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第10話:泥を啜る王子と、光を纏う女帝。――新生レガリア建国祭と、事務的な引導

 その日の王都は、建国以来、一度も経験したことのないほどの色と光に包まれていた。

 かつては夜になれば暗雲が立ち込め、貧民の啜り泣きが聞こえていた路地裏には、今やテレーザが魔導定式化した『全自動・恒久街路灯』が黄金色の光を投げかけ、シグリッドの騎士団が物流の合間に磨き上げた石畳は、鏡のように空を映し出している。


 王立更生・復興総商会、総裁執務室。

 エルゼ・ド・ヴァレンティーヌは、窓から見える熱狂を冷徹な目で見下ろしながら、最後の一枚の書類にペンを走らせた。


「……計算終了。ルナ、第一期決算の最終報告書です。アーカイブに放り込んでおきなさい」


 エルゼが差し出したのは、たった一ヶ月でこの国を「債務超過の破綻国家」から「経常黒字の世界最先端企業」へと作り変えた奇跡の証明書であった。


「承知いたしました、総裁。……これで、旧王政の負債ゴミは、物理的にも帳簿上でも完全に一掃されましたね」


 ルナが、満足げに書類を受け取る。彼女の手元には、今日のパレードのために特注された、白銀の刺繍が施されたエルゼ用の正装が用意されていた。


「……ルナ。パレードの順路、一点だけ変更を加えましたね? 私の『効率的な移動』を阻害するルートになっていますが」


「ふふ、総裁。……それは『精神的な衛生管理』に必要なコストです。……さあ、お着替えを。民衆が、彼らの『真の主』を待っています」


 同時刻、王都中央通り――メインストリートの地下。

 腐敗臭と湿気が支配する暗闇の中で、カイル・レガリア元王子は、腰までドブに浸かりながら絶叫していた。


「くそっ、なんでだ! なんで僕が、こんな日に、こんな場所の詰まりを直さなきゃいけないんだ! 今日は僕の……僕が王位を継ぐはずだった記念日なんだぞ!」


 カイルの手はヘドロで汚れ、爪は剥がれかけ、かつての金髪は見る影もなく泥に染まっている。彼が必死に掻き出しているのは、パレードの観客たちが捨てた「祝祭のゴミ」であった。


「うるさいわね、この粗大ゴミ! あんたが喚くたびにヘドロが私にかかるじゃない! ほら、エルゼ様が仰ったでしょ。『祭りの最中に下水が逆流するのは不採算である。よって、最も無能な人員を配置して死守せよ』って! あんたがその『無能な人員』に選ばれたのよ!」


