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第5話:「可哀想」で腹は膨れません。――救済した子供たちに、誇りとパンを与える方法

 グラン・レガリア王国の王都は、わずか数日で劇的な変貌を遂げていた。

 路地裏に堆積していたゴミは一掃され、石畳は磨き上げられたように輝いている。第2話でエルゼが放った「臨時ボーナス」の受給条件――『王都大清掃プロジェクト』への参加。現金という最強の動機を与えられた平民たちは、驚異的な執念で街を浄化したのである。


「……ふむ。空気の透過率が0.8パーセント改善されましたね。肺疾患による医療費の削減が期待できます」


 エルゼは事務的に呟きながら、シグリッドを伴って中央広場を視察していた。

 かつては浮浪者がたむろしていた場所には今、清潔な服を着た平民たちが集まり、活気に満ちた市場が再建されている。


「エルゼ様! これ、うちの畑で採れた一番いいリンゴです! 食べてください!」

「総裁! おかげで娘に新しい靴を買ってやれました!」


 口々に感謝を述べる民衆に対し、エルゼは足を止めることなく、手元のバインダーにペンを走らせる。


「お礼は結構です。そのリンゴは市場で売り、現金化して納税に回してください。娘さんの靴の購入費用も、地域経済の循環に寄与したと考えれば妥当な消費です。……いいですか、皆様。私はボランティアではなく、この国の『オーナー』として利益を最大化したいだけです。しっかり働いて、私を儲けさせてちょうだい」


 冷たく突き放すような物言い。だが、その言葉の裏に「働けば報われる」という確かな保証があることを、民衆は理解していた。彼らは「へい、がってんだ!」と笑い、さらに活気よく商売に精を出し始めた。


 視察を終えたエルゼが向かったのは、旧侯爵の別荘を接収して設立した『未来開発院』――通称、エルゼ孤児院である。

 そこでは、泥を落とし、清潔な制服に身を包んだテオたちが、真剣な面持ちで机に向かっていた。


「……そこまで。テオ、第14問の解を」


 教壇に立ったエルゼが指名すると、テオは迷いなく立ち上がった。


「はい。複利計算を用いた場合の最終返済額は、金貨1200枚と銀貨40枚になります。端数は切り捨てました」


「正解です。……いいですか、あなたたち。世界は不条理に満ちていますが、数字だけは嘘をつきません。計算ができるようになれば、搾取される側から管理する側へ回れます。私は、無知な奴隷が欲しいのではありません。私の隣で、私の仕事を奪うほど有能な『投資対象』が欲しいのです」


 エルゼの厳しい言葉に、子供たちは怯えるどころか、誇らしげに胸を張った。

 授業の終わりに、エルゼはさりげなくルナに目配せをする。


「ルナ。……例のものを」

「はい。本日の成績優秀者には、商会特製の『はちみつバターパン』が支給されます」


「「「わぁぁっ!!」」」


 歓声を上げる子供たち。エルゼは「静かにしなさい。糖分は脳の栄養ですから、効率的に摂取するように」と、不機嫌そうな顔を作りながらも、テオの頭を一度だけ、ぎこちなく撫でた。


 地上の光がこれほどまでに眩しく輝く一方で。

 王都の地下――湿った空気と腐敗臭が漂う下水道では、カイル元王子が絶望の淵にいた。


「はぁ……はぁ……、もう、指の感覚がない……。リリアーヌ、頼む、少しだけ代わってくれ……」


 カイルの指はヘドロでふやけ、爪の間には消えない黒ずみがこびりついている。

 だが、返ってきたのは愛の言葉ではなく、冷酷な鞭の音だった。


「ふざけないでよ! あんたがサボるせいで、今日の配給パンが半分になったのよ!? ほら、上の格子窓を見てなさいよ。あんなガキどもが、真っ白なパンを食べて笑ってるわよ!」


 カイルが見上げると、下水道の排気口の隙間から、未来開発院の子供たちが美味しそうにパンを頬張る姿が見えた。

 かつて自分が「汚いゴミ」と吐き捨て、使い潰そうとしていた子供たち。今や彼らの方が、元王子である自分よりも遥かに上の階層にいる。


「……嘘だ。こんなの、何かの間違いだ……。僕は王子だぞ! 誰か、僕をここから出してくれ! 父上! エルゼ! 冗談はもう終わりにしてくれ!」


 カイルの叫びは、下水道の壁に跳ね返り、虚しく消えていく。

 地上の活気ある喧騒が、彼にとっては最大の拷問だった。

 自分がいない方が、この国は美しく、豊かになっていく。その残酷な事実が、カイルの心をゆっくりと、だが確実に粉砕していった。


 その夜。

 総商会本部のテラスで、エルゼは月光を浴びながら一通の親書を広げていた。

 封蝋には、隣国ヴォルガ帝國の紋章。


「……隣国の第三皇子、アルベルト・ヴォルガ。随分と鼻の利くお方ね」


 親書には、レガリア王国の急激な変化を警戒しつつも、エルゼ個人への強い興味が綴られていた。

 エルゼはふっと、不敵な笑みを浮かべる。


「『倒産寸前の国を買い叩いた女に会いたい』ですって? ……いいわ。会談の席料は、金貨10万枚から。私の時間を買うのがどれほど高いか、数字で教えてあげましょう」


 エルゼは親書を閉じると、夜の王都を見下ろした。

 国内の「掃除」は終わった。

 明日からは、世界という名の市場を相手にした、より大規模な『取引』が始まる。


「……ルナ。明日の朝一番で、騎士団と魔術師団に伝達を。外交(交渉)とは、裏付けとなる『暴力(戦力)』と『財力』のプレゼンテーションです。最高のショーを見せてあげましょう」


「承知いたしました、総裁」


 エルゼの眼鏡が、月夜に冷たく、美しく輝いた。


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