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第19章 爪紅

 指揮系統を失った影たちが、近衛隊の軍門に下るのにはさして時間はかからなかった。

 最上階で響いた三点バーストよりわずか二八○秒後にはすでに、塔の中に蠢く影の姿はひとつたりとて存在しなかった。

 とはいえ近衛隊とて影たちの突然の奇襲、巧みな撹乱にお世辞にも統制が取れていたとは言えず、それでもなおこの奇襲を鎮圧するに至ったのは、指揮系統が瓦解したことを知った瞬間影たちが自害したからだという説が大勢を占めていた。当然のことながら当局はその事実を否定しているけれども。

 長い夜だった。

 象牙の塔を揺るがした過去最悪の事件は、始まった時と同じく、静かに幕を下ろそうとしているかに思えた。が、

 ただひとり、赤の女王がそれを許さなかった。

 二日間、今までになく厳重にしいていた戒厳令を撤回するやいなや、報道局はもちろん、民間のマスコミに対しても大々的に情報を開示。トゥイードゥルディーのことなど一顧だにせず、今回の事件により命を失った、緋姫の葬儀に取り掛かった。

 塔の最上階。大臣や近衛たちが喪に服す中、ただひとり女王はいつものチューブトップのドレスを身に纏っていた。

 ドレスの色は、そのまま女王の色だ。血よりも紅い、争いを鼓舞する色だ。女王の歩みに迷いというものはない。その名のごとく真紅の姿をテラスへとさらした瞬間、大地より大音声の歓声が唸る。

 民衆が、米粒のようにひしめいていた。

 決して広くない地下世界は地平の果てまで夥しいまでのひとに埋め尽くされているように見えた。

 声とは、空気の波だ。波とは、物理的な衝撃だ。それだけで怯みそうになる暴力的なまでの群集を前に、女王は朗々たる声を響かせる。

「そなたらの愛した美しき姫はもういない!」

 無論、真実など語るわけもない。曰く、

「今なお我らより空を奪い続ける彼奴らの手により、天に召されたからだ! 彼奴らは空を! それに至るあらゆる路を! 我らより根こそぎ奪おうとしている! 否! すでに奪い尽くしているにも関わらず! その手を緩めようとはしない! 今一度問おう! そなたらの胸に! 手をあて天を仰ぎ! この空に問おう! 我らの敵とはなんなのか! 敵とは! どうするべきなのか!」

 偽りの空に、偽りの声が響き渡る。

 偽りのスクリーンに浮かび上がるのは、かつての姫の、偽りの笑顔。

 大臣たちの声が歓声の間隙を縫ってもれ聞こえる。


 ──血族の死さえ利用するか。


 ──おそろしい。


 だけど小太郎は知っている。

 民衆に答え、掲げられる女王の拳が、小刻みに震えているということに。

「敵とは! 打ち滅ぼされなければならない! 我らが為すべきことはもはや! たったひとつしかないのだ!」

 三人そろえば文殊の知恵と、昔の偉いひとは言った。

 が、同じく偉いひとは、こうも言った。過ぎたるは、及ばざるがごとし。

 ひとは、その数が多ければ多いほど、隣人に流され、考えることをやめてしまう。

 眼下を覆う、夥しいまでの人々を支配するのは、一匹の化け物。

 集団心理という名のそれは、誰にも打ち倒すことのできない、化け物だった。

 この日より二日の後、議会においてハンプティ・ダンプティの凍結解除案が可決されることとなる。

 もう、なにもかもが戻れないところまで来ているのかもしれなかった。



「望みを言え、ウィザード」

 やぶからぼうに、女王はそう言った。

「望み?」

 塔の裏庭。ベンチに腰掛けて、女王は自分の膝に頬杖をついていた。

 葬儀の直後。わざわざ呼び出しておきながら、小太郎の方は一顧だにせず、ただじっと前方の花壇を見つめている。

「もはや妾に無理に付き合う必要もない。留まるなら、無論今までどおり厚遇しよう。思うところがあるなら、荒野を渡る装備も提供しよう。望むなら、ここではない世界へ、再度誘うことも可能だ。──以前と同じ世界を、用意することはできないけれど」

