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6話 逃走の果てに

そんなの無理だって分かってた筈じゃない。

両親が、あの男が私の自由を許す筈がない。

分かっていた筈なのに、淡い希望に縋り付いてしまった。

ハリーとなら叶えられる筈だって信じていたの。

なのに、どうして……。


「オ〝ォオオ〝ォオオオ〝ォオォ〝オォオ―――!!」


叫ぶハリー。

私は決して後ろを振り向かない。

これがハリーの望みだから。

涙でぐじょぐじょになる顔。

思い出すは数分前の出来事。

逃げ切れた筈、そう思っていたのに待ち伏せされていた。

まるで私達がここに来るのが分かっていたように待ち構える追手を前にハリーは言ったの。


“俺が囮になる。だから、逃げてくれ”


真剣な表情で語るハリー。

無論、私は反対したわ。

貴女1人を置いて逃げられないと、逝く時は一緒に、そう訴えるのにハリーは首を振る。

今度こそ誰かを守りたいのだと、そう語るハリーはとても真剣だった。

命すらも捨てる覚悟でそんな事を言われて私は口を開閉する。

何を言えば止められるの。

何を言えばハリーを救えるの。

私のために犠牲にならないで欲しかった。

犠牲になるのなら私1人で十分よ。

そんな私にハリーは続けて言うの。


“俺はノーアに自由に生きて欲しいんだ。誰にも縛られない、そんな人生を”


私は思う。

そこにハリーは居ないじゃない。

ハリーの居ない人生を私は考えられないの。

涙を溢して首を振る私。

1人にしないでとハリーに訴える。


“頼む。俺のために生きてくれ!”


それが最期の俺の願い。

そう語るハリーに、涙が溢れて止まらない。

どうして、私のために命を賭けられるの。

ハリー、貴女と私に深い繋がりはないはずでしょ?

なのに、どうして、覚悟を決められるの。

分からない、分からないわ、ハリー。

一緒に居ましょうよ。

服を掴もうとして気が付く。


“あっ”


1本の矢がハリーに向かって突撃してくる。

気が付けば私はハリーを押し退けていた。

自分でも信じられない力よ。

標的を失った矢は、後ろにいた私の肩を掠める。

微かに傷の出来る肌、痛みに顔を顰める。

どよめく敵陣。

逃げるのならここがチャンスだと思ったの。


“逃げましょう!ハリー!!”


呼び掛ける私の声に、ハリーは首を振る。

俺は無理だと言ったハリーが見せるは矢が刺さった足。

絶句した。

いつの間に、そう思う私にハリーは言うの。


“逃げてくれ、ノーア。俺の分まで生きろ!”


凄みを感じさせる表情。

死を覚悟した者が見せる乾坤一擲の表情をハリーは浮かべていた。

何を言っても無駄なのは分かっている。

ただ時間を無駄にすることだって。

そのことは一番私が理解しているの。

けれど、これは理屈じゃない。

心が1人で行くことを納得しないの。

一緒に来て、ハリー。

貴女が居ない人生は考えられないのよ。

お願い、お願いよ。

何度も誘うのにハリーは首を振るばかり。

手を伸ばす私を見て、ハリーは一喝する。


“だらだら甘えてないで逃げやがれ!!”


ビクリと怯えてしまう。

あんなに怒ったハリーは初めて見た。

ごめんなさいと、謝りたいけれど、そんなことはハリーが望まないのは分かっていた。

今、私がすべきことは何?

決まっているわ。ハリーの犠牲を無駄にしないことよ。

溢れ涙をグッと堪え、ハリーを見る。

最後にハリーの顔を見たかったの。

ハリーは笑っていた。

それで良いと、笑っていたの。

私は背を向けて走り出す。

決して後ろを振り向かず、逃げに徹する。

これがハリーの望み。

私に生きて欲しいと願うハリーの望みだから。

背後からハリーの雄叫びが聞こえる。

それと同時に矢が刺さる音も。

耳を塞ぎたくなる音に、けれど、決して私は塞がない。

最後までハリーの声を聞いていたかった。

私のために命を賭けるハリーの声を。

その雄姿を声だけとは言え記憶に残したかったの。


「はぁはぁはぁ」


あれからいったいどれぐらい走ったのだろう。

既にハリーの声は聞こえなかった。

疲れて木に手を添えるけれど、まだ止まる訳にはいかない。

追手から逃げなくては、そう思って足を踏み出すのにバランスを崩してしまう。


「あっ!」


咄嗟に顔を守る。

生存本能がそうさせた。

腕や体に走る痛みに顔を顰めながらも、私は立ち上がろうとするのに力が入らない。


「どうしてよ……!」


私はまだ止まる訳にはいかないの。

ハリーの犠牲を無駄にしないために。

ほら、分かったのなら立ち上がりなさいよ。

まだ動ける筈でしょう?

無理なんて言わせないわ。

体が壊れようと動くのよ!


