第17話 悪役だけど、初日は乗り切ったな(違う)
「明日からは普通に6限目まであるからな。午後からの教科書忘れんなよ。あと、今日は大人しく帰らないと……内申点が危ないと思え。じゃあ、さいならー」
鬼木先生が雑な手振りとともに教室を後をした。
教室内にはどこか、ほっとしたよう空気が広がる。
今日は入学式ということで午前中で終了。
鬼木先生の言葉と明日からの授業に備え、クラス全員が帰る支度を始める。
まあ鬼木先生のあの言葉は、入学初日のテンションで何かやらかされても困るってことだよね。
それに、鬼木先生は面倒くさいことが嫌いって言っていたし、予防線を張ったんだな。
僕も悪役の立場として、初日からやらかすわけにはいかない。
クラスのみんなも、鬼木先生の言葉の意味は分かっているような空気感である。
でも……その視線はどこかそわそわと彷徨っていた。
「ねぇ、めっちゃ話しかけたいんだけど……」
「だめよっ。後で鬼木先生に怒られるに決まっているわっ」
「それに、無警戒そうだけど相手はあの男子……。あたしたちが一斉に話しかけて怖がらせたりでもしたら……」
「明日から学校に来なくなるっていう最悪の事態になったら……」
「うん、今日のところは男を見れたし、同じ空気吸えたことで満足しよう」
女子たちの中には、僕の方をちらちらと見たり、目が合えば慌てて逸らす子もいた。
まあ……初日あるあるだよね!
僕も鞄に配られたプリントや筆記用具を入れて、帰る準備は完了!
ちらっと隣を見れば……菜子ちゃんは、今はスマホをいじっていた。
恭子さんや真紀さんに連絡しているのかも。
しかし、こうよく見ると……菜子ちゃんってほんと美少女だ。
ふわりとした亜麻色の髪に、ぱっちりとしつつも優しそうな瞳。
座っているだけでも分かるスタイルの良さ。
人目を惹くには、十分過ぎるオーラを放っている。
うーん、これはメインヒロインだね。
そして僕は、悪役。
小説や漫画、ゲームどれを取っても、敵対することが多いのに……。
裏では、坊ちゃまと専属メイドである。
僕と菜子ちゃんのこの関係は学園では秘密だ。
もし、知られれば、僕が恨みを買う可能性があるからね。
なので、一緒に帰ることなどの関係が疑われてしまうような言動はしない。
それに、今日は菜子ちゃんは恭子さんや真紀さんと一緒に帰るだろう。
家族の時間は邪魔しちゃいけないよね。
でも僕は……さっさとは帰らなかった。
ちょっと悩んでいたのだ。
菜子ちゃんが自己紹介の時に、僕のサポート役であることを明かしたのに……何も言葉を掛けずに帰るっていうのは、あれだよね。
「菜子」
「え、あ、はいっ」
声を掛けた僕に、菜子ちゃんは驚いたように顔を上げた。
うん、驚かせてごめんね。
でも、菜子ちゃんは学園では僕のサポート役をしてくれるから、一言だけでも声は掛けるべきだと思った。
「また明日からよろしくな、菜子。頼りにしている」
「は、はい。玲人さん。私の方こそよろしくお願いします」
うんうん、菜子ちゃんもスムーズな対応だ。
このやり取りぐらいなら怪しまれないよね?
それ以上は何も言うことはなく、僕は教室を出た。
入学初日、我ながらまずまずの出たしではないか?
乗り切ったと言っても――
「れーくんおかえりなさいっ」
敷地内を歩いていると……横合いから声を掛けられた。
「れーくんが無事で良かったよ〜! 何もされてない? 体には異常はない? クラスの女の子よりもママの方がいいよね? 明日は無理しないで学園はお休みする?」
声とおっぱいが弾んだ母さんが駆け寄ってくる。
過保護系悪役ママの再登場である。
そして、まるで僕が戦場に出向いたかのような言葉の数々……。
元の玲人がワガママになったのは、母さんが甘やかしすぎもあるかもね。
そんな母さんの傍には、十数人のメイドさんたちと黒スーツのボディーガードの女性2人。
朝と同じシチュエーションだ。
ああ、そうだった。
帰るまでが遠足ならぬ……帰るまでが学園生活だよね。
つまり……また目立つわけだよ。
「れーくんおうちに帰ろっか♪」
「玲人様ご安心ください」
「帰りもワタシたちが安全にお届けします」
うん、1人で帰れる隙はなし……。
「あ、ああ……。よろしく頼む」
僕は切り替えができる悪役だ。
よぉーし! 明日からまた頑張るぞ!
