過保護な執事と養女と幼馴染
梅香の幼馴染は国でも類を見ない美しい容貌をしている。
ハニーゴールドの豊かに波打つ柔らかな髪に、空の青に森の緑を足したような不思議な碧の瞳。
肌は白く滑らかで肌理細かく、触れれば吸い付くような不思議な感触をしていた。
その色彩は、梅香たちが住む世界では異色であり異端である。
それ故に忌み嫌う存在もあるが、同時に己を破滅させてでも欲しがる存在もあった。
嫌うにせよ好くにせよ共通するのは、その存在感に否応なしに惹きつけられる部分だろうか。
文字通りの傾国の佳人。
自身の美しさをこれ以上ないくらい理解している幼馴染は───本当に厄介なことに、その美しさに執着を持っていなかった。
「───伽羅」
血塗れで帰ってきた幼馴染に、梅香はじとりと眉を寄せる。
今日は彼女の養父が出掛けると言っていたので見張りにきたのだが、どうやら時遅かったらしい。
綺麗な顔にこそ傷はないが、代わりに着ているドレスはぼろぼろで体中に裂傷が走っていた。
小さく、触れれば折れんとばかりに華奢な体型をしているせいか、いたいけな美少女がぼろぼろになっている姿は相当に痛々しい。
傷の数や深さを見ても痛みを感じているだろうに、一切表情を動かさない伽羅は痛覚がないのではないかと疑いたくなる。
だが以前寮生活を共にしていた時に指を切って眉を顰めていたのだから、持っているのだろう。
百二十歳で学院を卒業したのでまだ十年ほどしか経ってないのに、もう酷く懐かしく感じる。
最終学年まで同じクラスで隣の部屋だった腐れ縁は元気にしているだろうか。
傷だらけの伽羅を前に逃避してしまうのは、おそらくもうすぐ来るであろう嵐を知っているからだ。
繊細なレースが幾重にも重なる可愛らしいドレス。裾の先は幅広になっており、そこには羽ばたく蝶が形を変えて縫われていた。
髪にはお揃いの黒のリボンを巻いており、同じように蝶が飛んでいる。
黙っていれば職人が作った端整な人形のような麗しさを持つ伽羅にそれはとても似合ったが、これだけぼろぼろになっていればもう二度と着られないだろう。
もっともこのドレスの贈り主はそれを見越して布製ではなく己の力を使っていたから金銭的には損はない。
だが間もなく駆けつけるであろうその人を思い浮かべ、梅香は気が重くなった。
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
広さで言えば人が軽く三十人は住めるだろう広さを持った白檀の屋敷に絶叫が響く。
振り返ればいつの間に存在していたのか、執事服姿の長身の男が頬に手を当てこの世のものとは思えない顔をしていた。
梅香より軽く二千五百歳以上は年上の男は、普段の冷静な雰囲気をかなぐり捨てて伽羅に向かって突進をかける。
その途中で強かに突き飛ばされた梅香は床に叩きつけられ、すれすれで受身を取ったものの痛みに顔を歪めた。
「お嬢さまぁぁぁあ!!一体、どうなされたのですか!?誰にやられたのですか!?天使の襲来ですか!?世界の滅亡ですか!?ヤンキーに絡まれましたか!?階段から落ちたのですかぁぁあ!?」
「・・・荷葉さん、後半になるにつれて危険度が下がってます。ていうか、そんなに血だらけになる器用な転げ方見たことありません。百段落ちですか?百段落ちをしたとでも言うんですか?」
「五月蝿いですよ、小童!お黙りなさい!お嬢さまの、私のお嬢さまの御身に傷がぁあ。おのれ賊め。その存在をのさばらせておくものか。私の持てる力全てを持って破滅させてくれましょう。骨どころか魂の欠片すら飲み干し地獄巡りを経験させてやりましょうとも」
「やめてください荷葉さん。貴方はそれが本当に出来てしまうでしょう。強大な力を使えば白檀様や伽羅にも火の粉が降りかかります」
「私がそんなヘマをするものですか。闇から闇へ事実は葬り去られます。私の大事な大事な目に入れても痛くないお嬢さまを傷物にした存在など消滅するがいい」
モノクルの奥から光る紺色の瞳に背筋が震える。
普段は落ち着いていて理性的な執事だが、その力の強さは国でも有数と言われているのだ。
やろうと思えば出来てしまう底知れなさが彼にはあった。
怒りで背景が揺らぐほどの負のオーラを撒き散らす過保護な執事に冷や汗を流すと、それまで黙っていた伽羅が漸く口を開いた。
「・・・荷葉」
「はい、なんですかお嬢さま」
「私は特訓をしに行ったのよ。傷くらいこさえるわ」
「ですがお嬢さま。今のお嬢さまは同年代の輩に比べれば十分にお強いはずです。そのお嬢さまがどうしてそんなに血塗れなのですか」
「国の外に出たわ。そこで魔獣を相手にしていたのだけれど、通りがかりの天使に戦いを挑まれたの」
「天使!?・・・お嬢さま、天使に会う場所は限られております。どちらまで足を伸ばしたのですか」
