第12話:『馬』を捨て、『魔導』を駆ける。――騎士団の物流出向と、人力物流の衝撃
王立更生・復興総商会、第一馬車待機所。
そこはかつて、金色の鬣を持つ軍馬たちが優雅にいななき、騎士たちがその血統と毛並みの美しさを競い合う、貴族的な虚栄心の象徴とも言える場所だった。しかし今、そこにあるのは鉄と魔導回路が剥き出しになった無骨な装置の山と、事務服に身を包んだエルゼ・ド・ヴァレンティーヌの冷徹な声であった。
「……シグリッド執行役員。隣国連合からの魔力鉱石禁輸措置に伴い、軍馬の飼料代および厩舎の維持コストを再算出しました。……結論を申し上げます。この動物たちは、現在の我が国の経済合理性に照らし合わせれば、ただの『不採算な贅沢品』です」
エルゼがバインダーで示した赤字の羅列を見て、シグリッドの背後に控える騎士たちの顔が引き攣った。
「な、何を不遜な! 騎士にとって馬は魂! 戦場を駆けるための神聖な相棒だぞ!」
「戦場? どこにありますか、そんな不採算な場所。現在、我が国に必要なのは『戦力』という名の不良在庫ではなく、『物流』という名の流動資産です。……馬一頭が消費する穀物資源で、平民の家庭三世帯が一年間、パンに困りません。……本日正午をもちまして、軍馬全頭の即時オークション(競売)を執行します。反対する者は、その馬の食費を一生、自費(無給)で賄っていただきますが、よろしいですか?」
エルゼの事務的な宣告に、騎士たちは沈黙せざるを得なかった。エルゼの「数字」は、常に逃げ道を塞ぐ完璧な檻なのだ。
だが、騎士団長シグリッドだけは、エルゼの眼鏡の奥にある「次なる投資」の光を見抜いていた。彼女は一歩前に出ると、腰の長剣をガチリと鳴らした。
「……総裁。馬を売るのは構わない。だが、我らアイギス守護騎士団の『機動力』を奪えば、王都の治安維持と物資供給が滞る。……その代替案は用意されているのだろうな?」
「もちろんです。……テレーザ執行役員、例の『低燃費モデル』を」
眠たげな目を擦りながら、魔術師団長のテレーザが、布に包まれた「鉄の骨組み」を運び込んできた。それは、脚部と背中に装着する、驚くほど軽量化された外骨格――『試作型・魔導強化脚』であった。
「……これね、禁輸された高価な鉱石を使わずに、国内の河原で拾えるような『低純度魔石』で動くように回路を簡略化したんだよ。……装着者の脚力を五倍に引き上げ、時速六十キロでの巡航を可能にする。……馬より速くて、馬より燃費がいい。……何より、馬糞を出さないからね」
「……馬より、速いだと?」
シグリッドがその装置を手に取り、自らの脚に装着する。給仕見習いのルナが、震える手でエルゼから預かった「起動用魔石」をテレーザに手渡した。テレーザが指を鳴らして魔力を起動させた瞬間、シグリッドの体が弾かれたように前方へ飛び出した。
石畳を蹴る音は鋭く、その加速はかつての愛馬を遥かに凌駕していた。
「……素晴らしい。……止まりたい時に止まり、曲がりたい時に曲がれる。……これは『武』の革新、いや、『実務』の革命だ!」
「感心している暇はありません。シグリッド、本日より騎士団を『王立・爆速軽貨物部隊』として再編します。……重い鎧は脱ぎ捨て、総商会指定の作業用軽装鎧を着用なさい。……任務は、王都中の商店から注文された荷物の『秒単位』での配送です」
翌日から、王都の景色は一変した。
銀色に輝く鎧を誇っていた騎士たちが、今や総商会のロゴが刻印された機能的なスーツを纏い、巨大な配送ボックスを背負って街中を爆走しているのである。
「どいたどいたぁ! 総商会指定、特急配送だ! 納期まであと三十秒しかないんだよ!」
強化脚の駆動音を響かせ、垂直の壁すら駆け上がらんとする勢いで騎士たちが疾走する。