 できる限りのことをしよう──そう言って、女王は立ち上がる。

 絹糸のような髪を揺らして、ゆっくりと振り返る。偽りの空から差し込む光にあってなおきらきらと輝く金色、

 でぼちんと同じ顔で、女王は繰り返す。

「望みを言え、ウィザード」

 小太郎は答えられなかった。

 姫の葬儀と、女王の演説の準備に忙殺されたこの数日。目の回る忙しさの中で、考えることを忘れていた。──忘れることが、できていた。

 が、それは最初からわかっていたことだ。あくまでそれは目を背けていただけで、なくなってしまったわけではない。考えなくてはいけない。答えを出さなくてはいけない。自分はこれからどうするべきなのか。どうすれば、いいのか。

「其方は好きか」

 突然、なにを言うのかと思った。そもそも、自分に問いかけているのかどうかも不明だった。女王の視線を追って、初めて何のことを言っているのかを理解した。

 裏庭の一角。ひっそりと咲く真紅の花。

 なぜそんなことを聞くのか。女王がいったい何を言おうとしているのか、小太郎にはまったく真意がつかめなかった。

 よくわからないままに、だけど質問にだけは、正直に答える。

「……花のことはわかりません。だけど、」


 ──今日のような日は、そうであったらな、とは思います。


「好きになれるような、気はします」

「……そうか」

 どこか疲れたように呟いて、女王は足元の真紅の花へと視線を落とす。

「妾は、だめかもしれん」

 やはり一瞬、どういうことなのかわからなかった。頭の中を猛回転させて、

「女王が、植えたんですよね……?」

 母親が、好きだったから。

「そうだ」

 女王は即答する。

「好きだった」

 こころなしか語尾を強めながら、女王はかがみこんだ。

 足元の、一輪のほうせんかの花に手を伸ばす。

「が、今となってはもう、わからない。──見よ」

 広げた翼のように見える花弁に触れた女王の指に、べっとりと付着する、紅。

「触れたものすべてを紅く染める。正直、つらい」

 それはそのまま、今の自分に重なってしまう。ぽつりと、女王はもらす。

 女王がいったいなにを言おうとしているのか、小太郎にも、なんとなくわかったような気がした。警告しているのだ。このまま傍にいれば、小太郎もまた、この指のようになると。

 だけど、

「爪紅って、言うらしいです。別名」

 女王が顔を上げる。どこか、怪訝そうな表情、

「うろ覚えですけど。聞いたこと、あります。その爪の色が、季節が終わるまで残っていたら、叶うって言われてるらしいです。願いが」

 うまく言えなかった。うまくは言えなかったけれど、伝わっただろうか。わかってもらえただろうか。しばらく女王はなにかを計るようにこちらを見上げていたけれど、やがて、手元の花へと視線を戻した。

 ぽつりと、

「……ディーもいつか、そんなことを言っていた」

 それはあまりにか細く、小さな声だったので、危うく聞き漏らしてしまうところだった。

「が、これは違う。どうがんばったってかつての空の下のようには咲かない。光が足りない。水が足りない。なにもかもが足りない。とっとと研究は打ち切ったのに、わかっているくせに、あやつめ、嫌がらせのように品種改良まで始めおって」

 あやつは前からそうだ──無表情なメイドを思い出して、女王は立ち上がる。

 どこか急かされるように言葉を紡ぐ。

「いつだってそうなのだ。しなくてもよいことまででしゃばりおる。横風が吹く日だって、妾は別に怖うないと言っておるのに。いつまでも部屋の電気をつけおって。わざわざココアまで準備して。妾がココアに目がないことを知っておるから。たわけ者が……っ! こわくなどない。ディーなどいなくてもひとりで眠れるのに。ディーなどいなくても、ディーなど……っ」

