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女官リセル、冤罪で死罪寸前!?助けてくれたのは無口な女騎士でした  作者: 百合物理
「不器用な女官と、不真面目な魔導士の、真剣な話」
10/11

図書室と雨音と、秘密の誓い




——十年前。王立魔法学園。


木造の回廊に魔力の輝きが浮かび、朝露のように透明な光が差し込む教室の中。

私は、いつものように真っすぐ座っていた。

制服の襟元を整え、筆記具の先端を揃え、教本を完璧な角度で開いて——。


これが“当然”だった。校則も時間もすべてを正しく守ることが、私——ミレイユ・コルテナの美学だったから。


けれど、隣の席には。


「……ああ、やっちゃった」


ぽん、と軽い音を立てて、練習用の魔法陣が焦げた羊皮紙ごと灰になって消える。


「ザビーネ・ルヴァン!」


私は立ち上がって叫んでいた。


「またあなた!? 何度目だと思ってるの、魔法実演中の即興使用は禁止だって——!」


それでも、彼女は悪びれる様子もなくにこりと笑った。


「でも見て。爆発の規模、昨日よりは小さかったでしょ?」


紫がかった銀の髪がふわりと揺れて、いたずらっぽい目が細められる。

ああもう、腹が立つ。その余裕そうな笑顔さえも、妙に整っていて、余計に腹が立つ。


ザビーネ・ルヴァン。

学園内でも有名な“天才肌”。理論や手順をすっ飛ばし、魔力だけで結果を叩き出すような問題児。

教師たちからも一目置かれ——いや、ある意味「手がつけられない」と恐れられていた。


そして、私は——彼女とは正反対の位置にいた。


「ザビーネ、ミレイユ」


教師が、ふたりの名前を呼び、ため息をつく。


「またですか。ミレイユ、あなたの言い分は理解できます。だが、今回は……あなたの声量と語気が、授業進行を妨げたと判断します」


「っ……!」


「よって、ふたりとも罰則です。今後一ヶ月間、放課後は図書室で目録整理。以上」


「えっ、ちょっと待って!それって、私も罰なんですか!?」


「規律を守る者も、冷静さを失っては意味がありません。ふたり一緒に反省する機会と捉えてください」


私は怒りと困惑で頬を膨らませたまま、隣のザビーネをにらんだ。


——なのに、彼女はただ、楽しそうに肩をすくめるだけだった。


くやしい。でも、くやしさの中に少しだけ滲んでいたのは——

あの余裕。あの気ままで、縛られない在り方を、ほんの少しだけ、羨ましく思ってしまったからなのかもしれない。





⸻⸻⸻


罰則として始まった図書室での目録整理。


最初の数日は、まさに“地獄”だった。


私は黙々と整理台帳と蔵書を照合し、巻物を整え、埃を払い、日報をきちんとまとめていた。一方のザビーネはというと、


「んー、この本、たぶん呪詛系だよね。こっち? いや、ま、どっちでも」


まったく反省の色がない。私が一冊確認する間に、彼女は十冊、しかしラベルも配置もぐちゃぐちゃ。


「やめて、もう触らないで!どうしてあなたは何もかも適当なのよ!」


「真面目すぎるのが、ミレイユの悪いところだよ」


「あなたはふざけすぎなのよ!」


ため息と怒鳴り声で、図書室の空気はいつもどこかピリピリしていた。


けれど、ある日のこと。


埃をかぶった古い魔導書を二人で同時に手に取った時——


「あっ」


「これ……古代呪式の基礎論……!」


驚いたことに、ザビーネも目を輝かせていた。


「……この図形、私の使ってる陣と似てるんだよ。古代のエネルギー配分、すっごく効率いいんだよね」


「知ってる。だから、私は基礎から研究してた……のよ」


それからだった。口論は減らないけれど、話す内容が変わった。


「でもさ、これ本当に“祝詞”として機能するのかな?文法、崩れてるっぽいけど」

「そこが逆に、意図的な変化なのよ。エルディア語では、敢えて語尾を歪めて感応させるの」


最初は喧嘩腰だった会話が、だんだんと討論になり、やがて会話へと変わっていく。


古い木の机に並ぶ巻物の山。

黄ばんだ紙の匂い。

雨の音が、窓の外で囁くように続いている。


私はその隣で、静かにページを繰る彼女の横顔を見た。


紫がかった銀の髪はやや乱れていたけれど、それが妙に柔らかく見えて、私は何度か視線を逸らした。灯りの下で瞳が少し揺れて、文字を追う彼女の表情には、ふだんの飄々とした笑みがなく、ひたむきな熱が宿っていた。


