5・求婚のわけ
(シリウス様、今……なんて言った?)
私の聞き間違いでなければ、「結婚してください」と言わなかっただろうか、我が上司は。
さっきまで和やかだったはずの事務室の空気は、シリウス様の一言によってすっかり一変してしまっていた。
隣にいるアリスは瞬きすら出来ない状態で、両手を口元に当てて悲鳴をこらえている。
何より一番驚いているのは私だ。
必死で頭を回しているはずなのに、言葉が一つも出てこないのだから。
混乱しきっている私たちの様子を察してか、シリウス様はふうと息を吐いて視線を逸らした。
「……ここでは話しづらいですね。場所を変えましょう」
シリウス様は淡々と告げて、踵を返す。
扉の付近まで進んだところで、私がその場で固まっているままなことに気づいたらしい。
「来なさい、セレフィア」
「は、はい!」
名指しで再度声をかけられ、流石に我に返る。
私は慌ててシリウス様の後を追いかけた。
◇◇◇◇◇◇
案内されたのは、魔術省の奥にある応接室だった。
普段は来賓を迎えるために使われる部屋であり、私が立ち入るのは初めてだ。
シリウス様は扉を閉めると、部屋の中央に置かれた革張りのソファを静かに示した。
「座ってください」
「……はい」
緊張で、喉がからからに乾いている。
ぎこちない足取りでどうにかソファへと腰を下ろすと、シリウス様も私の向かいへと座った。
長い足を優雅に組んで座る様が美しい。
(さっきのは聞き間違いか……それか私の幻聴よね。そうに違いない)
こんな美しい男性が、私に求婚してくるわけがないだろう。
引く手数多に決まっている。
そもそも私とシリウス様の接点は、過去に数回会ったことがあるくらいだ。
私にとってシリウス様は、雲の上の存在の上司。シリウス様にとっても、私はただの部下のはず。
プロポーズなんて、されるわけがない。
私が心の中でうんうん頷いて、納得しようとしていると――。
「先ほどの話の続きになりますが、これは嘘や冗談の類ではありません。私はあなたに結婚を申し込みます」
「……げほっ」
目の前の本人によって、考えていたことを否定されてしまった。思わずむせて咳き込んでしまう。
「失礼ですが、理由をお聞きしても……?」
私は恐る恐る尋ねた。
私たちは恋人関係でもなんでもない。
繰り返すが、ただの上司と部下である。
プロポーズの理由が謎すぎて、聞かざるを得ないだろう。
シリウス様はしばしの間、眉根を寄せ、言葉を探しているようだった。
そして沈黙の末、静かに口を開いた。
「……数日前のことになります。私に王命がくだりました。――お前もそろそろ結婚して幸せになれ、と」
「はい……?」
この人は、氷狼の魔術師と呼ばれるほどクールで、周囲から恐れられている上司のはずだ。
そんなシリウス様から、思いもよらない理由が飛び出てきて面食らってしまった。
「国王陛下が最近ご結婚なされたのは、あなたもご存知でしょう?」
「え、ええ」
我が国の国王陛下が結婚したのは三ヶ月前のこと。
盛大なパレードが行われ、街中が祝福ムードに包まれていたのを覚えている。
(私も昼休みに抜け出して、アリスとパレードを見に行ったもの)
その時の熱気といったら本当にすごかった。
まだお若い国王陛下へ期待する声や、王妃殿下の美しさを称える声。
沿道には人が溢れ、紙吹雪が舞い、陛下や妃殿下が馬車から手を振る度に歓声が上がった。
思い出に浸る私の横で、一方シリウス様はというと渋面を浮かべていた。
「あの方は、結婚してから妙に浮かれておりましてね。周囲にも幸せを押しつけたいらしいんですよ」
シリウス様は頭が痛いとでもいうように、眉間を押さえてため息をつく。
その姿には疲労が滲んでいる……。
常に冷静で最強の魔術師のシリウス様といえども、国王の奔放さには敵わないらしい。
「ついでに強い魔力持ち同士が結婚して有能な魔術師が生まれればラッキー、だとかなんとか……。そもそもあんな迷信に信ぴょう性はないというのに、人の人生をなんだと思っているのか……」
話したら苛立ちを思い出してしまったのか、シリウス様はぶつぶつとぼやいている。
しかし、私のなんとも言えない視線に気づいたようで、空気を変えるようにごほんと咳払いをした。
「ともかく。お節介な陛下のせいで、あれよあれよという間に、魔力の強い貴族令嬢が私の婚約者とされました。私に無許可で」
「は、はぁ……」
(国王陛下、自由すぎる……)
確か、国王陛下の年齢は30歳手前。シリウス様と歳も近い。
国王陛下は、シリウス様の兄気分で世話を焼いているのではなかろうか。
「非常に不快だったため異議申し立てを行いますと、文句があるなら1週間以内に結婚相手を見繕ってこい、と無茶振りされまして……。困ったものです」
「まさか、それで……求婚ですか……?」
私はつい、呆れと困惑の入り交じった視線を向けてしまった。
(別に、ロマンチックな理由を期待していたわけじゃないけど……)
私が選ばれたのは手近だったから、ということか。
そう考えるとなかなか複雑なものがあるが、疑問はまだ残る。
「でも、なぜ私なんですか?」
(『手近だから』がプロポーズの理由なら、私じゃなくてアリスでもいいはずよね?)
私でも、アリスでも、魔術師長の身近な女性という意味では同じだ。
それに、魔術省に私たち以外の女性がいないわけではない。
「私には魔力がありませんし、それに――」
「――どんな魔術も効かない魔力耐性持ち、でしたっけ」