 リリアーヌが、もはや愛の欠片もない声で叫び、エルゼから支給された「監督用強化鞭」をドブ水に叩きつける。

 二人がいるのは、パレードが通過する真上の「排水口」の直下であった。


「……来るぞ。……女神様が、お通りだ!」


 地上の騎士の叫びと共に、地響きのような大歓声が沸き起こった。

 カイルは泥まみれの顔を上げ、鉄格子の隙間から地上を見上げた。


「エルゼ……! そうだ、エルゼが見に来たんだ! 僕の無様な姿を見て、優越感に浸るために! 笑え、笑うがいい! そうすれば僕をここから――」


 だが、カイルの言葉は、頭上を通り過ぎる「輝き」によってかき消された。


 パレードの先頭、四頭立ての魔導白馬が引く豪華なオープン馬車。

 そこに座っていたのは、純白のドレスを纏い、神々しいまでの光を放つエルゼであった。

 左右には、軍神の如き威厳を纏ったシグリッド、優雅に魔導の火花を散らすテレーザ、そして民衆に笑顔で金貨(記念メダル)を撒くミラ。

 さらに、エルゼの足元には、誇らしげに胸を張るテオたち『未来開発院』の子供たちが並んでいた。


「総裁万歳!」「エルゼ様!」「私たちの救世主様ーッ!」


 降り注ぐ花吹雪。熱狂する民衆。

 カイルは必死に鉄格子を掴み、叫んだ。


「エルゼ! 僕だ! カイルだ! ここを見ろ! 僕を笑え! 見下せ!」


 だが、エルゼの視線は、カイルのいる足元のドブなど一ミリも捉えていなかった。

 彼女は、沿道で必死に手を振る平民の老婆や、未来を担う子供たちに、微かな、だが確かな「慈愛」の微笑みを向けていた。

 彼女にとって、カイルは「憎むべき敵」ですらなく、ただの「処理の終わった廃棄物」……すなわち、風景ゴミに過ぎなかったのである。


「……あ。……あぁ……」


 カイルの力が抜け、ドブの中に膝を突いた。

 無視。完全なる、事務的な無視。

 自分がどれだけ叫ぼうと、どれだけ泥を啜ろうと、彼女の世界にはもう、自分の席など一席も残っていない。

 エルゼが纏う光があまりに眩しく、自分が沈んでいる闇があまりに深いことを、カイルは「無視」という名の暴力で分からされた。


 パレードが王宮のバルコニーに到着すると、エルゼは凛とした声で全方位に宣言した。


「――本日、王立更生・復興総商会は、第一期決算報告を完了しました。この国に、もはや『赤字(絶望)』は存在しません。……これより、旧時代の負債(汚れ)を、一滴残らず洗浄します!」


 その瞬間、テレーザが起動させた広域浄化魔術が王都を駆け抜けた。

 下水道の奥深くまで、透き通った聖水が猛烈な勢いで流れ込む。


「ぎゃあああああ! 流される! 流されるぅぅぅ!」


 カイルとリリアーヌは、浄化された水の勢いに呑まれ、王都の外、遠く離れた再開発待ちの「肥溜め農園」へと押し流されていった。

 エルゼは、その様子をモニタリング魔術で一瞥することもなく、バインダーを閉じた。


「……ルナ。国内の『在庫整理』はこれにて終了。……明日からは、世界市場を買い叩きに行きましょうか」


「はい、総裁。……どこまでも、お供いたしますわ」


 夕日に染まる王都。

 悪役令嬢が買い取った国は、今、世界で最も美しく、そして最も「数字に強い」帝国へと新生した。


ーーー


 建国祭の喧騒が遠のいた、深夜の王宮テラス。

 そこには、ドレスを少し着崩したエルゼを囲んで、シグリッド、テレーザ、ミラ、そしてルナが、極上のワインと焼き立てのパンを並べていた。


「ぷはぁー! 疲れた! でも最高だね! エルゼ、今日のパレード、あんたの時給換算したら一秒で金貨十枚分くらいの価値があったよ!」


 ミラが豪快に笑いながら、高級なチーズを口に放り込む。

「……不合理な計算ですね。……ですが、今日は『特別利益』として計上しておきます」


 エルゼはそう言って、シグリッドが注いでくれたハーブティーを一口啜った。

「総裁。……今日、足元の『異物』が何か喚いていましたが、斬らなくて良かったのですか?」


「……異物? 誰のことですか? 私の資料には、そんな不燃物のデータは残っていませんが」


 エルゼの完璧な「しらばっくれ」に、四人は顔を見合わせ、同時にドッと笑い声を上げた。

 冷徹な事務官として、一国を救った女帝として、彼女たちは今日、初めて「仕事」ではない「喜び」を共有していた。


「エルゼ様。……明日のスケジュールですが。……正午まで『睡眠』という名の空白を作っておきました。……たまには、資産のメンテナンス(二度寝)をしてくださいね」


 ルナが優しく微笑むと、エルゼは少しだけ顔を赤らめ、小さく頷いた。

「……三時間で十分です。……ですが。……今夜この時間は、私の人生における『純利益』として……大切に、保管しておきますわ」


 月光の下、初めてエルゼが声を出して笑った。

 それは、どんな宝石よりも、四人の仲間たちにとっては価値のある「報酬」だった。


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