ずるい後輩と、ほろ苦アイスコーヒー
氷がカランとコーヒーの中に滑っていく。
窓の外の夕陽が氷の影を伸ばし、コーヒーの表面を淡い赤色に染めた。
隣に座る後輩の筒見悠は、新作の甘いケーキのようなドリンクを飲んでいる。
「生メロンっていうか、お菓子のメロンの味だな……」
美味しくないと顔に書いてある彼は、人懐っこく話しかけてくる大学の知り合いの知り合いだ。
彼はいつも一方的な話が多く、どこか掴めない人だった。そんな彼と、小さなソファに腰かけぴったりと並んで座っている。
彼の顔を盗み見ると、不意に目が合った。
彼は待ってましたとばかりに、佐々木美祢の赤くなった目を期待に満ちた瞳で見つめた。
彼女は彼から逃げるように視線を逸らし、窓の外で散歩している犬を目で追いかけていた。
「なんで別れたの」
堪えきれずに言った彼は、ドリンクの最後の一口を思いっきり吸った。
感情が溢れないように、彼女は眉間に力をこめる。
「なんで、君にそんなこと言わないといけないの」
「俺が知りたいから」
なんとも身勝手な言葉だった。知りたければすべて答えが返ってくると思っているのだろうか。
大学のラウンジで、友達の真里と話しているときだった。彼はかっさらうように美祢の手を引いて走り出した。
彼の速い足についていくのがやっとで、抗うこともできずについてきてしまったのだ。
やっと手を離された時には、大学近くの喫茶店に連れ込まれていた。
真里への報告も、この男のせいで完全にタイミングを逃した。
グラスについた雫が、テーブルに小さな円を描いている。
「あの男のどこがよかったんすか?」
美祢は、わざとらしくため息を吐いた。
プライベートな話を、今はこの生意気な後輩に話す気にはなれなかった。
付き合っていた吉田君の良いところはあげてもきりがない。
脳裏でやさしく微笑む彼を思い出し、美祢はコーヒーの汗を手でなぞった。
「優しいところ?かっこいいところ?」
「……あなたのしつこさは、尊敬できるわね」
「やった」
皮肉も通用しない。美祢はうんざりした。
「……すべて」
ガラスで冷えた指先は、力なくテーブルに落ちた。
美祢はすべて好きだったと言うわりには、声も落ち着いていて、もう執着していないように聞こえた。
気づいてるのに、悠はあからさまに不機嫌になった。
「あの男のどこがいいんすか?あんな男……」
悠は吉田の部活の後輩だ。美祢よりも悠のほうが、吉田とは仲がいいはず。
それなのに、悠はあからさまな敵意を向けていた。
悠はストローを噛んだまま、吐き捨てるように言った。
「一途じゃないくせに」
吉田君のすべて好きだった。
みんなに平等なやさしさも、友達の真里を見つめる瞳も。
それに気づいて、嬉しそうにはにかむ真里の瞳も。
美祢の胸の奥が、じくりと痛んだ。
美祢はおどろいて隣を見た。ソファは狭く、思ったよりも近いところに悠の熱があった。
「……俺の方が、美祢先輩のこと詳しいのに」
悠の手が、美祢のコーヒーをなぞっていた手と重なりあう。
「俺の方が、先輩のこと見てるのに」
悠の指先が、美祢の手をなぞるように撫でた。
美祢は息を忘れたように彼のごつごつとした手を見つめていた。
彼の節くれだった指先が美祢の袖口まで滑っていき、やわくひっかいた。
美祢は顔を真っ赤にした。
「え……うわ!」
彼は慌てて手を離し、口が滑ったことに内心焦っていた。
美祢はもう何も発することができず、固まっていた。
しまった、怒られる。悠は身構えたが、「あ、あれ……先輩?」彼女はぴくりとも動かない。
美祢は恥ずかしかったからか、張り詰めていた気が緩んだからなのか。彼女の目から、大きな涙がぽろぽろと落ちた。
「……えっ、えっ?!」
さすがの悠も慌てはじめて、鞄の中を探り、周りを見渡す。
店内の端にいたおかげで、他の客からの視線は浴びなかった。
「ご、ごめん美祢先輩……調子乗った」
悠は顔を覗き込むようにして、自分の鞄からハンカチを差し出した。
彼がハンカチを持ってるとは思わず、美祢は密かに感心した。
「……あなたが、私のことなんてわかるはずない」
涙を拭ったハンカチを両手でしわくちゃに握った。
彼女の指先は渦巻く感情で震えている。
「自分でも、わからないのに……」
耐えきれずに涙がさらに溢れてきた。
その瞳は怯え、踏み込まれないように精いっぱいの抵抗を示していた。
「……たしかに、俺は美祢先輩のことわかんないけど」
悠は、ハンカチの乾いた部分で、美祢の大きな瞳から落ちる雫をそっと拭った。
「でも、知りたいって思うよ」
彼のまっすぐな瞳は、なんて生意気でずるいのだろうと美祢は思った。
美祢は、吉田君の本当の気持ちを知りたくなかった。
まっすぐに受け止めようとしている悠が眩しく見えた。
「……なんで吉田先輩、あげちゃったの?」
最初から悠は知っていた。
吉田は彼女と別れ、真里と今にでも付き合いそうなことを。
彼の瞳はまっすぐで彼女を気遣っていた。
彼の態度に美祢は観念した。
「……辛かった、から……」
蚊の鳴くように小さな声だった。
他の女の子を映す彼を見てるのが、辛かった。それ以上に真里の悲しむ姿を見たくなかった。彼よりも真里が大切で、取捨選択した自分に嫌気がさした。
言葉にして認めてしまうと、心が納得したように落ち着きはじめ、反対に涙がまた溢れ始めた。
悠はその涙を優しく拭う。
「先輩ばっか我慢してんの、なんかやだ」
それは、彼の飾らない本音だった。
「先輩のことわかんなくても、俺ちゃんと聞くから」
悠のぽかぽかした指先が、美祢の頬を一瞬だけ撫でた。
「俺、一緒に先輩のこと考えるよ」
普段とは違う落ち着いた声だった。真剣に美祢のことを想っているのが伝わってくる。
彼の真っ直ぐな瞳を信じてみたいと初めて思った。
悠は一度深く息を吸って、声をわずかに震わせながら、他の人に聞こえないように囁いた。
「……だから。俺と付き合いませんか」
顔を真っ赤にさせた彼のかすれた声も、こんな時にかぎって敬語になるのも、なんてずるい男だと美祢は思った。
固まる美祢を見て「(告白の流れじゃなかったかも……)」と悠は1人でわずかに後悔した。
「……今は、無理」
彼のハンカチに顔をうずめて赤い耳を隠すようにして、首を振った。
心の中で騒がしい真里や吉田が、落ち着いてからだ。
「じゃあ、明日」
「明日も無理」
「じゃあ、明後日」
美祢は我慢できずに噴き出した。彼は安堵したように目尻を下げた。
「ねえ、いつならいいすか?」
「……いつかね」
それは、遠からずきっと、もうすぐ。




