一生に一度
最近落葉の眠りは浅い。
カーンカーンという音が聞こえ始め、眠りに陥ろうとする意識を浮遊させる。
根性を入れて眠っても必ず悪夢ばかりを見て、何とも疲れて落ち着かない。
こんなときは抱き枕。
自分の屋敷にはない睡眠導入兵器を腕に抱くため、ベッドから立ち上がると服を着替える。
今どれ位世が更けたのか確認しようと何気なくカーテンを捲り、そこで目にしたものに硬直した。
何気なく見下ろした庭の端。
一階からは死角になるだろう場所に、その生き物はひっそりといた。
いや実際二階に居たとしてもなまじの相手では発見できなかっただろう。
何しろその生き物の周りには結界が張られており、だからこそ落葉も今日まで気付かなかったのだろう。
一度目にしてしまえば恐ろしさから視線がはがせず、ごくり、と唾を飲む音が静かな部屋に響く。
ここ最近の自分の不眠を想い、強く強く瞼を閉じた。
そして徐に目をかっぴらくと、窓を思い切り開け放つ。
ばしぃん!と夜空に高らかな音を響かせて開けた窓に足を掛け、落葉は思い切り絶叫した。
「人んちの敷地で何してやがんだ、この畜生がぁぁあ!!」
心からの疑問を雄叫ぶと、ゆらり、と人影が動いた。
月明かりに照らされた顔は、まさしく良く知る男のもので、しかしながらその顔の生気のなさに青褪める。
怜悧な美貌を誇り、いついかなる時も、どんな苦難の場でも表情一つ崩さないはずの幼馴染、鬼畜なんて言葉が裸足で逃げ出す極悪っぷりの荷葉の、酷くやつれた姿がそこにあった。
いつもきっちりとセットされている僅かに肩を越す綺麗な髪はザンバラに乱れ、髪が唇に掛かっている。
モノクルは置き忘れたのか珍しく素顔を曝け出し、その分直接目に入る血走った瞳が恐ろしい。
唇はかさかさに乾き、顔に血管が浮いている。
衣服も執事服ではなく、東の国の着物と呼ばれる民族衣装であった。
華美なものではないが、元の素材がいいだけに藍染の着流しがよく似合う。
落葉も似たようなデザインのものを持っているが、並んで立ちたくないと思えるほどの美青年ぷりだ。
だが落葉が彼を指差したまま固まった理由はそんなものではない。
別に目の前の男が死のうがどうしようが一切構わないが、彼の行動は見逃せなかった。
「お前ぇ!!何してんだよ!カンカンカンカンうるせぇと思ったらお前の仕業かよ、コンチクショウ!近所で夜通し大工仕事してるのかと思ったわ!」
薄暗い闇の中から瞳をギンギンに見開いてこちらを見ている男は、怪しからん物体を握り締めていた。
よくよく観察すると、彼が向かう木にも怪しからん物体が縫い付けられている。
それを確認すると、落葉は益々頭に血が上った。
「何、人の屋敷で呪いの儀式してんだよ!!?何当たり前の顔で藁人形持ってんだよ!?俺だろ!?俺を殺そうと丑の刻参りしてんだろ!!」
「呪う?私が?どうして私が貴方を呪うんですか。これは恋の成就のお呪いです」
「どんなだよ!?蝋燭頭に巻きつけて藁人形と五寸釘持ってする恋のお呪いってどんなだよ!?」
「私の恋が成就するようにライバルに消えてもらいます」
「ふざけんなっ!!どう考えても呪いの儀式じゃねぇか!俺を殺す気か!?」
「本来『呪い』と『呪い』は同じ字を書きます。悪意を持てば呪いとなり祈りを捧げれば呪いとなる。私のは純然なる祈りです。落葉死ね」
「おいぃぃ!!最後本音出てたぞ!悪意満載じゃねぇか!何がお呪いだ!お前の人生悪意しか感じねぇ!恋のお呪いなんて可愛さ欠片もねぇ!!」
「・・・恋と言うのは悪魔をも愚かに変えてしまうのです。ああ、お嬢さま。私の心を締め上げるように束縛する貴女のなんと罪なことか」
