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第1章 フルセンスMMORPG

 最近、雑音が激しい。

 いや、それは厳密に言うと語弊がある。耳だけでなく、五感のすべてを蹂躙するそれは、不可思議なノイズ。

 振り返ったそこにあるのは、暗く沈んだ街。

 黒と白さえあれば目に届くあらゆる風景を写実し尽くせるそれはガラクタにまみれた街だ。

 鼻をつくすえたにおいは機械油が腐ったもので、らちもないと思いながらそむけた視線の先に、空は見えない。

 抜けるような青と雲のかわりに鎮座するのは、すでに打ち捨てられた上部階層から突き出たいくつもの尖塔。第九階層のどこにいてもすぐ頭上にある無数のそれは、隙あらばすぐにでもこちらを刺し貫かんと待ち構えているようにも見える。

 視界が揺らぐ。ノイズが走る。まさかとうとうあの尖塔が、建造以来の目的を果たさんとしているわけでもあるまい。それは違う。違うと思うが、そう思わせるほどにひどいノイズが小太郎の五感を蹂躙していた。尖塔が波打つ。遠近感が暴走する。今にも頭上に落ちてくるように思える。足場がなくなる。不愉快な浮遊感。傾いた視界の端、暗く塗り固められた街には不釣合いな、目の覚めるような白、エプロンドレス、


 アリスの影、


「どうした、コタロー」

 我に帰る。いや、帰ろうとして、ひどく苦労した。ノイズを抽出、解析して除去、空いたセグメントに──ええい、面倒だ。自作のフィルタをぶちこんで、とにかく必要最低限の信号だけを拾う。過保護なセキュリティがこれでもかとエラーを吐くが無視だ。片っ端からキャンセルして、

「くそ、うっとおしい」

「例のアレか?」

「アレってなんだよ。ってか、なにごともなかったようにチャットすんな。遅刻だろ二十分」

 毒づきながら振り返り、ようやく現れた相棒のその姿に、思わず絶句する。予想してなかったといえば嘘になる。まさかメインキャラでくるわけはないと思ったし、このセカンドも低スペックというわけでもないし。ただ問題は、その装備だ。念のためステータスウィンドウで確認する。

 あぶないみずぎ。

「うは。やる気ねえ」

「当たり前だ。今のレベルでクリアできるわけねんだし。せめて目の保養だ、目の保養」

「自分の身体見て楽しいかよ」

「楽しいですがなにか」

 愚問だった。そもそもこいつはこのゲームのキャラデザ目当てで始めたんだっけ。ちょっと前に社会現象にもなったアニメのデザイナーが女性キャラを担当したらしく、野郎でも女性キャラを自キャラにする者が多い。いや、こいつが男かどうだかはリアルで会ったことないんでわかんないんだけど。

「なんならお前にもやろうか。びきにたいぷととっぷれすたいぷとあるけど」

「いらねえ。どうでもいいけどさ、さっきからなんでテキストモード?」

 水着のおねえさんは、まったくの無表情でスケッチブックを突きつけてくる。

「壊れちゃったんだよ(´・ω・)」

「縦書きだからなんだかわかんねーな、顔文字」

「いや、横書きで読み込めよ!(^^)/~~~」

「顔文字、間違ってるからな」

「慣れてねえんだからしょうがねえだろ!\(^o^)/」

 なんだかきわどい水着着たおねーさんが無表情に問い詰めてくるサマはよく考えなくても非常にシュールだ。ようは音声モジュールと表情モジュールがバグってんのか。

「ったく、貴重なアイテム枠潰してなにやってんだか」

「アイテムあろうがなかろうが一緒だよ。言ってっだろ、クリアなんてできねんだって」

 やぶへびだったか。

「ここまで来といて今さらぐだぐだ言うなよ。とっとと行くぞ」

「ほんとに行くのか?」

「行くさ」

 目の前にそびえるのは、塔。

 作者はエンデにかぶれていたらしく、名前はアイボリーなのだという。なのに色は血のような赤だった。鉄と油と機械でできたこの町を、睥睨するように屹立するそれは赤の女王の居城であり、この物語のラストを飾る場所だ。


『グズな国じゃの! ここではだね、同じ場所にとどまるだけで、もう必死で走らなきゃいけないんだよ。そしてどっかよそに行くつもりなら、せめてその倍の速さで走らないとね!』


