side二条恭子③
あれから私は、妹の菜子を家まで送った。
車を降りれば、久しぶりに我が家を目にする。
「……そういえば、家には随分と帰っていなかったわね」
そう呟いて、胸がチクッと痛んだ。
屋敷には常に坊ちゃまがいて、そのお世話は専属メイドである私がする。
他のメイドたちに対しても、メイド長として、坊ちゃまの対応の指導もした。
それが奥様……美香さんの提案で、私はそれを引き受けた。
だから、家族との時間は後回しになりがちだったのだ。
「送ってくれてありがとう、お姉ちゃん。それと……今日は色々とごめんなさいっ」
菜子がバツの悪そうな表情を浮かべながらそう言ってきた。
「色々って、何のこと?」
私が尋ねると、菜子は視線を下げて……ぽつりぽつりと話し始めた。
「えと……ナンパされたこととか、メイドの仕事を始めるって話とか、お姉ちゃんに強い言葉で当たったこととか……私、お姉ちゃんに迷惑掛けてばっかりだよね?」
その言葉を聞いて、私は思わず息をつく。
菜子に対してのため息ではない。
私自身に対しての……呆れだ。
私は、菜子のことを大切に思っている。
たった1人の妹。
それも「お姉ちゃんお姉ちゃん」と慕ってくれている。
それはもう可愛いものだ。
だからこそ、菜子には好きな物を買って、好きな学校に進学して、何不自由なく、ずっと楽しく過ごしいと思った。
苦労や辛い思いなんてしてほしくなかった。
でも、実際には……私は、金銭的問題を解決するのに一生懸命になっていて……菜子自身ことは見てあげられなかった。
結果、菜子にこれほど思い詰めさせていた。
私は、菜子ことをちゃんと大切にできていなかったのだ。
「……謝るのは私の方よ。ごめんね、菜子。貴方の気持ちをちゃんと考えてなかった。貴方のことをちゃんと見てあげられていなかった」
私がそう返すと、菜子は少し驚いた顔をして……やがて柔らかく微笑んだ。
「ううん、お姉ちゃんが謝ることはないよっ。お姉ちゃんはそれだけ、家族のために頑張ってくれているってことだから。でも、これからは私もお姉ちゃんの力になるからね! だって私って……お姉ちゃんのことが大好きだからっ!」
その言葉と久しぶりに見た菜子の笑顔に……じんわり胸が熱くなった。
「そう……。ありがとう、菜子。それじゃあ、頼りにさせてもらうわ。でも、私は屋敷ではメイド長……厳しいわよ?」
「ふふ、受けて立つよ」
姉妹としてこんな風に向き合うのは、随分と久しぶりな感じがした。
それでいて……とても温かな気持ちになった。
「ねえ、お姉ちゃん」
菜子が不意に真剣な表情で私を見つめた。
「どうしたの?」
「玲人様って……あんな感じだったっけ?」
「……」
その問いに、私は考え込む。
私と同じで、菜子も幼い頃に彼と会っている。
そして……菜子も、彼の心無い言葉や自己中心的な行動に嫌な思いをした。
彼のことは少なからず、苦手抵抗があるだろう。
「お姉ちゃん……玲人様は変わったの?」
そんな菜子からの問いかけ。
「……それが、分からないの」
「分からない?」
そう、彼の外見や話し方は大きく変わっていない。
けれど――
『この学園での生活をちゃんと楽しみたいんだ。それに、恭子にメイドの仕事が楽しいって思ってもらえるようにしたい。だから僕は頑張るよ』
真っ直ぐ私を見つめて告げた、あの言葉も。
『行こう、恭子!』
菜子がナンパされている光景を見て、何の迷いもなく私に掛けた、あの言葉も。
『人の迷惑になることをしていることに、男も女も関係ない! ましてや、男だからって許されていいわけがない!』
一言一句はっきりと述べた、あの言葉も。
そして――
『恭子。僕は君たち姉妹のことをよくは知らないが……少なくとも、菜子が姉想いのは分かった。そして、彼女は姉のためを想うが故に、無茶をしそうな気がする。恭子が1番分かっているのでは?』
