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最終章 『春のマリア』  作者: 松島 雄二郎
騎士学一学期 短話編
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寮付き女中のアメリ

 男子寮の消灯時間は夜の八時だ。夜の八時から翌朝の五時の九時間、これが寮で働く者にとっての念願の自由時間であるのだ。

 この九時間の間に寮付き女中たちは夕飯を摂り、サウナに入ったり眠ったりと自由に過ごす。日中は我が物顔で歩いている貴族の子弟のいない時間を満喫するのだ。


 半地下の使用人区画で夕飯を食べている姦しい女中たちが何の気もなしにこれを言い放った。


「そういえばアメリはどうなの?」


 我が名を呼ばれた女中がスプーンの手を止めて顔をあげる。

 大輪の花ではなく小さな野百合のように愛らしいアメリは他の女中たちの会話を聞いていなかったので、何のことだかと小首を傾ぐ。


「どう…ですか?」

「彼はどうなのって話」

「ああ、そういう……」


 女中たちの目がキラキラ輝いている。恋バナをしたいから話題提供しろ、もしくはいじらせろという期待の眼差しだ。……正直苦手な視線だ。


 アメリは大人しい娘だ。雑務女中として一人前の技量と知識を持ち、自らの技能に誇りを持っている。

 貴族の若様に見初められて玉の輿!なんて不埒な考えで学院寮の募集にやってきた子達とはモチベーションが異なる。


 だから誰もが意外だった。そんな生真面目でお堅いアメリが一番に貴公子を捕まえるとは……


 そう、寮付き女中の中でアメリは大人しい顔してやることはやってる凄い子という印象なのだ。


「特に語るようなことはないわ」

「それは無いでしょ~」

「どこが気に入ったとかさ、そういうの聞きたいな~」

「どこって、わたくしがどこかを好きになったからってそんなのは関係ないじゃない」


 正直浮ついた子達の相手は面倒だ。

 以前のアメリは貴族社会から身を退いた老婦人の家にいた。彼女を訪ねてくる客なんてほとんどおらず、家もこじんまりしたものでお世話はアメリ一人で充分に足りていた。

 掃除も洗濯もお料理も一人でこなせたからスキルは高い。だが大きなお屋敷で働いた経験はないから同僚と分担して作業するのは苦手で、彼女らの輪に入るのも苦手だ。


 十人の女中が働くこの大きな男子寮でアメリは孤独だった。おしゃべりがぽんぽん出てくる彼女らのおしゃべり癖に辟易しつつも、自分にはそういうマネはどうしてもできなかった。

 落ち着いた老婦人と一日に交わすほんの数言。考えに考え抜いてたった一言で心に染みるように印象付ける言葉こそ出せても、彼女らのスピードについていけなかった。


 年齢なんてそう変わらないはずなのにみんなにとってアメリはババアくさい子だと嘲笑されて輪に入れてもらえなかった。そんなアメリにとって彼との時間は……


「実際あれはいい男だよね。あのはち切れそうな胸筋と締まり切ったウエストの衝撃がね」

「THE男だよね。強い男だ。あれで十五歳なんだってね……」

「うちのヒョロガリの弟より年下とか……」

「腕の筋肉なんてあたしらのウエストより太いし~」

「足もね、足もすごいんだ。スラックス越しにわかる盛り上がったふくらはぎがやばい。ああ~~あれに守られたい♪」

「そう? わたしは組み敷かれたいかな。絶対に敵わないちからで無理やり……」

「唐突に性癖を明かすのはやめなさいよ」


 好き勝手に放言する同僚には慣れない。仕事を押し付けてくるような連中がこちらを見直して心根を入れ替えたフリをしたところで過去の傷は消えない。話題の提供なんて絶対にしてやるつもりがない。

 アメリにとって彼との時間は大切な宝物。彼を傷つけようと考えに考え抜いた末に放った言葉も、そんなアメリをいつも可愛いと言って受け入れてくれる彼の胸の深さも教えてあげるつもりはない。


 使用人部屋の扉が開く。

 新たに入ってきたのは普段はここでは食事を摂らない女中頭のジェシカだ。寮で働く子達よりも少し年上で経験豊富なジェシカは以前は皇宮で働いていたエリート侍女らしい。本人がそう言っているだけだ。


