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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
騎士学一学期 短話編
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エストカントの休日② 心の不和

 尻を蹴飛ばした赤毛のモヒカンが走り去っていく。

 頼りになるのかならないのか、どうにもわからない背中を見つめるレリアは何とも言えない表情をしている。これは答案用紙に〇をした設問の答えが如何なるかを思い悩むようなものだ。


「まったく慣れないまねはするものではないな……」

「自覚がお有りなのなら結果まで期待するのは傲慢というものですよ」

「居たのか……」


 カフェのカウンターからにょっきりとアルフォンスが出てきた。

 いったいいつからそこにいたのか。どうしてそんなところから出てきたのか。なぜカメラを構えているのか。まったく不明な男アルフォンスが理由知り顔で寄ってくる。


「背中を押してやるとは随分とお優しいことで」

「ああいう煮え切らんやつは見ていてイライラする、それだけだ」

「普段なら見もしないでしょう?」


 こいつは私をいったいどんな女だと思っているんだ。という不満がありありの顔になるレリアであった。


「普段なら気にも留めないし何も思わないはず。貴女はいつだって孤高で孤独で誰も必要としない。……お変わりになられた」

「そのブサイクな顔はやめろ」


 にまにましているアルフォンスが表情を正す。


「おや失敬。ですが面白いじゃあないですか。いったいどういう心境の変化です?」

「私にはいなかったな、と思ってな」


 アルフォンスが首をひねる。


「あの娘っこは色々と危うい。むかしの自分を見ているようで目もあてられないというだけだ。……私には辛い時に寄り添ってくれる誰かなんていなかったからな」

「……」


 アルフォンスが真面目な顔になってる。

 面白い悪戯の仕込みだと思っていたけど違ったので、キリっとしている。


「けっこう真面目な理由ですね」

「黙れ!」

「いや驚きです、本気で」

「殺すぞ!」


「ふふっ、照れ隠しですか?」

「……本気で殺されたいらしいな?」


「恋バナですか!?」


 マリアが下の階からジャンプで飛んできた。一泊遅れてナシェカも飛んできた。

 なぜか恋バナの気配を感じ取ると高確率で出現するエネミーがこの二人だ。確定エンカまである。


「恋バナなら任せてください! あたし得意です!」

「私も得意です!」

「あー、面倒な連中が来てしまった……」

「いいじゃないですか。せっかくの面白いオモチャならみんなで楽しまなきゃ」


 クソ外道アルフォンスがその名に相応しい発言をした。なおアルフォンスは一年の時に八股をしでかして学院の男達を全員敵に回したというクソ外道だ。

 こいつほどの外道は早々いない気がしたレリアなのだがおま鏡案件だ。


「私の話なんてどうでもいいだろ」

「いえいえ、最重要に知りたいです」

「ナシェカちゃんも知りたいです」

「ところでリリウスとロザリアは本当にどうなんだろうな?」


 困ったレリアのリカバリーの第一手、今しがた尻を蹴飛ばして応援したはずの後輩を売るであった。


「あいつな、私らにはけっこうグイグイくるのにあの娘にだけは一歩退いてるんだよ。どういう心働きでそうなるんだろうな?」

「それは本命ならそういう真逆な行動もあるでしょうね。本命だからこそ臆病になる、普段の通りに振る舞えない。男の純情ですよ」

「という説もあるわけだ」


 そして慣れた調子で話題のすり替えを成功させる考古工学部の連携プレイであった。


「ナシェカはどう考える?」

「ノーコメントで」

「得意なのではなかったのか……」

「ではマリアは?」


 と言ってからマリアの方を見ると何故か青ざめている。

 様子が変だ。明らかに変だ。汗がだらだら出ているし変すぎる。


「ああああいつがロザリア様と……?」


 どもった。変だ。


「ど…どうなんでしょうねえ。あいつけっこう色んなところで遊んでるみたいだし、そういう男の純情みたいなのってあるんでしょうかねえ。無さそうだけどなぁ……」


 変すぎる。レリアが察した。


(これはまさか……)

(あぁなるほど。うん、面白いな)

(わかりやすぅ)


 波乱の香りがする。ぷんぷんする。完全に嵐の前兆だ。


 赤モッチョを取り巻く面倒くさい人間関係に今更気づいたレリアは、やはり慣れないことはするもんじゃないなと頭を抱えた。

 他人の色恋で遊ぶほどの外道ではないのだ。



◇◇◇◇◇◇



 貴族社会に生きているとモヤることが多い。解決方法はいつだって長期間を経ての解決となり結末は灰色。

 例えば俺が学院にいる貴族の子弟が揉めたとして、俺がバートランド公爵家の威を借りてどっかの貴族に謝罪を要求する書状を送るとするじゃん。当然実家にあてて送付するから何週間、下手したら二ヵ月とかかかるじゃん。手紙を往復させて何度かやり取りするじゃん。

