸りを上げて展開されるゲージの列が、魔方陣のように女王の光を取り囲んでいた。

 後先もなにも考えなかった。ただ力を解放した。のた打ち回る魔方陣の中、ただがむしゃらに手を伸ばした。伸ばして、伸ばして、つかんで、引き寄せて、そして──



 いいにおいがした。

 なつかしくて、どきどきする、小太郎の原初の記憶に根づくそれは、彼女のにおいに似ていた。だけど違う。まったく違う。

 気がついたら、赤の女王に覆いかぶさっていた。

 直接合わさった胸を通して、彼女の心音が聞こえてくる。かすかにだけど、確かに聞こえてくる。

 あれだけ荒れ狂っていた光と乱流が、嘘のように跡形もなかった。

 視界の片隅で、連なるゲージの魔方陣が消えてゆくのが見える。そのすべてが残量ゼロだった。荒れ狂う女王の力を取り込みきった後も、小太郎の抗力は自らが枯れ果てるまでCFゲージを増殖し続けた。小太郎にはもう、自らの力を止める余力さえ残されていなかったからだ。

 もうからっぽだった。指一本動かせそうになかった。

 全身で感じる女王の心音とぬくもりが心地よくて、このまままどろんでしまいそうだった。

「……なぜたすけた」

 意識の外から飛び込んできた言葉に、だけど不思議と小太郎は落ち着いていた。

 ひどく億劫に感じる唇を、懸命に動かして答える。

「質問を、質問で返して申し訳ないですけど──俺の力のこと、知ってましたよね?」

「…………」

「なぜ、死のうとしたんですか」

 女王は答えなかった。小太郎も、言及しようとはしなかった。

「……俺、ずっと考えてました。白騎──白の女王に、言われたんです。ひとが、ひとを殺していい理由なんてないって。なんでだろう、って、なんで、そうなるんだろうって、俺、ずっと考えてたんです」

「簡単よ。ひとは、群れる生き物だから」

 それに答えたのは、でぼちんだった。

 ようやく追いついたのか、激しく肩で息をしてこちらを見下ろしていた。

「でないと、社会が成り立たないでしょ」

 また、身もふたもないことを言う。

「……ごめんなさい、でぼちんさん。お願いだから空気読んで」

「……ふん」

 ぐいっと襟首を引っ張られる。そのままどかりと仰向けに転がってしまって。ああ、もしかしてやきもち焼いてくれたんかな、小太郎は思う。ちょっと幸せだった。

 気を取り直す。

「でぼちん──ああ、そこにいる〝神様〟のことなんですけど──彼女と話してて、なんとなく、わかったんです」

 神さまなんかじゃないわよ、ぼそりとでぼちんは呟くが、スルーする。

「死んでいいのはきっと、しっかり生きたひとだけなんですよ。でないと、死ぬひとも、残されたひとも、なんていうんだろう、こう、もやもやっとしたような……? うまくいえませんけど、たぶん、報いって、きっとそんなんじゃ、償えないんじゃないかって思うんですよ。だって、殺すだけ殺しといて、あとは頼むって、そりゃだめですよ。緋姫はなんで死んだんですか。トゥイードゥルディーさんは、なんで死ななきゃいけなかったんですか? そのへん、きちっとしないと、だめですよ。それまでは死なせません。女王、貴女は、死んじゃいけないんです」

 自分でも、まったく要領を得ない言葉だと思った。もう少し頭を整理したかったけど、とにかく眠くて、それどころじゃないのがくやしかった。うまく伝わっただろうか、心配になって、女王をなんとか伺おうとしたその時、

「……それでいいのか、妾は」

 小太郎は即答する。

「言ったでしょう。そうでなきゃ、いけないんです」

「…………」

「って、すみません……だからなんで俺はこう偉そうに講釈たれてん、っひゃいいひゃいでぼひんいひゃい」

「だからなんであんたはそう女王には腰が低いのよ」

「あああ、あの、神様? ほっぺが。ウィザードのほっぺが大変なことに!」

「神さまゆうな」

 相変わらずでぼちんは容赦がなかったけれど、なんかもういろいろとだめだった。

 眠い。もう眠い。でぼちんの愚痴も、おそるおそるのぞきこんでくる白の女王の真っ赤な顔も、全部が全部遠ざかって、夢か現かの区別もつかなかった。

 だけどその時、寝ぼけ眼にかすめるように映ったそれは、決して幻なんかじゃないと、小太郎は思う。

 自嘲でも苦笑でもない、赤の女王の、本当の笑顔。



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