双子と大魔女と運命反転の竜
「それでね、深夜0時に時計塔の階段を降りていくと……」
「ぞわぞわ」
「12段の階段が13段になっていて……」
「不思議こわい!」
「振り返るとそこにはァ……!」
ドン!
「きゃー!」
『うっさいよ! 早く寝ろ双子!!』
オワゾー魔導学園学生寮。消灯時間を過ぎた夜更けに怪談で盛り上がっていたのは、私ことアルエット・ドゥプルワと妹のエグレット・エル。ショコラ色の温かな色の髪に翡翠色の瞳を持つ双子の姉妹である。二人ともこの春に二年生へと進級した14歳だ。
「はーい!」
「すみまっせーん……」
私に怪談を聞かせていたエグレットが隣室から壁ドンとともに飛んできた文句に元気よく応えるのに続き、私も小声で謝罪を述べた。同部屋の私たちは二段ベッドの上下で、毎晩のように時間を忘れてお喋りに興じてしまう。
「おやすみ! アルエット」
大人しく眠る様子のエグレットに、話の続きが気になりつつも私も目を閉じる。
「おやすみ」
◇
アルエット・ドゥプルワとエグレット・エル。なぜ双子なのに家名が異なるのか。それは私たち二人がそれぞれ別の家と養子縁組をしたからだ。ドゥプルワ家に入った私アルエットと、エル家の養女となった妹のエグレット。
姉妹ともに他家の養子となった私たちだが、実の父母が亡くなったとか親類縁者が居ないとか、そういった事情ではない。
私たちが家族として暮らせない理由、それはこの国の抱える事情と大きく関わりがある。
“カヴァリ”。
この国の言葉で“穴から湧くもの”の意味を持つ魔物。
カヴァリは底界、スー・テランから来て人を襲う魔物だ。人類は生存を賭けてこの魔物と戦い続けて来た。そして我が国、ニド王国のある土地は他国に比べて特にカヴァリの出現が多い場所として知られている。
魔物が湧くときは地表からガスのような黒い霧の噴出が始まり、霧が溜まると大地に穴があいてカヴァリが湧く。形は様々だが黒く硬い外皮を持つ節足動物のような形状が多いため、カヴァリの出現は「蟻が湧く」などと形容される。
この魔物の特性として最も厄介なのが生命力の強さだ。カヴァリは魔力で起こした現象でないと完全には消すことができない。
例えば駆除に火を使う場合。魔力で発現した炎でなら燃やし尽くせるが、物理によって起こした炎では怯ませたりダメージを与えることはできても息の根を止めることはできないのだ。
そんなわけで、ニド王国にとって魔力を持つ人材は非常に貴重だ。中でも戦闘系の魔力のある人間は、男女ともに領主や国家に重用される。そして私たち双子は生まれつきとても魔力が高かった。
十歳のとき。国による魔力測定を受けた私たちのもとに二つの家からの養子縁組が申し込まれた。養子縁組制度は法律によるもので、家族に魔術師がおらず家庭教師などをつける金銭的なゆとりがない家に魔力持ちが生まれた際には、里親に認定された家に入らなければならない決まりがある。
実親と引き離されることや魔術師として生きることを余儀なくされるこの制度について、他国からは人道的に批判されることも多い。しかしこの国に生まれた人間は皆その使命を覚悟して受け入れている。魔術師が居なくなりこの地にカヴァリが溢れれば人は生きていけない。誰かがやらなくてはならないのだ。誰が。その力を持つものが。
引き取り手となる家は国によって厳しく査定され認定を受ける必要がある。資金力や慈善活動の実績などから多くは貴族の家門になるが、平民であっても魔術師の多い家系や豊かな商家などであれば里親の資格認定を受けることは可能だ。引き取った子が育ち正式な魔術師となれば討伐実績に応じて国から多額の報酬が入るため、認定を受け魔力持ちの子を養子にしたがる家は多い。
生家は田舎の貧乏領主で、名ばかりの子爵位を持て余しているような末端貴族だった。そんな私たち双子のもとに持ち込まれた二つの養子縁組。ひとつは公爵位を持つ大貴族ドゥプルワ家で、もうひとつは平民ながら魔術師の名門であるエル家であった。顔合わせに訪れた二家と対面して、私たちは二人ともすぐにこう思った。
(エル家がいいな)
ドゥプルワ家は公爵の身分である誉れと自尊心を渦高く積み上げたところから下界に言葉を投げかけているような人々だった。十歳の子供にでも感じ取れたほどなので、その威丈高で傲慢な態度を貧乏子爵ごときに取り繕う必要もないと思っていたのだろう。
対してエル家は、エリート魔術師の家系でありながら、子どもの個性を最大限に尊重しようとする姿勢がありありと見てとれた。認定を受けて子どもたちを引き取っているのも、正しい魔術の基礎を身につけさせ、少しでも魔術師の危険を減らしたいという願いからだ。
「ジャリハンケンで決めましょう」
私が告げると、妹のエグレットは真剣な顔でこくりと頷いた。
ジャリハンケンとは、ジャリ石に見立てた握り拳と、ハンカチに見立て開いた手のひら、そして剣に見立てて人差し指と中指を突きだして手を握り込む、3つのハンドサインを同時に出して勝ち負けを決めるゲームだ。
剣は布を切り裂くため剣とハンカチなら剣の勝ち、しかし石には歯が立たないため、剣とジャリならジャリの勝ち。ジャリ石は布で包めるのでハンカチはジャリより強い。三すくみの関係性によって勝敗を決めるのだ。
「じゃーりはーんけん」
向き合った私たちは背中に隠してハンドサインを決めた。
「ほい!」
掛け声とともに、繰り出す。
私の開いた手のひらはハンカチのサイン。そしてエグレットの手は。
「やったあっ!」
剣を示す二本の指が突き出ていた。
