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第11章 白騎士Ⅰ

 エレベータを降りたそこは、この世界の最下層だった。

 周囲は非常灯さえない真の闇かと思いきや、一歩一歩、歩を進める度に眼が慣れてくる、ということは、どこかにわずかな光源があるのかもしれない。

 鼻をつくのは鉄と錆のにおい。それだけはどこにいても変わらないのだな、と思い始めたその時、一際明るい光を前方に見つけた。

 すぐそばを、絹糸のような女王の金髪が揺れた。差し出されたのは、彼女の小さな手。

「これを渡しておく」

 眼を凝らして見る。小さなふたつの物体。なんだろう、耳栓?

「其方は、銀杏並木を歩いたことは?」

 またも唐突な質問だった。

「いや、あんまありませんけど」

「茶碗蒸しは好きか」

「ちゃわんむし?」

 金髪碧眼の女王の口から聞くとひどく違和感を覚える。この世界にもあるのか茶碗蒸し。

 そもそもいったいなんのための質問なのか、説明することなく女王はただ前方を見据える。

「とりあえず、鼻をおさえておけ」

「花?」

 そうこうしているうちに、目の前には巨大な門が聳え立っていた。

 さっきから輝いていたのは、その上に備えつけられていた卵型の門灯か。門の向こう側は中途半端な灯りのせいか、完全に闇に沈んでしまってなにも窺い知ることができない。

「ここで待て。一歩も動くな。呼吸もするな」

「そんな無茶な」

「ほんの数秒だ。耳栓をしろ」

 切って捨てて、女王はひとり門へと歩み寄る。

 門柱にかかっているのは──あれ、なんていうんだろうな──輪っかをくわえこんだ、ブロンズの獣の顔。

 神妙な顔つきで、女王が輪っかに手をかける。ふたつ、ノックする。

 途端、まず音楽が聞こえてきた。

 スウェーデンの偉大な作曲家、スメタナ作による『わが祖国』の第二曲。俗に『モルダウ』と呼ばれる小太郎でも知っている超有名なクラシックだった。

 なぜモルダウ。いったいどこにスピーカーがあるのか、いや、それ以前に俺、今耳栓してるよな? それさえ疑いたくなるような大音声が耳朶をつんざいていた。耳栓がなかったらいったい鼓膜がどうなっていたか想像したくもなかった。

「じょ、女王、これって、」

「手を放すな!」

 と女王が叫んだと知ったのはもっとずっと後のことだ。耳栓が仇となった。その時つんざいていたのは耳だけではなく、嗅覚もまた攻撃対象になっていたことに気づいていなかったのだ。

「な、んだっ」

 形容しがたいにおいだった。鼻がひんまがる、とはこのことを言うのだろう。

 さっきの女王の質問の意味がわかった。銀杏のにおいか、これ──思わず咽て咳き込みそうになったその時、それらは起こった。いっぺんのことが同時に発動した。

 まず最初に──それが最初だと気づいたのはもっと後だったけれど──頭上から直径二メートルはあるトゲトゲの鉄球が小太郎めがけて落下してきた。

 右手からは無数の矢が放たれ、左手からはレーザー光線が闇を切り取り、背後からはなにやら得体の知れない嬌声が聞こえてきて、他にも光やら爆発やら周囲を賑わしていたけれど、小太郎が把握できたのはそこまでだった。

 古今東西、ありとあらゆるトラップの雨霰、五感すべてを標的とした攻撃の数々だったのだけれど、そのことごとくが鼻先をかすめ、袖口をなめ、小太郎と女王だけを避けて自爆した。

 鼻先にある、ぞっとするほどばかでかい鉄球のトゲトゲをしげしげと見やりながら、小太郎は息を呑む。女王が一歩たりともそこを動くなと言った意味がわかったような気がした。

 いったいなにが起きたのか。

 見上げる空には、鴉の大群。狂ったように降り注ぐ呪符の紙ふぶきを頭に引っかぶりながら、小太郎はただ呆然と立ち尽くす。

 さっきのモルダウ以上の大音声が闇をつんざいたのは、眼前を横切る黒猫を、女王が平然ととっ捕まえたその瞬間だった。

「合言葉を言え!」

 抱きかかえた黒猫の毛並みを楽しみながら、女王が澱みなく答える。

「〝ハンプティ・ダンプティが塀の上、〟」

 が、声は否定する。

「それは二日前の合言葉だ!」

 ぴたりと、女王の毛並みを楽しむ手が止まる。

「〝セイウチと大工は歩いて〟」

「それは昨日!」

「〝わが息子よ、ジャバウォックに用心あれ、〟」

「それは二十秒前!」

「あ」

 小太郎は気づく。女王のおでこに、見事なまでの、ぶっとい血管。

 臨界は、すぐにきた。

「いいかげんにせぬか白騎士! 妾はこんな最下層くんだりまで詩をうたいにきたのではない! 十秒だ! 十数えるうちに門を開けぬとウィザードをけしかける!」

 え、俺?