 小太郎は歩み寄ろうとして、迷って。だけど結局静かに、そばに立つ。女王の顔は決して見ずに、今はもういない彼女に教えてもらった花へと視線を落とす。

「……女王が、それでいいなら、別に、俺にはなにも言えないですけど」

「なにがだ……っ」

 ただただ花だけを見下ろしながら、小太郎は答える。

「だって、泣いてる」

 ひくっ、と、女王の息を呑む声が聞こえた。

「素直が一番だと、ディーさんも、」

 ついそう呼んでしまって、思い直す。結局最期まで、そう呼ばせてはくれなかったな、と思いながら、言い直す。

「──トゥイードゥルディーさんも、言ってました」

 一瞬の沈黙が、永遠のようだった。

 堰を切る、というのはこういうことを言うのだろう。亡骸を目の当たりにした時も、一大葬儀の時も、眉ひとつ動かさなかった女王が、びっくりするくらい大粒の涙をぼたぼた真紅の花の上に降らしていた。今まで溜め込んでいたものを一気に解き放つように、大声を張り上げて、女王が号泣していた。

 予想だにしなかった。よもやここまで取り乱すとは思わなかった。慌てて顔を上げた瞬間、胸元に衝撃。見せてたまるかとばかりに胸元に女王の額が押しつけられていた。頭突きもかくやという勢いだった。

「えと、その、女王……?」

 返ってくるのは嗚咽のみ。どうすればいいかわからない。自分は、ここにいてもいいんだろうか。

「俺、その、席、外した方が、」

 鼻水と涙でずたぼろになりながら、女王が叫ぶ。

「もう遅いわ、たわけ!」

「すみません」

 我ながら朴念仁な対応だと思う。

「いろ。ここに。命令だ」

「いや、でも、」

「……てくれ」

「はい?」

 胸元を、痛いくらいに握りしめられる、

「……いてくれ、頼む」

「……はい」

 胸元に顔を埋めて泣きじゃくる女王は、いつだって毅然と硬質な視線を向けていた姿とは似ても似つかなくて。どう接していいかわからなくなる。誰かの胸で泣きじゃくったことはあっても、逆の立場になったことはついぞなかったから。

 こんな時でぼちんは、いつも泣き止むまでずっと自分の手を握りしめてくれていた。泣きつかれた自分を、膝枕で寝かしつけてくれた。

 ──そんなこと、女王にしてしまった日には殴られるだけじゃすまないだろうけれど。

 結局膝枕どころか手に触れることもできず、それからどれだけの時間そうしていただろう。

 胸元に感じていた熱が、女王の息遣いだけになる。鼻をすする音が徐々にひいていき、小さな両肩から張り詰めていた力が抜けていくように思えた。その肩に、今さらながら触れようとして、だけどやっぱり勇気が出なかった。

 あの日から、ずっと言いたくて言えなかった言葉を、告げた。

「……すみませんでした」

 未だ涙で傷だらけの声で、女王がもごもご問う。

「なぜ謝る」

 すぐには答えられなかった。脳裏によぎっていたのは、硝煙と血と、鉄のにおいの充満したあの日の塔。女王の部屋。

 あの時自分は、なにもできなかった。

 できることは、目の前にあったのに。あの時あの引き金を引いていたら、今とは違う結末があったかもしれないのに。なのに、結局なにもできなかった。なにもしなかった。

 結果が、これだ。

「痴れ者め」

 ずばびーと、胸元で音がする。

「其方のせいではない」

 ぐじぐじと豪快に胸元で鼻を拭きながら、女王は告白する。

「もとはといえば、妾の蒔いた種なのだ」

「……女王の、蒔いた種?」

 自分と姫とは、異父姉妹だったのだと、女王は言う。

 表向き立憲君主制を敷くこの国は、元首として代々女性がその地位に就く習わしだった。

 女王はもともと分家の末席であり、直系はむしろ姫の方だった。人望に厚く、体術に優れ、〝魔法〟に精通した彼女こそ、次代の象牙の塔の君臨者だと誰もが信じて疑わなかった。

