【2】内面の変化と決意
静かだった。
薪がぱち、と音を立てて弾ける。けれどそれ以外に、隠れ家には何の音もしない。
私の心臓の音だけが、やけにうるさかった。
――「貴女に抱いている想いは、恩以上のものだよ」
クラリスのあの言葉が、胸の奥で何度も反響していた。あんなふうに、まっすぐな目で、まっすぐな言葉を向けられたのは、きっと人生で初めてだった。
しかも、それがクラリス副団長から。
信じられない。信じたい。でも、怖い。
いろんな気持ちが頭の中で暴れているのに、私はそれをうまく言葉にできず、ただ黙って毛布を握りしめていた。
「……ごめんなさい、いきなりだったね」
クラリスが少し目を伏せた。その一瞬だけ、完璧だったはずの副団長が、“一人の人間”に見えた。
「でも、あれは嘘じゃない。リセル。私は、貴女といられたら、それだけでいいと思ってる」
それだけでいい。
私は、その言葉を何度も心の中で繰り返した。
「……逃げるってことですか?」
自分でも驚くほど小さな声だった。それでも、クラリスはすぐに頷いた。
「このまま国を出て、誰も私たちを知らない土地で生きていく。……そんな未来も、考えてる」
それは、優しさだった。
私のことを想ってくれているのは、痛いほど伝わっている。
だからこそ、私はほんのすこし笑って言った。
「クラリスさんは……本当に優しいですね」
「それは違う。私は、貴女のためにしか動かない。それだけだよ」
その言葉に、胸が少しだけ痛くなった。
「……私、逃げたくないです」
言った瞬間、自分で驚いた。震えているくせに、それでも口から勝手に出てきた言葉だった。
「たしかに私は没落したし、誰にも期待されてない存在かもしれません。だけど、それでも――この国が好きなんです。人も、景色も、空気も」
「……」
「私が毒を盛ったなんて噂が広がって、それでこの国が揺れるのも、クラリスさんが私のために副団長の地位を失うのも、嫌なんです」
私はまっすぐにクラリスの目を見た。
「だから、私……ちゃんと潔白を証明したい。逃げる前に、戦いたいです」
クラリスは少し驚いたような表情を浮かべた。けれど、すぐに優しく目を細めた。
「わかった。なら、私も一緒に戦う」
その一言で、体がふっと軽くなった気がした。
「心当たりはあるの?」
「はい、一人だけ。王宮で……私の話を聞いてくれそうな人」
私は、一人の女官の顔を思い浮かべた。
ミレイユ・コルテナ女官。
厳格で、規律にうるさくて、それでも平等な人。理不尽な扱いを決してしない人。彼女なら、きっと耳を傾けてくれる。
「じゃあ、行こう。今夜のうちなら、屋敷の見回りも少ない」
「……クラリスさんも、一緒に?」
「当然だろう?」
その「当然」の一言に、胸がじんわりと温かくなった。
* * *
ミレイユ女官の私邸は、王都の西端、貴族街の中でも古い地区にある。
玄関先に着くと、クラリスが扉を軽く叩いた。しばらくして、灯りがともり、扉が開く。
「――あら。逃亡者がわざわざ訪ねてくるなんて、ずいぶん肝が据わってるのね」
鋭い視線と無表情。相変わらずのミレイユ女官だった。
「私たちは、ただ話を聞いてほしくて……!」
「言い訳はいいわ。入りなさい。今なら誰にも見られないから」
部屋に通され、椅子に座るなり、彼女はため息をついて言った。
「クラリス副団長まで巻き込んで。あなた、本当にどういうつもりなの?」
びくっと肩をすくめる。でも、答えなければならない。
「私は無実です。毒なんて盛っていません。……信じてもらえないかもしれませんが、どうしても真実を伝えたくて」
「ふぅん」
ミレイユは腕を組んだまま、じっと私を見つめていた。
「……少なくとも、あなたが軽率な人間じゃないのは、わかってるつもりよ。私が見てきた限りではね」
胸の奥が少しだけ軽くなる。息ができた気がした。
「詳しく話して。あの日、王宮で何があったのか。毒って……本当に、そんなものが?」
「はい。ティーセットの準備をしたのは私です。でも、毒は仕込んでいません。……後から誰かが」
「証拠は?」
「ありません。ですが、毒草の粉末が、私の荷物に入れられていました。それを見つけたのは、あの場にいた衛兵たちです」
ミレイユは静かに頷いた。
「……毒草となると、あの種類は貴族の薬庫で管理されることが多い。女官見習いが手に入れるのは、かなり不自然ね。となれば――」
彼女は机の上のペンを取り、メモ帳に走り書きしながらぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、仕組まれてるわね」
その言葉に、私の背筋がぴんと伸びた。
「協力するわ。ただし、私の名前は出さないで。私にも守らなきゃならない立場がある」
「……ありがとうございます!」
心の底から、そう言えた。
なにかが、たしかに動き始めている。
私の人生も、未来も、まだ終わってなんかいない。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
この章は、リセルの心が大きく動いた回でした。
「想いを告げられて、嬉しくて、でも怖くて」
「それでも逃げずに、真実に立ち向かおうとする」
そういう不器用な強さが、彼女らしいなと思いながら書きました。
次回からは、調査パートと仲間たちの動きが本格化していきます。
彼女たちの小さな反撃、ぜひ見守ってください。
本作は全8話構成、毎日19時に投稿中です!
感想・お気に入り、めちゃくちゃ励みになります!