「ぁっ!っ!」


痛む体を叱咤し、木に掴まりながら立ち上がる。

ゆっくりと1歩を踏み出す。

倒れそうになる足を精神力だけで踏み締めるのに、その1歩が重い。

たった1歩を歩くだけで疲れる。

息を荒げ、汗を掻く。

もはや限界だった。

意識が薄れそうになる。

それでも止まる訳にはいかない。

たとえ遅くとも、なるべく遠くまで逃げるの。

逃げて、逃げて、逃げて。

その先で私は何がしたいの?

ふと浮かんだ疑問に足が止まる。

あれ?私は何がしたかったのかしら?

思い出せない。

ただ逃げることばかりを考えていた。

もし、それが終わったら私は何をしたいの?何がしたかったの?

何もない。

私がしたいことは全てハリーが居る前提だった。

そのハリーが今は居ない。

ただ生きろと、逃げろと叫ぶハリーに言われるままここまで来た。

その後のことなんて考えていなかった。

足場の喪失。

立つべき足場を求めて私は踠く。

何処にあるの?何処に行けば良いの?

誰でも良いから答えを教えて欲しかった。

その時に思い浮かぶはいつもハリーの姿。

ねぇ、ハリー教えて。

私はどうすれば良いの?何をすれば良いの?

ハリーは笑うだけで何も言わない。

ハリーに手を伸ばす私の手が空を切る。


「あっ」


思わず漏れ出た呆けた声。

手が空を切ると同時、ハリーの姿が霧散してしまう。


「あぁ……!!」


居なくならないで!

私を1人にしないで!!

靄を集めようとするのに集めた先から消えて行く。

辛かった。悲しかった。

ハリーの喪失は私の心に大きな傷を残す。


「う〝ぅうう〝う!!」


涙が止まらない。

地面に作られる水溜まり。

ぐじょぐじょになった土が泥になる。

もはや逃げようなんて思えなかった。

もう、疲れたの。

ハリーの願い通り、私は頑張って逃げたわ。

体がボロボロになるまで頑張って走ったの。

だから、もう、諦めて良いわよね?


「あぁ……」


もっとハリーと一緒に居たかった。

色んな場所に行って、色んな景色を見たかった。

これが美味しいと、こんな生き物がいるのだと、語り合いたかった。

けれど、それは叶わぬ夢。

私の手から離れて行く。

こうなるのなら望まなければ良かった。

ハリーに会わなければ、行くなんて言わなければこんなことには……ハリーを亡くすことなんてなかったのに。

気力を失くし仰向けに倒れる。

背中越しに感じる石や木の根、草花の感触。

とても寝心地の悪いベットだった。

見上げる空は朝日が差し、綺麗な曙色。

もう、こんな時間。

あっという間だった。

時間がこんなに早く過ぎ去ると感じたのは初めてよ。

たった数刻、されど数刻。

貴女と離れてから私の胸は埋まらないの。

このポッカリと空いた穴はハリー、貴女じゃないと埋まらない。


「戻って来てよ。帰って来てよ」


“悪い、無事だった”


そう言って何事もなかったように私の下に帰って来なさいよ。


「嘘つき」


一緒に居るって言いながら、私を置いて行くなんて酷い人。

守れない約束ならしなければ良かったじゃない。

安易な希望なんて見せなければ苦しむことなんてなかったのに……。


「なのに、どうしてかしらね……後悔はないのは」


何度やり直そうと、私はその手を決して離すことはしない。

一緒に行こうと誘うその言葉を決して断ることはしない。

ハリーが教えてくれた幸せを、好きな気持ちを私は決して手放せない。

たとえ、どんな事があろうと私はこの選択だけは後悔はしない。


「そのせいでハリーを亡くしたと言うのに、可笑しなものね」


我ながら矛盾した考えだと思う。

亡くしたことを後悔しながら、選択したことを後悔しないなんて。

けれど、思うの。

それが人だって。

誰かが言っていた。


“人は矛盾だらけだ”


その言葉の意味を今なら理解できる。

変化を望まず、変化を望み。

従うことを是とし、従うことを否う。

私はとても矛盾している。

こうなるって分かっていたのに、あの男が私を逃す筈がないって分かっていたのに、ハリーとなら逃げられると思ってしまった。

元から希望なんてなかった。

あの男に目を付けられた時点で運命は決まっていた。


「ほんと……この世の中理不尽だなぁ……」


昔は転生を望んでいた。

あのクソな世界を捨てて別の世界で生きてやると、そう思っていた。

それが実際はどう?

あの世界の方がマシとさえ言える地獄。

何度死にたいと思ったことか。

それさえも許さない現実に私は絶望した。

救いなんてないと思っていたのに、ハリーと出会ったばかりに私は……。

ガサリと音が鳴る。

こんな森の中に普通の人が居るとは考えづらい。

なら、残る可能性はただ一つ。

私は皮肉げに笑う。


「遅かったじゃない、私を見つけるのに時間でも掛かった?」

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