当初は「騎士が荷物運びなど」と冷笑していた旧貴族たちも、彼らが叩き出す「圧倒的な物流速度」の前には沈黙するしかなかった。
「……ミラ執行役員。物流回転率の推移は?」
「最高だよ、エルゼ! 騎士たちの身体能力と強化脚の相乗効果で、王都内の物資循環速度が三〇〇パーセント向上した。……新鮮な魚が、港から市場を通らずに直接食卓に届く。……経済が文字通り『加速』しているね」
ミラが帳簿を叩き、ウハウハと笑う。
騎士たちもまた、意外な変化に戸惑いながらも、充実感を感じ始めていた。
「騎士様、早いね! 助かったよ、これ、チップ(小銭)だけど取っておいて!」
「……はっ。……ありがたく、頂戴いたします。……では、次の配送がありますので!」
かつては「名誉」という実体のない報酬よりも、直接手渡される「感謝の言葉」と「銅貨一枚」の方が、彼らの自尊心を正しく満たしていた。
「名誉」は腹を満たさないが、「歩合給」は夕食の肉を豪華にする。騎士たちはいつのまにか、最短の配送ルートを研究し、互いのタイムを競い合う「物流のプロフェッショナル」へと変貌を遂げていた。
「……シグリッド。部下たちの筋肉に、良い『利益』が乗ってきましたね」
執務室の窓から、流星のように街を駆ける騎士たちを見下ろし、エルゼが呟いた。
「ああ。……馬に頼っていた頃より、奴らの目は生き生きとしている。……自分の足で立ち、自分の足で稼ぐ。……それがこれからの騎士の在り方かもしれんな」
「……その意気です。……ルナ。騎士たちの配送ルート表の整理は終わりましたか?」
「は、はい、総裁! ……でも、この『テオ君の計算した最適解』と、騎士団の実際の走行データが少しずれていて……」
給仕見習いのルナが、不器用ながらも地図と睨めっこをしていた。その後ろでは、未来開発院の生徒であるテオが、宿題として出された「騎士一人が一日に運べるパンの最大重量と消費魔力」の計算に、執念を燃やして取り組んでいる。
「……テオ。三行目の数式に誤差があります。……やり直しなさい。……騎士の足は、あなたの計算ミス一つで止まるほど安くはありませんわよ」
「……っ、はい! すぐに修正します、エルゼ様!」
エルゼの眼鏡が、逆光の中で不敵な輝きを放った。
馬という旧時代の遺産を切り捨て、自らの脚で未来へ駆け出した騎士団。
レガリアの「加速」は、もはや隣国の包囲網などという壁を、事務的に踏み越えようとしていた。
ーーー
夕暮れの訓練場。人影の消えたその場所で、シグリッドは一人、黙々と「自身の資産」のメンテナンスを行っていた。
「……ふぅ。……やはり、配送業務で使う筋肉は、剣を振る筋肉とは質が違うな」
彼女は、エルゼから事務的に支給された高栄養食を一口含み、自身の肉体が発する熱を確かめる。
休日のシグリッドの過ごし方は、驚くほどストイックだ。余計な娯楽には目もくれず、ただ「より速く、より効率的に動くための肉体」を研ぎ澄ますことに費やされる。
「……シグリッド。……筋肉という名の在庫を、過剰に膨らませすぎてはいませんか?」
背後から、事務的な足音が響いた。視察帰りのエルゼが、ルナを伴って立っていた。
「総裁。……ああ、これは投資だ。……あなたの隣で、どんな重い責任(荷物)でも運び続けるためのな」
不器用な忠誠心がこもったシグリッドの言葉に、エルゼは一瞬だけ眼鏡の奥の瞳を揺らしたが、すぐに冷徹な表情に戻った。
「……結構。……ですが、オーバーワークは資産の劣化(怪我)を招きます。……今夜は早めに休養しなさい。……これは『総裁』としての命令ですわ」
「……ふっ。……了解したよ、厳しい上司殿」
夕日に照らされた二人の影が、長く伸びる。
鉄の意志を持つ騎士団長と、数字を支配する総裁。
彼女たちの間には、言葉よりも確かな「信頼」という名の利益が、静かに積み上がっていた。