◆◆
(菜子side)
玲人様が出た後は、クラスの女の子たちも次々と教室を出た。
けれど去り際に……ちらちらと私に視線を送る子が多かったのは、気のせいではないだろう。
私が、玲人様のサポート役だからだよね。
うん……やっぱりみんな気になるよね、玲人様のこと。
普通の男子とは違って、女子に怯える様子もなければ、邪険に扱うこともない。
それどころか、無自覚な発言に、大勢の女子がいる中でもふわりと笑みを浮かべて……。
それに、玲人様はこのクラスで唯一の――
「菜子! お前、大丈夫なのかっ!」
と……私のところに駆け寄ってきたのは、中学校からの親友であった。
青みがかった黒髪ベリーショートに、目鼻立ちはシュッといる、高身長で健康的な小麦色の肌のボーイッシュな女の子。
猪瀬凪沙ちゃんである。
そんな凪沙ちゃんは……どこか深刻そうな顔をして私に詰め寄てきた。
「えっと……どうしたの、凪沙ちゃん?」
「どうしたも何も……さっき男に話しかけられただろっ」
「あ、うん……そうだね」
「いや、そうだねって……お前、男のことが苦手だろっ。手汗すごいことになってんじゃねーのかっ」
凪沙ちゃんの大きな声に、私は思わずクラスをキョロキョロと見回す。
教室には幸い、私と凪沙ちゃんしか残っていなかった。
玲人様がいなくなったことや鬼木先生の忠告もあり、みんな今日は速やかに帰えることにしたのだろう。
凪沙ちゃんだけは、私に話しかけるタイミングを待っていたようだ。
「って……あれ、汗とかかいてないな?」
いつの間にか、私の手を握っていた凪沙ちゃん。
私の手を揉むように触っていた凪沙ちゃんは首をかしげた。
「でも、手はちょっと温かいな」
「っ……。き、今日はちょっと寒くてカイロを触っていたからかなっ?」
私はすぐにそう返した。
嘘である。
確かに、今日はちょっと寒いけど……カイロなんて持ってきてない。
でも、手がちょっと温かくなっている理由は自覚している。
『明日からもよろしくな、菜子』
玲人のあの一言で、なんだか胸の奥がじんわり温かくなったからだ。
「ふーん、まあいいや。あと、男に下の名前で呼ばれているとかどういうことだよっ」
凪沙ちゃんの質問は続く。
さすがの凪沙ちゃんも気になるのは……当然かもしれない。
玲人様の今日の言動は……私たち女子からしたら全部、普通のことではないのだ。
それどころか、滅多に見れないことなのだ。
「下呼びなのは……玲人さんのただの気まぐれだと思うよ? わ、私も玲人さんに下の名前で呼んでって言われたし」
名前の呼び方に関しては、玲人様の作戦である。
「ほーん、気まぐれねぇ? それに、男が苦手な菜子が、わざわざ男の傍にいないといけないサポート役の役割を引き受けたってことも気になってるんだよなぁ〜」
凪沙ちゃんは眉を顰めて、私はどういう言い訳をしようか考えていたけど……。
「って、色々質問攻めにして悪いなっ。こういう質問攻めが起きないように、鬼木センセーも脅し掛けたのに親友のウチがやってどうするんだよって話だよなっ。とりあえずは、菜子に何もなくて良かったよ。でも、明日からは何か困ったことがあったらウチにすぐ報告しろよ? すぐ飛んでくるからなっ」
そう言って、はにかむ凪沙ちゃん。
私は、「わかった」と頷いた。
正直、ありがたい。
サポート役。
一見、玲人様が学園生活を過ごしやすいようにサポートする役割見えるけど……。
実際は、玲人様とクラスの女子との仲介役になる事は目に見えている。
だって、みんな。玲人様に話しかけたい。
仲良くなりたい。
あわよくば……特別な関係になりたいと思っているのだから。
私だって……。
「んじゃ、靴箱まで一緒に行こうぜ菜子」
「うん、凪沙ちゃん」
凪沙ちゃんと話すのは高校生になったって変わらず楽しい。
だけど最近、何をしていても私の頭の片隅にはずっと……。
『菜子……あまり無理をするなよ?』
玲人様の顔が思い浮かぶようになっていたのだった。