——いつのまに、こんな目をするようになったんだろう。


気づけば私は、ザビーネの存在を気にしてばかりいた。


「君さ、ほんとに古臭い魔法好きだよね」

「あなたもでしょ」

「まさか。私はミレイユが好きなんだよ」

「っ……な、なにを……っ」

「ふふ、本気か冗談か、どっちだと思う?」


その時の彼女の声は、からかいの軽さよりも、なにか柔らかく、甘やかだった。


私は言葉に詰まり、頬を赤らめるしかなかった。





——数日が経ったある日。


魔法参考書の山から、一冊の古びた魔導書を取り出した。


背表紙はすり切れ、分類ラベルも失われている。

私は指先でそっと表紙をなぞりながら、ザビーネに尋ねた。


「……これ、どうするの? あまりに状態が悪いし、分類もできないわ」


「破棄かな……と思うでしょ?」

ザビーネがにやりと笑う。

「でも、学園外の自習所とか、地方の魔導塾とかなら、欲しがるところもあるんだよ。寄付って形で譲渡できるよ、許可さえ取れれば」


「……じゃあ、そういうところに」


「うん。でも、こういう本、まだ読んでないでしょ?」


私はハッと息を呑んだ。たしかに、捨てる前提で誰も触れていなかったこの本には、まだ誰も目を通していなかった。


「誰かに譲るにしても、一度、私たちでちゃんと向き合ってからにしない?」


そう言って、ザビーネはその本を手に取り、抱きしめるように胸元で包み込んだ。


「そうだ。だったらさ――」


彼女の目が、ふいに子どものような光を宿す。


「じゃあ、ふたりで“秘密の魔法図書室”を作るってことで」


「……ふざけないで」


「ふざけてないよ。私は本気。分類されない知識たちを、こうして一時でも大事に扱える場所。君と一緒にね」


私の手の中に残る古い本。その焼けたような表紙の感触が、妙に熱を持って感じられた。


「それって……」


「放課後、誰にも邪魔されない時間を、君と一緒に過ごす場所。知識も、想いも、共有できる図書室。そういうの、嫌?」


彼女の声は柔らかく、でもどこまでも真剣だった。


私は、目を逸らしながらも、小さく呟いた。


「……少しだけなら、付き合ってあげてもいいわ」


そのときの彼女の笑顔が、眩しくて、胸が苦しくなるほどだった。






⸻⸻⸻



その夜は、季節外れの嵐だった。


分厚い雨雲が学園の空を覆い、空が裂けるような雷鳴が、図書室の天窓をびりびりと震わせた。


私は机に肘をつきながら、震える指でページをめくっていた。


魔導書の文字が揺れて見えるのは、ろうそくのせいだろうか。それとも、自分の不安のせいなのか。


「……平気?」


不意に、静かな声がした。


視線を上げると、ザビーネがこちらを見ていた。読書灯の明かりに照らされて、紫がかった銀の髪がさらさらと揺れている。


「べ、別に。音が大きかっただけよ」


声が震えた。ごまかそうとしても、自分でもわかるくらい、ひどく頼りない。


ザビーネはため息をひとつ吐くと、手元のクッションを持ってきて、床に敷き、自分の膝をぽんと叩いた。


「……なに、それ」


「おいで」


「ふざけないで。そんなこと、するわけ——」


「怖いときくらい、誰かに頼ってもいいんだよ」


雷が再び轟いた。


その一撃で、私の中の何かが決壊したのかもしれない。


気がつけば私は、彼女の膝の上にいた。


しん、と静かな図書室。唯一響いているのは、雨の音と、ふたり分の呼吸と心音。


ザビーネの腕が、そっと私の背中を撫でるように回る。ぎゅっとではなく、優しく包み込むように。


その仕草に、私はどこか安心して、彼女の胸に身を預けた。


「ねえ、ミレイユ」


彼女が私の耳元に唇を寄せて囁く。


「ほんとはずっと、こうしたかった」


背筋がぞわりと震えた。


「あなたって人は……本当に、どうしてそう……」


言葉が続かなかった。


だって、その指先が私の髪をすくい、頬をなぞり、顎先をそっと持ち上げたから。


目が合った。光の中で揺れる瞳。あのふざけた笑顔じゃない、真剣な、何かを告げるような顔。


「……キス、してもいい?」


返事をする前に、私は目を閉じていた。


その柔らかな唇が触れた瞬間、世界が音を失った。


何も考えられなかった。ただ、彼女の温もりと、心臓の高鳴りと、唇の熱と、息づかいだけが私を満たした。


ゆっくりと、深く、もう一度キスが落とされた。


体の奥が、熱くなる。


私は抗わなかった。むしろ、彼女の首に腕を回していた。


——ああ、これは。


「……何よ、これ」


「さあ。たぶん、“災難”じゃない?」


私は黙って、彼女の胸に額を押し当てた。ザビーネは笑って、私の髪にそっとキスを落とした。


その夜、私たちの関係は、確かに変わった。


翌日からも、私たちは図書室で顔を合わせた。変わらず巻物を分類し、討論を交わし、たまに喧嘩もした。


けれど——


ふとした瞬間に触れる手のぬくもり。

視線が絡んだときの、胸のざわめき。


“秘密の図書室”は、ただの学園の罰則処ではなくなっていた。


それは、ふたりだけが知る、ふたりだけの秘密。


静かに、確かに育っていた。









最後までお読みくださり、ありがとうございます。


“秘密の図書室”で芽吹いた、ミレイユとザビーネの過去。

この夜の出来事が、ふたりの未来を変える最初の転機でした。


スピンオフではありますが、本作単体でも完結までお楽しみいただけます。

完結済・毎日19時更新予定ですので、続きもどうぞよろしくお願いいたします!


感想・レビューも励みになります。お気軽にお寄せください。




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