第11話:「関税」という名の宣戦布告。――不採算な包囲網は、数字(データ)で焼き払いなさい
新生国家『王立更生・復興総商会』の本部執務室に、一羽の早飛鳥が緊急の親書を届けたのは、朝食のコーヒーがまだ温かいうちのことだった。
給仕見習いとして、震える手でトレイを捧持していたルナが、エルゼの指示でその封を切り、内容をたどたどしく読み上げる。
「……ええと、総裁。隣国のヴォルガ帝國を含む近隣三ヶ国連合より……『共同通商通告』が届きました。本日正午をもちまして、我が国からの全輸出品に対し『三百パーセント』の制裁関税を課す……とのことです。併せて、魔力触媒となる鉱石の禁輸措置も発動されました」
執務室の空気が一瞬で凍りついた。シグリッド、テレーザ、ミラの三人の執行役員が、エルゼの反応を待つ。
だが、エルゼ・ド・ヴァレンティーヌは、持っていたスプーンを置くことすらしなかった。彼女は無表情に、手元の魔導計算機のキーを淡々と叩き、吐き出された計算結果を眺めて、ふっと鼻で笑った。
「三百パーセント……。密輸のリスクと、自国内の物価上昇による暴動コストを計算に入れていない、実務経験ゼロの素人が弾いた数字ですね。……不合格です」
「エルゼ様、笑い事じゃないよ! 魔力鉱石が止まったら、王都の街灯も、あのパン焼き機も全部止まっちゃう!」
テレーザが珍しく声を荒らげるが、エルゼは眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせた。
「テレーザ執行役員。……『止まる』のは、我々ではなく彼らの思考回路です。……いいですか、皆様。これは宣戦布告ではありません。……我が総商会による、近隣諸国の『敵対的買収』の絶好の機会ですわ」
エルゼは立ち上がり、巨大なホワイトボードに事務的な指示を書き込み始めた。
「ミラ執行役員。あなたは今すぐ、連合内で最も貧しい『ルセリス公国』へ潜入なさい。賄賂はいりません。……『我が商会との独占流通ルートを維持するなら、他二国からの制裁を我が商会が肩代わり(補填)する』という契約書を、国王の鼻先に突きつけるのです。一国を寝返らせれば、包囲網は内側から崩壊します」
「……へへっ、面白そうだねぇ! 貧乏王の足元を見るのはあたしの得意分野だよ!」
「シグリッド執行役員。あなたは国境付近で『軍事演習』……という名の、大規模な『道路舗装工事』を開始なさい。隣国軍が威圧してきても無視です。……『この道が完成すれば、あなた方の国の農産物が我が国へ倍速で届き、関税を払っても利益が出るようになる』と、兵士たちに直接プレゼンしなさい。……軍隊を、物流の味方に変えるのです」
「……御意。……剣を振るより、スコップを振る方が建設的だな」
「テレーザ執行役員。……禁輸された鉱石に代わる、国内産資源のみで稼働する『高効率・新世代魔導回路』を設計しなさい。……できなければ、今夜の夕食のデザートは抜きです」
「……鬼! エルゼ様は鬼だよ! ……でも、やってやる。……天才の底力、見せてあげる!」
三女神が嵐のように部屋を飛び出していく。最後に残った給仕見習いのルナに、エルゼは冷たく、だが明確な指示を飛ばした。
「ルナ。……あなたは『給仕』として、私の鞄を持って同行なさい。……隣国の大使たちが、いかに『数字』を読み間違えて自滅していくか。その不採算な末路を、特等席で見学させてあげますわ」
「……は、はい! 精一杯、務めます!」
数時間後、国境付近に設置された臨時の会合場。
現れたのがエルゼと、怯える給仕の少女一人であることに、三ヶ国の大使たちは嘲笑を浮かべた。
「……ヴァレンティーヌ公爵令嬢。往風にも小娘一人を寄越すとは、レガリアも焼きが回ったな! この関税に泣きつく準備はできたか?」
だが、エルゼは無表情に、一枚の「国家財務予測表」をテーブルに叩きつけた。
「……静かにしていただけますか。……計算の邪魔です」
「な、なんだと!?」
「……現在、あなた方が掲げた関税案。これにより、一ヶ月以内にあなた方の国の生活必需品の価格は二点五倍に跳ね上がります。……それと同時に、我が商会は貴国への全融資を引き揚げ、債権の即時回収を開始します。……私の計算によれば、あなた方の国は二十八日後に『デフォルト(国家破産)』します。……その際の救済(買収)価格は、現在の十分の一になる予定ですが……今この場で、関税を撤回して降伏(和解)されますか?」
エルゼの冷徹な宣告に、大使たちの顔面は一瞬で土気色に変わった。
感情論ではなく、逃げ場のない「数字」という名の暴力。
ルナはエルゼの背後で、震えながらも、その圧倒的な「主の力」を目に焼き付けていた。
「……事務的に処理させていただきますわ。……お返事は、一分以内でお願いします。私の時給は、あなた方の命より価値がありますので」
その日の夕刻。
隣国連合からの「関税撤回」と「禁輸措置の解除」、さらには「不当な威圧に対する謝罪金」という、実質的な全面降伏の親書がレガリアに届いた。
エルゼはそれを「写しの魔術」で記録し、重要書類箱へ放り込むと、窓の外を見上げた。
「……ルナ。今日の商談で、彼らが犯した最大の計算ミスを述べなさい。……答えられないなら、夕食のパンは一切れ減らしますわよ」
「……ええっ!? あ、あの……ええと……」
必死に考え込むルナ。エルゼはその様子を「教育的コスト」として見守りながら、不敵に微笑んだ。
国家買収を経て、今や世界を買い叩く第一歩。
エルゼ・ド・ヴァレンティーヌの「数字」による支配は、もはや国境を意味のないものに変えようとしていた。
ーーー
ヴォルガ帝國、静寂に包まれたアルベルト皇子の別荘。
公務を離れた彼の休日は、驚くほど静かで、そしてストイックなものであった。
「……ふぅ。……やはり、自分で淹れたコーヒーが一番落ち着く」
アルベルトは、完璧な温度で抽出された一杯を手に、趣味である古書の整理を行っていた。
整然と並べられた書棚。塵一つない机。
彼のプライベートには、無駄な装飾も、不必要な人間も介在しない。
「……抽出時間、三分十五秒。……昨日より二秒、効率を上げたか」
ふとした瞬間に、自分の行動を「秒単位」で管理している自分に気づき、アルベルトは自嘲気味に微笑んだ。
(……いけないな。……エルゼ様と会ってから、あらゆる事象を『最適化』して考える癖がついてしまった)
彼は窓の外に広がる帝国の庭園を眺め、手元にある一通の報告書――自国の主戦派が掲げた「関税三〇〇パーセント」という愚策が、エルゼによって一瞬で粉砕されたという内容を思い出す。
「……当然の結果。……関税で相手を屈服させられると考えるのは、実務を知らぬ者の傲慢だ。……彼女に貸しを作らせるつもりでしたが、逆に自国の『無知』を露呈させる形になった」
アルベルトはコーヒーを一口含み、その苦味と共に、エルゼの冷徹な、だが理にかなったあの眼差しを反芻する。
「……さて。……次にお会いする際は、挨拶以上の『実益』を持ち寄らなければ、二度と席に着くことすら許されないでしょう。……今のうちに、より高価な利権を……投資対象として整理しておくとしましょうか」
彼は静かに本を閉じ、完璧に整えられた寝室へ向かう。
彼の休日は、次なる「商談」という名の戦場に備えるための、静謐な『メンテナンス時間』であった。