かくして、私アルエットはドゥプルワ家に、妹エグレットはエル家に引き取られることとなった。平民とはいえ、エル家は優秀な魔術騎士や指導者を輩出する名門。その暮らしは田舎子爵である生家よりも豊かだろう。
何より、血の繋がらないエグレットを実の子と同じように慈しんでくれていることが、妹の手紙や笑顔から察せられた。そしてドゥプルワ家に引き取られた私はといえば──
「……アルエット、寝た?」
ぼんやりと自身の境遇について考えていると、二段ベッドの上段からエグレットの声がささやかに響く。
「まだよ」
小さな声で囁きかければ、話すのを逡巡するような僅かな時間の後、エグレットが私に聞いた。
「今週末の休暇は帰るの? 実家」
生家の子爵領は遠い。週末の二日ばかりの休暇を使って帰るには離れすぎている。この場合のエグレットが指すのは王都にある学園からすぐに帰宅できる、公爵家のタウンハウスのことだ。
王都にタウンハウスを持つ貴族だったり、王都の下町などに暮らす家庭の子息子女は週末はそこに帰ることが多い。学園は十三歳から十七歳までの四年間を過ごすことになる。家族と離れて暮らすには少し早い年齢。なるべく子どもの顔を見て安心したいという親は多いのだ。
「そだね、帰ってこいって言われてるからなあ」
私がため息混じりにそう返せば、小さく、ほんの小さく、エグレットが息を飲む音がした。悟らせまいとしているのだろうが夜は静かすぎて、部屋は狭すぎたのだ。
「そっか」
エグレットの返事は短かったけれど声にはいたわりが滲んでいた。
「おやすみ、エグレット」
それが申し訳なくて、私は明るい声でもう一度告げて目を閉じる。初夏のねっとりと濃い闇の中に、忘れたい現実と一緒に逃げ込んだ。
◇
「アルエットさん、もう少しエレガントな所作が身につくとよろしいわね」
週末。ドゥプルワ家での晩餐には公爵一家が揃う。その食事の場で養母である公爵夫人からマナーの指摘を受けるのは日常だった。
私だって腐っても貴族の生まれだ。マナーがまるでわからないことは無かったが、地方の弱小貴族と公爵位を持つような大貴族では求められる水準が異なる。引き取られてから今日まで私だって努力しているつもりだが、すべての貴族の規範となるような優美で洗練された所作をまだ持ち合わせていないのだろう。少なくとも、養母の目には叶わないということだ。
そのせいかどうかは知らないが、彼女は実子である公爵令息はミロン、公爵令嬢はシテルと呼ぶのに対して、養子である私を頑なにアルエットさんと呼ぶ。私だけが“余所者”なのだ。それは、公爵夫人に限った話ではない。
「申し訳ございません」
頭を下げた私をちらりと横目で見て、二歳年上の令息ミロンがニヤニヤと嘲りの表情を浮かべている。実兄の姿に追従するかのように、私のひとつ歳下の令嬢シテルも嬉しそうに口角を跳ね上げた。
「仕方がないだろう、生まれ育ちが違うのだ」
救いの手を伸べるように見せながら、養父が私の出自を馬鹿にする。実の家族を馬鹿にされた悔しさを口に出さぬようこらえて、切り分けた肉といっしょに喉の奥に押し込んだ。上質なはずのフィレ肉が砂を噛むように不快で、その不快ごと飲み込んだ。
私はいつまで経ってもこの家の“居候”なのだ。決して、“家族”にはなれない。
大魔女になりたい。
それはいつしか夢見るようになった、私の目標。魔術師として大成してこの家を出て生きていけたら。実家にも迷惑をかけず独り立ちができたら。そのためにも、三年後に学園を卒業するときに大魔女の称号が得られたら誰にも文句は言わせないのに。けれど。
「しかし魔力の才能があるからと子爵家から引き取ったものの、姉の方で正解だったのかどうか……ねえ父上。 せっかく魔力が多くても、学園の成績がアレじゃなあ? アルエット嬢」
義兄ミロンが嘲りの笑顔を深くする。そうだ。私の学園の今の成績は大魔女には程遠い。座学でどれだけ頑張っても、実技がまるで追いつかないのだ。私は魔力操作がほとほと苦手だった。ロウソクに火を灯そうとすれば一瞬で本体ごと溶け消えるほどの火を起こしてしまい、そよ風を起こそうとすれば暴風が吹き荒れる。そして何より、魔法の出力調整が下手すぎるせいで媒介となるロッドが一回でボロボロになってしまうのだ。いくら魔力量が多くても出力出来ないのならばただの人だ。魔法使いにはなれない。
「生真面目な問題児」。それが教師が影で私を評価する声だ。
「エグレット様はとても優秀だと一年生の間でも話題ですわ!」
義妹のシテルが声を弾ませる。その表情にはやはり私への侮蔑が浮かんでいる。双子の妹であるエグレットを引き合いに出されるのもいつものことだ。
「引き取る方を間違えたな」
ため息をついて養父が言えば、養母が舌打ちでもしそうな顔で私を見た。
実際、エグレットはとても優秀だ。それこそ、卒業時に大魔女の栄誉を与えられるのは彼女だろうと噂されるほど。
大魔女、または大魔法使いは、オワゾー魔導学園を最も優秀な成績で卒業した者に贈られる称号である。この称号を得たものはほぼ間違いなく下積み無しで王立の魔術師団に入団できる。この国に魔術師団は数あれど、王立魔術師団ともなれば各地の魔術師団で実績を積み上げなければ入団は難しい。危険な任務も多いが名誉と給料も破格だ。この国において魔法を学んだ人間の頂点が王立魔術師なのである。名門魔導学園の首席卒業はその切符を掴む最短の方法。
「来週の神魂獣召喚では名のある神魂獣を呼び出してもらわなければ困るわね。我がドゥプルワ家にも面子がありますもの」
眉を吊り上げたまま養母が吐き捨てる。どうやら、私がエグレットに比べて冴えないということも彼女の神経に障ることのようだった。
◇