 で、結末としてうちの息子を手打ちにしたのでご勘弁くださいって書状が届くわけよ。


 俺がぶん殴ったわけじゃないからすっきりしない上に後味が悪い結末だ。しかも本当に手打ちにしたかは不明だ。こっそり外国に逃がしてる可能性もある。そんで何年も経ってほとぼりが冷めた頃にこっそり帰国しててさ、そいつが俺を恨んでて復讐を企んでたりするわけよ。

 こういう問題を山ほど抱えているのが貴族なんだ。


 こういう環境で生きているとメンタルコントロールが上手くなる。どんな問題が起きても寝て起きたら持ち直している。慣れないと生きていけないんだよ。

 こういう話を先にしたのはお嬢様はこの辺りの精神制御というか息抜きが上手いからさ、恥を掻いた後は黙って放置するのが正しいんだ。


 レリア先輩に蹴飛ばされる形で戻ったホテル。紙袋を抱えた俺が見たものはベッドでぐっすり眠ってるお嬢様の姿であった。


「だと思った。俺が心配するほど柔な人じゃねえんだよなあ……」


 だってあのバートランドの姫だぜ?

 父はドSの冷血宰相。兄は鉄血の騎士団長。ご本人は触れるものを燃やし尽くす赤薔薇だ。精神面でも相応の能力はお持ちなんだよ。


 がっくりきた俺は衣類の入った紙袋をそこいらに置き、ベッドに腰かける。


 この美しい赤薔薇を我が手にと願ったことがないとは言わない。でもそれは妄想やその夜のおかず的な話でしかなく、きっと俺自身の願いではない。

 彼女に恋をしたのは今の俺じゃない。俺にこびりつく俺の想念や妄執の叫びによるものだ。

 この美しい少女を抱きたいと思った事はあるさ。でも気圧されるというのかな? どうにもそんな感じで普段通りにいかない。


 他の女ならグイグイ攻めて落としちまうんだがな。

 この御方にだけはそういう手段を使いたくない、そういう感じなんだ。


「じつは寝ているフリだったりしますよね?」


 反応はない。蝋人形のように眠り続けていて、彼女を起こす皇子様は俺じゃない。そんなのは生まれる前から知っている。


「起きないんですか、キスしちゃいますよ?」


 反応は無い。寝ているんだから当然だ。

 彼女は俺を愛さない。奇跡は起きない。そんなことは生まれる前から知っているし、俺自身本気で奇跡を願っていない。


「貴女は俺を愛さない。貴女を愛した俺もまた俺ではない。繰り返されてきた運命の輪の円環が残した搾りかすでしかない」


 彼女を守ると決めた。それでいい。それだけでいいのだと言い聞かせてきた。

 迷いはない。必ず救ってみせる。


「貴女が俺を顧みないのだとしても必ずお救い致します。俺が不要になるまでは守り続けます。……そのあとはお別れです」


 戦い続けたその後は笑ってお別れだ。ドルジアの春なんて俺の抱える使命のたった一つでしかない。

 倒さねばならない敵がいる。解決しなければいけない魔導災害もある。合間にちょこちょこ小さな事件もあるのだろう。

 何より迎えに行くと約束した女がいる。


「後少しだよ。もう少しだけ待っていてくれ」


 きっと別れの日もこうやって出ていくころになるんだろうな。そう思いながらスイートのドアを閉じる。



◇◇◇◇◇◇



 赤モッチョが出ていった。

 彼が入ってきた時からずっと起きていた彼女はどうにも言動の一致しないあの男をある意味において見切っていた。


 起きないとキスをしますよと言いながら彼がこの唇に触れることはないと読んでいた。

 実際しなかった。勇気の問題ではなくそれほどの興味がないのだ。


 少し前にLM商会でケンカした時に「俺という男がいながら!」なんて言っていたけど、あれは彼からすれば会話のスパイスでしかないのだと読み取れた。


「ばか。あんたの隣が空いてたことなんて無いじゃない……」


 彼の心の中心にはいつも別の女がいて、自分がそこにいたことは無い。

 丁重に接すること、大切にすることは別の話だ。空々しい想いを伝えられる方がどれだけ傷ついているのかあいつは知らないのだ。


「ねえリリウス、あなたは俺を愛さないって誰の話? あんたは誰を見ているの?」


 胸が苦しい。どうしてこんな想いをしなきゃいけないのかわからない。

 胸が痛い。どうしてあいつは丁寧にこの心を砕いていくの?


 零れていく涙がシーツを濡らす。どうして何も言ってくれないのかわからないから涙の理由さえもわからない。


「お別れってどうして? わたくしは剣の主じゃないの……?」


 リリウスはきっと道を誤ったのだ。

 まだ起きてもいない事件の跡をなぞるように突き進む彼は個々の想いを蔑ろにし、遠い結末だけを見ているのだ。だからこんなに近くにいる少女の想いにさえ気づかない。


 正しい結末を目指す救世主は道を踏み外したまま進み続ける。その必勝のちからで立ちふさがるすべてを破壊しながら、誰にも止められずに進み続ける。


 この日、一人の少女の心を生贄に一つ新しい時の断片が生まれる。

 誰にも聞こえぬ時の笑い声は新たな世界を喜ぶものか?



