4話 別れと旅立ち
足音が聞こえる。
この時間に、この部屋に来る者は限られている中で、果たしてその音はいったい誰の物か。
サリアの物ではないわ。
サリアならノックをする筈だもの。
なら、後は誰か。
考えるまでもなかった。
疼く歓喜を噛み殺して顔を上げる。
「よぉ、今日も会いに来たぜ」
「えぇ、待っていたわ」
ずっと。
声には出さず、心の中で付け足す。
昨日ぶりに見たハリーはとても輝いて見えたわ。
ハリーの周りだけ一層輝いて、鮮やかに見えるの。
ドクンと一層早く鳴る鼓動。
嬉しいと、会いたかったと叫ぶ心。
心が歓喜に染まり、ポカポカと温かくなる。
これが恋。
誰かを好きになる気持ち。
私はその音に耳を傾けながら、ハリーを見上げる。
「昨日の返事をしても良いかしら?」
「良いぜ。聞かせてくれよ、ノーアの答えを」
ニヒルに笑う。
それだけでカッコいいと思ってしまうのだから、恋とは厄介ね。
自然と浮かべる笑み。
フワリと優しい笑みをきっと私は浮かべている。
見えなくても分かるの。
それに、ほら。
目を開き、顔を僅かに赤く染めるハリーを見たら魅入られているのがバレバレよ。
ハリーのそんな表情は初めて見たけれど、色気が増して此方の方が赤くなっちゃいそう。
そうしたらお揃いね。
思わずクスリと笑う。
「私は貴女と行きたいわ、ハリー。どうか私を外に連れ出して」
「今、俺の名前を……」
初めてちゃんと名を呼んだ。
ハリーは大きく目を見開く。
先程までの羞恥は何処かに行ってしまったみたい。
少しばかり残念ね。
もう少し後に言えば良かったと後悔する。
「それで、ハリーの返事はどうかしら?」
分かっているのに私は問い掛ける。
次に答えるのは貴女の番。
言外に私はハリーに伝える。
貴女の声で聞きたかった。
貴女の声で言って欲しかった。
さぁ、早くその答えを聞かせて。
「決まっているだろう?俺ぁ約束を果たす男だ。良いぜ、ここから連れ出してやるよ」
「女なのに何を言ってるのかしら?」
「おい!せっかく俺が連れ出してやるって言ってんだぞ!?茶々を入れるんじゃねぇ!」
可笑しい。
あぁ、可笑しい。
嬉しくて嬉しくて堪らない。
私が望んだ答えをハリー、貴女は言ってくれる。
それだけでとても嬉しかったの。
何もかも自由に行かない人生でそれがどれだけ嬉しいことなのか、ハリーは分からないかも知れない。
けれど、それで良いの。
ハリーには打算で付き合って欲しくないの。
私の茶々に文句を溢すハリーに私は近付く。
私よりも身長の高いハリーを見上げて言うの。
「ありがとう。私を助けようとしてくれて」
「……気にすんな。俺は俺のためにノーアを救う。ただそれだけだ」
「そう、優しいのね」
たったそれだけの為に、果たしてどれだけの人が行動できるというのかしら。
ハリーはその凄さを理解していない。
これでも私、公爵令嬢よ?
それも厳重に守られたお姫様を救おうなんて、それこそ勇者だけ。
かつて望み、諦めた存在が目の前に居る。
立派な鎧も剣も、ましてや性別すら違うけれど、間違いなくハリーは私にとっての勇者だ。
手を伸ばす。
檻に囚われた姫様が鉄格子越しに勇者に触れるように、私はハリーに触れた。
「ねぇ、私を――」
「お嬢様。どちらに行かれるつもりですか」
「「ッ!?」」
突如として混じる第3者の声。
驚く私とハリー。
それに、この声はまさか……!
気のせいであって欲しかった。
聞き間違えであって欲しかった。
そう願うのに、現実は何処までも残酷だった。
「どうして、ここに……サリア」
「お嬢様こそ、どうして賊と密会をしているのでしょうか?その理由を説明していただけますね?」
「それは……」
無なる貌で問う、その声に私は声を詰まらせる。
何と答えたら良いのだろう。
どう説明したら良いのだろう。
正解が分からず瞳を彷徨わせる。
何も答えない私からサリアはハリーへと標的を変え、問う。
「そこの賊、お嬢様を誑かす貴女は何者ですか?」
「俺かぁ?俺はただの悪たれさ。あんたの言ったように誑かしに来たんだよ」
「違うわ!貴女は私を助けようとしてくれたのよ!!」
気が付けば叫んでいた。
自らを悪党と嘯くハリーを否定したくて。
貴女は悪党なんかじゃない。
とても優しい人よ。
そう叫ぶ私を見てハリーは肩を竦めるだけ。
どうして分かってくれないの!
どうして気持ちが伝わらないの!!