神魂獣とは、魔力を持つものが儀式によって呼び覚ますことができる、魂を具現化した獣のことである。神が人ひとりに一匹を授けてくれたとも言われるが、それはまあ、ひとつの神話に過ぎない。とはいえ現実的にも「可視化できる精神体」というような曖昧な解釈しかなされていない。その役割はロッドの代わりの魔法媒介と考えればわかりやすい。
神魂獣を得た魔法使いはより高い能力を使うことができるようになる。稀に神魂獣が出力に耐えきれないケースもあるが、一般的にはロッドの強度を超えて魔法を放つことが可能になる。攻撃魔法ならば威力が上がり、より複雑な術式の発動も可能になる。
魔力操作の苦手な私でも、強い神魂獣を得ることができたら落ちこぼれを卒業できるかもしれない。淡い期待を寄せて、十四の夏を待っていた。
「羊だわ!」
クラスメイトのベカシーヌがはしゃぐ声が聞こえて、はっと顔を上げる。気がつけば自分の順番まで、あと一人。
「羊なんて全然弱いだろ」
「いいのよ! 私は洋裁部門に進むんだから最高なのよ!」
ハイエナの神魂獣を呼び出した男子生徒に意地悪を言われても、ベカシーヌは気にせず笑っている。心の優しい彼女らしい神魂獣だ。
エグレットはすでに氷属性を持つ見事な雪豹を召喚して、周囲をざわめかせていた。背筋を伸ばした美しく強い妹。その隣に並ぶ美しい毛並みの獣。牙がクリスタルのようにきらめいて白銀の毛並みが陽の光を弾いた。それはとても誇らしくて、そして羨ましいと素直に思う。
「アルエット・ドゥプルワ!」
名を呼ばれて前に出ると、周囲の生徒がざああと離れた。仕方がない。魔力操作の苦手な私は周囲に警戒されている。
召喚陣の上に立ち、定められた呪文を詠唱して願う。魔力が膨れ上がって前髪が揺れた。その膨大な魔力に周囲の生徒から声が漏れる。これはなかなか大きな獣が出てくるのではと自分でもその気配を感じた。おそらく周囲も。
神魂獣よどうか、私に力を貸して──
「……こ、これは?」
立ち会いの教師からぽろりと言葉が溢れる。その疑問に答えられる者は誰もいなかった。誰も見たことのない獣。その大きさは。
「わ、わんちゃん……?」
「ボフ!」
大きさは子犬ほど。私の呼びかけに不思議な声で応えた。やはり犬なのか? いや、それよりも。
「いやなんで骨っ!?」
エグレットが突っ込んだ。私が呼び出した神魂獣は子犬サイズの、骨だった。
◇
夏が終わり、秋が過ぎた。冬が来る。
雪が降れば骨は寒そうだ。私は「お骨ちゃん」と名付けた神魂獣に帽子と洋服を編んだ。友人のベカシーヌが彼女の神魂獣であるメイさんから採れたとても温かい羊毛を分けてくれたのだ。
「あったかい?」
「カチカチ!」
お骨ちゃんが体を震わせて骨を鳴らす。小さな竜巻を起こして、私の髪はぐちゃぐちゃになった。
お骨ちゃんの属性はわからない。くしゃみをして小さな炎を吐いたときは私の前髪は焦げてチリチリになったし、ブルブルと体を震わせて何故か水滴を撒き散らしたこともある。ひとつ言えることは、お骨ちゃんには私の魔力を受け止めることはできないということだ。お骨ちゃんを媒介に攻撃魔法を使おうとした時には、私の魔力を受け止めきれず苦しそうに丸くなってしまった。今のところは私から漏れ出ている魔力を吸収して吐き出すことしかできない。
「ハズレだろ」
クラスメイトは皆そう言うし、教師が私を見る目はますます残念になった。しかし魔力調整が下手くそな私にとって、お骨ちゃんのささやかな魔法はとても良いものなのだ。ロウソク本体を燃やし尽くすことなく火を点けられるし、そよ風は涼しく優しい。
「しばらく顔も見たくないわ」
それに何と言っても喜ばしいのは、公爵夫人が激怒したことによってドゥプルワ家に帰省する必要がなくなったことだ。
「その汚らわしい骨を処分して、新しい召喚をしなさい」
公爵夫人はそう言うが、誰がお骨ちゃんを手放すものか。
神魂獣は一人につき一体と決まっているが、神魂獣を自らの手で殺した場合は新たな神魂獣が与えられる。とはいえ、そうやって呼び出した神魂獣が最初のものを超えるとは限らないし、永久に召喚能力を失うこともあるのでリスクはある。
「アルエット……その、本当に、神魂獣はそのままでいいの?」
エグレットが気遣わしげに訪ねてくる。妹が新たに召喚を勧めてくるのは養母とは違って私の将来を案じてのことだ。妹はどこか私に負い目を感じているところがある。自分がエル家に引き取られて幸せだからこそ、姉が意地の悪い公爵家に居ることを犠牲になったと考えているようだ。だが、引取先は公平な勝負で決まったのだ。エグレットが申し訳なく思うことなど何もない。
私には召喚に応じてくれたお骨ちゃんを殺すことはできない。残念な目で見られる主人に、残念な目で見られる神魂獣。術者の精神を分けたものなのだから当然かもしれないが、お骨ちゃんに向けられる視線は自分に向けられるそれとよく似ている。この子にだって、この子にしかできないことがあるはずなのだ。きっと私にも。
冬の日差しは夏のように直線的でなくて、ぼんやりと丸くて心地よい。私はひんやりした空気の中でその日差しを浴びるのが好きで、学園の中庭でお骨ちゃんの手袋を編んでいた。火の属性を付与して暖かくしようかと考えたが私の魔力操作では燃やし尽くしてしまいかねないので諦めた。それにメイさんの羊毛はほんわり魔力をまとっていてそのままでもとても暖かい。
足元ではお骨ちゃんが毛玉とじゃれていて、私は指先を動かしながら、傍らにおいた座学のノートを見返していた。
「──あ!」
その時、不意に風が吹いて、リングを外していたノートから数ページの紙が飛ぶ。風の向かう先は池だ。
(水に落ちちゃう!)
