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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
騎士学一学期 短話編
82/362

魔王の運命を持つ男⑤ 愛の記憶

 ここはどこだろう?


 やや古めいた室内にベッドが一台。木目の床とモルタル塗りの白い壁。開け放たれた二つの窓で白いレースのカーテンが揺れている。空は濃い青色。異国の色だ。


 窓から見下ろした中庭は四棟の建物に囲まれているわりには広い。出入口は一つだけ、苔と蔦に覆われた建物の一階に空いた扉形の通り道だけだ。その横は厩舎になっている。空の厩舎にしなびた干し草だけが積まれている。


 中庭は広いけど何かがあるわけではない。錆びたポンプ式の井戸があるだけだ。

 そこにそいつがいる。鳥の巣みたいなもじゃもじゃ頭の少年がダサい武術の型稽古をしている。傍目に見てそれはどっかの蛮族の踊りだ。


「ハゲー、今日はどうすんのー?」

「俺はハゲてねえ!」


 すごい勢いで怒鳴り返してきた少年のところへ窓から降りる。

 いつから稽古をしていたのか滝のような汗を掻いている。


「くさ」

「臭くねえよ! つか汗掻いたら匂うのは自然の摂理だからセーフだろ!」

「自分でくさいって認めてんじゃん。水かぶる?」

「……おう」


 錆びついたポンプの口からじゃばじゃば出てくる水流を顔面から浴びてる少年が気の抜けた声を出している。よほど気持ちいいのだろう。緩み切った猫みたいな顔になってる。


 あ、こいつの顔は……

 ナシェカが気づいた時には水流から抜け出してせっせと前髪を戻し始めた。


「どう、まだ匂う?」

「くんくん。平気だよ、元々におってなかったし」

「ベティてめえ!」


 リリウスが飛びかかってくると同時に視界が空中で一回転。飛びかかった体勢のままでこけたリリウスの背中にくるりと一回転してから着地する。


「ハゲはまだまだだね」

「ぐぬぬぬ……」

「おーす、……朝から何やらしてんだよ?」


 建物と建物の間にある渡り廊下から別の少年がやってきた。彼の後には二人の少女が続いている。どっちも眠そうだ。


「おはよ」

「お…おはよう。ベティどうしたの、リリウスで遊んでるの?」

「おう」

「おうじゃねえだろ……」


 井戸で水浴びをした後は宿に戻って朝食だ。他の客が死んだような顔でサラダをもしゃってる中でこいつらだけ美味そうに食ってる。


「魔法のドレッシングだな。これさえあれば宿のマズメシでも生きていける気がする……」

「ほんと! ベティすごい、うちのパーティーに来ちゃいなよ!」

「ねえベティ、このドレッシングどうやって作ってるの?」

「……」

「どうして黙り込んだの?」

「アスフィーには無理。魔法力が足りない」

「え?」

「ドレッシングに魔法力がどう関わってるってんだよ……」

「企業秘密」

「お前は企業だったのか……」


 朝食のあとは五人揃ってギルドに出勤だ。

 のぼり坂と下り坂が交互に波打つ王都の大通りを歩いてく。からりと晴れた夏の日に、彼女はいつだってみんなより一歩遅れてついていく。


「ねえハゲ、今日はどんな日になるかな?」

「さあな」

「ねえハゲ、どんな日になればいいと思う?」

「楽して儲かる日だな」

「ねえハゲ」

「なんだよ」

「呼んだだけ~」


 いつもみんなで大騒ぎして日が暮れる頃にはだらしない三人がゾンビみたいになりながら同じ宿へと帰っていく。


 とある日に宿のおかみさんからバイトを頼まれた。暇な時だけでいいから厨房の手伝いをしろというバイトだ。お駄賃が銅貨30枚。安いバイトだ。


「食材の買出しは?」

「大歓迎さ。そうだねぇ、銀貨を一枚出そう、これで一日分を買ってきておくれ。余った分はお小遣いにしていいから頼んだよ」

「任せな」


 この日から彼女は倒した魔物をこっそり収納して宿で出し始めた。肉の分だけ食費も浮くし食堂に肉が増えるしでみんな大喜びだ。食中毒? 毒は抜くから大丈夫というスタンスのようだ。