行き場のない怒りの矛先を求めて心が暴れる。
「―――お嬢様!!」
「ひゃい!!」
サリアの一喝に背が伸びる。
怒りが霧散し、心に生まれるは恐怖。
体を震わせながらサリアを見れば呆れていた。
溜め息を吐いて、やれやれとばかりに首を振っていた。
「お嬢様がまさかこんなに感情的になるなんて……」
「お、怒ってるかしら……?」
恐る恐る問えば、サリアはフッと笑う。
「いいえ、逆に懐かしくあります。昔のお嬢様もこんな風に子供らしかったと」
「それは私が子供っぽいと言うの?」
サリアはどうでしょう、と答えをはぐらかす。
思わずムッとなってしまう。
私はそんな子供っぽくはないと、そう訴えるのに肯定してくれない。
気が付けば恐怖は消えていた。
それどころかサリアに詰め寄る余裕さえある程だ。
さぁ、早く肯定して頷くのよ。
私は間違っておりました。お嬢様が正しかったですって。
さぁ、さぁさぁさぁ――。
「仲良いなぁ、あんたら」
後もう少しでサリアから言質を取れるというタイミングでハリーが話し掛けてくる。
邪魔が入ったと思わず頬を膨らませてしまうけれど、懐かしげに此方を見るハリーに私は魅入られてしまう。
どうしてそんな顔をするの?
誰を思い浮かべているの?
気になるのに聞けない。
踏み込むのが怖かったの。
それを聞いて嫌われたらどうしよう、一緒に行けなくなったらどうしよう、て考えるだけで怖くなるの。
だから、私はその疑問を見なかったことにして口を開く。
「当然よ。サリアは私の幼い頃からずっと一緒に居たんだから」
「そうかよ。大事にするんだぞ?」
「………えぇ、当たり前じゃない」
一瞬浮かべた悲しげな笑み。
もう取り戻せない何かを思い出して悲しげに浮かべていた。
それを見て悟れないほど鈍感ではないわ。
ハリーはたぶん、大事な人を失くした。
それもハリーにとって、とても大事な人が。
心が痛かった。
どうしてハリーから奪ってしまったのだと、世界に訴えたいほどに。
私がもし、サリアを亡くしたらその喪失はいったいどれ程のものか。
考えただけで恐怖するの。
共感を求めていないのは分かっている。
それでも、何もせずにはいられなかった。
私はハリーに抱き付く。
「サリアだけじゃなくて、貴女も大事な人よ。私にとって掛け替えのない存在。大好きよ、ハリー」
「ばっ!?」
言うのならここだと思ったの。
落ち込むハリーの気持ちを変えるにはこれが最適だと。
その予想は当たる。
驚き、目を見開くハリーの瞳に負の感情はなかった。
純粋な驚きと羞恥のみが存在したの。
その事に私はホッと安堵する。
ハリーに悲しい表情は似合わないと思うし、いつものように笑っていて欲しかった。
「私は何を見せられているのでしょうか………はぁ。お嬢様、本当に外へと行くつもりですか?」
「えぇ、私は決めたの。ハリーと一緒に行くって」
「危険を承知の上で、覚悟の上で行かれるという事ですね?」
「当たり前じゃない」
覚悟を問うサリアに私は目を逸らさず答える。
危険がないなんて思えるほど、頭がお花畑じゃないわ。
もし、危険なんてなければ監禁なんて不要ですもの。
けれど、危険を、未知を恐れていては運命は変わらない。
私は運命を変えたい。
定められたレールを外れて自由に生きたいの。
それにね、サリア。
私は1人じゃないわ。
ハリーと、好きな人と一緒に居られるの。
それだけで、どんなに辛いことでも乗り越えられる。
だから、安心して。
そう言って笑いかければサリアは溜め息を吐く。
「何を言っても無駄ですか」
「ふふ、私は意外と頑固なのよ?」
「はい、それは十分な程に理解しました。お嬢様が頑固で、逆に私の方が折れてしまいそうです」
「なら、早く諦めて折れることね」
「悪い子になられましたね」
残念とでも言いたげだけれど、口は笑ってるわよ。
全然悲しいそうじゃないじゃない。
このやり取りも後僅か、分かるだけにもう少し長く話していたかった。
けれど、そんな私の願いはサリアによって砕かれてしまう。
「お嬢様、このサリアにも手伝わせていただけませんか?」
「それだとサリアが……」
「良いんです。私は今までお嬢様の状況を見ていることしか出来ませんでした。最後くらい、 助力したいのです」
「サリア……」
覚悟の決まった顔。
そんな顔で言われてしまえば何も言えないじゃない。
サリアも頑固なところがある。
もしかしたら、私の頑固さはサリア譲りなのかしら?
ふとそんな事を思ってしまうけれど、もしそうなら嬉しい。
あんな親じゃなく、サリアに似ることが出来て私は嬉しさを感じたの。
「じゃあ、お願いするわね。私達を無事に外まで案内してちょうだい」
「承知致しました。このサリアにお任せください」
主人として下す最後の命令にサリアはカーテシーをもって答えるのだった。