第17話:隣国へ「令嬢同盟」を出向。――不慣れな異国での事務的無双と、強制的な資産整理
ヴォルガ帝國の帝都、シュトラール。
かつては大陸随一の武威を誇り、鋼鉄の規律と伝統を重んじてきたこの街のメインストリートに、今、異質な「軍勢」が足を踏み入れていた。
馬車から降り立ったのは、華美なレースや宝石で着飾った「お飾り」の令嬢たちではない。エルゼ・ド・ヴァレンティーヌの直伝によるスパルタ教育を叩き込まれ、美貌を「交渉の武器」に、計算尺を「処刑の刃」に変えた特別監査チーム――通称『令嬢同盟』の面々であった。
「……あら、空気が淀んでいますわね。汚職と非効率の臭いが鼻につきますこと」
リーダー格のクロエが、総商会指定の機能的な事務用スーツの襟を正し、冷徹に言い放った。彼女たちの腰には剣ではなく、いかなる隠し財産も暴き出す魔導演算機と、国家資産を差し押さえるための公式印が鎮座している。
「おい、小娘共! ここをどこの国だと思っている! レガリアの小作人が、帝國の財務省に何の用だ!」
財務省の玄関先で立ち塞がったのは、主戦派貴族の縁者である太った官僚たちだった。彼らはアルベルト皇子とエルゼの「密約」など露知らず、旧態依然とした権威を振りかざして嘲笑う。
だが、クロエは優雅に、まるで茶会の誘いを受けるかのような所作で、一枚の全権委任状を突きつけた。
「……お黙りなさい、不採算な置物(役人)の方々。……本日午前十時をもちまして、ヴォルガ帝國財務局の全権は、我が『王立更生・復興総商会』が買収いたしました。……これより、あなた方の『無能な余生』を精算しに参りましたの」
「な、なんだと!? ふざけるな、そんな紙切れ一枚で――」
「……三秒以内に道を空けなければ、貴殿の過去三カ月の公金横領の証拠を、今この場で帝都中にバラまきますわよ? ……二、一。……賢明な判断ですわね」
クロエの放つ「数字の殺気」に圧され、官僚たちは道を開けざるを得なかった。
財務省の奥深く、埃を被った大書庫。クロエは山積みの帳簿を一瞥するなり、魔導ペンを走らせた。
「あら、この北海防衛費。……実態がありませんわね。……あ、なるほど。主戦派の侯爵様が、愛人との夜会のケータリング代に流用されたのですか。……稚拙な仕訳ですこと。……全額没収、および五〇〇パーセントの遡及課税を執行します」
ペンが紙を削る音は、もはや処刑台のギロチンが落ちる音に等しかった。あまりの爆速査定と、隠し場所を一点の曇りもなく言い当てるクロエの「眼」に、隣国の役人たちは次々と泡を吹いて倒れていった。
一方、帝都の市場広場では、ベアトリスが民衆の心を「事務的」に掌握していた。
「……帝都の皆様、お聞きなさい! 不当な関税を掲げ、皆様のパンを奪ったのは誰かしら? ……そう、あそこに並んでいる肥え太った貴族たちですわ! ……エルゼ総裁に従い、我が商会の流通網を受け入れるなら、明日のパンの価格は三割引きをお約束します!」
ベアトリスの扇動……という名の「経済的メリット提示」により、平民たちは瞬時に貴族を見限り、令嬢同盟を「救世主」として熱狂的に迎え入れた。
「マルグリット! あそこの侯爵家の狩猟地、不採算極まりないわ! 即座に『食糧増産特別区域』に指定して、レガリアの農業魔法を導入なさい!」
「……了解ですわ、ベアトリス。……一週間以内に、この荒れ地を金貨を生む穀倉地帯に変えてみせますわ」
食糧利権と民衆の支持。国家の根幹を、令嬢たちは茶会を楽しむような軽やかさで、次々と「総商会」の色に塗り替えていく。
抵抗を試みる旧勢力もいた。主戦派の筆頭である侯爵が、私兵を動かして財務省を包囲したのである。
「……小娘一人、首を刎ねれば済む話だ! やれ!」