「一!」

「いやいや、あの、女王?」

「二!」

「ちょっと、ちょっと落ち着いて、」

「十!」

「って、えええええー!」

「やれウィザード!」

 いや、やれってなにをどうやって。

「あいや待たれい!」

 どん! と書き文字でも躍りそうな勢いで聞こえたその声は、門のすぐ向こうからだった。

 思わず小太郎はあんぐりと口を開ける。

 でかい。とにかくでかい。

 身長三メートルはあるんじゃないかと思えるそいつは、顔を含め、全身を真っ白な甲冑に固めた規格外の巨漢だった。

 門柱のさらに上の闇に浮かぶ純白の兜が、いったいいつ、どこから現れたのか。闇の向こうから忽然と現れたとしか思えない早業だった。

 ──ずっと、そこに潜んでいたのでないとするならば、ではあるけれども。

「急かさずともこの白騎士! 逃げも隠れもせぬ! 騎士たる者、挑まれた決闘には応えねばならぬゆえしかし! だがしかし! しかしだ最後まで聞け! 無益な殺生は愚の骨頂! それはウィザード! 貴殿も想いは同じであろう! いや同じなはずだ同じと言うがいい!」

「いや、それはまあ、」

「同じであるな?!」

 なんだこいつ、頭に浮かんだでっかい疑問符を、女王の一喝が吹き飛ばす。

「なんでもよいわ! 妾をいったいいつまで待たせるつもりかとっとと門を開けよこのたわけが!」

 小太郎はその時、確かに分厚い甲冑の向こうから、「ひっ」というか細い声を聞いた気がした。

「よ、よよよかろう。今開けよう、すぐ開けよう、開ければよいのであるな?!」

 半ば逆ギレしながら、白騎士が一歩踏み出した瞬間だった。

 白い巨漢が、ぐらりと傾いだ。

 あぶない、と思った時には手遅れだった。

「お、おい!」

 地響き立ててひっくり返った白騎士へと、鉄格子ごしに駆け寄る。

 兜をおもいきりぶつけてしまったのだろう、門の格子が無残なまでにひしゃげてしまっていた。

「むぐぐ……」

「だ、大丈夫か?」

「も、問題ない」

 かろうじて返事が返る。

「いや、けど、」

 門がひしゃげるくらいぶっつけといて、問題ないわけがないような気がするけれど、

「ぶ、」

「ぶ……?」

「武士は喰わねど、高楊枝!」

 ずどん! と書き文字が自己主張しそうな勢いで高らかに宣言する。

「いや、あんた武士じゃないしな」

 思わずツッコんでしまったその時。

 転んだ勢いだったのだろう、さっきまで闇に浮かんでいた白銀の兜が、ずるりとずれた。

 かつんと、思いがけず軽い音をたてて落ちた兜の向こうにあったのは、想像していたようないかついおっさんではなく。

 まず目に飛び込んできたのは、うなじだった。

 息を呑むほど白いうなじが、なんだかよくわからない機械の中に埋もれていた。

 白い甲冑の中はなにかのコクピットのようで、機械に埋もれて、座席がひとつあって、そこに座っているそのひとは──

 ひどく苦労してこちらを見上げてきたそのひとと目が合った。びっくりするくらいの、美人さんだった。

 見惚れた。でぼちん以外で、こんなに心奪われたのは正直初めてだった。

 なにか声をかけないと、そう思う間もなく、

 彼女の瞳が、くしゃりと歪んだ。

「……ふぇ」

「……笛?」

「ふぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

 泣いた。わけがわからない。

 女王のおでこに浮かんだ血管もさっきの三倍増しだ。いったいどうすればいいんだ。

 朗々と響く白騎士の泣き声を止める術もなく、小太郎はひとり、途方に暮れるのだった。



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