【1】決戦:王宮・公開弾劾の場
王宮の大広間――その扉を、私は静かに押し開けた。
重厚な金の扉の向こう、玉座の間には荘厳な沈黙が満ちていた。
正面の高座に座するのは、この国の頂点――アリステア女王陛下。冷たい美貌と沈着な眼差しが、場のすべてを見渡している。
その視線が、私たちの一行に向けられる。
クラリスさんと並んで、私は震える足で一歩、前に出た。
「……いかなる用か、リセル・アルヴェーン」
女王の声は静かでありながら、会場全体の空気を一変させた。
集まっていた貴族たち、王妃候補たち、そして――王子ユリウスまでもが、一斉にこちらを振り返る。
「母上! この者は毒を盛った罪人です、なぜここにいるのですか!」
王子は顔を歪め、苛立ちを隠さず声を張り上げた。
その隣で、カミラ令嬢は冷笑を浮かべ、私を見下ろすように一瞥する。
「門番の質も落ちましたのね。女官ふぜいに会議を荒らされるなんて、失笑ものですわ」
私は一瞬だけ迷いそうになった。けれど、
隣にいるクラリスさんの手が、そっと背を支えてくれる。
「……その“選定”、お待ちいただきたく存じます」
会場の視線が、私一人に集中する。
私は怯まなかった。もう、陰で泣いていた昔の私じゃない。
「この場を乱した非礼は承知しております。けれど――この王国の根幹を揺るがす陰謀が、今ここに潜んでいます」
静かに前へ進み出るザビーネさんが、封印された魔導書を取り出す。
「魔導士会公認の調査結果よ。毒草“アラーニャ・バイン”の粉末は、王宮薬草庫からではなく、宰相エドワルドの私的保管庫から流出。証拠、揃ってますわ」
続いてミレイユさんが、巻物を広げて読み上げる。
「会議の数日前、王子殿下は宰相と密会。その席で王妃候補の名簿に“好ましき相手”と記し、同席者の証言も得ています」
空気がざわつく。
貴族たちの顔色が、一斉に変わった。
「ば、馬鹿なっ……!」
王子の顔が青ざめ、言い訳のように叫んだ。
「違う! 俺はただ……宰相に意見を求めただけだ! 知らなかったんだ、彼が毒を……!」
「はあ!? お茶会の設営を命じたのは王子様ですのよ! 私は被害者ですわ! 毒なんて、わ、私は関係ありませんわ!」
カミラの声が震え始める。いつもの気品は影も形もなかった。
そして――宰相エドワルドが、椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「何を馬鹿な……! 書簡も証言も、捏造などいくらでも可能だ! そんな貴族落ちの娘の戯言など、信じられるか!」
その瞬間だった。
「――では、それらすべてを“公文として記録”いたしましょう」
女王陛下の言葉が、空間を静かに凍らせる。
「そなたの“知らなかった”という主張。そなたの“無関係”という叫び。……それらをすべて、王家の記録官に提出させ、証言として未来に残す」
誰も、言葉を返せなかった。
その裁きは、罰ではなく、“記録”だった。
一時の罰よりも、永遠に残る恥――それこそが、本当の恐怖。
「王子ユリウス。そなたは、そなた自身の名を以て妃候補を選ぼうとした。その責任は、宰相に押しつけて済むものではない」
「……っ、母上、それは……!」
「黙りなさい」
女王の声が、刃のように空間を裂いた。
「会議は中止。王子ユリウスは政務より退き、王宮に謹慎。宰相エドワルドは爵位を剥奪のうえ、追放とする」
ざわつきが一気に混乱に変わる中、カミラが叫ぶように声を上げる。
「わたくしをこんな屈辱の場に! 下賤の女官ごときが王子を誑かし、私の立場を奪うなんて、そんな――!」
女王は冷たい視線を彼女に向けた。
「身分を誇る者が最も見苦しくなるのは、自らの価値を疑ったときだ。――この場を去れ、カミラ・エルバーグ」
私は、言葉を失っていた。
その玉座の威厳と、言葉の力に、ただ圧倒されていた。
けれど――
「このッ……!」
王子が突然、隣の衛兵の剣を奪い、私へと突進してきた。
「貴様のせいだッ! 俺の未来も、立場も、全部、全部――!!」
刃が、目の前に迫る。
息が止まりそうだった。
でも次の瞬間――キィン、と金属音。
「……クラリス、さん……?」
彼女は、私の前に立っていた。
剣を抜かず、ただ鍔だけで王子の剣をはじき、無力化する。
「王国の剣を、私怨で振るうとは。……その剣、もはや貴方のものではありません」
王子はよろけて転倒し、剣が床に落ちた。
「私は、王ではなく、“真実”に忠誠を尽くす騎士です」
胸の奥が、熱くなる。
この人は、今、私の代わりに世界と向き合っている。
「リセル・アルヴェーン」
女王陛下の声が、私を名指した。
「そなたの声と行動が、国に潜む毒をあぶり出した。――その勇気と誇りに、王は感謝する」
私は、ゆっくりとひざをつき、深く頭を垂れた。
「私は……誰かに言われたからではなく、自分の意志で、ここに立ちました。逃げないと、決めたんです」
そのとき、背中にそっと触れるぬくもりがあった。
クラリスだった。
私の隣に、ずっといてくれた、ただひとりの人。
涙は、もう流れなかった。
けれど――胸の奥で、長く固く結ばれていた何かが、静かにほどけていった。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
ここまで読んでくださった読者の方に、心からの感謝を。
今回は、物語全体の軸となる“選定会議”の場面でした。
権力、陰謀、誇り、そして――静かに隣にいる人への信頼。
リセルとクラリスが、ただの「逃亡者と護衛」ではなく、
本当に“並び立つ者”になった瞬間を描けたと思っています。
次回は、嵐のあと。
そして、ふたりがどんな未来を選ぶのか。
毎日19時更新、残すところあと2話。
どうぞ、最後までよろしくお願いいたします。