 が、塔の最上階へと昇り詰めたのは、結局女王の方だった。

 姫の家系、その血族を、女王自らが陥れ、失脚させたからだった。

 我慢ならなかったのだと、女王は言う。

 突如現れた敵に青かった空を奪われてより数十年。先細りの未来がそこにあるにも関わらず、姫の家系──先代の女王はなにもしようとはしなかったから。

 交渉するでもない、交戦するでもない、新天地を求め旅立つでもない。あらゆるすべてを放棄し、ただただ訪れる運命に身を任せる。それが先代の女王の決定事項だったからだ。

 それは緩やかな自殺だと、女王は思った。だから殺した。自らが国の頂点に立ち、自らが正しいと信じることを成すために、邪魔なものはすべて排除した。

 自分がいたから、姫はずっとひとりだった。

 ──言い訳はしない。

 言い切って、女王はその話を締めくくった。それ以上、本当になにも言おうとはしなかった。

 ──なんなのだろう、小太郎は思う。

 なんなのだろう、この、胸糞悪い連鎖は。

 人が人を殺すのは、孤独を駆逐するためなのだと、あの時姫は言った。

 それは決してひとに限った話ではなく、生きとし生けるものすべてに課せられた業なのだと。それは確かに、正しいのかもしれない。世界とは結局、そういうふうにできているのかもしれない。だけど、だったらどうして、こんなに、頭にこびりつく。

 あの日の血と鉄と硝煙の中、聞いた叫びが離れない。


 ──撃て!


 自分を正しいと思い込まなければ一歩も進めないと、あがき続ける声じゃなかったのか、あれは。

 目の前でうなだれる、小さな小さな女王の肩を見下ろす。

 だったらこのひとの目指す空は、いったいなんだと言うのだろう。数限りない敵を排除し、血のつながった肉親さえその手にかけて、どうしてそこまでして、なのにこのひとは、こんなにひとりぼっちなんだろう。

 いつかの、白騎士の言葉が思い出される。


 ──この世に、人を殺してもいい理由などひとつもない。


「望みを言え」

 またもやぶからぼうに、女王が言う。

「おそらくはもう、充分な猶予を与えることもできんだろう。早ければ早いほどいい。望みを言え、ウィザード」

 頭ひとつ下から睨め上げる瞳は、この話を聞いてもまだお前はここに留まるつもりかと、問い詰めているように思えた。

 お前と自分とは、所詮違う世界の人間なのだと、断じられているような気がした。

 くやしかった。

 だから、

「ひざまくら」

「……なんだと?」

「ひざまくら、してほしいです」

 その時の女王の顔ほど見物はなかった。

「そ、其方はっ、妾の話を聞いておったのかっ? 妾は、これからどうするのかをだなっ」

「だめですか」

「……っ」

 絶対に殴られると思った。だけど女王はなにか叫ぼうとして、だけど言葉が出なくて、あぐあぐ口ごもると、次の瞬間にはかまいたちでも発生するのではないかという勢いで踵を返すやいなや、どすんと音を立ててベンチに腰を下ろした。ばむばむばむと無言で膝を叩く女王の顔は、耳からおでこから服のそれ以上に真っ赤に染まっていて。

 まさかそうくるとは思っていなかった。かかってくるならいつでもこいとでも言いたげな様がおかしくて、とうとう吹き出してしまっていた。

「すみません、冗談です」

 今度こそ殴られた。

 思いきし腰の入った見事なまでのショートアッパーだった。

「そっ、其方はっ! いったいなにがしたいのだっ! っのっ、たわ……っ、たわけっ!」

 真っ赤になって拳を振り上げる小さな女王を見上げながら、なにが違うのかと、小太郎は思う。

 友の死を悼み、ずたぼろに涙を流し、些細なことで真っ赤になって狼狽する。一国の主として民を背負い、ただひたすらに敵と相対する瞳しか知らなかったけれど、どこが違うのかと思う。特別でもなんでもない、目の前の少女は、小太郎たちとどこも違わない、どこにだっている──

「もう、やめてください」

「やめぬわっ!」

「違います。戦うのはもう、やめてください」

 振り上げた拳が、ぴたりと止まる。まっすぐに女王を見つめて、小太郎は言う。

「それが俺の、願いです」

 女王がゆっくりと腕を下ろす。小太郎の視線を正面から受け止めて、

「やめてどうする」

 言う女王はもう、いつもの瞳に戻っていた。

「其方も彼奴らと同じか。このまま、緩やかに死ねと申すか」

 小太郎は答えられなかった。答える術を、もたなかった。

 ゆっくり、静かに。それでいて容赦なく、女王がこちらに背を向ける。

「すまぬが、聞けぬ」

 ──ちくしょう。

「聞けぬ願いだ」



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