 それがこのゲームのタイトルだ。

 無論、こんな常軌を逸したタイトル誰も口にすることはなく、ゲーム雑誌でも概ね『赤の女王』と呼称されるのが常である。

 舞台はとある地下世界。赤の女王の強いる圧政を、レジスタンスとなって撥ね退けることを目的とするロールプレイングゲームだ。それだけなら今の時代掃いて捨てる場所に困るくらい存在する。

 このゲームが他と一線を画すのは、従来の視覚、聴覚だけでなく、五感すべてに仮想現実を投影できるという一点に尽きた。

 フルセンスMMO。

 公開された当初は正直あまり振るわなかった。

 シナリオの実装の遅れ、バグフィックスの甘さはもちろん、なにせプレイするためには給料二か月分の全身タイツを着込まなければいけなかったからだ。夏は暑いし冬寒い。それ以前に客観的に見て非常にアレなのがなかなかユーザー数を確保できなかった第一の要因だった。

 が、それも二年前、バージョン2が公開されてより一変する。全シナリオの実装、フルセンスのレスポンスの改善、なによりフルフェイス型のインターフェイスが登場したことにより、一年前にはついにユーザー数一万を突破し、巨大コミュニティを形成するに至っていた。

「けどさ、いったいなんでまたそんな先を急いでんだよ」

 マターリいけばいいじゃん、と相棒は言う。聞こえないふりをして、チャンネルは開かない。

 こいつの言うことにも一理ある。フルセンスのインターフェイスを利用した自由度はプレイヤー次第で実質無限大だ。実際赤の女王やモブそっちのけで仮想現実としての日常を楽しむ者が大半であり、レベルが足りなくなるくらい先を急ぐ自分は確かに異端なのだろう、とは思う。

 が、きっとこいつは、わかって言ってる。

「そんなに似てんのか、女王って。その──〝でぼちん〟に」

 うっかり口をすべらしてしまったのが運の尽きだ。

「彼女ってあれだろ、バージョン2の功労者って言われてる、『赤の女王』の〝女王〟」

 若干十六歳でナガモリ・ネットワーク入り。わずか二年であの悪名高き全身タイツをフルフェイスにまとめ上げ、さらに中学生のお小遣い三ヶ月分にまでコストダウンしてのけた神童。ほんとか嘘かは知らないが、オリジナルのプログラム言語さえ開発したとかなんとか。

 MMOだけでなく、この業界に従事する者で彼女の名を知らないものはいない。

「俺だって、実際見たわけじゃねえよ」

 なにせ赤の女王はこのゲームのラスボスだ。おいそれと規制解除されるものではない。

「彼女をモデルにデザインされた、って話を聞いただけだよ」

「ソースは確かなんか?」

「……まあな」

 なにせでぼちん本人から聞いたのだから。開発スタッフにしてやられた、と、きれいなおでこにいつもより深い皺を刻んで何度も愚痴っていた。

「ふーん」

 スケッチブックにわざわざそう書く水着のおねーさんはもちろん無表情だが、その向こうでヤツがどういう顔をしているのかは手に取るようにわかった。それがまたくやしかった。

 でぼちんをモデルにした、赤の女王。

 確かに気になる。気にはなるけれど、それだけが理由ではないと、小太郎は思う。

「俺も彼女の写真なら公式で見たけど……まあ、なんつうか、もの好きだよな、お前も」

 その『……』になにが含まれているかは想像はつくけれど。

 ていうかあれは写真のチョイスも悪いんだよ、と思わず言いかけて、立ち止まる。

「どした?」

 手で制して、周囲を見渡す。目の前には見上げても足りない巨大な門がある。深紅の塔にふさわしい血の色の門。可視領域に姿はない。なにも聞こえない。だが、

「においだ」

「へ?」

 どこかでかいだにおい。

「なんだっけ、これ」

「いや、俺、鼻も壊れてっから」

「……なんのためのフルセンスなんだよ」

 まあいい。

「チャンネル閉じるぞ。どんどこヘイト値上がってるっぽい。主にそのみずぎのせいで」

「ヘイト値て、エンカウントもしてないのになんで、」

 皆まで言わせず、むき出しの肩を抱いて、門柱の影に隠れた。

 においが強くなる。そっと柱から顔を出して、ようやくそれが、なんのにおいかを思い出した。

「かまぼこだ」

 見上げたそこにいたのは、サメだった。

 鉄色の空をゆったりと泳ぐ、三体のサメ。

 慌てて柱に隠れる。

 なぜサメ。鏡だか不思議だか知らないが、まがりなりにもアリスを下敷きにしているなら他にいろいろあるだろうと思う。赤の女王の居城が象牙の塔だったり、いまいち統一感がない。でぼちんはほんと、うまくやっていけてるんだろうか──

