「在る」への感謝
ここまで歳を重ねるまで、気が付かなかったことだが、私は、郷愁というものを、感じたことがない。
昔読んだ本を見ても、昔よく聞いた曲を聞いても、卒業した頃はまだ存在した、学校の卒業アルバムを見ても、過去の写真や動画を見ても。
そこから学びや気づきを得ることはあっても、皆がよく言う「胸が締め付けられるような感覚」とか「当時のことが鮮やかに思い出される」というのを経験したことがない。
親の仕事の関係で、子供の頃から転校を繰り返し、根無し草のように過ごしてきたおかげで、幼馴染と言える友は居ない。どこか、懐かしいと思える場所もない。
もし、そんな場所があったとしても、そこは既に再開発で整地され、山は削られ、道路が引き直されて、昔の面影はどこにもない。
記憶に繋がる街も、店も、路地も、もう古い地図にしか存在しない。
子供の頃から、住まう町やその周辺を写真に取るような癖があれば別だったのだろうか?
いや、やはり当時は見慣れていた近所を、律儀に写真に収めた、とは思い難い。
ほとんどの人が、今、スマホのカメラで画像として収めているのは、SNSで映える旅行先か、セルフィー、食事の写真。せいぜい誰かとのツーショットか、家族の誰かの写真なのと同じ様に。
その日、私は、所要で、昔住んでいた街の一つを訪れることになった。
子供時代のひとときを過ごしたその街は、小さな地方都市に過ぎなかったのだが、今は交通の要衝として再開発され、道路は太くなり、かつてあった商店街は全て消えて大手スーパーの巨大な店舗に変わり、古い家も、路地もなくなり、高いビルが建ち、山は削られてマンションになり…と、ありきたりな流れの中で、かつての面影は何一つ残っていない。
駅も、ほぼすべて作り直されて、ホームは増え、きれいなピカピカの駅舎になっていた。
そのまるで構造の変わった駅のホームに降り立つと、まず出口を探すのに苦労した。
目指す場所がどこなのか、どの出口が最寄りなのか、その出口はどこなのか。
家にいるうちに、ネットで下調べしなかった、自分の迂闊さを恨めしく思う。
それでも各出口の最寄りの施設や、駅全体の構造が描かれた、駅全体の立体図を見つけると、手間もなく目的地最寄りの出口に辿り着けた。
目的地までは歩いて10分ほど。
道がまったく新しくなっているため、昔住んでいたのが信じられないほど、新しい街を探索するような感覚になった。
所要自体はたいした時間も掛からず終わり、早速、家に戻って…と思ったが、足が止まった。
確かにネットの地図で見る限り、駅周辺はすべて形は変わり、山の斜面とそこにあった林も消え、何も残っていない。
しかし、その地図で見た範囲では…隣の駅まで行けば、少しはマシらしい。
隣の駅までは、子供の頃でも、歩いて行ける距離だったのだから、大人になった今なら、苦でもないはず。
道は、かつてとまるで変わってしまっているが、線路沿いに進めば、まあ隣の駅まで辿り着けはするだろう。
そう思って、隣の駅を目指す事にした。
線路沿いの道を歩いていく。
かつては複線だった線路は、今は複々線になり、そのおかげで、線路沿いの光景も一変していた。
住んでいた頃から、一世代も隔てている上に、新しいマンションが立ち並ぶようになったのだから、当然だが、記憶に残る家も何もない。
周囲を見渡して、分かるのは、そこから見えるかつては緑だった山の稜線の形だけ。
当時は林が蒼く柔らかく覆っていたが、今は、鋭角な白いマンションが張り付いている。
郷愁を感じられる人なら、その光景に寂しさを感じるのだろうか?