そう思った瞬間、紙はピタリと空中で静止した。ぱちりと瞬いた私の目の前で、長く整った指先が空中の紙をつまんで、回収していく。
「ありがとう、ございます……」
どこが呆然としながら鮮やかにノートを救出してくれた人物に礼を言う。相手はよく知っている顔だった。夜のような黒髪と濡れたように輝く黒曜の瞳。
「ノワール様」
ルメル・ノワール。私と違って生粋の侯爵令息であり、エグレットと学年首位を争う才媛だ。クラスメイトとはいえ雲の上の人という認識だったし、本人の人を寄せ付けない雰囲気も相まってほとんど会話したことはない。
「気を付けて」
「はい、助かりました」
精緻な風魔法に感嘆したままノートを受け取る。が、手渡した当人である侯爵令息はなにか言いたげに私を見て立ち尽くしたままだ。不思議に思って小首を傾げると、はっとしたような顔をして、そのまま少し視線を彷徨わせた。
「ドゥプルワ嬢」
「アルエットで構いません」
ドゥプルワの家名で呼ばれることが好きではないので、つい口を挟んでしまう。ノワール令息はわずかに目を瞠り、それから頷いた。
「では、僕のこともルメルと」
クラスメイトであるのだからと、そういう基準で私の申し出を受け入れてくれたのだろう。なんだか畏れ多い気もするが私も頷いて返した。
「アルエット嬢、そのノートにある魔力総量を求める公式はどこで知ったのだろうか。授業では習っていない」
私が見返していたのは魔道具学のノートだ。魔道具には道具の機構や構造に合わせて適正な魔力量を付与し動作に不具合が起きないようにする必要があるため、緻密な計算が求められる。
「ああ! この公式は私が考えました。授業で習う公式だと魔力量を計算するのに時間がかってしまって、その先の術式方程式を解くところに時間が使えないでしょう? この公式ならここと、ここの代入部分に数字を入れるだけで魔力量が出るので、後は出た数字を足していくだけで総量が……」
得意分野になると口数が増えるのは私に限ったことではないと思うが、ついつい喋りすぎた。我に返って令息を見上げれば、普段は無感情にも見える黒曜の瞳が心なしか輝いている。
「ペッシャー教授が“逸材”と評価するだけあるな」
「えっ」
マルタン・ペッシャーは魔術式学の教授だ。いつも飄々とした態度で見ようによってはやる気のなさそうな腰掛け職員にも見える若い教授だが、授業は非常にわかりやすいので私は好きだ。それに。
「オカ研の顧問ですからね。私よく先生の小間使いしてますから、そんな風に持ち上げてくれるんですよ」
「オカ研……?」
「オカルト研究部です」
「部活動してるのか、君」
ノワール令息改め、ルメル様が驚いたように訊ねる。確かに、座学だけでも落ちこぼれるわけにはいかないと机に齧りついている自覚はあるので、ガリ勉令嬢が部活に入っているというのは意外だろう。
「エグレットに誘われ……そそのかされて? 怖いの苦手なんですけど入ってみたらこれがなかなか興味深くて」
「──なるほど」
ルメル様は、よくわからんという戸惑いを醸し出しつつも神妙に頷いた。人の趣味を否定しない、とても紳士だ。
「では、君はとても忙しい、ということだな?」
いつも授業で堂々と発表する彼らしからぬ、はっきりしない態度でルメル様はもごもごと口ごもっている。私のスケジュールを気にするということは何か頼みたいことでもあるのかもしれないとピンときた。ペッシャー教授にしてもそうだが、実家に帰らず寮に居着いている私は何かと頼まれごとが多いのだ。
「それほどでもありません。勉強と部活くらいしかないですからね?」
取り敢えず話を聞いてみようと、促すように水を向ければ意を決したようにルメル様は顔を上げた。
「その、座学の勉強を一緒にできないだろうか? 先程の君の話はとても興味深くて……」
「いいですよ」
「えっ」
自分で言いだしたのになぜか驚くルメル様。
「自分以外の発想に触れられる機会はなかなかないですから。私もルメル様から学べるのならとても有意義なことです」
まさかの素晴らしい提案。座学の首位は譲れないが、実技ではトップを誇る令息と議論できる機会はとても貴重だ。イエス一択だ。
「ありがとう、よろしく頼む」
「はい」
感動したように差し出されたルメル様の手を取って、私たちは握手を交わす。取っ付きにくさ100%と思っていた侯爵令息の意外にも気さくな一面に笑みがこぼれる。学びへの貪欲さはとても、とても好ましいと思った。
「カチカチカチ」
「ん?」
「こら! お骨ちゃん!」
いつの間にか、先程まで毛玉に戯れていたお骨ちゃんがルメル様のボトムの裾をカチカチと噛んでいた。やめなさい。
◇
「へええ! あのルメル・ノワールご令息と!」
放課後。オカルト研究部の活動場所である魔術式学講義室に向かう途中でエグレットにルメル様とのやり取りを話すと、妹は目を丸くして声を上げた。
「二人が一緒に勉強したら、座学の順位がより一層手強くなりそうね!」
「エグレットも一緒にどう?」
成績上位のエグレットが加われば更に有意義な時間になるかなと思い声を掛ければ、妹は難しい顔をした。
「いやー、あたしはちょっと……ノワール氏って関わると面倒そうだし」
「面倒?」
「本人ていうより、周りのファンがうるさそーだなって」
「えええっ!」
「全然気にしてなかったでしょ? アルエットそういうの鈍いから」
「えーえーえー、そっか、でも今さら断るのも……」