 ついついまたでぼちんのことを考えてしまいそうになって、小太郎は気を取り直す。今はそんなことをしている場合じゃない。

 幸い、三体のサメはまだこちらに気づいてはいないらしい。小太郎は、改めて頭上を仰ぐ。

 あきらかに遠近感がおかしかった。塔の中腹あたりを悠々と回遊しているはずなのに、どうして視界いっぱいに白いどてっぱらが大映しになっているのか。すばやく視線を左上へ。その動きを感知して、でこの左上あたりにウインドウが展開する。視線ジェスチャー──ナガモリ・ネットワークが開発した画期的なインターフェイスではあるのだが、誤動作も多いため利用する者はそんなに多くない。

「しっかし……」

 なんだこのでたらめなかまぼこヤロウは。

 ウインドウに表示されたステータス画面を見やりながら、小太郎は呆れ果てる。レベルがまず尋常じゃない。敏捷性、攻撃力、防御力に関してはいちいち読み上げるのもばからしい。この「特技:甘噛み」っつーのはいったいどういう冗談だ。ふざけやがって。

「だから言ったろ、ここを突破するにはまずレグメントサーバ行かなきゃいかんのだって」

 そんなことはわかってる。憮然としながら、無表情に突きつけてくるスケッチブックを眺める。なにはなくとも、まずはルータのるーちゃんにアクセスする必要があるのだ。ちょっと攻略情報がないと気づきにくいとこではあるけれど、有名な話だ。だけど、

「かったりぃ」

「へ?」

「かったりぃって言ったんだ」

 ジェスチャで今度はアイテム枠を召喚。おもむろに取り出すのは、一振りの剣だった。それ自体は、なんの変哲もない細身の刃。

「おい、まさか」

 そのまさかだ。答えるが早いか、小太郎は手にした剣を振りかぶると、躊躇など知らないとばかりに自らのどてっぱらへと振り下ろしていた。

 さくっと小気味よい音を立てて刃は腹を貫通、背中を軽々と突き破って、ようやく止まった。

 痛みよりもなによりも、爆ぜる熱量に圧倒された。口内に広がる鉄の味を奥歯でかみ殺して、こみ上げる血の塊を必死で呑み下した。

 いつものことながら、この瞬間だけはどうしても慣れない。まったく、よくできていると思う。

 視界の片隅、血で欠けたウインドウに浮かび上がったそのコマンドを、すかさず視線ジェスチャでかっさらった。

 小太郎が〝それ〟を見つけたのは今から一年前。くさいコードだった。明らかになにかあると感じて潜り込んで、予想以上のものにぶち当たった。両親の仕事ではないと思う。でぼちんの仕事でももちろんない。嫌がらせのように入り組んだ構文の階層はまるで子供の落書きのようで、すでにUIまで用意されていながらなぜかそのまま放置されているようだった。解析に一晩、実装に二日かけて、小太郎は〝それ〟を手に入れた。

 目の前のおねーさんは相変わらず無表情だが、きっと向こう側でヤツは呆れ顔でため息をついているのだろう。

「相変わらずお前って奴は、情緒ってもんがわかってないよな」

 ともすれば途切れそうになる意識の中、小太郎は答える。

「……そこに近道があれば、誰だってそっち通るだろ」

「お前の場合はコースぶっ飛ばしてゴールの方を無理矢理引き寄せてるだけじゃねえか」

 それがなにが悪いのか。毒づこうにも、もう言葉にならなかった。とりあえずもっと離れろ。手で示す。もうすぐ始まっちまう。巻き込まれル前ニ、ハナレロ。

「そんなにまでして会いたいかよ」

 スケッチブックの文字が、もうほとんど判別できない。

「ほんと、もの好きだよ、お前は」

 好き勝手言ってくれる──細切れの意識の中、小太郎は思う。

 けど、こいつは知らない。でぼちんは、ほんとはすごいのだということを。眼鏡を取って前髪を上げると──もう一度言おうここ大事なとこだから──眼鏡を取って前髪上げておでこ全開にすると、腰抜かすほどとびきり美人なのだということを。あと、ものすごくいいにおいがする。絶対に教えてやらないけれど。

 でもまあ確かに、もの好きだとは、自分でも思う。


 ──ひとごろしのくせに。


 あの時なぜ、でぼちんがそんなふうに言ったのか。

 それを知ったのは今から六年前。引き取られた先の孤児院で、でぼちんに再会したその時だった。

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