校歌
その甲子園常連校の校歌には、ほかのどこの学校にもない、最後の一節があった。
中学最後の夏、僕の投げる球は、地区でいちばん速かった。それでも僕は、高校では野球を諦めるつもりでいた。両親がいなかったからだ。引き取ってくれた親戚の家に、これ以上、負担をかけたくなかった。道具代、遠征費用、お弁当作り。叔父さんと叔母さんは「気にするな」と言うけど、高校でも野球を続けようとは思えなかった。
そんな僕を、その甲子園常連校のスカウトが、拾ってくれた。学費も、寮も、食事も、すべて学校が持つという。破格の待遇だった。もう一度、野球を続けられる。それだけで、涙が出るほど、ありがたかった。親戚も応援してくれた。頑張っておいでって。
その地域では、町じゅうが、野球で回っていた。商店街には必勝の幟がはためき、すれ違う老人までが、僕の名前を知っていた。歓迎されすぎだな、とは思った。けれど、悪い気はしなかった。
野球漬けの三年間だった。ただ白球だけを追える日々。監督のつきっきりの指導。栄養士がつくる食事。休みの日まで球を受けてくれる仲間。夏にはアイス、冬には豚汁を差し入れてくれる地元の人たち。町の何もかもが、僕ひとりの肩に注ぎ込まれた。一度は諦めかけた才能が、水を得たように伸びていく。二年の秋には、僕はエースになっていた。
夏が近づくと、練習のあとに全員で校歌を歌わされた。荘厳な、古い旋律だ。だが最後にひとつ、歌詞にはない一節を、みなが声をそろえて歌う。意味の取れない、古い言葉だった。「あれ、なんですか」と訊いても、監督は笑うだけだった。「勝てば、分かるよ」。
部室の壁には、歴代エースの写真が、ずらりと並んでいた。数えて、僕は少しだけ、ぞっとした。いくら名門でも、多すぎる。そして、そのどれにも、小さな菊の花が添えてあった。みんな、若くして亡くなっていた。その数は、尋常ではなかった。
そして最後の夏、僕らは勝ち進み、ついに、甲子園の決勝のマウンドに立った。
試合開始のサイレンが、青い空に、長く尾を引いた。
僕は投げ続けた。肩は、とうに感覚がなかった。一球ごとに、焼けた鉄を通されるようだった。もう限界だ。僕はベンチを見て、交代を、と口を開きかけた。
その瞬間、アルプススタンドが、いっせいに校歌を歌いはじめた。
何万もの声が、僕の名を呼んでいた。歌が、僕の背を押し戻した。腕を下ろすことを、誰ひとり、許してくれなかった。アウトを取るたびに、歓声はさらに高くなり、僕はまた、投げるしかなかった。
最終回。最後の一球を投げ切った瞬間、勝利のサイレンが、高らかに鳴り響いた。
そして、球場じゅうが、あの最後の一節を歌いはじめた。あの、意味の取れない古い言葉を。今なら、分かる。あれは、校歌などではなかった。
奉納の、祝詞だった。
マウンドに膝をついた僕の上で、歌声が、最高潮に達する。かすむ目に、ベンチから駆けてくる仲間の姿が見えた。けれど、誰も、僕を助け起こしはしなかった。みんな、笑っていた。監督も、町の人たちも、うれし涙を浮かべて、笑っていた。
僕は、ようやく理解した。この学校が、僕を拾い、破格の待遇で迎え入れた、その理由を。強い肩が欲しかっただけではない。強くて、なおかつ——親もなく、いなくなっても、誰ひとり探しに来ない子を。そういう子を、よそから一人だけ連れてきて、三年かけて磨き上げ、最後の夏に、使い切るためだったのだ。勝利をこの町に捧げさせ、そして、あの部室の壁に、菊の花を添えて、飾るために。
来年もまた、どこかで、身寄りのない才能が、破格の待遇で、この町に拾われる。僕の写真の、すぐ隣に、飾られるために。