「普通に国の外にある森よ。いつもより深く入ったけれど、奥までは行ってないわ。相手がこちらに入り込んでいたの。年齢は私と同じくらいだったかしら」
「それでお嬢さまが傷をこさえて帰ってらしたんですか?」
「ええ」
こくり、と頷いた伽羅に微笑んで見せると、次の瞬間に荷葉の表情は一変した。
「んだと、こんちくしょう!絶対許せねぇ!私の可愛いお嬢さまを傷物にしやがって・・・殺す。いや、殺すだけでは足りませんね。奴隷にしましょう。そうしましょう。あ、剥製の方がいいですか?」
「そんなもの要らないわ。それに、お養父様が仰られたようにきちんと三倍返しにしてきたわ。倒れて動けなくなったから放置してきたの。運が良くなければ今頃魔獣の餌よ」
「そうですか。ならその亡き骸を拾ってまいりましょう。家畜の餌にすればいい料理の素材が出来そうです」
「そんな気色悪いもの食べたくないわ。力をつけるために森に行ったのだから、むしろ丁度良かったの」
「・・・お嬢さま」
「私はお養父様のために強くなりたいわ。私を拾ってくれたお養父様に恩返しをしたいの。いつかお養父様に使ってもらいたいの」
「っ・・・なんて健気なのでしょう、お嬢さま」
どこからともなくハンカチを取り出した執事は、悪魔なら流せないはずの涙をどうやってか搾り出し、膨大な水滴を流しながら鼻をかんだ。
黙っていれば怜悧な美貌が台無しだ。
いつもか綺麗に結われている肩を越す深い藍色の髪も乱れていた。
その光景に慣れたとはいえ若干引きながら、それでも白檀から彼が居ない間の伽羅の相手も任されているので去ることも出来ない。
非常に面倒な事態だった。
「それに貴方の力で作ったドレスが防御の役目を担ってくれたわ。ありがとう」
「いえ、お嬢さま。それでも滑らかな肌に傷を作ってしまいました。駄作です。罰を与えてください」
「私のために力を緩めてくれたんでしょう?これ以上の強さなら、私は受け取らなかったもの。正直、今日は助かったの。でも次はもう力が弱いものにして。私の特訓にならないわ」
「・・・お嬢さま」
「そんな顔をしても無駄よ」
「───・・・はい」
碧の瞳に射抜かれ、暫し無言の抵抗をした荷葉は結局敗北した。
「ですがお嬢さま判ってください。私はただお嬢さまが可愛くて可愛くて愛しくて可愛くて愛してるんです」
「最終的に愛を叫んでるだけじゃないか」
「次は神すら倒せる魔法剣に致しますので、どうかお使いくださいね」
「しかも結局何も判ってないじゃないか」
思わず突っ込めば力が練り込まれたナイフが首筋をかすって壁に刺さった。
石で出来ているはずの壁は、まるで溶けかけのバターのようにそれを受け入れている。
ごくり、と喉を鳴らすと、こちらすら見ないでそれを放った過保護な男は伽羅の手をしっかと握っていた。
「荷葉」
「はい、お嬢さま」
「私の邪魔をするなら、荷葉も嫌いになるわ」
今まで表情一つ変えなかったくせに、極上の、それこそ蕩けるような愛らしい笑顔を浮かべた伽羅は、残酷そのものの言葉を男に投げつけた。
彼女の笑顔に見惚れとろんとした表情をしていた荷葉は、言葉の意味を理解すると同時に意識を失いばたりと倒れる。
クリティカルヒットを喰らったらしい彼から距離を置きすり足で幼馴染に近づくと、ため息を吐きながら小さな掌を掴む。
荷葉が意識を保っていたら腕ごと捥ぎ取られそうだが、運良く彼は本当に気を失っていた。
だがそれも仕方ないだろう。
見惚れるほど、呼吸すら忘れてしまうほど麗しく愛くるしい顔で、『嫌い』と言われればダメージが高いに違いない。
普段白檀の前以外ではほとんど笑顔を見せない伽羅のレアな表情なのに、心は粉塵爆発だろう。
笑顔の余波で顔の熱が引かないのを自覚しつつ、視線を逸らしながら梅香は口を開いた。
「傷」
「・・・」
「僕が手当てをしてやろう。その服も着替える必要がある。白檀様が新しくご用意くださった衣装があるから、それにしろ」
「お養父様が?」
「ああ。僕が預かっている。───それを着たら大人しく僕と勉強だ」
「・・・っ、ええ」
ちらり、と視線を戻せば、先ほどの笑顔の万倍は輝きを放つ嬉しそうな顔で、伽羅は目を細めて微笑んでいた。
ぐらりと揺れる視界を気力で押さえながら、飛びそうになる意識を根性で引き寄せる。
頭の中で新しく発見された魔法陣の展開論理を繰り返し唱えながら、真っ赤な顔をしてその場を後にした。
点々と残る鼻血の痕には、着替えを終えた伽羅が指摘するまで気付けなく、男のプライドが酷く傷つけられ、放置している間二人きりだったと知った荷葉に、武道の訓練と称して肉体的にも酷く傷つけられた。
本気で厄介と思いつつ続く幼馴染との関係に、梅香は深々と息を零した。