「罪に塗れてるのはお前ぇ!そして俺がお前の心臓締め上げてぇよ!綺麗に纏めようとするな!」
落葉は気付いてしまった。
全く気付きたくなかったが気付いてしまった。
最近の寝苦しさはこの悪魔の所業であると。
何が理由か知らないが、原因だけはハッキリしている。
どうせこの男が阿呆になるなど、伽羅関連以外に考えられない。
伽羅に何か言われた荷葉がいつもどおりに落葉を逆恨みしての行動だろう。
仕事も忙しいくせに毎度よくやるとある意味頭が下がる思いだが、もう本当にやめて欲しい。
おかげで落葉がここ一週間まともに寝れていないし、仕事の効率も下がっている。
姿消しの結界のおかげで音しか聞こえなかったが、あの『カーン、カーン』と響く独特の音は睡眠には宜しくない。
幸い手順が間違っているのか、それとも単なる嫌がらせなのか体に異変は覚えていない。
彼の怨嗟をぶつけられながら五体満足で居られる幸運を感謝すべきなのだろうが、ちっとも感謝したくない。
むしろ荷葉死ねと心から願っている。
しかしそんな鬱々とした落葉の気持ちを読み取ってくれる優しさなど荷葉が持ち合わせているわけがなく、今までの遣り取りを一切無視して唐突に木槌を構えた。
そして五寸釘に狙いを定めると、目にも留まらぬ早業で繰り出す。
「一番、荷葉。お嬢さまへの愛を叫びます」
「やめろよ!」
「お嬢さま、ラブ!碧の瞳は、海と森、あわせたよりもなお麗しく、金の髪は葦原よりも、黄金に輝き麗しく!」
「ちょ、何歌の合いの手のように五寸釘打ってんだ?センスの欠片もない歌詞の合間にカカカカカカカーンって、何だよそれ!?」
「白い肌は、滑らかに!眇めた眼差し絶対零度!焦がれた手を伸ばしたならば、恋の雷で手が焦げる!」
「拒否られてんだろ!?お前、それ絶対に拒否られてんだろ!?それ比喩じゃなく焦げてるだろう、絶対!そして五寸釘のリズム変えんな!カ・カカ・カン・カカーン・・・て地味に哀愁漂ってんぞ!?いらっと来るんだよ!」
「お嫁に欲しいと言った日に、『お断りよ』と蔑まれ。片手で捧げた婚約指輪、婚姻届と燃やされたぁ!」
「当たり前ぇえ!相手はまだ子供だぞ!?婚姻届って何だよ!?俺だってこんな変質者から求婚されたら婚約届けなんて燃やすわ!てか、もう釘抜けよ!!木が倒れそうになってる!摩擦熱で五寸釘から火が出そうになってる!」
叫んだもののとき遅し。
五寸釘は一瞬で発火し、倒れかけた木から火の手が上がる。
闇を照らす煌々とした明かりに唖然とし、慌てて力を使って消火した。
「何してくれてんだ、お前!あの木は東の国からやっとの思いで手に入れた奴だったんだぞ!」
「知っています。貴方が大切にしていると聞いて態々選んだんですから」
「何だよ、お前!どうしてそんな嫌がらせばっかするんだよ!?嬢ちゃんに振られたのは俺の所為じゃねぇだろ!!」
「いいえ、貴方の所為です。求婚した私にお嬢さまは仰りました。『私、お養父様と結婚する』と」
「まぁ、あの嬢ちゃんなら言うだろうな。いいじゃねぇか子供らしくて。父親を慕うってのは可愛いもんだ」
「ですから私は言いました。『親子と言うのは結婚は出来ません』と。何故結婚できぬのか結婚の仕組み、男女の営み、親子の絆、その他諸々」
「その他諸々って何だよ!?お前のことだから碌なこと教えてねぇだろ!?・・・子供の可愛らしい夢くらい許容してやれよ。本気で心狭いな、お前は」
「そうして私の説得に納得して下さったお嬢さまは、『お養父様との結婚は諦める』と、言って下さったのです」
「嬢ちゃん、可哀想に・・・」
