とある朝の場景
カーテンの隙間から覗く朝陽に照らされ眩しさで目が覚めた。いつもならば目覚ましに起こされるところを今日はそれよりも早く起きてしまった。勿体無い反面自力で起きられた謎の達成感もある。朝陽から顔をそらせば少しだけ眠気が戻ってきたが目覚まし時計はセットした時間の十分前を表示しており二度寝するには不十分な時間であった。
少しだけ開いたドアの向こうから僅かに聞こえる音に耳を澄ます。小さな鼻歌交じりにフライパンの上で何かが焼ける音だ。こういう場面にありがちな包丁の音は聞こえてこない。それもそうだ、今日はパンの日なのだから。
まだ布団に包まれていたい欲をかき捨てるように勢いをつけて上体を起こしてから、軽く伸びをする。ぱきぱきと身体が鳴るが気にしてはいけない。
鳴ってしまう前に目覚まし時計のアラームを切るのを忘れずに。ベッドから出て音を立てないようにドアをそっと開けるとこちらに背を向けて朝食の準備をしている伴侶の姿。結婚する前、同棲を始めてすぐに贈ったエプロンを今でも愛用してくれているのを見ると今日も一日仕事を頑張ろうという気になれる。
思わず緩んでしまう口元をそのままに、レタスを千切るその後ろ姿に抱き着く。
「おはよう」
「ん、おはよう。今日は早いね」
「君の夢を見たから。早く会いたくて」
「はぁ。バカなこと言ってないで顔洗っておいで」
ぺしぺしと尻を叩かれたので促されるまま洗面所へ。いつものようにぬるま湯で軽く顔を洗い、いつものように身支度を済ませる。
再びリビングへ戻ると先ほどまでは点いていなかったテレビが朝のニュースを伝えており、卓上に朝食が並んでいた。
二人で向かい合って座り手を合わせる。いただきます。
「そういえば今日は会議で遅くなるんだっけ」
「うん。まぁ打ち合わせみたいなものだから、遅くなるって言ってもちょっとだけだよ」
カリカリに焼かれたパンの上に千切ったレタスと焼き上がったばかりの半熟のハムエッグ。それに牛乳と、家庭菜園で育てているミニトマト。
ありがちな朝食だけれども、それが当たり前に食べられる環境にいる人間などそう多くないだろう。こうして朝食を用意してくれる伴侶に感謝せねば。私は果報者だ。
「じゃあ今日は僕の方が早いんだね。夕飯作ろうか?」
「それはダメ! あーでもそれだと夕飯遅くなっちゃうかぁ……遅くなってもいい?」
朝に強い旦那が朝食を、夜早く帰れる私が夕飯を。同棲を始めた頃から紆余曲折を経て何となく決まった我が家のルール。仕事上の都合とは言えそれを曲げるのは何だか悪い気がする。
「いいよいいよ。今日は君が早く起きれたご褒美ってことで」
「えー、いいの?」
「いいよ。料理嫌いじゃないし。その代わり明日の朝食はよろしく」
「ちょうっ……え、それ、ちょっと、うー……わ、私が朝苦手なの知ってるじゃない……」
「あははっ! そんなに焦らなくても冗談だよ」
「意地が悪いなぁ!」
「ははははっ!」
何だか手のひらの上で転がされているが気にしても碌なことはないので食事を再開させる。とろりとした半熟の黄身とハムの塩気が相まってパンとレタスに美味い具合に調和している。
彼は料理上手だ。それを本人に言ってしまえば、これ位の料理なら誰でも作れるよ、なんて謙遜するのであまり口にはしないが。これくらい、と言ってしまえること自体が凄いことであると気づいていないのだ。ハムの丁度中心に黄身が来るようにするのだって難しいし、焼き加減だって黄身が固くならない加減の半熟にするのは結構大変である。
用意された量を綺麗に平らげると丁度ぴったりお腹が満たされるのである。私の胃袋は彼に掴まれたまま。離してくれない。
「……よし。そろそろ良くね」
「ん、気を付けて」
私の方が先に出るので後片付けは彼に任せる代わりゴミ出しは私の担当である。今日は燃えないゴミだから量は然程多くない。
軽く握手をしてから家を出るのは、ルールではなくいつの間にか根付いた習慣である。互いの体温を交換して、元気を分け合って、今日も一日を過ごすのだ。二人分をまぜこぜにして自分のものにするのだ。だから今日も頑張れる。
「じゃあ行ってきまーす」
「はい行ってらっしゃーい」
これが我が家の朝の風景である。きっと、こういうのを幸せと呼ぶのだろう。