だが、剣が抜かれるよりも早く、風を切る音が響いた。
現れたのは、エルゼから「現場監督」として貸し出された、シグリッド配下の爆速軽貨物騎士団の一部隊だった。
「……あいにくですが、侯爵。……これ、物理的に抵抗されますか?」
騎士が突きつけたのは、剣ではなく、一通の『損害賠償予定見積書』だった。
「……このまま戦闘に突入した場合、周囲の建物の損壊費用、および騎士の稼働コスト、さらには戦闘による物流停滞の機会損失分として……合計金貨五万枚を、貴殿の個人資産から即時天引き(デビット)させていただきますが。……戦いますか?」
「……っ。……ふ、ふざけるな……!」
「……賢明な判断です。……では、その剣は不燃物として回収させていただきますね」
戦う前から経済的に完敗。
隣国のエリートたちが誇っていた「武威」は、エルゼの事務的な鉄槌の前では一文の価値もないガラクタへと成り下がった。
深夜、ヴォルガ帝國の臨時総商会出張所。
クロエたちは、本国のエルゼへ魔導通信で本日の「収支報告」を行っていた。
「……以上が本日の回収資産リストです、エルゼ様。……ヴォルガ帝國の『膿』、予想以上に溜まっておりましたが、半分は切除(清算)いたしましたわ」
通信機の向こうで、エルゼは不敵な笑みを浮かべていた。
「……ご苦労様でした。……予定より二時間早い処理ですね。……給料にボーナスを上乗せしておきます。……しっかり休養して、明日には残りの半分も『現金化』しなさい」
その隣で、給仕見習いのルナが、たどたどしい手つきでお茶を淹れながら、通信から聞こえる「お姉様」たちの苛烈な活躍に、目を白黒させていた。
「……エルゼ様。……お姉様たちが、なんだか恐ろしい『魔女』のように見えます……」
「……ルナ。彼女たちは『魔女』ではありません。……世界を正しく管理するための『精密機械(監査官)』です。……あなたも早く、あのような有能な資産になりなさい」
「……は、はい! 精一杯、勉強します、エルゼ様!」
王都と帝都。二つの国を繋ぐのは、もはや血脈でも同盟でもなく、エルゼ・ド・ヴァレンティーヌが支配する「数字」という名の鎖であった。
ーーー
王宮(商会本部)の夕暮れ。
給仕見習いのルナは、エルゼから「資産のメンテナンス(休養)」を命じられ、生まれて初めて「自分のお金」を持って市場へ出ていた。
懐にあるのは、エルゼが「最低限の生活保障費」として、事務的に手渡した僅かな見習い手当。
「……エルゼ様。最近ずっと、寝る間も惜しんで隣国の計算ばかりしてるから……目が疲れてるはず」
ルナは、テレーザから「疲れ目に効く最高級のハーブ」の名前を、こっそり帳簿の隅にメモしてもらっていた。
市場を歩けば、活気に溢れる民衆の声が聞こえる。
「……総裁様のおかげで、今年の冬は凍えずに済むよ」「エルゼ様は、俺たちの本当の光だ」
自分のことのように誇らしく思いながら、ルナは薬草屋の店主に声をかけた。
「……あの、このハーブをください。……一番、効き目があるものを」
「おや、総裁様のところの小さな給仕さんかい。……よし、未来の右腕さんへの投資だ、オマケしとくよ!」
ルナは大切そうに薬草の束を抱え、夕焼けに染まる道を帰っていく。
王宮へ戻り、エルゼの執務机の片隅に、不器用な字で書いた手紙と共に薬草を置く。
『エルゼ様。……お仕事の邪魔をしてすみません。……これは、私の『投資』です。……あなたが明日も、元気でいられるための』
ルナは顔を赤らめながら、足早に部屋を去った。
深夜、その薬草の香りの中で、冷徹な女帝が、たった一人で「不採算な微笑み」を浮かべることなど、この時の彼女はまだ知る由もなかった。




