第37話 秘密の待ち合わせ
「まあ、そこまで言うなら出資者扱いにしておくよ。利益の二十パーセントを渡す」
涼介は肩をすくめた。
もともとは後で斎藤さんに相談し、信頼できる原画家を紹介してもらうつもりだった。
凌乃本人がそこまで引き受けるというのなら、むしろ好都合だ。
「ちっ」
金髪の少女は唇を尖らせた。
どうやら、金にはあまり興味がないらしい。
涼介はそれ以上何も言わず、少女がラフを修正していく様子を眺めた。
ペン先が紙の上を走り、線がキャラクターの輪郭を形作っていく。
どこか可愛らしさの強かった人物像が、少しずつ涼介の記憶にある姿へ近づいていった。
「そこまで自在に絵柄を変えられるなら、漫画家より原画家のほうが向いてるかもしれないな」
「どういう意味よ。私の漫画は話がつまらないって嫌味?」
高城凌乃が不満そうに言った。
「そういう意味じゃない。この分野での才能に感心しただけだよ」
涼介は首を振って否定する。
純粋に褒めたつもりだった。
自分がノートへ描いた、落書き同然の人物図から元の姿を再現してみせるのだ。
その能力には、素直に感心せずにはいられない。
「ふん」
凌乃は小さく鼻を鳴らした。
それでも、悪い気はしていないようだった。
彼女は絵を描きながら、涼介から渡された物語の設定を思い返していた。
(本当に、頭がいい人は何でもできるのね。『カードキャプターさくら』のネームを仕上げたばかりなのに……)
悔しくはある。
しかし、今回もまた涼介の物語へ引き込まれていることは認めざるを得なかった。
(伝説の英雄や信仰の対象が英霊となり、魔術師の命令を受けて聖杯戦争へ参加する)
(あらゆる願いを叶えるという聖杯を奪い合うために……)
これほど斬新な設定は、大量の作品に触れてきた凌乃でさえ見たことがない。
「そういえば、設定資料にはこのキャラクターの真名が書かれてないけど、まだ決めてないの?」
少女が描いているのは、小柄な女性だった。
青を基調とした白縁のドレスに、青い装飾が施された銀の鎧を身にまとい、華麗な剣を握っている。
「もちろん、とっくに決めてある。あえて書いていないだけだ」
涼介は答えた。
現時点で用意した初稿のシナリオと設定資料は、衛宮士郎がアーチャーとランサーの戦いを目撃し、口封じのため殺される場面までしか描いていない。
涼介の構想では、体験版はセイバー――アルトリアが姿を現したところで終わる予定だった。
もともと販売用ではない。
そこまで作れば十分だろう。
「それで、この人は歴史上の誰なの?」
凌乃は堪えきれず尋ねた。
どうしても気になるらしい。
「先に予想してみたらどうだ?」
涼介は口元を上げ、餌を投げるように言った。
「世界史はあまり得意じゃないけど、この雰囲気ならヨーロッパの英雄よね?」
凌乃はペンのキャップをくわえ、眉を寄せる。
「戦士、鎧……もしかして、フランスの国民的英雄、ジャンヌ・ダルク?」
彼女なりに最も可能性が高いと考えた答えだった。
しかし、涼介は首を横に振る。
「ある意味では近いけど、残念ながら違う」
「もう、もったいぶらないでよ!」
凌乃は苛立ったように声を上げた。
曖昧な言い方をされればされるほど、知りたくなってしまう。
「まあ、そこまで気になるなら教えるよ。セイバーの真名を」
涼介は小さく笑った。
「彼女はブリテン伝説の王だ。後世の物語では、騎士王とも呼ばれている」
「……」
高城凌乃は一瞬、固まった。
世界史の成績はあまりよくないが、その名くらいは聞いたことがある。
同じ題材を扱った漫画やイラストも少なくない。
「騎士王ってことは……」
少女は目を見開いた。
「まさか、アーサー王?」
涼介は頷いた。
「でも、歴史上のアーサー王は男でしょう……?」
凌乃は手元のラフへ視線を落とした。
鎧をまとい、凛々しい雰囲気を持っているとはいえ、そもそも性別が違っている。
「面白いだろ?」
涼介は笑った。
「お前と同じように、プレイヤーもこのヒロインの正体を予想する」