先程嬉しそうにしていたルメル様の顔が脳裏に浮かぶ。非常に断りづらい。だが確かに、家柄よし顔面よしと女生徒の間で人気の彼と一緒に勉強するとなると嫉妬──されない気もする。なんせ私だし。優等生として目立つ妹と違って地味で冴えないガリ勉の姉だし。自分で言ってちょっと悲しくなるけども。
悩んでいるうちに講義室へと着いていた。
「おー早いな双子。他の生徒が揃うまでちょっと待ってな」
顧問のペッシャー教授に迎えられ、エグレットと二人教室の端に座って他の生徒が揃うのを待つ。ぱらぱらと入室してくる生徒たちに挨拶しつつエグレットと雑談していると、ガラリと勢いよく扉が開けられて、よく知る女子生徒が入ってきた。部員ではない。キラキラと輝く金髪にスミレ色の瞳をした美少女。
「シテル……さん」
「あらぁ、アルエットお義姉さま」
養家の娘、シテルだった。普段は養母と同じくアルエットさんと呼ぶのに、人前だから姉と呼ぶあたり何ともモヤモヤする。
シテルの後ろからは彼女に続いて数人の生徒が入って来ており、集まっていたオカ研部員たちが何事かと騒めいた。
「どうしてここに?」
とりあえず顔見知りとして話を向けると、シテルはふぁさっと髪をかき上げてふふんと鼻を鳴らした。なんだろう、一年生なのにこの貫禄。これが生粋の公爵令嬢というものか。意地は悪そうに見えるけど。
「生徒会の視察ですわ。部活動の実態があるかどうか調査してますの」
シテルは生徒会の紋章の着いたタイピンをクイッと見せつけるように摘んで胸をそらす。そういえば義妹は生徒会に選ばれたと、公爵家に帰っていた頃にそんなことを言っていた気がする。
「報告書は半期ごとに提出してますが」
部長である四年の女生徒が前に出る。シテルは眼鏡をかけた女生徒の風貌をちらりと見やると小馬鹿にしたような笑みを口もとに浮かべた。ドゥプルワ家の人間は常に相手を見てマウントを取ろうと考える。大方、容姿だとか装飾品だとかで自分が“上”だと値踏みしたのだろう。
「ええ、知ってますわ。先日の議会で書類だけでは信頼できない部に関しては抜き打ちで視察することが決まりましたの。こちらの部の内容が随分と……風変わりですので? 顧問のペッシャー教授も学園のことには熱心でないように見えますし」
シテルが風変わり、と言うと彼女の背後に居る生徒会員たちからクスクスと笑い声が上がる。おそらく高位貴族で社交的なのであろう彼らからはオカルト研究部というどこか陰気な趣味に対しての嘲りが垣間見えた。
「しかしまさか公爵家のご令嬢がこんな部……失礼、このような風変わりな集まりにいらっしゃるとはな、君の姉なのだろう?」
生徒会員の男子生徒の一人がシテルに話しかける。目線は私に向かっている。
「公爵家ならば、ですが、お義姉さまはお生まれがちょっと……」
シテルがニヤニヤと応じると、私の隣でエグレットがゴホンとわざとらしく咳をした。シテルはそれを見て口をつぐむ。私の生まれを馬鹿にするなら双子のエグレットも同様だ。
「エグレット様は優秀だとお聞きしていたのに残念ですわ。まさかお義姉さまに唆されましたの?」
取り繕うようにシテルがエグレットに微笑みかける。カヴァリ討伐が何よりも名誉とされるこの国では、魔術、とりわけ戦闘系の魔法に長けた人物を侮ることはあってはならないとされている。エグレットは身分は下位であっても軽んじられることはない。私のように。
「私がアルエットを誘ったのです」
「ふうん? まあどうでもいいですわ」
きっぱりとエグレットが言うと、私を甚振ることを楽しんでいたシテルと男子生徒は白けたようにおざなりな返事をして踵を返した。
「一応、実態があったことは報告しておきますわね。ごきげんよう」
何が一応なのか。捨て台詞を残して生徒会の人々は帰っていった。
「相変わらず感じわっるぅ!」
扉が閉まると同時にエグレットが舌を出す。周囲も同意したように頷いている。私はエグレットをまあまあと諌めつつ、視線を巡らせてペッシャー教授を探した。「学園のことには熱心でないように見える」とさらりと貶されていたが、遠回しに、実態のない部活に名前を貸した可能性があると言われたも同然だ。教授は教壇に座って腕を組み、やる気なさそうに静観していた。そちらを見やった私と目が合うが、教授はおどけたように表情を崩してやれやれと言ったように肩をすくめて見せるだけだった。
「ねえアルエット、魔法省に公爵家の扱い訴えよ?」
エグレットがそう言ってくれるが、私は首を振った。
「教育機関や討伐部隊に、公爵家がどれだけの金額を寄付してるか考えたら訴えるだけ無駄だよ。引き取った私が落ちこぼれなのは事実だし」
「そんなこと……!」
そんなことない、は言えないだろう。エグレットだって現実の見えない子じゃないのだ。むしろ私より、状況判断や要領よくやることに長けている。
「私は学園に通えるだけで十分。もちろん早く独り立ちしたい気持ちはあるけどね」
妹を安心させるようににっかりと笑えば、エグレットはため息を付いて言葉を飲み込んだ。代わりに、私に合わせるように勝ち気に微笑んでくれる。
「でもアルエットでもグラン・ソルシエールは譲らないからね!」
「私だって負けないから! ね、お骨ちゃん!」
呼びかけるとポケットから頭蓋骨を出したお骨ちゃんがカタカタと歯の骨を震わせた。神魂獣は本来の大きさより巨大化させることはできないが、小さくすることは可能なのだ。
◇
「アルエット! カヴァリの外皮構造と有効な魔術式に関する君の論文を読んだ。あれは実に面白いな。外皮に強度があるのではなく体内に強化の魔術式発生の核があるのではという発想が新鮮だった。カヴァリに魔法攻撃以外が効きにくい点とも整合性がある」
