2話 運命の出会い
「よぉ、あんたを拐いに来たぜ。ノーア・レンゲルト公爵令嬢サマ」
いかにもチンピラと言った格好。
突き出る胸からして女性ね。
驚きはなかった。
元々、この可能性は教えられてきたし、それを防ぐために屋敷での生活を余儀なくされてきたのだ。
それがこうもあっさりと侵入されるなんて。
思わず溜め息を吐く。
警備が甘いのか、それとも彼女の技能が高いのか、果たしてどちらなのでしょうか。
「驚かないんだな?」
「事前にこの可能性は指摘されていたわ。それが今日、訪れただけのこと。驚く必要なんてないわ」
「ドライだねぇ~。普通、分かっていても驚く筈なんだかよ」
「そう。そういう貴女は私を誘拐して何をさせようと言うのかしら?」
「さぁな。ぶっちゃけ知らない。興味がない。ただ依頼されたんだよ。レーア・レンゲルト公爵令嬢を誘拐して来いってさ」
やはりとしか思わなかった。
殺されないだけまだマシね。
恐怖はない。私を欲している以上、手荒な真似はされないと思うから。
私からすれば檻が替わる程度の違いでしかない。
「そう。誘拐するならしなさい」
「抵抗しようとか思わないのかよ?」
「私、無駄なことは嫌いなの。厳戒な警備を掻い潜れる相手に私が何をしたところで無意味なのに抵抗しようなんて思うはずがないじゃない」
無駄な行為に希望を見出して何なると言うのか。
愚かな行為に私は期待しない。
したところで無駄なのは身を持って知っているから。
「私が言うのはどうかと思うのだけれど、凄いわね、貴女」
「そりゃあ、どうも。まさか、拐う相手に褒められるとは人生何があるか分かんないもんだな」
「良かったじゃない。貴女は世にも珍しい被害者に褒められた犯罪者になれたのよ。きっとその“希少性”は高く買い取ってもらるのではなくて?」
希少性。
多分に皮肉の籠った声で私はその言葉を口にした。
そんな物にいったい幾らの価値があるというのか。
我がことながら可笑しくて笑いそうになる。
「………さぁな。それは俺にも分かんねぇよ。価値を感じる者がいるからこそ、価値があるんじゃねぇか?」
「ふふ、確かにそうね。逆にそんな者が居なくなればきっと価値なんてなくなるわ」
そうすれば私は外に出れるのかしら。
あり得ない未来に胸が踊った。
無意味だと、辛くなるだけだと、そう思うのに燻る心がその光景をイメージさせる。
陽の光の下、庭園で走り回る私はいったいどのような表情をしているのだろうか。
光に隠れて見えないその顔が見たい。
笑っているのかしら、悲しんでいるのかしら、その答えを知りたくて暗闇から手を伸ばす。
後少し、後少しで絵画の如きその場所に手が届くというのに弾かれる。
見えない壁に阻まれたように、幾ら手を伸ばそうと私の手はそれ以上進むことはなかった。
まるで此方に来るな、とでも言われたよう。
途端に戻る現実感。
暖かな物から冷めた物へと変ずる。
膝に置かれた手に力が籠る。
何を無駄なことをしているの。
ありもしない夢を見たって無駄なことは分かりきっている筈でしょう?
もう、これ以上は考えちゃ駄目。
これ以上考えてしまえば私は――。
「なぁ、ボロボロで悪いが、これを使って涙を拭け」
「え?」
目の前に差し出されるハンカチ。
彼女が言うようにボロボロで、到底私が使うような代物ではなった。
それよりも私が泣いている?