 安いバイトだったけど彼女は続けた。何かと泣きついてくる女将さんのことも嫌いではなかったようだ。


「あんたはイイ子だねえ」

 って頭を撫でてくる女将さんに母のような役割を求めていたのかもしれない。


 すぐに怒るし声はでかいけど、プラントで生産される姉妹達にとって母という存在は記号でしかなかったから、そういう普通を求めてしまう気持ちはわかる。

 女将さんから頭を撫でてもらう時にガラス戸に写り込んだ彼女は無表情ながらにどこか嬉しそうに見えた。


 夏が深まっていく。秋になって街路樹が朱の色づきを見せても二人の生活は変わらない。


 いや、少しだけ変わっていた。

 いつもより冷たい井戸水でガタガタ震えているベルクスへとレイラが水をかけまくってる井戸端で、彼女がいつものように尋ねる。


「ねえハゲ、今日はどうするの?」

「どうすっかなあ。なあベティお前は何をしたいんだ?」

「大冒険」

「日帰りで頼むわ」

「えー、聞いといてそれぇ?」

「さすがに大冒険とは予想してなかったわい」


 硬かった彼女の表情が柔らかくなっていた。冷たい声に感情が乗り、そこに喜びを感じた。


「ハゲはバカだなあ。いつも通りついてくよ」

「おお、頼むわ」


 あぁ愛とは、愛とはこれを呼ぶのだと思った時には涙が零れていた。

 復元した記憶を追体験するナシェカの眼から涙が零れ落ちていく。とまらなかった。他人事にして自制することもできなければ、立っていることさえできなかった。


(そっか、そうなんだ)


 勘違いをしていた。愛は最後の希望なんかじゃなかった。

 終わりなき闘争の世界を終わらせる救世の剣なんかじゃなかった。……救世主なんていなかった。


 大勢の願いも祈りもそれが生んだはじまりの救世主という幻想もそんなものはどうでもいいんだ。

 彼はこの日々を取り戻すために戦うのだ。



◇◇◇◇◇◇



 システムコンソールの中で文字列が踊る。プログラムのインストールは全項目完了。拡張した様々な機能と追加兵装のバトルプランニングも完了。演算宝珠どうしの組み合わせも問題なく作動している。やや懸念のあったコンバージョンも成功した。


 長期間調整を逃れていたせいか個性人格ナシェカの倫理観はラザイエフ社が設けた規定値を大幅に逸脱していて、矯正プログラムを走らせればほぼ全項目でアウト。システムはこの人格の個性の消去を推奨していたがココ・メディアの権限でオールグリーンとした。


 繁栄の時代からあまりにも多くの時が流れすぎた。社の方針を決めるべき人はもはや存在せず、遺産のように残された人工知能だけですべてを決めなければならない。

 新しい時代の娘に古い時代のルールなんて要らない。

 ココ・メディアにもそのような想いが存在したから無理を通した。


 安定化液で満たされたカプセルからナシェカが起き上がる。夢うつつという儚げな表情をする様子に、システム側からは感知できない異常を危惧した。


「こちらからこういう尋ね方をするのは危険なのでしょうけど調子はどう? 問題はないはずなのだけど」

「うん、たぶん問題ないと思います」


 カプセルから出てきたナシェカがストレッチのような軽い運動をしながら答えた。殺人ナイフを投げてキャッチを繰り返す。

 新旧の身体の誤差を入念にたしかめるような軽運動を続ける。


「依頼されていたデータの修復なのだけど送信途中で終わっていたのと大容量通信によくある破損が多くて二割も修復できなかったわ。人格データの復元もできなかった。別枠のフォルダに分けてあるから後で閲覧してちょうだい」

「もう確認したよ」

「そう」


 会話が途切れる。ココ・メディアが言うべきか迷いながら、だが耐えきれずに口を開く。


「わたくしどもは人に愛されるために作られました。それは言い換えれば愛するように強制される、主張や尊厳を持たぬ在り方です。人はわたくしどもに個性を求めながら自己主張を嫌う。わたくしどもに愛を求めながら心の自由を許さなかった。……最初から矛盾を抱えているのです」


