29・魔術師長、吹っ切れる
シリウス様は一言も発さないまま、私の手を引いていく。
やがて足を止めた先は、私の部屋の前だった。
「……入っても?」
低く落ち着いた、けれどいつもよりも張り詰めた声でシリウス様が尋ねてきた。
たしかに私の部屋ならば、ゆっくり話すことができるだろう。
「……どうぞ」
中に入り扉を閉めると、室内には沈黙が落ちる。
シリウス様は私から手を離すと、窓辺へと向かった。
夕日が西へと沈んでいくのが見える。
シリウス様は何も言わずに夕日を眺めていた。
(何を、考えているんだろう)
「あの、シリウス様……」
私はそっと背中へ声をかけると、シリウス様は僅かに肩を揺らした。
「……無理に連れてきてしまって、すみません」
返ってきたシリウス様の声は、どこか苦々しげなものだった。
「い、いえ、それは大丈夫なんですけど……あの、さっきのは……さすがに二人の冗談ですよね?」
私のことが大好きだの、縁談を送り続けただの、私のことになると判断力が落ちるだの。
あの二人が嘘をつくとは思えないが、それ以上に言葉の内容が信じがたすぎるのだ。
そんな思いで尋ねると、シリウス様はゆっくりと振り返った。
真っ直ぐ向けられたオッドアイには真剣な色が宿っているように思えて、ついどきりとしてしまう。
「二人が言ったことは、全部事実です」
「え……」
(今、なんて言った?)
全部事実?
にわかには信じられなくて、私は息を止めたまま、シリウス様を見つめてしまう。
「……っああもう!」
けれど、シリウス様は堪えきれないというように、突然ぐしゃりと銀の前髪をかき乱した。
そして――。
「私はあなたが大好きなんですよ。初めて会ったあの日からずっと……!」
まるで吹っ切れたかのように、シリウス様は感情を吐露し始めたのだ。
そこにはもう、照れの色は少しも見当たらない。
(そんな急に開き直らないで……!?)
「長年の想い人のウェディングドレス姿なんて見て、正常でいられるわけがないじゃないですか。理性が焼き切れそうだったんですよ。こっちは!」
(え……っ、あ! 耐えられないってそういう意味!?)
シリウス様の言葉の意味をようやく察して、今度は私の顔が赤くなる。
もしかしたら子ども扱いされているのでは、なんて考えていた自分が恥ずかしい。
けれど、熱くなった頭の片隅だけは妙に冷静で、ふと疑問がよぎってしまった。
(でも、ちょっと待って? 私、好かれる理由が思い当たらないんだけど?)
私たちは過去に繋がりこそあれど、そもそもただの上司と部下。
この結婚は契約として、持ちかけられたはずだ。
「ま、まってください、シリウス様。でも私たちって契約結婚なんですよね……? 恩があって、手近で手頃だったから契約を持ちかけてきたんじゃ……」
「そんなわけがないでしょう……」
混乱しつつも尋ねた私を見て、シリウス様は長く深いため息を吐き出した。
そこには呆れと諦め、それから怒りのようなものがないまぜになっているように感じられる。
そんな困った子を見るような目で見ないで欲しい。
「私は、あなたのお父上に瞳を治してもらったあの日……。あなたに綺麗だと言われたあの日から……。私はずっとあなたが好きだった」
「……っ!」
シリウス様の真っ直ぐな視線と言葉に、思わず息を呑む。
私の脳裏には、六年前の記憶がよみがえっていた。
父に無理やり連れられてきた、右目を眼帯でおおった銀髪の青年。
父が医療魔術で治療している間、私はずっとそばで見守っていた。
あんな大怪我を負った人を見たのは初めてで、彼のことが純粋に心配だったのだ。
そうして父の魔術が無事に終わり、ベッドで眠る彼が目を開けた時、その瞳の美しさに目を奪われた。
左右の色が違うことだけではない。彼の瞳のもつ強い光を「綺麗」だと思ったのだ。
「たった、一言じゃないですか……」
それも、ただ思ったことを言っただけだ。
呆然と呟くと、シリウス様は一歩私へと近づいた。
優しくすくい上げるように私の手へ触れる。
愛おしそうに指先を撫でられて、びくりと身体をはね上げてしまった。
「それでも私にとっては、大事な一言だったんですよ。戦いで瞳を失い、心が折れていた当時の私にとっては、生きる希望のように思えた」
「……っ」
想いが込められたシリウス様の声音に、もう言葉が出なかった。
何の気なしに発した私の一言が、こんなにまでシリウス様に影響を与えていただなんて思いもしなかった。
「その後、あなたのお父上に頼み込んで、どうにか私との縁談話を受け入れてもらいました」
(え……?)




