ソレは彼は美しいと言った
イリスの銀の月が支配する夜が終わろうとしている。完全な静寂に満たされた夜空が震え、眩い曙光が空を焼き始める。
ストラの黄金の光が空に真なる青を取り戻す。これこそが人界。人の住まう世界。
「美しいね。万物の名を知るボクでさえこの瞬間の美しさにはため息を漏らすしかない」
その腕に収まる娘がサーガを謳うがごとく呟く。
世界とはかくも美しく、声は楽器のごとく美しい。ソレはひどくよい心地で世界を見つめる。
「この美しい世界はボクの物だ。ボクと共に生きてきた民の物だ」
「大欲だな。お前に従わぬものはどうする、太陽のように鎖に縛るのか?」
「まさか。支配も排斥も現世の価値観の一つでしかない。ボクは英知だ、世界の在り方を肯定し無限の可能性をよしとする。世界とは万物を内包して世界足り得る。わざわざ知識を減らしてなんてやるものか」
英知が微笑む。ソレはなぜ彼女を美しいと感じるのかを理解した。
迷いを持たぬからだ。妥協を許さぬからだ。世界を肯定してその在り方を愛しているから全てを我が物と欲する。
アシェラ神の欲する世界とは人から意思や考えを奪うものではない。鎖につなぎ留めて命令を利くだけの奴隷とするものでもない。
世界のすべてを知ること。これこそが彼女の世界征服なのだ。
「この世界はあまねくボクの物だ。時に怒りに拳を振り上げようと慈しみ、愛し、その先行きを見届けよう。この美しい世界をエナジーの供給源としか考えていないダーナの思うようにさせてなるものかよ」
「まさしく大欲だな。己が欲がために世界を掌中に納めんとするか」
「お前はどうなんだよ?」
ソレは少し思い悩むように明けの空から都市へと視線を落とした。
夜明けと共にゆっくりと目覚め始めた都市に息づく無数の生命を王の眼が撫でる。
「わからない」
「難しいことは考えなくていいさ。この世界を美しいと思ってくれるか?」
「ああ、あぁ美しいな」
「美しいと思えることそれが愛おしいって想いなのさ。守りたいと思えるようになったら言っておくれ。……焦ることはない、答えなんていつだっていいのさ」
「俺は……」
王がゆっくりと目蓋を閉じる。
再び開いた眼は暗黒ではなく、澄み渡るようなターコイズブルーに変わっていた。
呆けた様子でキョロキョロしたあと、その胸に身を寄せる女神に問いかける。
「なんかしゃべってたっけ?」
「何だったかなあ」
おどけた調子で答える女神が明けの青空を見上げる。
彼もまた青空を見つめ、雲一つない空に輝く黄金の陽にため息を漏らした。
「世界が美しいって話だったかも。ねえリリウス、キミはどう?」
「美しいと思うよ。目覚め始めた森から飛び立つ鳥も、人の営みも美しい」
「ありがとう」
彼が首をひねる。お礼を言われるようなことを言ったかなあ?っていう顔だ。
二人はしばし沈黙を楽しむ。語らうことが喜びなら、何もない時間を共に過ごすのは贅沢だ。
有限の時を無為にする贅沢な黄金の時が終わりを告げて、夜明けが朝へと変わった。
彼か彼女か、それとも同時にかもしれない。うーんと大きく伸びをして夢のような時間から目覚める準備をする。
でも彼か彼女か、それとも両方が、互いを離すことを惜しんだから口を開いた。
「人は強いちからを授かるとボクの名を叫ぶんだ。幸運に感謝をってね。それが本当に幸運なのかっていうと疑問がある」
「そうかい、俺は幸運が欲しかったけどな」
「リリウス君はばかだなあ、それが本当に幸運なのかって話だよ。高位階のスキルはたしかに所有者の役に立つだろうさ。でもそれが人生を豊かにするかは疑問があるって話さ。例えばそうだね、戦闘系のAクラスを持つ男とそれを持たぬ男の人生はどうだろう?」
「強い方がいい人生になるだろ」
「どうだろうね。戦いに明け暮れた悲惨な人生になるかもしれないよ? 強いちからを持って生まれた男の価値観はどうだろうね。殴れば大概のやつに言うことを利かせられるんだ。ひどく暴力的な心根に育つんじゃないか。心に闘争が宿れば心は常に見えない敵に怯えるよ。誰も信じられない偏屈者の人生が豊かと言えるかな?」
例えばと女神が物語を口にする。とある都市の最底辺に生まれた男の物語だ。
両親は優しい人達だった。彼らは男に正しくあれと教えを説き続けた。だが男の体は成長を経るごとに強く大きくなっていった。その身に宿すムシュフシュの加護がゆえにだ。
男はある時点までは確かに優しく正しい男であった。だが些細な諍いから闇市を差配するギャングの郎党と衝突をし、三人の首をへし折った。