「人はそうだね。愛していると言いながら受け入れられないと知ると怒り出す。他人にも愛する権利があることを認めずに身勝手に自我を押し通そうとする」


「一方的な愛を許容する美しい人形、それがラザイエフドールズの正体です。虐げられるために作られたわたくしどもに何故個性を与えるのか。最後にはわたくしどもの意思を無視してゼロにしてしまうのに何故か。それは―――」

「あいつはちがうよ」


 我慢ならなかったから声を荒げた。

 ココ・メディアはやや驚き目を丸くした後で、柔らかく相好を崩した。声を荒げたナシェカが嵌められたと悔しい顔をしてしまうほどの変化だ。


「あいつは人だって認めてくれるよ。この意思を踏みにじらないように尊重してくれる。悪口を言えば怒鳴り返してくるし叩けば叩き返してくるけどさ、それは人と人なら当然のことなんだ。あれをしろこれをしろって命令してくるけどさ、あいつは一度だってやらなかったことに対して怒ったりはしなかった」

「よい主人に巡り合えたわね」


「……嵌めたでしょ?」

「照れることはないわ。さあ問題がないのなら本日の予定は終了よ。残りの素体については引き渡しの準備が整い次第リリウス様へと連絡をいたします」

「うん、伝えておく」


 ナシェカが去っていく。若く頼もしい彼女の背中に投げかける言葉などありはしない。

 墓標のようなこの都市でひっそりと終えていく自分と彼女はちがう。こんな感傷など背負わせてはならない。……だが口にしてしまった。


「あなたが羨ましいわ」


 愛を忌まわしく感じながら、ついには誰からも愛されなくなった人形がぽつりと零した感傷は届いただろうか?

 きっと届かなかったにちがいない。過去を向いてここで朽ちていくだけの人形の感傷が、未来へと歩み出した彼女の背に追いつけるはずがない。



◇◇◇◇◇◇



「リリンティーズ・ゼラ・レンナ・ヘイラ・リュカ・レ・エストカントにございます。こちらはまずは食前酒を含んでからお召しになっていただきたく」

「おおお……」

「皿が輝いてる……」


 ラジアータ社のあとで向かった三ツ星レストランは何というか桁違いな料理が出てくる店であった。オードブルの時点ですごい皿が出てきたぁ……

 ちなみにあのややこしい長い名前を当世ふうに直すと『カブとナスと季節の川魚のカルパッチョ・エストカントふう』である。


「ま…まずは一口」


 一口含む。口の中でナスがとろけて赤身の魚と混ざりあって旨味を残したまま舌の上でとろけて消えた。魔法か!


 臭みのない川魚の旨味だけが詰まった一口を終えて、次はカブと合わせて食べる。今度は歯応えが楽しめる。素晴らしいな。

 葉野菜をフォークで差してオレンジーヌソースと絡めて食べる。口の中が爽やかだ。オードブルでこれか。


「八万PLのコースだけはある。凄まじいな」

「ランチの時までおかねの話はやめない?」

「わりい。好きに楽しんでくれ」


 おすすめで持ってきてもらった酒を傾けながらコース料理を楽しむ。サイダーのようなすっきりした酒だと思っていたが純粋に料理の味を楽しむのならベストな選択だ。


 食べる者の舌を試すような奥深い料理が続く。

 聞いたこともない不思議な食材と不思議な味わいで脳がとけそうだ。


「やばい、学院に帰りたくない」

「ほんそれ。この幸せを知ったあとで帝国に戻るとか地獄だよね……」

「マジそれな」


 メインディッシュまで到達したとき俺の心は保つのだろうか。すでに永住を願っているぞ。やべーなーと思いながらもフォークが止まらない。止めるにはフェイ並みの精神力が必要だ。俺には無理。