「ありがとうございます! オカ研で呪いにまつわる怪談を集めていて、呪文を刻むタイプの呪物があるって知ったんです。そこからヒントを……」
ルメル・ノワール様との勉強会は思っていた以上に楽しかった。お互いに魔法オタクで各種論文を読み漁っていることが発覚し、授業の内容以外にも話が弾んだのだ。
「俺は知識をそのまま使うことは得意だが発想力が弱い。アルエットのように部活動でもしていればそこから着想を得られるのかもしれない」
「たまたまですって」
一人称が「俺」になり、私のことはアルエット呼びになるくらいには親しくなった。それに何より。
「今日も少し訓練するか?」
「是非お願いします!」
座学の勉強に付き合うお礼にと、私の魔力操作の実技訓練を見てもらえることになったのだ。その成果はまだまだ現れていないが。
「お骨ちゃん!」
お骨ちゃんが受け止めきれない量の魔力を放出してしまったせいで、骨を震わせてお骨ちゃんが苦しそうに丸くなる。腕を組んで見守っていたルメル様が何か考えるように手を顎に添える。
「アルエット、もしかしたら問題は出力量じゃないのかもしれない」
「と、言いますと?」
「君、魔力量が膨大すぎるだろう? 通常の調整力では追いつかないんじゃないか。もっともっと精密な操作が必要だってこと」
確かに私の魔力量は規格外だ。だからこそそれを扱う技量がないことが悔やまれるのだが。双子だと言うのにエグレットは多いとはいえそこまでの魔力量ではない。
「魔力を流し込んで魔法を発動させるのではなく、術式を書き出して神魂獣に付与してみたらどうだろう?」
「神魂獣に?」
「ああ、そこの骨子さんに」
「お骨ちゃんです」
「カチカチカチ!」
名前を間違えられたお骨ちゃんが歯を鳴らして抗議する。
「やってみます! 術式を書き出して貼る、お骨ちゃんを一瞬呪物にする感覚ですね」
「カチカチ!」
お骨ちゃんが任せろというように骨を鳴らしながらくるくる回る。最近編んであげた帽子のフサがぴょこぴょこ跳ねてかわいい。やる気充分のお骨ちゃんと一緒に、新たにセットされた的へと向き直る。
付与する魔力量の計算や発動する術式の書き出しは得意だ。私は魔導インクを取り出してサラサラと魔法陣を書き出すと、お骨ちゃんにペタリと貼った。
「早いな。それに正確だ」
「へへ」
見ていたルメル様が感嘆の声を上げる。座学だけは良い線いけるのだ。
「お骨ちゃん!」
呼びかければお骨ちゃんがボウっとファイヤーボールを吐き出して、真っ直ぐに的を破壊した。
「やった……! ありがとうございます、ルメル様!!」
お骨ちゃんの出力量にすごく問題があるというより、私が魔力量を調整仕切れないのが問題なのだ。
こうして緻密に付与する魔力量を調整していき、お骨ちゃんの限界量を知ることが出来れば後は私が魔力操作を向上させれば良いだけだ。私たちでも戦える、その兆しが見えた気がした。
◇
「発動に時間がかかりすぎる」
しかし現実は無情だ。この方法では、いくらたくさん魔法陣のスクロールを用意していても、貼る、出力する、の時間がかかってしまう。カヴァリと戦う中で状況に応じて発動させるのは難しい。もちろんそれは最初からわかっていたことだ。ただ私の魔力操作が向上するまで何とかこの方で凌げないかとは思ったが、教師からは無駄だと一刀両断されてしまった。
「神魂獣を呪物にする発想は面白いけどねー」
放課後。オカ研でがっくりしていればペッシャー教授がぽんぽんと肩を叩いて慰めを言う。
「でも最近ちょっとずつ魔力操作も上達してるよね?」
「教授にもそう見えるならよかった。ルメル様との特訓のおかげです。とっても教えるのが上手いので」
「彼も最近、魔術式の発想が面白いよ。相乗効果だねー」
私も少しはルメル様の役に立てているのだろうか。そう考えると嬉しい。
「何にせよ来週の実戦研修までにはもうちょっと頑張る必要はあるね」
ペッシャー教授の言葉に、私は顔を引き締めて頷いた。エグレットが気遣わし気にこちらを見ている。そうなのだ。
二学年の終わりには初の実戦がある。小型のカヴァリを学園所有の森に放ち、探索と討伐を行うのだ。引率ガイドが数名付いてグループでの集団行動となるが危険が無いとは言えない。
「大丈夫、アルエットは私が守る」
エグレットがそう宣言する。その気持ちを嬉しく思いつつ、心の中で決意を強くする。守られるんじゃなく戦えるようにならなきゃ。
◇
そして実戦研修の日。
「注意事項は以上だ。カヴァリに遭遇出来なくても時間までには必ず帰還すること。ガイドとはぐれないように!」
教師の言葉に生徒たちが返事をして、グループごとに森へと入っていく。
「アルエット、いくよー!」
私はエグレットと同じグループだ。ルメル様と一緒のグループだったらと一瞬考えてしまったが、このところ訓練を見てもらっているせいで変に依存心が芽生えているのかと頭を振る。よくない傾向だ。
「このあたりで休憩しましょう」
引率のガイドの指示で私たちは崖上の開けた場所に腰を下ろした。生徒たちが休む間もガイドは地図を確認し歩いて来たルートを検証する。その表情には僅かに焦りが浮かんでいる。
実戦研修は順調とはいかなかった。といっても危険があったわけでは無い。むしろその逆。放ったはずの小型のカヴァリと全く遭遇しないのだ。
「初めてだからわかんないけど、こんなことってあるのかな?」
