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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
騎士学一学期 短話編
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財布の人①

 六月くらいの下校時に背後から呼び止められた。


「あの!」

「ん?」


 男子寮に帰る途中で女子から呼び止められたナイスガイはそうリリウスくんです。ものすごい期待を込めて振り返ってマリアだったのでがっかりしたのも俺さ。

 マリアが両手で小汚い財布を差し出してきた。意味が不明すぎる。


「落としたよ。これリリウスのでしょ」

「あん、こんな小汚い財布に見覚えは……」


 ずっしりと重い革の財布をひっくり返すとLMと刺繍がされていた。

 どこのLMか知らんが財布を買い替えるいい機会だな、と思っていたがこの刺繍には見覚えがなくもない。


「これ親父殿の財布だよ」

「え、リリウスのお父さんの?」

「そうそう、あのヒモ系ロクデナシクズ野郎。マリアも以前カジノで会ってたよな」

「なんでリリウスのお父さんが?」

「いつの間にかスリ盗ってたのかな。やれやれ記憶にもねえとは俺の技も神懸かってるねえ」


 財布を開いてみる。クソほど笑えないレベルの金貨が詰まってて噴いた。

 何百枚入ってんだよ。え、こんなもん持ってても気づかない俺やばくね? 落としても気づかないのはさらに不味い。戦士として感覚が鈍るのは不味い。……学院の温さに浸りすぎたかな。


「丁度いい、お小遣いにしちゃえよ」

「ううん、お父さんに返すよ」

「真面目だねえ。だが真面目なのはいいことか」

「それが親の財布を盗んじゃうやつのセリフぅ?」

「俺も根っこは真面目だぞ。あのクソ親父が大嫌いってだけだ」


 用事を思い出したというマリアとはこの場で別れた。

 俺も男子寮ではなく外へと足を向ける。鈍った感覚をどうにかするためにフェイあたりと組手をやろうってわけだ。


 これはそれだけのこと。

 俺にとってはそれだけのことでしかなかった。



◇◇◇◇◇◇



 鏡の中に美しい……美しい?

 とは言い難いが少しはマシな淑女がいる。普段はポニテにまとめてるだけの金髪を編み込んでレディーらしく結い上げ、お化粧はナシェカにやってもらった。


「マリアの碧眼は綺麗なんだからアピールしなきゃ」


 自分の適当な化粧とはちがってアイラインもしっかりと引く。行商人のフィスカさんから餞別に貰った真っ赤なルージュは品が無いからって捨てられた。代わりにナシェカが使ってる淡いピンクの口紅を引いてもらった。


 小一時間かけて丁寧に仕上げてもらった鏡の中の自分は自分じゃないみたいに綺麗だ。


「おー、イケてんじゃん。ばっちしばっちし、マリアはいつもこうしてろよー」

「嘘だろ、マリアがレディーに化けてる……」

「君達ぃナシェカちゃんがここまで手を掛けたんだよー、これくらい当然当然」


 お調子者っぽくニャハハと笑うナシェカが頬を寄せてきた。


「綺麗だよマリア」

「ありがとうナシェカ」


 この一時間後、マリアは一人でいい感じのレストランにいる。談笑する隣の席とか向かいの席にはお上品な方々がいて、自分はなんて場違いなんだろうって思ってしまう。

 そわそわと待つ時間は長く、手はしきりにワイングラスに伸びかけて、でも酔ってしまうわけにはいかないから手を戻す。


 やがて待ち合わせの人物がやってきた。上品な口髭を蓄えた立派な紳士さんだ。年齢は四十代の半ばだと聞いているけど彼が歩けばレストラン中の女性が振り返ってため息を漏らし、あれはどこの紳士だろうと囁き合っている。


 給仕の案内でやってきたファウル・マクローエンは着席ではなくまずマリアの手を取り、キスを選んだ。


「待たせてしまったようだ。どうか許してほしいマイ・レディー」

「いいえ! あたしが早く来すぎちゃっただけですし!」


 紳士が微笑む。どきりとするくらい上品な男の微笑みだ。


「楽しみにしてくれていたんだね。嬉しいな」


 ファウルが向かいの席に座る。

 案内をしてきた給仕にあたしと同じワインを用意するように言いつけ、軽いデザートを幾つか頼んでいる。


「ここのデザートは絶品でね。腹を満たす前にまずは美味を楽しもう」

「はい」


「それと念のために一つだけ。あの事件のことは今回はなしだ。他人の耳に入るのはよくないし私達は関わっていないことになっているからね」

「はい」

「どうしてもというのなら帰りの馬車で話そう。それまでは食事を楽しもう」


 いわゆる投資詐欺事件で再会したファウル・マクローエンから貰った名刺で連絡を取り、今夜の食事をセッティングしたからもしかしたら情報の裏取りだと勘違いをされているようだ。