「そして真名が明かされた瞬間、大きな衝撃を受けるはずだ」
「あんた、本当に常識外れね……」
高城凌乃は思わずそう評し、ペンを握る手へ力を込めた。
「でも、確かに面白い」
涼介の頭の中を覗いてみたい衝動に駆られる。
いったいどんな思考をしていれば、こんな物語を思いつけるのだろう。
「修正を続けよう。デザインが固まったら、俺にはほかにもやることがある」
「文章と原画だけでは足りない。音楽も用意したほうがいいかもしれないからな」
それから高城凌乃は、涼介の指示に従い、ほかのキャラクターのデザインも整えていった。
時間は、気づかないうちに過ぎていった。
◇
翌朝。
涼介が眠りから目を覚ましたときには、すでに午前十時になっていた。
昨夜は二人とも遅くまで作業を続け、休んだのは午前二時を過ぎてからだった。
スタジオには凌乃が用意していた寝袋があり、床へ直接寝る事態だけは避けられた。
涼介が寝袋から這い出し、顔を上げる。
高城凌乃はすでに作業机へ座り、つけペンを走らせていた。
紙の上から、さらさらと小気味よい音が響いている。
涼介が起きた気配に気づき、少女は顔を向けると眉をひそめた。
「あんた、本当によく寝るわね。もうこんな時間よ」
「まあ、ご苦労さま」
涼介は簡単に顔を洗い、作業机の横から進み具合を確認した。
昨日のうちにキャラクターデザインはほぼ固まっている。
ここから先は清書へ移るため、涼介がずっと隣で見ている必要はなかった。
空腹を訴えるように腹が鳴る。
思い返せば、昨夜は簡単なファストフードを食べたきり、何も口にしていない。
(こいつも腹が減ってるだろうな)
懸命に作画を続ける凌乃を見ながら、涼介は考えた。
「何か買ってくるよ」
「カツ丼が食べたい……」
「朝からそんな重いものを食べるのか?」
「私の勝手でしょう!」
「分かった。買ってくる」
◇
涼介はスタジオを出て、マンションの外へ向かった。
コンビニなら建物の一階にある。
しかし、カツ丼となると、近くのファストフード店まで足を運ぶ必要があった。
「一番近いのは松屋か?」
今の日本では、手頃な飲食チェーンが各地へ急速に広がっている。
千葉県では松屋の店舗が多く、東京における吉野家と同じように、定食や丼物を中心に扱っていた。
栄町の近くにも一店舗ある。
往復すれば、三十分ほどかかるだろう。
涼介は携帯電話を取り出した。
念のため、上の階にいる妹へ苦手なものや細かな希望がないか確認しようとしたのだ。
しかし画面には、未読メッセージが一件表示されていた。
「ん?」
涼介は眉を上げる。
送信者欄には、見覚えのない番号が表示されていた。
『お兄様、明日はお時間がありますか? 少しご相談したいことがあります』
涼介は数秒、画面を見つめた。
この話し方には覚えがある。
自分をこう呼ぶ人物は、おそらく凌乃の友人――あの愛らしい顔立ちをした後輩しかいない。
(急に俺へ連絡してくるなんて、何の用だ?)
妹のこと以外に、彼女との接点はほとんどないはずだった。
『すみません。昨日は気づきませんでした。何かありましたか?』
返信を送り、携帯電話をポケットへ戻そうとした直後。
ほとんど間を置かず、再びメッセージが届いた。
『その……直接お会いして、お話ししたいのですが、よろしいでしょうか?』
涼介は少し考えた。
今のところ、凌乃へ食事を届ける以外、午後に大きな予定はない。
そのまま了承することにした。
『時間と場所は?』
『午後二時に、千葉駅近くの喫茶店「森の屋」でお願いします。それと、お会いすることは凌乃には内緒にしていただけませんか?』
『分かりました』
涼介は了承した。
そこまで言うのなら、妹に関する相談なのだろう。
一度会って話を聞く程度なら問題ない。
「そういえば、凌乃が言ってたな」
「モデルのアルバイトをしていて、よくスカウトにも声をかけられるって」
もしかすると、音楽関係に詳しい人物とのつながりも持っているかもしれない。
そんなことを考えながら、涼介は最寄りの松屋へ向かって歩き始めた。