「おっ、何の話題っすか?」


 威厳もへったくれもない言葉遣いの女中頭が話題に交ざりに来た。目上の人間が親しげに近づいてくると無下にはできないものだ。計算でやってるとしたら中々の狡猾さだ。ゆえの女中頭なのかもしれない。


「噂のアメリの男についてですよー」

「ほほぅ、アメリもやるっすね~~。でも貴族との恋愛は苦労が多いっす、わたしも大変な目にあったっす」


 流れるようにすすっとアメリの隣に座る女中頭が武勇伝をにおわせる。

 メイドも長くやってると色々あるらしい。とある子爵家の次男に口説かれたけどそいつには婚約者がいる。しかし応じないと屋敷で働くのは難しくなる。中々の難問だ。


「どうしたんですか?」

「貢がせるだけ貢がせて楽しむことにしたっす」

「「おお~~!」」


 次男とのラブゲームを楽しみつつ金目の物も貰っておく。

 これが一見賢い方法に見えたがジェシカに飽きた次男がこんな事を言い出したそうな。


「この女に私物を盗まれたと言い出したんすよ」

「わぁ、ひどい男だ」

「ど…どうなったんです!? やっぱり投獄されちゃったり?」

「処刑ですか!?」

「いやジェシカさんここにいるし。処刑されてたらいないし」


「ふふん、取り調べに来た騎士様に子爵家のスキャンダルをまとめて売り込んだっす。司法取引ってやつっすね」

「さすがハウスキーパー。したたか!」


「みんなも何かの時のためにスキャンダルは握っておくっすよ。あっちはノーブルでこっちはウィード。何かあった時に身を守ってくれるのは御主人様の政敵っす」

「悪い人だなあ」

「こわー、そんなメイドあたしなら雇わないや」

「笑っていられる内はまだ子供っす。誠心誠意お仕えしていたところで切られる時は一瞬っす」

「そうよね、本当にそう。冤罪でもこっちの言い分なんて聞いてくれないし……」


 反応は様々で心当たりのある、というか謂れのない罪を押し付けられそうになった者ほど強く響いているようだ。


 ジェシカが人の心をコントロールするみたいに黄金の懐中時計を取り出す。

 蝋燭の明かりを浴びて怪しく光る懐中時計に皆の視線が集まる。どんなに学がなくてもわかる。これは慎ましく暮らせば一生安泰という品だ。


「美しい時はまたたきのようなもの。みんなも早めにいい男を捕まえて貢がせたらいいっす。ここはそういう場所っす」

「女中頭のセリフじゃない……」


「お屋敷勤めじゃあ口が裂けたって言わないっすよ。でもここにいるのは親の監視下から離れた年頃の男。それも貴公子とも呼べないぴよぴよ鳥の一番手強くない時期っす。貢がせるなら一番簡単な時期なんっすよ」


 みんなを思ってのセリフっす。と締めくくられた女中たちは心が揺れているようだ。休日もなく朝から晩まで一生懸命働いて年俸が24ヘックス銀貨。出会いもなく若く美しい時間を無駄にしてこの程度の報酬だ。

 そしてジェシカの手の中で怪しく光る時計は女中の年俸の数十年分という品なのだ。


 誰もやるとは言わなかった。でも食い入るような眼でのどをゴクリと鳴らす様は「やる」と言っているふうにしか見えない。


 夕飯を終えて其々が席を立っていく。遅れてやってきたジェシカがのんびり夕飯に手をつけていると、最後に残ったアメリが震える声で問いかける。……口にするのさえ勇気がいる。そんな様子だ。