手で目元に触れる。確かに私は涙を流していた。
一条の涙の線だ。
「ありがとう」
私は礼を言ってハンカチを受け取る。
嫌悪感はなかった。寧ろ、とても綺麗な物に見えてさえいた。
外見ではなく中身。私が見るのはそこだけ。
たとえ幾ら外見が美しかろうと中身が伴わなければ醜いのと同じ。
このハンカチには私を慮る彼女の想いが込められていた。
“たった”それだけのことで良かったの。
涙を拭く。
ガサついた肌触りは酷いの一言に尽きる。
下手をすれば私の柔肌が傷付いていたかも知れない。
けれど、しっかりと私の涙を吸い取ってくれた。
涙を吸って染みが作られたハンカチを彼女に返す。
「助かったわ。優しいのね、貴女」
「おいおい、誘拐犯相手に優しいとか頭がイカれてるとしか言えねぇな、おい」
「そう?私はたとえ誘拐犯だろうと貴女の性根が優しい人であることに変わることはないと思うのだけど?」
そう、たとえどれだけ身分が良かろうと性根が腐っていたら意味がないように、たかが身分ごときでその人を判断することは出来ない。
私はそれをよく知っている。
「はぁ~~……白けっちまった。俺ぁ、このまま帰らせてもらうぜ?」
「良いの?依頼されたのではなくて?」
彼女はチラリと私を見る。
「良いんだよ。あんな奴の依頼、理由がなきゃ受けるつもりなんてなかったからな」
「そう」
聞くことはしなかった。
興味がなかった訳じゃない。
ただ、安易に人の秘密に触れたくなかっただけ。
怖いとかじゃない、ただ無意味な行為が嫌いなだけ。
何も出来ないくせに、秘密を知ってただ悲しむだけなんて何の生産性もないでしょ?
「帰らせてもらうが、最後に1つ良いか?」
「何かしら?」
「たまにここに来ても良いか?話し相手になって欲しいんだ」
「…………」
初めて言われたその言葉に私は言葉を失くす。
衝撃だった。
退屈ばかりだったこの人生で一番大きい驚きだったと思う。
頭が真っ白だった。
何かを言わなければと思うのに言葉が出てこない。
無意味な口の開閉を繰り返す。
今の私はきっと、驚きの表情を浮かべていることだろう。
それが分かるほど私の表情筋が動いているのが感じられる。
久しい使用に筋肉痛が発生し、私は痛みを感じた。
思わず顔を顰める私を見て彼女は笑う。
「はは!そんな表情も出来たんだな」
「貴女が変なことを言うからよ」
その表情が憎らしくて、思わず棘のある声で言ってしまう。
これもまた初めてのことだった。
いえ、私が覚えていないだけで過去にもあったのかも知れない。
けれど、こんなにも心が動かされたのは彼女が初めてであることに違いはない。
「それで、返事を聞かせてもらおうか?」
世界に少しだけ色が戻る。
彩りを取り戻した世界に私は踏み込んで良いのだろうか。
また拒絶されるのが怖くて躊躇して、唇を噛む。
何をまた無駄なことをしているの。
安易な希望に縋り付くなんて私らしくもない。
断りなさい。ソレは私を殺すわ。
あぁ……分かっているのに、分かっている筈なのに――。
「好きにしたら良いのではないかしら」
そっぽを向いて素っ気ない態度で返事を返す。
肯定でも、否定でもない曖昧な返事。
煮え切らない返事だと私でも思う。
両反する思いの中で出てきた答えがこの返事だった。
チラリと彼女を見る。
笑っていた。
嬉しそうに笑っていた。
「じゃあ、また来させてもらうわ」
楽しげに笑いながら言って去って行く彼女の後ろ姿。
私はただそれを見送るだけ。
誰も居なくなった部屋で溜め息を吐く。
今さらになって緊張していたのだと気付かされる。
侵入者が居たからだと思い込もうとするけれど、心の何処かでは分かっていた。
私にほんの少しの彩りを取り戻してくれた彼女と、もう2度と会えないのではないかと恐怖していたのだと。
気付いているのに私は蓋をする。
そんな訳ないと、そう嘯いて見なかったことにしたのだ。
けれど、隠しきれない感情が口元に現れる。
微かに持ち上がる口端。
分かりづらいけれど、それは確かに笑みの形を作っていた。