コソコソと一人の生徒がエグレットに耳打ちする。エグレットは「さあ……」と答えつつ、その表情には何となく緊張が見える。
「どうかした? エグレット」
「アルエット……」
エグレットが何かを言いかけた時、ガイドが立ち上がった。
「一旦引き返しましょう。ここまでカヴァリに遭遇しないとなると、何か森に変化があったのかもしれませ……」
ガイドが言い終える前に、それは現れた。
パキパキと木を薙ぎ倒しながらガイドの背後に現れた、小山のように大きな影。黒光りする外骨格。
「巨大カヴァリ──!」
全員が息を飲んだ。その次の瞬間。
「え?」
私はエグレットに突き飛ばされて、崖から落下していた。
◇
息を吸って、思い切り笛を吹く。救援信号だ。
崖から落ちた私は無事だった。そこまでの高さではなかったこと、そして降り積もった落ち葉がクッションになったことで、少し擦り傷ができた程度だ。
しかしもとの崖上に戻るには大きく迂回しなければならない。下からでは戦闘状況はわからない。煙が見える。そして巨大なカヴァリの姿も。
実習で討伐する予定の小型カヴァリは、おそらくあの巨大カヴァリを恐れて居なくなって居たのだろう。あの時エグレットが言いかけたのはきっとそのことだ。
救援を呼びに行くことも考えた。しかし集合場所までは遠い。行って、戻って、それまでグループのみんなが、エグレットが、無事でいるとは思えない。
「エグレットのばか……!」
妹は多分、私だけでも逃がそうとしたのだ。私が、魔力操作のできない落ちこぼれだから。自分の身も守れないダメな姉だから。だから。
ぼろぼろ泣きながら、救援信号が届くように笛を鳴らし続けながら、走った。戻るために。
ごめんエグレット。せっかく助けてくれようとしたのに、でも私、一人だけ助かろうなんて思えない。
役立たずでごめん、エグレットの気持ち無駄にしてごめん。
「お骨ちゃん、ごめん」
足もとを並走する神魂獣に呼びかける。ごめん、こんな主人で、ごめん。でも死んで。みんなのために。涙がとめどなく溢れてくる。
崖が見える。倒れている生徒と、闘う妹と、暴れる魔獣。私は走りながら全力の魔力を放出するために、照準を合わせる。
お骨ちゃんは私の全力の魔力には耐えられない。それでも、あれを倒すためには最大火力の攻撃を放つしかない。
「ごめん、お骨ちゃん……!」
魔力が神魂獣の骨格を焼いていく。魔法を放つために開かれたお骨ちゃんの口が苦しそうにパクパクと喘ぐ。そして眩いまでの。
雷鳴が響いて、天から一直線に落下した雷が巨大なカヴァリを貫いた。
ポツリと一滴、頬に水滴が落ちて来て、瞬く間に雨が降り始める。へたり込んだ私の隣にお骨ちゃんの姿はない。代わりに。
「竜……」
動きを止めたカヴァリの上空を悠然と泳ぐ、白銀のドラゴン。輝くクリスタルの角の先に、鮮やかな毛玉のようなものが引っかかっている。見覚えがある。私の編んだ帽子だ。
「お骨ちゃん……?」
『我は肉を得て死を生に反転させた。これより我が主のすべての運命は覆される』
ドラゴンが私に語りかける。肉を得て、ということは本当にこの竜がお骨ちゃんなの?目を見つめれば、疑問に答えるように竜が瞬く。
『我は天候を操りし、あなたの獣』
ドラゴンの背後で、巨大カヴァリが断末魔の叫びを上げながらうごめいた。まだ仕留めきれていない。
「お骨ちゃん」
呼びかければ、ドラゴンはゆったりとカヴァリに向き直る。
『我がサポートする、出し惜しみなどしなくて良い』
その声に背を押されるように、全力で魔力を放った。それは白銀の竜を媒介として、雷となって魔物を焼いた。
「とんだオーバーキルなんですけど……」
肩を負傷で赤く染めながら、エグレットが呆れたように呟いた。
◇
運命を反転させる竜の幼体。本来の姿になるまでは脆い屍であるそれ。死という運命を乗り越える魂を育てられた精神だけが竜と成る──のだそうだ。
「エグレットのばか」
双子二人並んで、中庭のベンチに座って。私は妹に怒っていた。私だけを逃がそうとしたこと、自分は逃げずに最前線に立ち続けたこと。
でも彼女にそんな行動を取らせたのは私の不甲斐なさだ。
「ありがとう、ごめん、不甲斐ない姉で」
エグレットはぽりぽりと頬をかいた。その手にはまだ包帯がある。
「いや不甲斐なくないでしょ。結果としてみんなを助けたのはアルエットじゃん」
「お骨ちゃんが覚醒しなかったら無理だったよ」
そのお骨ちゃん──もう骨ではないが、竜になった私の神魂獣は、はるか上空を気持ちよさそうに飛んでいる。平和な放課後。こんな時間が戻って来て本当に良かったと思う。
あの日、全員の命が助かったのは半分奇跡で、半分は奇跡ではなくエグレットが現場で必死に戦って持ち堪えたからだ。そう伝えれば妹は照れたように笑った。
「ちょっとはアルエットに恩返しできたかな」
「恩?」
エグレットはチラッと目線を上げる。
「私気付いてたの。あの時、養子に入る先を決めるジャリハンケンでアルエットが後出して負けたこと」
息を飲んだ。
「私をあの感じ悪い公爵家に行かせないようにアルエットがわざと負けたの知ってて、それに乗っかったの」
「それは……」
「ごめんね、ありがとう。アルエット」
エグレットがにこりと笑う。笑ってくれる。だから何も後悔はない。
「そういう優しいアルエットだから、お骨ちゃんはちゃんと強い魂に育ったんだよ」
そうなんだろうか。そうだと良いなと思う。
「私さ、要領いいじゃん?」
唐突にエグレットが話題を変える。確かにそうだけど自分で言うことなのかなそれ?