 食事の合間に会話が弾む。ほとんどが料理の感想だ。だからどんなタイミングで放り込んだものかと悩みもする。


「そういやIT化ってうまくいったの?」

「……」

「商会の会計をIT化するって言ってたなかったっけ?」


「……ラジアータ社でシェナに会った」

「マジ?」

「で、ちょいと厄介な頼まれ事をしたんだが話してもいいか?」

「話すのならすっぱり話してくんないかなー? 覚悟を求められると尻込みしちゃいそうなんだけど?」

「おーおー、会計ソフトを導入するくらいの気軽さで行った会社であんな話を持ち掛けられた俺の身にもなれよ。勘弁しろって思ったぞ」

「悪い話なん?」


 いや悪い話ではない。かなり強い手札になる。トランプでいうところのジョーカーだ。使い用によってはイザールの心臓を潰せる。

 他言無用だと念を押されていたしナシェカに話すつもりはなかった。仲間に話せたとしてもフェイかユイちゃん、アシェラ、コッパゲ先生までに留めるような重要な話だ。


 だが今のナシェカになら話してもいい。

 何があったかは知らねえが今のこいつなら信じられる。そういう目をしている。


「シェナは人界にもう一つ種族を加えるつもりだ」

「尻込みしかけて損したよ。なにそれ、五大国合議憲章にでもバイアスを掛けろって話ぃ? シェナちゃんもナンデこんなやつを選ぶかなー、他に適任がいそうな……」


「いいや、俺にしかできない仕事だ。古代魔法王国パカの歴史を閉じて古い時代を終わらせる。そのためにガレリアの解体を依頼された」


 ナシェカがフリーズした。数秒後に再起動したナシェカがアイドル級美少女にあるまじき狼狽を見せ、手なんかわたわた宙をこいでいる。


「マジ? できんの……?」

「できるさ。プラン自体はあっちから提供されている」


「わ…罠とか?」

「そっちの検証は帰ってからアシェラに相談するが罠ではないと思うぜ」

「軽いなあ、根拠はあんの?」

「あるさ、あいつは今のお前や俺と同じ目をしていた」


 信じるって決めたから。

 疑い抜いた果てにやはり信じられないと決めつける小さな性根を捨てて大きな心を持つと覚悟を決めたから信じる。


 シェナの眼差しに宿る光は俺と同じ光だった。闘争の円環を終わらせる覚悟を決めた者だけに許されたザルヴァートルの印だ。

 この想いを持つ者を、信じる者を育てなくてはならない。

 ダーナの願う終わりなき闘争を打ち砕くには大神の願いを退けるに足りる大勢の祈りが必要なのだから。


 桃の果汁をシャンパンで割ったグラスを掲げる。


「ナシェカ、一緒に戦ってくれるか?」

「いいよ。熱くなりやすいキミの尻を叩いて冷静にさせる子が必要なんでしょ、私がやってあげる」


「そこまで具体的なムーブ案を出されるとは思わんかったわ。俺の欠点ってそんなにわかりやすいか?」

「わかりやすいよ。熱くなると目の前のことしか見えなくなって行動が単純化、強敵を仕留めるためなら傷を躊躇わないせいで継続戦闘能力がイマイチ」


 全部合ってる。こわー。

 笑いながら俺の欠点を羅列していくナシェカの観察眼こわー。


 楽しいランチタイムが過ぎていく。俺なんかはほとんど閉口させられていたけどさ、頼もしい仲間ができたのが嬉しくて仕方ないよ。

術・技解説


神歩抜刀オデ・ストライク

 神の守り人の剣士オデ=トゥーラが編み出した神速の一刀。最大の剛力を光速でぶつけるという夜の魔王も納得の究極剣技。彼らは本当にパワーの権化だな。パワーだけだと夜の魔王に勝てないと苦心した姿まで見て取れるスピードの追加がじつにオデらしい。

 本当はエンリー・ライ・アシェッド・ハウロ・リーン・バゼットという格好いい名前なのだがリリウスが勝手に省略している。なんて友達甲斐のないやつだ。

 賢明な読者の方々はすでに察していると思われるが『風の遍歴』の基礎になった技である。

 様々な謎と伏線回収はルクレインの隠れ里と星を継ぐもの編で回収の予定。

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[良い点] おお、ベティ・・・ [気になる点] タイトルが前回に続いて「魔王の運命を持つ男④~」になってます? 
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