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不器用でやさしい短編集

ずるい後輩と、ほろ苦アイスコーヒー

作者: 白千菓 たえ
掲載日:2026/05/28


 氷がカランとコーヒーの中に滑っていく。

 窓の外の夕陽が氷の影を伸ばし、コーヒーの表面を淡い赤色に染めた。


 隣に座る後輩の筒見悠は、新作の甘いケーキのようなドリンクを飲んでいる。

 

 「生メロンっていうか、お菓子のメロンの味だな……」

 美味しくないと顔に書いてある彼は、人懐っこく話しかけてくる大学の知り合いの知り合いだ。


 彼はいつも一方的な話が多く、どこか掴めない人だった。そんな彼と、小さなソファに腰かけぴったりと並んで座っている。


 

 彼の顔を盗み見ると、不意に目が合った。

 

 彼は待ってましたとばかりに、佐々木美祢の赤くなった目を期待に満ちた瞳で見つめた。

 彼女は彼から逃げるように視線を逸らし、窓の外で散歩している犬を目で追いかけていた。



「なんで別れたの」

 

 堪えきれずに言った彼は、ドリンクの最後の一口を思いっきり吸った。

 感情が溢れないように、彼女は眉間に力をこめる。

 

「なんで、君にそんなこと言わないといけないの」

「俺が知りたいから」


 なんとも身勝手な言葉だった。知りたければすべて答えが返ってくると思っているのだろうか。

 

 

 大学のラウンジで、友達の真里と話しているときだった。彼はかっさらうように美祢の手を引いて走り出した。

 彼の速い足についていくのがやっとで、抗うこともできずについてきてしまったのだ。


 やっと手を離された時には、大学近くの喫茶店に連れ込まれていた。


 

 真里への報告も、この男のせいで完全にタイミングを逃した。

 グラスについた雫が、テーブルに小さな円を描いている。


 「あの男のどこがよかったんすか?」


 美祢は、わざとらしくため息を吐いた。

 プライベートな話を、今はこの生意気な後輩に話す気にはなれなかった。


 付き合っていた吉田君の良いところはあげてもきりがない。

 脳裏でやさしく微笑む彼を思い出し、美祢はコーヒーの汗を手でなぞった。



「優しいところ?かっこいいところ?」

「……あなたのしつこさは、尊敬できるわね」

「やった」


 皮肉も通用しない。美祢はうんざりした。

 

「……すべて」


 ガラスで冷えた指先は、力なくテーブルに落ちた。

 美祢はすべて好きだったと言うわりには、声も落ち着いていて、もう執着していないように聞こえた。

 

 気づいてるのに、悠はあからさまに不機嫌になった。



「あの男のどこがいいんすか?あんな男……」


 悠は吉田の部活の後輩だ。美祢よりも悠のほうが、吉田とは仲がいいはず。

 それなのに、悠はあからさまな敵意を向けていた。


 悠はストローを噛んだまま、吐き捨てるように言った。

「一途じゃないくせに」


 

 吉田君のすべて好きだった。

 みんなに平等なやさしさも、友達の真里を見つめる瞳も。

 それに気づいて、嬉しそうにはにかむ真里の瞳も。


 美祢の胸の奥が、じくりと痛んだ。

 

 

 美祢はおどろいて隣を見た。ソファは狭く、思ったよりも近いところに悠の熱があった。



「……俺の方が、美祢先輩のこと詳しいのに」

 悠の手が、美祢のコーヒーをなぞっていた手と重なりあう。


「俺の方が、先輩のこと見てるのに」


 悠の指先が、美祢の手をなぞるように撫でた。

 

 美祢は息を忘れたように彼のごつごつとした手を見つめていた。

 彼の節くれだった指先が美祢の袖口まで滑っていき、やわくひっかいた。


 美祢は顔を真っ赤にした。



「え……うわ!」

 彼は慌てて手を離し、口が滑ったことに内心焦っていた。

 美祢はもう何も発することができず、固まっていた。

 しまった、怒られる。悠は身構えたが、「あ、あれ……先輩?」彼女はぴくりとも動かない。

 

 

 美祢は恥ずかしかったからか、張り詰めていた気が緩んだからなのか。彼女の目から、大きな涙がぽろぽろと落ちた。


「……えっ、えっ?!」

 

 さすがの悠も慌てはじめて、鞄の中を探り、周りを見渡す。

 店内の端にいたおかげで、他の客からの視線は浴びなかった。

 

「ご、ごめん美祢先輩……調子乗った」

 悠は顔を覗き込むようにして、自分の鞄からハンカチを差し出した。

 彼がハンカチを持ってるとは思わず、美祢は密かに感心した。


 

「……あなたが、私のことなんてわかるはずない」

 涙を拭ったハンカチを両手でしわくちゃに握った。

 彼女の指先は渦巻く感情で震えている。

 

「自分でも、わからないのに……」

 耐えきれずに涙がさらに溢れてきた。

 その瞳は怯え、踏み込まれないように精いっぱいの抵抗を示していた。


 

「……たしかに、俺は美祢先輩のことわかんないけど」

 悠は、ハンカチの乾いた部分で、美祢の大きな瞳から落ちる雫をそっと拭った。

 

 「でも、知りたいって思うよ」

 彼のまっすぐな瞳は、なんて生意気でずるいのだろうと美祢は思った。

 

 美祢は、吉田君の本当の気持ちを知りたくなかった。

 まっすぐに受け止めようとしている悠が眩しく見えた。

 

 

「……なんで吉田先輩、あげちゃったの?」

 

 最初から悠は知っていた。

 吉田は彼女と別れ、真里と今にでも付き合いそうなことを。


 彼の瞳はまっすぐで彼女を気遣っていた。

 彼の態度に美祢は観念した。

 

 

「……辛かった、から……」

 蚊の鳴くように小さな声だった。


 他の女の子を映す彼を見てるのが、辛かった。それ以上に真里の悲しむ姿を見たくなかった。彼よりも真里が大切で、取捨選択した自分に嫌気がさした。

 言葉にして認めてしまうと、心が納得したように落ち着きはじめ、反対に涙がまた溢れ始めた。



 悠はその涙を優しく拭う。

 

「先輩ばっか我慢してんの、なんかやだ」

 それは、彼の飾らない本音だった。

 

「先輩のことわかんなくても、俺ちゃんと聞くから」

 悠のぽかぽかした指先が、美祢の頬を一瞬だけ撫でた。


 「俺、一緒に先輩のこと考えるよ」

 普段とは違う落ち着いた声だった。真剣に美祢のことを想っているのが伝わってくる。

 彼の真っ直ぐな瞳を信じてみたいと初めて思った。

 

 

 悠は一度深く息を吸って、声をわずかに震わせながら、他の人に聞こえないように囁いた。

 

 「……だから。俺と付き合いませんか」

 

 顔を真っ赤にさせた彼のかすれた声も、こんな時にかぎって敬語になるのも、なんてずるい男だと美祢は思った。

 

 固まる美祢を見て「(告白の流れじゃなかったかも……)」と悠は1人でわずかに後悔した。


 

「……今は、無理」

 彼のハンカチに顔をうずめて赤い耳を隠すようにして、首を振った。

 心の中で騒がしい真里や吉田が、落ち着いてからだ。

 

「じゃあ、明日」

「明日も無理」


「じゃあ、明後日」

 美祢は我慢できずに噴き出した。彼は安堵したように目尻を下げた。


「ねえ、いつならいいすか?」

「……いつかね」


 それは、遠からずきっと、もうすぐ。

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