私たちことなんて、知らない。
知ろうとしない。
興味なんてなかったはずなのに……。
私たち姉妹のことをまるで見透かしたような的確な、あの言葉。
どれも……嘘ではない。
彼の本心からの言葉だった気がした。
だからこそ……。
「最近の彼が……よく分からないの。だって、昔からの知り合いだった私のことも、ただの駒のように扱っていたのに……今はなんであんなに……あんなに優しい言葉を掛けくれるようになったの……」
自然と漏れた言葉。
ハッと気づいた時には、菜子には全部聞かれていたのだろう。
菜子は……微笑んでいて。
「……そっか。やっぱりお姉ちゃんは苦労していたんだね。今度は私もいるから苦労なんてさせない。それと私は……玲人様が変わったって信じてみたいな」
「っ!」
信じる。
いつか変わってくれるのではないかと、どこかで期待すること。
父がいた時には、私にもそんな気持ちはあった。
浮気しても、ギャンブルにハマっても、他人に迷惑を掛けても……血の繋がった私たちのために、いつかは変わってくれるのではないかと……思っていた。
でも結局、あの人は変わらなかった。
それどころか、なんの躊躇もなく私たち家族を見捨てた。
この世界の男性なんて皆、それが当たり前なんだなと思った。
横暴でワガママで、人の気持ちなんて考えもしない。
初めて出会った彼もそうだったから。
でも……。
『僕は、君にもう酷い態度は取ったりはしない。だからこれからも――僕のメイドでいてほしい』
あの言葉も、今の彼のことも……信じてもいいのだろうか?
「それに、玲人様は去り際にこう言ってたよね。『あとはゆっくり話し合ってくれ』って」
「言ってたけど……」
「それってさ……ゆっくり、家族で話し合ってってことなんじゃないかな?」
私が首を傾げていると、菜子が続きを言う。
「だって、私もお姉ちゃんもあの場で玲人様の提案に同意したんだよ? なのに、ゆっくり話し合ってくれって言葉を残して、部屋を出たってことは……きっと、この話を家に持ち帰ってほしいってことだけじゃなくて、私たち家族3人にゆっくり話し合う……会う機会をくれたんじゃないかな?」
菜子のその言葉は、少し強引な気もするが……。
今の彼なら、そんな配慮もあり得るかもしれない。
ふと、そう思っていた自分がいた。
「ねー、お姉ちゃんいいでしょ? 今日は一緒に過ごそう?」
何より、大切な妹がそう言っているのだ。
「そうね。そういうことにしましょうか」
「本当! やったぁ! じゃあ早く家に入ろう! お母さんも久しぶりにお姉ちゃんと過ごせるって聞いたら絶対嬉しいよっ!」
菜子に手を引かれて、私は久しぶりに我が家に入った。
私のこの「嫌い」の気持ちも……変わり始めているのだろうか?
◆◆
一方その頃。
「坊ちゃま。メイド長が午後から休暇を取るとの連絡がありました」
「えっ……そうなの?」
「はい。なんでも今日は家でゆっくり話し合うとのことです」
「ふむ、そうか……」
メイドさんからの報告を聞き、僕は自室に戻った。
「えっ、家でゆっくり話し合うってどういうこと??」
僕はてっきり、あのリビングで2人でゆっくりしてから帰ると思って、言葉を残したんだけど……。
どうやら僕はまた、恭子さんの好感度を下げてしまったらしい。
やっぱり、妹を専属メイドにしたのは嫌だったのかな?
今から家族会議とか始まる感じなのかな?
「というか、悪役転生って……こんなに好感度上げが難しいの!?」
この男は相変わらず、とんでもない勘違いをしていた。
ここは男女比がバグった貞操逆転世界である。
そんな世界で、悪役転生ムーブをするとどうなるのか……これから思い知ることになるだろう。




