断罪の夜②
ディルクルスの名誉は傷つけられた。
伝説のゲイ祭りではしゃいでいた疑惑を掛けられた彼の抗弁を聞き入れる者はおらず、大切な仲間達までも手のひらを返して去っていった。密かに愛していた者も去っていった。
彼はすべてを失った…かに思われた。
だが事態は少しずつ変化していった。ディルクルスの名誉を貶めたリリウス・マクローエン、こいつが本気でやべー奴であったのだ。
悪戯感覚で大勢の同期をアンデッドのひしめく谷底へと迷い込ませ、言いがかりをつけては皇族を谷底へと突き落とす。逆らう者は悲惨の一途を辿るのである。
噂ではカジノ強盗や貴族の邸宅を襲って金品を略奪しているらしい。逆らうものは全裸で繁華街に吊るしたらしい。一年男子の間で密かに人気のあった寮付き女中を手籠めにして毎晩のようにベッドに連れ込んでいるのは公然の真実だ。
奴はやりたい放題傍若無人のクソ野郎なのだ。しかも権力に取り入るのが上手い。
バートランド公爵令嬢ロザリアの護衛という立場を利用してクロード会長や模範生徒の会と懇意にし、人間嫌いと噂の豊国の麗人とも付き合いがある。
学院のほとんどがこいつの危険性に気づき始めた事でディルクルスの置かれた立場も変わるかと思われた。
だが事態は何も変わらなかった。相変わらずディルクルスの名誉は貶められたままだ。
決闘を挑んだはいいが場所にやってこない。翌日に問い質せば忘れてたと言い張り再度約束しても来なかった。いや代理人を主張するバイアット君がやってきてこう言った。
『すまないが女とデートなんでな。また今度にしてくれ』
おんな!?
貴族の名誉よりもおんな!?
ディルクルスは憤慨した。リリウス・マクローエンの卑劣さと決闘から逃げ回る臆病さを登下校路で喧伝してやつの名誉を貶めてやりもしたがそもそもあいつには名誉が存在しないのでゼロにマイナスを足してもゼロでしかなかった。
憤慨したディルクルスは教師の敬意を踏みにじる覚悟で授業中に決闘を挑んだが、これも最悪の結果であった。ワンパンで敗れてしまったのだ。ディルクルスが己の敗北を知ったのは保健室のベッドで目を覚ました瞬間であり、己の胸にそっと置かれた一枚の写真が真実を明らかにした。
全裸に剥かれた己の裸体に『負け犬のゲイボーイ』と書かれ、ついでに股間には花束が置かれていた。周囲に映っているクラスメイトの楽しそうな顔ときたら!
この屈辱を堪え切れなかったディルクルスが敬愛する父に手紙を送ったが返答はマクローエンには絶対に関わるなという一文が返ってきただけだ。
辛く苦しい日々だった。もう終わりにしたいと学院を出ていこうと考えたことさえある。
だがそんな時に手を差し伸べてくれ、ディルクルスの言葉を聞いてくれたのがバイアット君なのである。
「大変だったね」
誰にも聞いてくれなかった胸のうちをちゃんと聞いてくれた。
それだけで涙が出てしまった。学院キャンプに男泣きの音が響いた。
「リリウス君の言動に不満を持つ人もちゃんといるんだ。でも怖いから言い出さないだけなんだ。ディルクルス君は一人じゃないよ、恐ろしくて言い出せないってだけで同情している人はけっこういるんだ」
「それが例え嘘でもきちんと聞いてくれたことに感謝を」
「嘘なんかじゃないさ」
そういってバイアット君が差し出したのは署名ボードだ。大勢の男子の名前が書かれたボードを見つめ、それまでずっと顔を伏せていたディルクルスが面をあげる。
「これは……」
「リリウス君の非道を許せないと考える人達の署名だ。僕らはこれを提出して学院に彼の追放を要求する」
「追放…か」
「君もちからを貸してほしい。他ならぬ第一の被害者である君に」
「この名誉が回復するのであれば何だってやるつもりだ。……しかしまたどうしてバイアット君が? 彼のホモダチではないのか?」
「ん?」
バイアットが聞き間違えたのかと耳をほじる。
でもきっと噛んでしまったのだろうと聞き流すことにした。
「僕もこんなところでキャンプをさせられている身だからね。恨みくらいあるよ」
「随分と楽しんでいると聞いたけどな」
バイアットキャンプは男子寮では有名だ。美食家で知られるセルジリアのおぼっちゃんが財力に幅を利かせて集めた食材でおいしい料理を作ってくれるからだ。
リリウス印のカレーに煮込みハンバーグ。特にワインを使った煮込みハンバーグは絶品で食べたやつがこの味を忘れられなくてキャンプに通い詰めるまである。
「まぁキャンプが楽しいのは否定しないよ。炭火焼のおいしいご飯と楽しい友人との語らい、眠りに落ちるまで星を読んで詩を吟じるのさ」
「羨ましいな」
「でもテント暮らしだと眠りが浅くてね、起きた時に腰が痛いし大変だよ」
「ますます羨ましいな」
(羨ましいかなあ……?)
もしかしてこの人やっぱりちょっと変な人なのかなあ。
そう思い始めたバイアットであった。
「俺もな、俺もただあいつに興味があっただけなんだ。中央文明圏では彼の名を知らないやつはいないってくらいの大物だからな」
「そういえば昨年までイルスローゼに留学していたんだったね」
「うん、あちらの高名な魔導師先生に師事していたよ。あちらに住んでからこっちに戻ってきたら色々と勝手がちがうしさ、あいつも同じ悩みを抱えているんだろうなって思ってあいつから見てもらいたくて……馬鹿をやらかしたよ」
(まるで恋する乙女のエピソードだなあ)
とは思ったがバイアットは口を閉じた。
きっと彼を取り巻く悪い噂のせいで変な先入観ができているだけだ。
「ほら、バイアット君もわかるだろ。あっちだと普通でも帝国だと良くないとされる価値観の相違とか」
「うんうん、そうだね」
よくわかんないけど適当に頷いておくバイアットであった。
「やっぱりバイアット君は話が通じるな。キャンプを張って日毎に違う男を連れ込んでいると聞いてから君もこっち側なんだってわかっていたよ」
「何の話?」
「僕らの特殊な性の話さ」
ディルクルスが身を寄せてくる。反射的に逃げようとしたバイアットであったが腰を抱かれてしまったので逃げられなかった。
「夜は長い。さあ君の話も聞かせてくれよ」
(あ、これやばいかも)
ディルクルス・フラウ・ヴェートはホモだと名誉を貶められた。そう思っていた。
だが今にして思えばどうしてだろう。どうして彼がホモではないと思い込んでしまった?
あの神懸かった直感の持ち主であるリリウスが決めつけたというだけでそれなりの信憑性があったはずなのにどうして?
バイアットがずるずるとテントの中に引きずり込まれていく。
バイキャンには静音のフィールドが張ってあるので彼の悲鳴も叫び声も男子寮までは届かない。
為す術もなくテントに連れ込まれたバイアットとディルクルスの見た夢は天に輝く星さえも知らぬこと。合掌。