合い言葉は「話せばわかる」と「問答無用」
「昭和維新」を唱え二・二六事件(昭和11(1936)年)を起こした反乱軍の将校たちは蹶起の前に詳細な襲撃計画を作成したという。その中に合い言葉の選定があった。彼らが行おうとするのが軍事クーデターである以上、戦う敵は同じ軍服を着た日本陸軍の兵隊である。格好は変わらないため攻撃対象を自分たちの仲間と誤認してしまう恐れがあった。そこで相互認証のための合い言葉を事前に決めようと話し合ったのである。
最初に出たのは「山」「川」という案だった。赤穂浪士が吉良邸討ち入りの際に使った由緒あるもので、合い言葉の代名詞的なものである。吉良上野介の首級を挙げ主君である浅野内匠頭の無念を晴らした彼らの成功にあやかる意味でも、この合い言葉が良いという意見があったが、皆が知っている合い言葉なので「山」と呼びかけられたら反射的に「川」と答えられてしまうかもしれないとの不安があり、取り上げられなかった。
次に「月」と「星」の案が出た。これは幕末に新選組が使った合い言葉である。赤穂義士より人口に膾炙していないので合い言葉に相応しいという理由での提案だったが咄嗟の場面で「月」と言われても「星」が出てこないのではないかとの反対意見が出された。「影」「太陽」「地球」「スッポン」等の誤った言葉を同じ反乱軍の兵士が言ってしまったら、同士討ちになってしまう。それは避けたいとの意見が大勢を占め、この案も流れた。
最後に出たのが「話せばわかる」「問答無用」だった。昭和7(1932)年に起きた五・一五事件の際、襲われた犬養毅首相が「話せばわかる」と言ったが襲撃者たちに「問答無用」と射殺された。この会話を合い言葉にしようというのである。
これが合い言葉に決まった。反乱軍の兵士たちに伝えられたが、襲撃の際に合い言葉は使われなかった。抵抗する者は問答無用で射殺されたので、使う必要がなかったのだ。
東京中心部を占拠した反乱軍の将校たちは昭和天皇に蹶起趣意書なるものを上奏しようとしたが、天皇は相手にしなかった。その怒りは非常に激しく、彼らを賊軍とし速やかに鎮圧するよう軍上層部に命じた。鎮圧部隊に包囲された反乱軍は抵抗せず投降した。せっかく決めた合い言葉は、とうとう一度も使われなかった。