「大きな瞳を伏せて瞳を揺らすお嬢さまは大層愛らしかったのに、その次のお言葉は信じられないものでした」
「聞きたくねぇけど、何つったんだよ?」
「『お養父様が駄目なら、落葉と結婚する』」
「・・・・・・」
思わず黙り込んでしまった。
だが荷葉が態々人の屋敷まで来て毎晩呪いの儀式を行う理由はよく判った。
お嬢さま命と謳う彼のこと、そんなことを言われたら相手の男を抹殺しに行こうとするだろう。
伽羅が一心に慕う白檀ならともかく、別の男であれば荷葉が赦すはずがない。
理由は理解したし、精神的な面で荷葉がぼろぼろなのも判った。
万全を期す性格の彼が手順を間違えるほど動揺しているのも、壊れたように会話がまともに出来ないのもよく判った。
冗談じゃなく生命の危機に瀕しているのも理解したが───どうすればいいのだろう、咬んでも殺しても口が笑ってしまう。
今この男の前でこんな緩んだ表情を見せるのは自殺行為に他ならないのに、それでも込み上げる喜びに顔が自然とにやけてしまう。
伽羅は子供だ。けれど、自分にとっては大層な愛し子だ。
白檀や荷葉が彼女を可愛がるように、落葉だって可愛がっている。
可愛くて可愛くて可愛くて、食べちゃいたいくらいに可愛い。
そんな目に入れても痛くない可愛がり方をしている子供が、『お嫁さんになる』なんて、どうしようもなく擽ったくて仕方ない。
全世界の敵とばかりに睨みつけて来る荷葉が居なければ、顔を両手で押さえて絨毯の上を悶え転がっていただろう。
認めたくないが、顔も赤くなっている気がする。
どんな女を前にしてもこんなに動揺したことはない。
意味もきちんと理解していない子供の戯言でしかないのに。
どうすればいいだろう。
何とも照れくさくて、こっぱずかしくて仕方ない。
口を掌で覆い、何とも甘酸っぱい気持ちで俯く。
すると黙り込んだ落葉を訝しく思ったのか、こちらを注視していた荷葉が行動を起こす。
手にしていた木槌を振りかぶると───遠慮の欠片もない速度でぶん投げてきた。
「ぎゃぁぁああああぁ!!?」
落葉の顔すれすれを飛んでいった木槌は、壁に穴を開けるどころか、壁それそのものを穴へと変換した。
自分の部屋に空いた新たな出入り口に、落葉は唖然と口を開ける。
鬼神はそこに降臨していた。
魚のようにぱくぱくと口を動かすものの、言葉が口から出てこない。
先ほどまでのむず痒い感情は一気に失せ、空恐ろしいほどの殺気に身を焼かれた。
目で見えるほどに怒りのオーラを纏った荷葉は、戦場に居た頃より冴え冴えとした力を体に纏わせる。
魔法も武道も得意な荷葉の戦闘スタイル。
力を身に纏いフルボッコの近接戦の構えに落葉は戦慄した。
未だ嘗て彼のあのスタイルで敵対した相手が無事で済んだためしはない。
普段は無表情の癖に、その瞬間だけは怜悧な薄い笑みを浮かべて敵をぶん殴るのだ。
地面を抉りながら徐々に近寄る荷葉は、歌手のように響きのいい甘い声を出した。
「今から私、貴方に一生しようと思わなかったことを致します」
「・・・・・・」
「ねぇ、落葉。言葉どおり、一生に一度のお願いです。私のために、死んでください」
絶対に嫌だ!!
心からの訴えは、悪魔らしく嗜虐性の高い笑みを浮かべる相手には届かない。
結局決死の思いで弟分に出したヘルプコールが間に合い落葉は一命を取り留めたが、彼の屋敷はもれなく崩壊の一途を辿った。
荷葉を止めるために連れて来られた伽羅は、その光景に珍しく目を丸くして、ただ一言こうの堪った。
「荷葉、最低」
たった一言で最悪な鬼神を地獄へ叩き落せる子供を、落葉は心から尊敬する。