「本来さ、双子だから多分、私にもアルエットくらいの魔力量あったんだと思うんだ。だけど無意識に制御しきれないってわかってたからそこまでの魔力量にまで育たなかった」
「うーん、そうなのかな……?」
「ま、仮説だけどね! けど、アルエットは諦めなかったでしょ? 膨大な魔力を制御しきれなくて苦しんで、乗り越えられる器だったからこそあの子が召喚できたんじゃないかな」
「どうだろ……」
そんなに持ち上げられても照れてしまう。どう答えたものかわからず俯いた。
「興味深い仮説だ」
「へあ!」
背後から急に掛けられた声に驚いて立ち上がる。振り向けばルメル様が居た。
「それはどうもー、ノワール様」
エグレットがヘラヘラと答える。
「あれ? 今日って勉強会でしたか?」
今日はオカ研の日なのだ。予定を伝え間違えたかと焦るが、ルメル様はゆっくり首を振った。
「いや、実は入部したんだ」
「誰がですか?」
「何にですか?」
「俺が、オカルト研究部に」
「へっ?」
「えええっ?」
私たち双子は二人して目を丸くした。その様子を見たルメル様が小さく吹き出す。
「アルエットの話を聞いていたら興味が湧いてしまって」
そう言って笑う貴公子を、エグレットがなぜか意味深にへえ〜とニヤニヤと眺める。何なのかな?
「おー、いたいた! アルエット・ドゥプルワ!」
三人で部活に向かおうかと思ったところで声が掛かる。ペッシャー教授だ。これから部活で会うのにわざわざ探したのだろうか。
「これ記入しないか?」
差し出されたのは、一枚の紙。
「養子解消希望届……?」
読み上げながらひやりとする。何度か書いてみようかと考え、そして学費を考えて卒業するまではと諦めた届出書だ。
「ドゥプルワ家の養子への対応は決して良いものとは言えない。何度か魔法省から注意勧告も送られているが改善される様子も無いしな」
「勧告、送られてたんですか!?」
エグレットが驚きの声を上げると、ペッシャー教授はニヤリと笑う。
「ああ。魔法省の教育監査員だからな、俺が」
「は!?」
口をぽかんと開けた私たちに、内緒な、とペッシャー教授が片目を瞑って見せた。
いつもやる気のない風を装って、生徒たちの様子を見ていたのか。義妹のシテルがオカ研に嫌がらせに来た時も、ばっちり監査していたと。
「でも、学費が」
「それならノワール家で……!」
「エル家のお義父さんなら……!」
「待て待て」
ルメル様とエグレットが揃って言いかけた言葉を遮って、ペッシャー教授は私へと向き直る。
「俺の養子にならないか? こう見えて伯爵位を持ってるんでね、そこそこの権威と金はある」
今度こそ、言葉にならなかった。視界の端でエグレットが手を叩き、ルメル様は何だか複雑な顔をしている。
本来、養子縁組が許されるためには厳しい基準がある。ドゥプルワ家がいくら公爵と言えども複数回の勧告を受けて改善が無いと判断されたのなら解消は可能なのかもしれない。
でも、マルタン・ペッシャー教授はまだ二十代だ。いきなり十四歳の娘ができて邪魔にはならないのだろうか。負担では、迷惑では無いのだろうか。
私の葛藤を見透かしたように、ペッシャー教授が目を細める。
「難しく考えるなよ、子ども。俺は優秀な弟子がいて嬉しい、お前は居場所のないドゥプルワ家から出られて嬉しい、違うか?」
迷って、不安になって、頭がいっぱいになって、それでも湧き上がるのは嬉しいという気持ちだった。
「違い……ません」
素直な感情を吐き出した私の頭を、ペッシャー教授がぐりぐりと掻き回した。
高い空からキュウウウという澄んだ鳴き声が響いて、顔を上向ければお骨ちゃんが気持ちよさそうに青空を旋回している。その光景に何だか胸がいっぱいになって心の底からの笑みが漏れた。
天候を操る運命反転の竜が、爽やかな一陣の風を運んで髪を揺らした。
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