おまけ2 ハリーの過去
ある日、俺達は捨てられた。
もう世話が出来ないからと、裏路地に捨て置かれた。
何だよ、それ。
子供が欲しいから俺達を産んだんじゃなかったのかよ。
産んだのなら責任持って育てろよ。
無責任なことをするぐらいなら俺達のことを産まなきゃ良かったんだ。
弟を掴む手に力が入る。
「痛いよぉ、にぃちゃん」
「悪い!」
慌てて手を離す。
余裕がなかった。
突然の出来事に俺はどうすれば良いのか分からなかった。
俺はまだ良い。最悪、盗みでもしながら生きれば良いんだから。
だが、弟は違う。
弟は体が弱かった。
体力が並みの子供よりも下だった弟はよく体調を崩しては寝込んでいた。
母さんもそれは分かっていた筈だろう?
なのに、なんで、弟まで置いて行くんだ。
「ねぇ、にぃちゃん。僕たち、これからどうなるの?」
それは俺が聞きたかった。
体の弱い弟と2人、この世界でどうやって生きて行けば良いと言うのか。
学のない俺ではそれが分からない。
それでも俺は兄だ。
しっかりしろ!
1度強く頬を叩く。
痛かった。
痛すぎて涙が出た程だ。
だが、迷いは吹っ切れた。
「このにぃちゃんに任せなって!絶対に飢え死にさせないからよ!!」
「にぃちゃん……!!」
あの時の弟のキラキラとした瞳が忘れられない。
絶対に死なせてなるかと、そう誓ったのを覚えている。
それからの日々は過酷だった。
残飯を漁り、盗みを行った。
同じ浮浪者と殴り合うこともあったし、殺されかけたことだって何度もある。
それでも弟のためと思えば耐え凌ぐことが出来ていた。
ある時までは――。
「おい!しっかりしろ!!」
「にぃ……ちゃん……」
弟が倒れた。
酷い発熱だった。
このままでは弟が死ぬ。
気が付けば俺は弟を抱き抱えて路地裏を走っていた。
誰か弟を助けてくれ。
誰でも良い。
誰でも良いからお願いだ。
弟が亡くなっちまったら俺は――。
「見るだけだよ」
「それでも構わねぇ!弟を――ミャハルを見てくれ!!俺に出来ることなら何だってする!!」
必死に頼み込む俺に、医者は困ったような表情を浮かべる。
「はぁ、安易にそんなこと言うものじゃないよ。まったく、子供を捨てる親の気が知れないな……」
医者はぶつくさ言いながらも弟を見てくれた。
俺はその様子を固唾を呑んで見守る。
それからどれくらいの時が過ぎたか、診断を終えた医者はこちらを振り向く。
「終わったよ」
「ミャハルは大丈夫なのか!?」
結果を早く聞きたくて俺は詰め寄る。
俺の掴み掛からん勢いに医者は背を仰け反らせながらも重たげな様子で口を開く。
「結果から言うと治せない。これは不治の病だ」
「は?」
頭が真っ白になる。
呆然と見上げる俺を医者は憐憫の表情で見下ろす。
「君たちは浮浪児だろう?不衛生な生活はそれだけであらゆる病に患う可能性が極めて高いんだ。今回、君の弟が患ってしまった者はその中でも極めて厄介な物だ。僕では治せないし、例え他の医師に頼んでも無理だろう」
「じゃあ、ミャハルは死ぬしかないって言うのかよ!!」
慟哭だった。
俺にとって弟は命よりも大事な物だ。
それが失われる。
俺はその事実に耐えきれそうにない。
膝を付く俺に、医者は言う。
「別にそんなことは言っていない。治せないと言っただけで、延命させることは出来るよ」
「―――本当か?」
希望だ。
地獄に垂らされた1本の糸。
俺は藁にも縋る想いでそれを掴む。
どうすれば弟は生きられる。
俺は何をすれば良い。
縋る俺に医者は言う。
「ここに行くんだ。そこに行けばきっと、弟を救う術がある」
受け取った一枚の紙切れ。
それが希望だった。
俺は医者に感謝を伝えてその場を後にする。
向かうは紙切れに書かれた住所。
学のない俺でも分かるように絵が描かれた紙だ。
大まかな場所は聞いた。
きっとすぐ見つかる筈だ。
競る想いで向かう先、目的の場所を見つけた。
「あら?どうしたのボク?」
「なあ!ここになら助かる方法があるって聞いたんだけど本当か!?」
合っていて欲しい。そう願う俺の言葉を聞いて彼女は何かに思い至ったようだ。
「そういうことね。えぇ、ボクの言うようにあるわ」
「本当か!?」
合っていた。
たったそれだけの事実がこんなにも嬉しいと思う日が来るなんて。
その方法を教えて欲しいと乞う俺に彼女は言う。
「ボクには女になってもらうわ」
「は?」
「嫌なら良いのよ?大事な弟を救いたくなければ、ね。どうする?」
俺には女体化と弟を助ける方法に接点がないように思える。
気のせいだろうか。
迷う俺に彼女は囁き掛けてくる。
「ボクは疑問に思っているのでしょう?どうして女になる必要があるのかって」
「それは……」
「ふふ。その疑問も当たり前よ。この世にはお金が必要なことが沢山あるの。ボクの弟を救うにもお金は必要。なら、することは決まっているでしょ?」
そこまで言われて察せない程、俺は馬鹿じゃなかった。
嫌だった。お金を稼ぐために好きでもない男共に抱かれるのが。
でも、弟を助けるにはそれしか方法がない。
気が付けば俺は女体化を受け入れていた。
薬を飲んで、体を変化させる。
男性の物から女性の物へと。
気持ち悪かった。俺が俺でなくなる感覚に。
吐き気さえ覚えた。
でも、弟を救うためだ。
その為なら俺の体を幾らだって売ろう。
また新たなる地獄の日々が始まった。
開きたくもない相手に股を開き、出したくもない声を上げる。
気持ち悪い。
俺が汚されて行く。
俺は何のためにこれをしている?