「女中と貴族では難しいのでしょうか……」

「相手次第としか言いようがないっすね」


 突き放すように言うとアメリが暗い顔で俯いた。だからジェシカは「でも」と希望の余地を残す。


「前例がないというほど難しい問題ではないっすね。貴族家のご当主様なら愛妾どまりでも木っ端男爵家の五男となれば全然別の話っす。特にあちらも愛妾の子ならね?」


 アメリがハッと顔をあげる。

 きちんと顔をあげてまじまじと見つめた女中頭の顔には何の邪気もない笑みが張り付いている。……初めてこの女を怖いと感じた。


 ただ長く女中をやっていて、皇宮に上がっていたことがあるだけの陽気な女としか考えていなかった。……それだけの女のはずがなかった。


「ジェシカ様はどこまで……」

「私にも本気で振り向かせたい男がいるっす。だから気持ちはわかるつもりっす」


 黄金の時計を撫でる手つきで察した。華炎が刻印された懐中時計をくれた男をこそ慕っているのだ。


「私から言えるのは分の悪い賭けだということ。想いが果たせずともアメリの人生は続いていくということだけ。だから保身のために何かをねだっておくように助言したっす。……相談ならいつでも乗るわ、でも難しく考えないで」


「あれだけ言っておいて難しく考えるなと?」

「ええ、だって恋は楽しむものなのだから。今という時はあなたが考えているよりもずっと貴重だわ。後から戻りたいと思っても取り返しようのない大切な時間だから楽しまなきゃ損よ」


「はい。その…ご助言感謝します」

「いいのよ、だって女中頭ってそういう仕事なんですもの」


 アメリが空の皿を載せたトレイを手に席を立ち退室する。

 その背を見つめるジェシカは謹厳な顔を一転させニシシと笑っている。


(このくらいの子は転がすのがチョロいっすね。あとは振り出した賽の目に期待といくっす)


 帝国騎士団諜報部の目はどこにでもある。

 特に男子寮は貴重な情報源だ。外出をすればすぐにわかる。わざわざ調べずとも向こうから外泊届を持ってくる。女性を連れ込めばベッドに情交の痕跡が残り、これを掃除するのは寮付き女中だ。

 一つ一つは取るに足りない些末な情報でも山ほど集めれば帝都のすべてが見えてくる。


 帝都は帝国政治の中枢だ。ここで起きる出来事は吉事であれ凶事であれ大きな意味を持ってくる。貴公子がうっかり漏らす失言一つだって侮れはしない。


 今宵ジェシカ・ルーリーズは女中を焚きつける布石を打った。

 頼れる者のいない若い女中たちは困れば必ずジェシカを頼ってくる。そういうふうに振る舞ってきたからだ。

 だが何もかもが虚飾というわけではない。


(しかしお堅いアメリがリリウスぼっちゃんに転げ落ちるとは予想外も予想外っす。よりによってリリウスぼっちゃんなんてどう考えても大変っす、ご愁傷様っす)


 その微笑みは嘲笑というよりも同病相憐れむものであり、彼女が惚れた男も難物で知られる困った男なのだ。

 普段は振り返りもしないのに仕事がある時だけは愛想よく声を掛けてくる男を思い出しながらスパイ女中がニシシと笑う。



◇◇◇◇◇◇



「ルビーと一口に言っても色合いなんかは様々で価値にも高低があるのさ。一に大きさ、二に色合い、三に加工の巧みさって言われるね。赤はモンスターの瞳の色、不吉な色なのに人は赤を求めてしまう。人は恐ろしいものにこそ惹かれてしまうんだ」


 闇に響いた落ち着いた声音。抑揚を抑えた小さな、でも力強い声が今日も夜語りを始める。いつもの豆知識講座だ。

 おかしなもので彼は自分に付き合わせるからには一つ二つ知識を覚えて帰ってほしいのだそうな。この時間は無駄じゃなかったと思ってほしいのだそうな。


 二人きりの戦いを終えた余韻の時に、彼の腕の中で彼の囁きに耳を傾ける時間を愛している。

 アメリがどれだけ愛していても、彼は信じてくれないみたいに今夜も知識を語りだす。


 アメリはいつからかこの想いを憎らしいと名付けた。


『憎らしい』


 何度この想いを口にしても彼はアメリの心なんて見透かしたみたいに微笑み、いつだって『可愛いね』と返してくる。


『憎らしい』

『俺もさ。愛してるよ』

(この人はどうしていつも……)


