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第4話:有能な「数字の天才」を見つけました。泥を洗って、ペンを持ちなさい。未来の幹部候補ですから

 王都の北側に位置する、旧貴族街の一角。

 かつて汚職塗れの侯爵が所有していた広大な地下倉庫に、エルゼ・ド・ヴァレンティーヌは足を踏み入れていた。傍らには騎士団長シグリッドと、無数の帳簿を抱えた秘書ルナが控えている。


「……酷い有様ですね。在庫管理が杜撰すぎます」


 エルゼが冷ややかに呟いた視線の先には、鉄格子に閉じ込められた数十人の子供たちがいた。彼らは、証拠隠滅のために「処分」されかけていた不法労働奴隷だ。

 怯え、泥にまみれ、ガタガタと震える子供たち。シグリッドが剣の柄を握りしめ、怒りに肩を震わせる。


「総裁、この者たちは……」

「シグリッド。怒りで血圧を上げる暇があったら、彼らの鎖をすべて切りなさい。商会の資産(子供たちの将来)を傷つけるのは、私の美学に反します」


 シグリッドの剣が閃き、重い鉄鎖が次々と断ち切られた。自由になった子供たちは、それでも動くことができない。自分たちを救ったのが、街で「冷酷な悪役令嬢」と噂されていたエルゼだったからだ。


 その時、一人の少年が、泥だらけの指で必死に地面へ何かを書き込んでいるのがエルゼの目に留まった。

 少年――テオは、横領の証拠となる複雑な数字の羅列を、暗算で整理していたのだ。


「……そこ。繰り下げを間違えていますよ。答えは4万2800ガルドです」


 エルゼが事務的に指摘すると、テオはハッとして顔を上げた。彼は震える声で、だが真っ直ぐに言い返した。


「い、いえ。昨日の利息分……0.5パーセントを加算すれば、僕の答えが正しいはずです」


 一瞬の静寂。ルナが慌てて手元の帳簿をめくり、魔法の計算機を叩く。


「……総裁。テオ君の言う通りです。私の計算よりも、彼の方が速い……!」


 エルゼの眼鏡の奥の瞳が、初めて熱を帯びた。彼女はテオの前に膝をつき、汚れも厭わずその小さな手を握った。


「合格です。テオ、あなたの脳は、あの下水道で泣いている元王子の100倍は価値があるわ。……ルナ、彼を『総裁直属・特別補佐官候補』として登録。他の子供たちも全員、旧侯爵の別荘へ移送しなさい。あそこは今日から『王立更生・復興総商会付属:未来開発院』となります」


「ま、待ってください! 僕たちをどうするつもりですか……! また、どこかへ売るんですか!?」


 不安げに叫ぶ少女に、エルゼは懐から清潔なハンカチを取り出し、彼女の頬の泥を優しく拭った。その手つきは、先ほどまでの冷徹な事務官のものとは思えないほど、穏やかだった。


「売りませんよ。そんな非効率なことはしません。……あなたたちは今日から、温かい食事を摂り、清潔なベッドで眠り、そして『勉強』をするのです。この手は、重い石を運ぶためではなく、国を動かすペンを持つために使いなさい」


「勉強……? 僕たちが、文字を書いてもいいの……?」


「ええ。私があなたたちに先行投資するのは、将来、私の仕事を楽にしてもらうためです。しっかり成長して、私をたっぷり甘やかさせてちょうだい。……いいわね?」


 エルゼの言葉に、子供たちの瞳に初めて「希望」という名の光が宿った。


 一方その頃。

 王都の地下水道では、格子窓から漏れ出す地上の光を、カイル元王子が恨めしそうに見上げていた。


「おい、カイル! 手が止まってるわよ! 早くそのヘドロをバケツに詰めなさい!」


 パシィィィン! とリリアーヌの鞭が飛ぶ。

 カイルは泥まみれの顔を歪め、近くを通る護送馬車――綺麗な服を着て、エルゼに連れられていく子供たちの姿を見て、絶叫した。


「な、なんだってんだ! あんな身分の低いガキどもが馬車に乗って、どうして王族の僕がドブをさらってるんだ! エルゼ、頭がおかしくなったのか!?」


「うるさいわね! あんたの存在価値が、あの子供たち以下のゴミだって言われてるのよ! ほら、見てなさい。あの子供たちが投げた『哀れみの視線』が、あんたの唯一の報酬よ!」


 実際には、馬車の中のテオたちは、暗い地下から聞こえる「何か醜い生き物の叫び声」に首を傾げただけだったが、カイルにとってはそれが最大の屈辱だった。


「畜生……っ! 僕は王子なんだ! いつか見てろ、エルゼ……! 君が僕の足元に跪いて許しを乞う日を……!」


「はいはい、夢を見るのは勝手だけど、手は動かしなさい。ノルマが終わらなきゃ、今日の晩御飯はドブネズミのスープよ!」


 その日の夜。

 総商会本部の執務室には、洗いたての服に着替え、見違えるほど凛々しくなったテオの姿があった。

 エルゼは彼に、一冊の分厚い算術書を手渡す。


「テオ。これは世界で一番難しい、私の特製問題集です。これを一週間で解けたら、あなたの初任給を倍にしましょう」


「……頑張ります、エルゼ様。僕、絶対にあなたの役に立ってみせます」


 テオが深々と頭を下げて去っていくのを見送り、エルゼはふっと溜息をついた。


「ルナ。……子供の笑顔というのは、数字よりも管理が難しいものですね」


「ふふ、総裁。……顔が綻んでいらっしゃいますよ」


「……気のせいです。さあ、次は旧貴族たちの資産隠しを暴く作業に戻りましょう。夜は長いわよ」


 窓の外では、王都の灯りがかつてないほど明るく輝き始めていた。

 エルゼが撒いた「希望の種」が、やがてこの国を根底から変える大樹となることを、ドブの中のカイルだけがまだ知らずにいた。


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