「あの…今回ご連絡したのにあの件は関係ありませんよ?」

「そうなのかい。では無粋なことを言ってしまったね。……学院はどうだい?」

「楽しいです。村での暮らしとは全然ちがうし町は綺麗だし―――」


 ファウルはしきりに学院の話を聞きたがった。マリアもよく話した。自分だけがしゃべりすぎているような気がして心配になったけど、楽しそうに聞いている紳士の表情を見ると口が止まらなかった。


 いまの楽しい日々はこの人がくれたものだ。

 入学式に間に合わなかった自分の中途入学に口添えをしてくれた誰か。自分の行方を心配して捜索願を出してくれた誰か。入学金に足りなかった自分を二百枚の金貨で助けてくれた誰か。


 それがこの人だと思ったから彼の喜ぶことは何だってしてあげたかった。

 話題がリリウスに触れると彼が目に見えて安堵した。やはり息子のことは気になるようだ。わりと破天荒なエピソードが多いけどそれも話した。


「愚息がうまくやっているようで何よりというべきかハラハラするというべきか。すまないが少しだけでもいいから気にかけてやってほしい」

「息子さんは要領がいいので平気だと思いますよ。どんな人が相手でもすぐに仲良くなっちゃうので心配ないです」

「すぐに仲良くなるか。それはキミもそうだと考えていいのかな?」

「悪くはないと思いますけど……」


 マリアが照れ初めたので紳士がガハハ笑いをする。

 初々しい態度というのもあるし、いい娘さんに見えるので息子のお嫁さんとして申し分ないと考えているのかもしれない。……この男は息子に妻がいて初孫クロノスまでいる事実を知らないのである。


「愚息が話しているかは知らないがあれで太陽のイルスローゼでは英雄伯と呼ばれている。財産も私などとは比較にならない金満家だ。親ばかに聞こえるかもしれないけど薦めるに足りる自慢の息子だよ。どうだろうね?」


「どうだろうと申しますと……?」

「マリア君とリリウスならお似合いだと思うんだけどね」


「ええと、それは、どうなんでしょうねぇ……」

「おっと、親が勝手に盛り上がってもよくないか。こういうのは当人どうしの歩み寄りが大事だ」

「そうなんですか?」

「我がマクローエン家は恋愛結婚を推奨している。親から娶る娘っこを決定されるような情けない息子になど育てた覚えはない」


 マクローエン家の家訓は好いた女は全力でもぎとれである。夫がいたら切り殺して奪えとも書いてある。世界観が戦国時代なのである。側室の十人や二十人は当たり前な考え方である。

 ちなみに世間一般では市井だろうが貴族社会だろうが親が婚約者を決めて成婚まで持っていくので、マクローエンの考え方は古すぎて逆に時代の最先端をいっている。


「斬新な考え方ですね」

「世の一般的な考え方でないのは確かだね」


 話題が途切れた。放り込むならここだ。タイミングを窺っていたマリアが財布を出す。金貨でパンパンに膨らんだ財布だ。


「あのっ! その節は本当にありがとうございました!」


 マリアがマシンガンみたいにお礼を並べ立てる。

 貴方のおかげで学院に入れました。貴方のおかげで友達ができました。貴方のおかげで楽しい日々が送れています。貴方のおかげで―――


 当のファウルはキョトンとしている。


「あの!」

「待ってくれ、本当に身に覚えがない。誰かと勘違いをしているのではないか?」


「でもこの財布は貴方の物だってリリウスから聞きました」

「確認させてくれるかな。……確かに私の財布だ、でもこれはずっと前にリリウスにくれてやったものなんだよ」

「……?」

「これにはあいつのためにずっと貯めてきた金を入れてあったんだ。あの馬鹿者はあろうことか私から渡す前にスリ盗りやがったのだけどね」

「そうなんですか」


「しかも兄弟達と一晩でパァっと使い果たしたっていうんだ。まったく親の苦労ってもんを無駄にしてくれるやつなんだよ」

「悪いやつですねえ」


「悪い息子なんだよ。だからわかるね、キミの受けた親切がどこの悪いやつの意思なのか」

「はい」

「息子の話を聞かせてくれてありがとう、あれが元気にやっているのがわかって嬉しいよ。次は息子と二人で会いに来なさい。帝都で一番の料理をごちそうしよう」


 ファウルがグラスを掲げる。マリアも掲げる。見つめ合って飲み干して本日はおひらきとなった。

 お礼を言うべき相手は別にいる。それがわかったマリアの帰りの足は軽やかなものとなった。

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