 アメリには不思議で仕方ない。人と人は言葉でつながっているはずなのに、どうしてか彼とだけは心でつながっているとしか思えない。そういう時があるのだ。


「ちょうど今イース海運に火竜の瞳が展示されているよ。吸い込まれそうなほどの澄み渡るノーブルフランマの600カラット。世界一のクイーンルビーだ」


「……私にはわかりません」

「当然さ、想像で補える感動ではないから宝石はいつだって高い価値を持つ。という意味はないな。怖いのかい?」


 アメリの細い身が震える。

 彼女にはわからない。心を見透かす男を相手にどうすればいいのか、ずっと考えていたけど本当に何も思いつかなかった。


「わからないの。あなたをつなぎとめる方法がわからない。この関係がゆっくりと終わりに近づいていくのに、私には止められないのです」

「アメリは賢いから先ばかりを見ようとするんだな。迷惑だったか?」


 否定したい気持ちで首をブンブン振る。

 憎たらしくて仕方ない。この男は心が読めるはずなのに、この気持ちをわかっているはずなのに惚けた問いをかけてくるのだから憎たらしい。


「男なんて星の数ほどいるぜ。わざわざ俺なんて選ぶことはない。自慢じゃないが三十まで生きられる気がしないんだ」

「答えなんてわかっているくせに……! どうして遠ざけようとするのです。ならどうして抱き寄せたのですか。飛び込まれるのが迷惑ならどうして!」


 大きな声を出すのは久しぶりで、いつだったかなんて思い出せない。

 怒鳴っていると不思議と涙が溢れてきて、これ以上はとてもではないが声が出ない。


「こんなことならあなたなんて知らなければよかった。知らなければ苦しまずに済んだのに……」

「お前の人を憎む目が気になったんだ。人の輪に入れない理由も分からず他人を蔑むことでしか誇りを保てない。他人と上手くやる努力もせずに、それがどれだけ大変なことかも理解せずに自分を理解してくれない他人を憎んで生きている」


 そんなお説教が聞きたいわけじゃない。そんな答えは望んでいない。続く結論なんて聞きたくもない。

 この男が大嫌いだ。こちらの想いをわかっているくせに……


「アメリが欲しいのは理解者だ。その未熟なプライドごと受け入れてくれる優しい誰かだ。男である必要もなければわざわざ俺なんて選ぶ必要はない」


 嫌いだ。そうやって試そうとするところが大嫌いだ。


「他なんていらない。どうしてわかってくれないの……?」

「後で冷静に考えてみれば過ちだとはっきりわかるのに盲目になっているアメリへの優しさのつもりだったがな。気が変わったら言えよ。好きなやつができてもだ。それでも想いが変わらなかったのなら寮を出る時に連れ出してやる」


「本当ですか?」

「俺は嘘をつかない。たまにしかな。……そうだな、約束の印にこれをやろう」


 帝国には婚約の証に高価な品を送る風習がある。戦地に赴く前に好いた女に送る品は彼が持つ最も高価な品と決まっている。


 彼の両手が光を放ち、帯電する虚空に一個の大きな紅玉が生まれた。

 アメリの握り拳よりも大きなルビーはそのまま形を変えて蛇のように彼女の腕に巻きついていき、あっという間にブレスレットに変化した。

 彼がブレスレットに手をかざす、黄金がルビーを溶かして文字として刻まれていく。


「錬金術ですか?」

「本物のな。売れば町一つの住人が生涯遊び惚けていられる品だが売ろうと思えば腕を切り落とすしかない。一度嵌めれば物理的に簡単には取れない腕輪ってわけだ」

「はっきり言ってください」

「お前は俺の物だ。どういう生き方を選んだって腕輪を返せなんて言いやしないが、俺を本気にさせる代償だけは払ってもらうぞ」


「ええ、それで安心できるのならお好きになさいませ」


 贈り物の効果か確約が取れたからか、アメリはすっかりご機嫌になって真紅の腕輪を楽しみ出した。


 翌日、女中陣がどよめいたのは言うまでもない。

 アメリがトンデモナイ品を貰っている事実が、彼女自身も知らない内に彼女の位階を押し上げたのである。女だらけの女中業界では太い主人を得た者が勝ち組なのだ。

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