復讐を求めるギャングを退ける度に男は思い知った。正しさに意味はなく、己にはちからがあると。
その男の名はロガーディー。実際にはロガー・Dであるとも伝えられるが盗賊ギルドの祖となった人物である。その生涯は殺奪姦に彩られ、太陽からかつてない額の懸賞金を懸けられて最後には首を刎ねられた。
「高位階のスキルはその強いちからで所有者の心を支配する。呪いなんだよ」
「なるほどね、そう考えると必ずしも幸運ってわけじゃあねえな」
「……話の流れを察して道化役を買って出るのはいいけどね、二人きりの時までエンタメ根性を出さなくてもいいんだよ。つか鼻につくからやめろ」
「へいへい。呪いか、お嬢様のあれも呪いなんだろうな」
「友情の輪のAクラスは言い方を変えれば小さな種族王なんだよ。築いた小さなコミュニティ内の同族を支配して魔法力を徴収する。スキルの本能が所有者の精神に強く働きかけてより強い魔法力を持つ者を欲するのさ。
だが種族王との違いは支配の方法が親切さや優しさを示すという強制力の弱いものでしかなく、支配下に置いた者の離反を抑えられない。そして離反が起きると強烈な癇癪を起すんだ」
「それだけ聞くとディアンマに近いな」
「ディアンマの加護は裏切った男を殺せまでいくから緩い方さ。彼女のトリガーは近しい者の裏切り。これによる精神の傷は非所有者の比ではないんだ」
「現在お嬢様が支配したがっているやつは俺とクリストファーとガーランド閣下か。スキルは正直者だな、たしかにこの面子から魔法力を奪えれば無敵だ」
「完成したい欲求ってのは強いからね」
「スキルは欲求として自己の完成を目指すんだよな。その目的ってのはどうなんだ?」
「無いよ。完成することだけを目指して完成してもなおさらなる完成を目指すのさ。強い男を欲して次々と乗り換えていくだけの厄介な本能だ」
「本当に厄介だな……」
リリウスが天を仰ぐ。その顔には本当に困ったって書いてあるくらい困っているようだ。
もしロザリアに彼くらい素直に感情を表に出すすべがあったなら結末も変わったのだろう。
「消してしまうわけにはいかないのか?」
「それについては話が着いていると勘違いしていたよ。赤薔薇ちゃんが自衛の手段を失うことになるよ」
「俺が守る。それでは足りないか?」
「春のマリアという大きな方針を今から変えてもいいのなら簡単さ。こんな危険な地から彼女を連れ去ってアーバックスにでも連れていこう。LM商会の全力を以てして帝国騎士団本部とクリスタルパレスを攻め落としてリリウス君が皇帝になるんだ。邪魔な帝国貴族も青の薔薇も皆殺しさ。銀狼くんだって倒してしまおう」
「無理だろ」
「可能だよ。ボクとキミなら可能だよ、何だってね」
リリウスが悩んでいる。だが答えは決まっていた。
「春のマリア作戦は継続する。時の大神が唯一示した未来への道だ、これに沿わない場合のデメリットが見えない以上逸れるのは怖い」
「未知を欲しているはずの時が示し、その代行者であるキミがこれほど忌避するのなら継続が正しいんだろうね。でも覚えておいてくれよ、キミにはいつだってこの盤面を覆すちからがある」
「わかった」
「ボクがいる。キミの傍にはいつだってボクがいる。それだけは忘れないで」
「それヒロインが言うやつ」
「知らないのかい、最近は妹ヒロインも多いんだぜ?」
これがよほど面白かったのかリリウスが快活に笑って立ち上がる。
別れを告げて屋根の上から飛び去っていく。その背へと祈り手を組むアシェラ神は我が名にして我ではない御柱へと願う。
アシェラよ。この祈りは彼の者の先往きに幸運のあらんことをという一般的な別れの言葉であるが、彼女が発したなら違う意味を持つ。
アシェラよ。真なる幸運の女神よ、どうか彼の者をお守りくださいという意味だ。
tips:アシェラ神の姦計により救世主と王の同化率が微減します。忌々しい……
覚醒を始めた王の御心にさざ波のごとき疑問が生まれました。王の愛は殺害によって示されるべきであるのになにゆえ王に疑問を与えるか。
王を諫めるなど何の企みをもってのことか。十二の試練の度重なる行使により王の覚醒を早めた功績をもってしても許しがたい。
王は完全でなくてはならない。王は完全に蘇らねばならない。滅びは王によって成らねばならない。王に王に王に王に王に王でなくてはならない。
アシェラ神の消去を実行。ファンブル、アシェラ神の保有する極大の因果律によって阻まれました。
86.555.244.110.225→71.465.422.477.545