◇◇◇◇◇◇



 荘厳な光を放つステンドグラスが見下ろす聖堂にオルガンの音色が響き渡る。時に荒々しく転調は緩やかに、だが主題に入る直前の間は永遠ほどに長く、鍵盤を打つ指が強烈な主題を歌い上げる。


 黒衣を纏う殺害の王イザールは微笑みを浮かべてオルガンと向かい合っている。

 嵐のようなグランテーゼが鳴り響く聖堂に入室する者があっても弾く指は止まらない。……それもそのはずだ。


 何者も害することの敵わぬ最高神が凡百の入室に何故気をやるのか。

 何者も彼を止めることはできない。彼が己自身の意思で止めようと思わぬ限りは。


「主よ、新しい契約者を連れて参った」

「珍しいね、えり好みの激しいキミが人を連れてくるなんて初めてなんじゃないか?」


 オルガンの音色は止まらない。ここで止めるのは作曲者への冒涜であるし、転章までは止めるはずがない。

 テトラもそう重きを置かず簡単なあいさつで終わるのだと考えていた。


 だがグランテーマを奏でるイザールの演奏が乱れる。すぐにトラットリオを入れてバランスを保ったが音楽を知る者なら一発でわかるほど手つきが乱れた。


「これは嬉しいお客様だ。以前口説いた時はすげなく断られたような気がしていたが、じつは考慮してくれていたんだね?」


「驚いたりはしないんだ?」

「死を越える方法なんて幾らでもあるからね。もちろん如何なる方法を用いても乗り越えられぬ死を与えてやることもできるが……」


 イザールの左手が強く鍵盤を打つ。ダーンと強く響き渡ったラの音階のあとに静寂が訪れる。

 オルガンから目を離し、偽りの殺害の王イザールが契約者を見射抜く。


「カトリーエイル・ルーデット、歓迎するよ」

「ありがとうと言うべき? それとも恨み言が正しい?」

「心の赴くままに唱えるといい。選んだ言葉によって後の展開が変わることだけは考慮して丁寧にね?」

「……」


 ミニキャラが押し黙る。

 どうすればいいのか迷っているふうにも、恐れているふうにも見える。


 そして察している。何をどうしようとこの男を倒せはしない。何者をも滅する王の弾丸を持つ不滅の男に敵う者はいなかった。だから世界はこの男に服従した。己でさえそれは変わらない。

 おそらく彼女であればイザールを百度は殺せる。だが無限にコンテニューを繰り返す怪物を百度倒すことに何の意味があろう?


 結局のところひれ伏すしかないのだ。結末はいつも敗北だけなのだ。何者も殺害の王には敵わないのだ。


「随分と大人しいね。分別を弁えたルーデットの姿など見たくはなかった」

「そういうのは大人げないと思うな。大事な契約者様には優しくするべきじゃない?」


「うん、そういう人を食った感じの方が好みだ。もちろん大事な契約者には優しくするよ。さあ願いを口にし給え、何を欲してガレリアの門を叩く?」

「ここにあるんでしょ?」


 ミニキャラが形を変える。辛うじて人の形をしているというだけの暗黒の人形となって殺害の王に問う。


「あたしの体を返して」


 人はガレリアに欲得を欲する。何もわからぬ猿の分際で、とっくの昔に敗れたにも関わらずお情けで生かされているだけの下等な猿の分際で図々しくも願いを唱える。


 だから殺害の王は嘲笑し、いつだって猿の願いを曲解して叶えてやる。

 こんなはずじゃなかった!って泣き叫ぶ猿の姿が面白いからだ。

 こんなはずじゃなかった!って泣き叫び死んでいった人々の末路を知っていてなお願いを口にする猿一匹が此処に。


 殺害の王が嘲笑する。だから猿は面白く、いつだって彼の期待通りに踊り失望させてくれる。

 殺害の王はすでに忘れている。命の天秤が公平であることを。


(お前は知らない……! あたしを手のひらで操るつもりのお前でさえ時の大神の盤上を飾る駒でしかないことを知らない。それだけが――――)


 それだけが、あぁそれだけが微かな勝機だと誰もが忘れた世界に失われていた時の断片がまた一つ加わる。

 未知なる未来へと続く扉が開かれる。

 聖堂に響く王の嘲笑と彼女にだけ聞こえる時神の嘲笑が重なる。


 森羅万象を統べる真なる敵の名を知る彼女の眼差しはイザールを通り越していた。その眼差しは天を憎むように……

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[一言] なるほど。新しいルート開拓のためにステ子が、裏切るようにしたのか。 さすクロ! ロザリアのラスボス枠かな?
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