君に「伝わる」のは難しい。だから「伝える」ことを諦めない。
個人、もしくはグループが違う視点に立ち、討論をする話し合い。
何を思い浮かべるだろうか。――そう、ディベートだ。私はディベートが好きである。自分自身が与えられた意見に納得できなくとも、設定されたテーマに沿う意見を考えて話すことは一種の「役」を演じているのかもしれない。
また、このディベートは国語の授業でも出てくる。討論者の討論を聞き、聞いている人が最終的にどちらがいいかを多数決で決めるのだ。
「自分はこう思う。あなたの意見も分かる。しかしこうも思わないかい?」と自分のペースに巻き込んでいるのだ。しかも、相手だってこれができるときた。「伝わる」のはとても難しい。だからこそ「伝える」。
以前投稿した『現代の子供は至高の思考を失ったのか』でも書いたが、現代の子供は「望む解答を当てる」ことに特化してしまっている。言い換えれば「模範解答を全て暗記している」だけに過ぎない。
それで話し合いができるか? スピーチができるか? 言うまでもなく「否」だ。もしも、英語がネイティブ並みにできたとして現地の子供と「自分の意見を相手を納得させながら、押し通せ」と先生から要求されても「伝えたいことをどうやって相手に伝えるか」と考えると、きっと途方に暮れてしまうだろう。
――相手の意見を聞きましょう。
――でも、否定してはいけません。
――自分の意見を大切にしましょう。
――黙っていては何も伝わりませんよ。
現代は、いわゆる「受身的すぎる」子供に「相手の意見を聞いた上で丸め込む力」を必要としているのかもしれない。
伝わることを夢見て。
伝えることを諦めないで。
最後まで読んでくださりありがとうございます。