何のためだ?
何度も何度も己に問い掛けながら、俺は弟のためだと言い聞かせて同じことを繰り返す。
金はたんまり貯まった。
こういう所に来る客はだいたい訳ありだ。
時に、キツイ要求を求められることもあったが、その分金払いが良かった。
これがあれば弟が死なずに済む。
その時の俺はその事しか考えていなかった。
連日連夜続く売りに何時しか、弟に会う余裕もなくなっていた。
弟は元気にしているだろうか?
その事を考えながら種を飲み込む。
イカ臭くてドロッとしたクソ不味い物を。
だが、それも慣れた。
こんなもん、より酷い要求に比べたらマシな方だ。
事を終え、客の立ち去った部屋で俺はえづく。
「う〝っ!お〝えっ!!」
床にぶちまけられる胃物。
立ち込める悪臭に顔を顰めながらも俺は立ち上がる。
久しぶりに弟に会いたかった。
元気にしてるか?
美味しいもん食べれているか?
そんな些細な事を、弟の声で聞きたくて仕方なかった。
よろける体を壁に手をついて支える。
俺の体は、心はボロボロだった。
それでも、弟の為ならまだ頑張れる。
「よぉ、久しぶりににぃちゃんが会いに………」
弟が死んでいた。
ベットの中で息絶えていた。
弟の死体に群がる虫。
腐り、骨が丸見えとなった弟“だった”ものを前にして俺は膝を付く。
「あぁあああぁああぁああああああ―――!!!」
虫を払った。
弟に群がる虫を。
必死に、必死に払った。
俺の弟を奪わないでくれ。
弟が居なくなったら俺は――。
心が壊れる音がした。
見下ろす先、そこにあるは小さな土の山。
この下に弟が居る。
俺の弟だ。
弟を亡くした俺は天涯孤独となった。
生きる気力も失くして、宛もなくその辺をブラブラと歩く。
俺は何のためにこの仕事をしていた。
俺はいったい誰のためにしたんだ。
弟のためだ。
なのに、俺は弟を置いて仕事を優先した。
金を稼ぐためだと、弟を救うためだと、そう嘯いて。
「はは……守ると言いながら守れてねぇじゃねぇかよ」
俺は約束1つも守れない人間だったのだと、この時、気づかされた。
近くにあった壁に頭をぶつける。
何度も、何度もぶつける。
自分のことが許せなかった。
いっそのこと死んで地獄にでも行きたかった。
なのに、死ねない。
まるで弟が死ぬなと言ってるような気がした。
そんな筈がないのに。
俺はその幻聴を聞いた。
笑った。
狂ったように笑った。
「良いぜ。なら、お望み通り生きてやろうじゃねぇか!」
好きなように生きた。
男とまぐわい、人を殺した。
自分を殺す勢いで好き勝手に生きた。
殺せるのなら殺してみろと、喧伝するように俺は暴れに暴れた。
なのに、死なない。
いっそのこと呪われているんじゃないかとさえ思った。
だが、どうでも良い。
死なないということはそれは好きにして良いと弟が言っているに他ならないからだ。
なら、これはきっと弟が望むこと。
俺はただそれを叶えているだけに過ぎない。
「あぁ?俺に依頼だぁ?」
悪たれの俺に依頼が来た。
今までも何度かそう言った依頼は来たことはある。
だが、縛られることが嫌だった俺は断っていた。
今回も断ろうとする俺に、依頼人は言う。
「死者蘇生の薬をやると言ったらどうする?」
「…………冗談でもなさそうだな」
これでも俺は他人の嘘を見抜く自信がある。
勘とも呼べるそれが今回は反応しなかった。
死者蘇生の薬。
1度は俺も求めたことがある代物だ。
それを依頼人は持っているという。
「君の過去は聞いたよ。弟を亡くして自暴自棄になっているんだろ?蘇生薬があれば君の弟は蘇る筈だ。どうだろうか、私の依頼を受けないかね?」
一笑に付す話だ。
そんな眉唾な話、誰が信じると言うのか。
馬鹿にするのも大概にしろ。
そう思うのに――。
「俺ぁ、何をすれば良い?」
依頼人は笑う。
そうなる事が予想できたように笑っていた。
依頼内容を聞かされた俺は顔を顰める。
少女の誘拐。
それも死んだ弟と歳の近い子供だ。
悪たれの俺でも受けたくない類いの依頼だ。
だが、俺は受けた。
僅かでもまた弟と会える方法があるのなら何でも良かった。
そのためなら少女1人の誘拐なんて安い物。
そう思っていた筈なのに……。