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第22章 ウィザード


 雑音、


 頬が冷たかった。

 一瞬それがなんなのかわからなかった。

 ずいぶん長い間あらゆる感覚を奪われていたように思えた。それがなにかの感触だと気づくのに途方もなく長い一瞬が必要だった。

 鼻をつくのは錆と土のにおい。すえたカビの芳香。

 どうしたんだっけ、どうあっても動こうとしない脳みそに活を入れる。死に物狂いで思い出す。俺はいったいどうなったんだっけ。

 頬の感触が冷たい鉄の床であることに思い当たって、小太郎はようやく把握する。

 そうか、俺、落ちたんだ。

 抗力がすごくて。すごすぎて、それで落ちたんだ。こわくなって、途中でやめて、でも止まらなくて、床が割れて、たくさん吹っ飛んだ。エレベータのドア、壁、窓ガラス、近衛隊の、

「……っ、」

 胃の中のものが逆流した。ひとたまりもなかった。なりふりかまわずぶちまけてしまいそうになって、胸の痛みを思い出した。叫び声を上げただろうか。うまく声さえ出せずに、のた打ち回って、また落ちた。

 次の踊り場まで転がり落ちて、初めて小太郎は自分は階段の途中に叩きつけられていたのだと気づいた。

 目が慣れてくる──などといったレベルではない。ここが階段だ、と小太郎が認識した途端、文字通り視界が晴れるような勢いで急速に闇が駆逐されていた。目の前に広がっていたのは、つい先日地獄の踏破を果たした無限の大階段。

「……落ちてきたのか? ここに」

 事態を把握したのも束の間、遠いところで足音が聞こえた。少なくともひとつではありえない、むちゃくちゃに反響する音。ここへ来る。近衛隊のひとたちだろうか。なんのために?

 考えるまでもなかった。

 慌てて小太郎は立ち上がる。半ば条件反射で逃げるように階段を駆け下りていた。

 女王の命なのか、仲間の仇討ちか、あるいはその両方か。どちらにしても目的はきっと自分だ。胸が痛い。息が切れる。胸が痛い。吐き気がひどい。胸が痛い。でも走る。機械のように地を蹴り続ける。立ち止まるわけにはいかない。捕まるわけにはいかない。今捕まったら、全部終わってしまう。行かなければ。下へ。ただ下へ。捕まってなんていられない。

 ──なぜ?

 自分の中のもうひとりの自分が問いただす。

 下へ行ってどうする? また、無責任に戦いをやめろと言うだけか。

 女王に会ってなにをする? 緩やかな死以外に与えられるものがあるのか?

 なにもできない。できることなんてない。

 しょせんウィザードは、他者を排除することしかできないんだから。


 ──違うな。魔法を扱うから、其方はウィザードなのだ。


 けつまずく。

 転がり落ちる。

 このまま転がった方が楽かもな、と頭のどこかで考えている。


 雑音、


「であるから申したであろうウィザード! 用心は! 宝であると!」

 ずどばぎゃん! とばかりに小太郎の身体を受け止めたのは、そんなどこかで聞いたばかでかいクソ口上と、丸太のような鉄の腕だった。

 もはや見上げるまでもない、

「し、白騎士……?」

 情けなくもお姫様だっこされながら見上げたそこにはいつかの白兜があった。

「な、なんでここに、」

 当然のその問いに、白騎士はいつものように、

「愚問であるなウィザード!」

 ばどずぎゃん! ともう書き文字のパターンも尽きてきた。

「それは、貴殿にももうわかっているのではないか?」

「……はあ?」

 あいも変わらずこいつはわけがわからないったらない。

 だけど白騎士はそんな小太郎の疑問などどこ吹く風、ひとり意味ありげに口元を歪めながら──もちろん兜に遮られて見えるわけもないんだけども──かまうことなく突っ走る。

「それともそれを、わかった上で問うているのであれば、無論とつとつと説明させていただくことも吝かではない説明とか好きだから! そもこの世を構成するプロトコルの成り立ちとはって、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああカブトは返してくださいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

 あんまりうるさいので返してやる。

「うぅ……ウィザードひどいです……」

「わけのわからんことばっか言うからだ」

 がぽしと白兜をかぶりなおしながら、白騎士は改まって問う。

「……本当に、なにもわかっていないのか?」

「…………」

 小太郎は返答に窮す。

「……なにか、わかっているように見えるのか?」

 白兜の肩越しに、無限に連なる階下を見る。さっきまで見ていた真の闇が、そこにはまだあるような気がした。

「なんにも見えない。どうすればいいかもわからない。どうにもできない」

「……ふむ」

 途端、またも身体が落下した。階段のカドにしこたま腰をぶっつけて、悶絶する。

「ちょ、おま、」

 考えるまでもない、白騎士が突然解除したのだ。お姫様だっこを。

「ぶふはははははははは! であるから何度も申しておる! 用心は! 宝でああああああああああああああああああああああああああごめんなさいごめんなさいもうしませんかえしてかえしてカブトはかえしてー!」

 ジャンプ一番返してやる。

「な、ぐ、なにがしたいんだ、お前わ……」

 着地さえ腰に響いた。

 んがぽし、と貪るように白兜をかぶりなおしながら、白騎士は答える。

「で、であるから、用心は宝であると、以前から申しておる」

「だ、か、ら、なんだっつーんだって話だろ!」

「この先には、なにが起こるかわからないということだ」

 どきりとした。

 そんな小太郎をどこか図るようにちらりと見やると、白騎士はどかりと腰を下ろした。

 どこを向いているかわからない白兜の下で、続ける。

「助けてもらった者に、突然その手を離されてしまうやもしれぬ。陸でサメに襲われてしまうやもしれぬ。大海で、獅子に組み敷かれるやもしれぬ。──もしかしたらこの先には、誰もが笑って暮らせる未来があるのやもしれぬ」

「…………」

「私は、こうも申した、ウィザード。この世に、絶対などない。いや、ともすればあるのやもしれぬが、少なくともこの先に広がるのは可能性という名の不確定のみだと、私は思う。さて、ではそんな不確定要素だらけの未来で、行く末を決めるのは、はたしてなんなのであろうな?」

 白騎士の言葉は、あの時と同じく朗々と響く。それは決して、大階段が作り出す独特の空間のせいばかりじゃない。

 言われなくてもわかってる。小太郎は思う。

 いつかも、女王に同じようなことを言われたように思う。


 ──其方にとっての世界を、そのように振舞わせているのは、いったいなんであろうな。


 たいして興味もないくせに、ゲームとしてのこの世界に入り浸っていたのはなぜなのか。

 アリスを引き寄せ、あの世界に別れを告げることになったのはいったいなぜなのか。

 そんなことは、小太郎が一番よくわかっている。

 だけど、

「だからって、どうすればいいってんだ」

 くやしいけれど、口をついて出てくるのは泣き言だけで、

「言うだけなら簡単だ。どんなに可能性があるったって、選択肢が見えなくちゃそれはなにもできないのと同じじゃないか」

 だけど、白騎士は静かに断ずる。

「本当に見えぬのか?」

 顔を上げる。

「本当に貴殿には見えぬのか、ウィザード?」

 白兜の肩越しに、無限に続く階下を見る。

「我々にできることは少ない。だが、だからこそ見つかるはずだ。案ずることはない」


 雑音、


「そろそろ時間だ」


 雑音、


「こちらのことはまかせろ、


 雑音、


「──ティ・ダンプティは、──動させん」


 雑音、



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