そんな事を思いながら、歩き続ける。
水分補給のため、途中の自販機で、お茶を買う。
喉を潤して、また歩き出した。
隣の駅までは、最短距離で行くなら、それなりに小高い山を越える必要がある。
自転車も押して登らねばならない、階段の坂道だ。
少し離れたところにある、新しくなった道を通るか考えたが、せめて子供の頃よく通った道を辿ってみよう、と、最短距離を選んだ。
その道は、当時は舗装すらされていない階段で、雨になると路面が泥になって跳ね、そこを通ると、家に戻る頃には靴やズボンの裾、靴下が泥だらけになっていて、よく親に叱られたものだ。
今はきれいに整備され、舗装された階段を登っていく。
その階段の中ほどまで来たところで、思いもよらぬものを見つけた。
それは、小さな小さな神社。
子供の頃、一人でよく遊びに来たところだ。
その頃の友達とは、階段を登る必要もない公園や広場で遊んだりする事が多く、ここはほとんど自分だけの遊び場だった。
目にするまで、その存在を全く忘れていた。
小さな境内は、20メートル四方あるかないか。社もこじんまりとしていたが、参道や、背丈の倍ほどはある鳥居を備えた、立派な神社だ。
思わず境内の中に入る。
境内の裏の急斜面こそ、土止め工事が行われて、きれいに整備されていたが、古い社は、かつての通り古いまま。
いたずら防止のために普段は社の中に入っている賽銭箱も、その賽銭箱にお賽銭を入れるための、小さな小窓の中から見える狐…お稲荷さんの像もそのままだ。
鳥居から街の方を見る。自分の歩いてきた道が見え、駅に向かう線路と、その向こうに、今はもうこの神社のある場所よりも高いビルが立ち並んでいるのが見える。
知らない街、知らない風景。
ここに居る自分は、この街にとっての異邦人だ。
縁起物だから、という事で、小窓から賽銭箱に小銭を投げ込み、ガランと鈴を鳴らして会釈する。
特に願いがあるわけでもない。挨拶のようなものだ。
もう一度振り返る。
知らない街は、相変わらずそこにあった。
視界の脇に一本の樹があることに気がつく。
境内に生えている、御神木なのかわからないが、昔からあった一本の樹。子供の頃よりやはり一回り大きくなったが、そのままだ。。
その樹の所に行って手を触れた。ゴツゴツとした樹皮。
ああ、この樹は、あの頃と同じ様に、在るのだな。
…ふと、振り返り、改めて社を見る。子供の頃に遊んだ時の姿そのままだった。
しかし、胸の締め付けられるような感覚も、昔のことを次々思い出すようなことはない。
ただ、不思議なことに、感謝のようなものが胸に去来した。
昔と変わらず、在ってくれてありがとう。
そういう、感謝。
「懐かしいか?」と問われれば、やはり疑問符がつくが、その場所が、少なくとも、思い出せるものと同じだった事に対する、感謝の念のようなもの。
それは確実に感じた。
大きく深呼吸する。
振り返って、社の方に歩き、柱に触れる。子供の頃は、この柱に触れて、どう感じていたのだろう…?
多分、何も考えていなかったのだろう。
もう一度社に会釈すると、登ってきた階段を再び登りだした。
ある程度登って振り返ると、社以外の全てが新しい。
なぜその社が、建て替えられもせず、残っていたのだろう?、もし建て替えられていたら、今のような感謝は感じなかったかも知れない。
あの樹の事に、気が付かなかったかもしれない。
そのまま坂を登りきる。山の木々が切り払われ、見晴らしは良いが、そこから見える景色は…知らないものだ。
隣の駅までは、なだらかな下りだ。
ここにももうかつての名残はない。道幅も広くなって、子供の頃はなかった、立派な歩道が付いている。
その道路のさらに向こうにある、かつて街道だった道は、大きく拡幅され四車線となり、今は都市を結ぶ主要な道路だ。
道の流れだけは、かつてのままだったが。
隣の駅の周辺は、いま来た駅周辺ほどに徹底的に…ではないが、それでもかつての面影はほとんどない。
2階建てだった郵便局は、今やビルというのがふさわしい、大きな建物になっている。
駅は、塗装し直されたのか、綺麗になっていたが、構造はそのまま。所々に、昔の記憶より古びた部分が見えたが。
改札を通り、ホームに降りる。
そこから見える光景も当時とは、まるで違う。
何より、住んでいなかった頃は無かった快速が走るようになったため、隣の駅で乗り換えなければならないのだ。
程なくやってきた電車に乗り、歩いてきた方…隣の駅へと戻る。
途中、電車のドアの窓から、山の斜面に在る、あの小さな社の屋根が見えた。境内に生えている樹も、だ。
わずか数秒でビルの影に隠れ、見えなくなる。
再び、ここを訪れることが、あるのだろうか?
その時に、あの社やあの樹は、まだ在るのだろうか?
もう一度触れた時、あの「在ってくれてありがとう」という感覚が得られるのだろうか?
見えなくなった社を思い起こす。
あの感謝こそは、「郷愁」であって欲しい。
そう、思った。